ガンバ大阪、歴代監督を振り返ろう!PART1〜低迷期からのガンバユースの飛躍的成長編〜

なんかブログ書こうと思ってこの画面で10分くらい止まってるけど、どう?

 

どーもこんばんは

 

さてさて、本日はですね、こういう機会ですから……の過去の監督を色々と振り返ってみようと思います。

 

 

 

ガンバは2002年から2011年までの10シーズンに渡って西野朗監督がJリーグ最長期間となる長期政権を築き、2013年から2017年までの5シーズンで指揮を取った長谷川健太監督など、これまでにガンバの監督を経験した人数は13人と少なめ。ただ、西野監督就任以前はほぼ毎年監督が変わるような状態でもありました。

ガンバで成功した監督も失敗した監督も、色々振り返っていきます。

 

 

 

 

初代監督

釜本邦茂

 

在任期間:1992年〜1994年

国籍:日本

Jリーグ成績:1993年7位(1st8位/2nd6位)、1994年10位(1st10位/2nd10位)

ガンバ以外の主な監督キャリア:ヤンマーディーゼルサッカー部(1979〜1984)など

ガンバ以外での主な実績:JSL優勝(1980、ヤンマー)、JSL杯優勝(1983〜1984、ヤンマー)など

 

ガンバの初代監督は言わずと知れた日本サッカーのドン。後にセレッソ大阪となるヤンマーディーゼルサッカー部のレジェンドという印象が一般的な同氏だが、セレッソオリジナル10に入らなかった事で関西唯一のクラブとなったガンバの初代監督となり、当時の監督勢の中でも屈指のネームバリューを誇った事から注目を集めた。……が、永島昭浩ら当時の主力との確執に始まり、戦術性にも欠けるなど低迷してしまった。

釜本監督の大きな功績としては、釜本監督が就任以前からユースチーム「釜本FC」を設立・運営していたが、釜本監督の就任と同時に釜本FCはそのままガンバ大阪ユースという形に移行した。多くのJリーグチームが一からユースチームを立ち上げる必要に迫られる中、ガンバは釜本FCをスタッフ(上野山信行氏など)を含めた育成システムの土台として使う事が可能となり、これは宮本恒靖稲本潤一などユース出身者の台頭が他チームよりも早かった要因の一つにもなっており、今現在まで続くガンバの育成組織の礎となっている。

 

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2代目監督

ジークフリート・ヘルト

 

在任期間:1995年

国籍:ドイツ

Jリーグ成績:1995年14位(1st11位/2nd13位)

ガンバ以外の主な監督キャリア:シャルケ04(1981〜1983)、アイスランド代表(1986〜1989)、ガラタサライ(1989〜1990)、タイ代表(2004〜2005)など

 

現役時代は西ドイツ代表の主力選手として1966年のイングランドW杯では決勝戦にも出場。1970年メキシコW杯準決勝の「アステカの死闘」と呼ばれる試合にも出場した名選手。アレイニコフ、プロタソフ、ヒルハウスといった外国人選手の活躍もありスタートダッシュには成功したが、賞味期限が切れるかのように次第に低迷。最終的には1stステージ11位、2ndステージ13位にまで沈み、年間獲得勝点ではガンバ史上唯一の最下位となった。ガンバ史上最長連敗記録である8連敗を記録したのもこのシーズン。

 

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3代目監督

ヨジップ・クゼ

 

在任期間:1996年〜1997年10月

国籍:クロアチア

Jリーグ成績:1996年12位、1997年4位(1st8位/2nd2位)

ガンバ以外の主な監督キャリア:NKザグレブ(1998〜2000)、ディナモ・ザグレブ(2005〜2007)、ジェフユナイテッド千葉(2008)など

ガンバ以外での主な実績:クロアチアリーグ優勝(2006)など

 

1995年にヘルト監督の依頼でコーチとして来日。ヘルト監督の解任後、ガンバとして初の内部昇格監督という形になった。就任1年目こそ「前年よりマシ」程度の成績に終わったが、パトリック・エムボマを獲得した2年目は2ndステージで終盤まで磐田と激しい優勝を争いを繰り広げるまでに躍進。エムボマクルプニに依存した戦術に批判の声も多少あったが、宮本恒靖稲本潤一などの若手選手の登用にも積極的でクラブ史に残る一年を演出した。

その後、クロアチア代表のスタッフに就任する為に天皇杯を前に監督を辞任。ガンバとは2002年までアドバイザリー契約を結び、ニーノ・ブーレの獲得などにも尽力した。2008年には千葉の監督として日本に復帰。奇しくも千葉での初陣となる開幕戦は万博でのガンバ戦だった。

 

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4代目監督

フリードリヒ・コンシリア

 

在任期間:1997年10月〜1998年5月

国籍:オーストリア

Jリーグ成績:1998年1st14位(途中まで)

ガンバ以外の主な監督キャリア:バート・イシュル(2002〜2007)など

 

ガンバのコーチを務めていたが、クゼ監督の辞任を受けて1997年の天皇杯から指揮。ガンバはフレデリック・アントネッティ監督の就任が内定していたが、契約上の問題から来日が1998年5月となった事でそれまでの「繋ぎ」として1998年も途中まで指揮を執った。前年に大躍進を遂げた直後というタイミング、そして役割も次期監督までの繋ぎという難しいというより少々気の毒な立場だったようにも思う。

現役時代はオーストリア代表GKとして大活躍していた。

 

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5代目監督

フレデリック・アントネッティ

 

在任期間:1998年5月〜1999年5月

国籍:フランス

Jリーグ成績:1998年2nd16位、1999年1st10位

ガンバ以外の主な監督キャリア:SCバスティア(1994〜1998、1999〜2001)、OGCニース(2005〜2009)、スタッド・レンヌ(2009〜2013)など

 

バスティアでの活躍からフランスでも指導者としての将来が嘱望されていた中、当時36歳という若さでガンバの監督に就任。これは今でもガンバ史上最年少での監督経験となっている。低迷するチームの成績とは裏腹にガンバユースの評価は上がっていたので、フランスで若手育成の手腕を評価されていた事も込みでの招聘だった。が、成績は残せないまま1999年1stステージ終了後に退団し、バスティアの監督に復帰。フランス人指導者特有のエキセントリックな部分も強いため賛否両論ではあるが、フランス国内での評価は高い指導者の一人。

ガンバ時代から稲本の才能を絶賛しており、フランスに連れて帰りたいとまで話していた。ガンバ退団から10年後、同氏がレンヌの監督に就任した際には稲本を新戦力としてチームに迎え入れている。

 

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6代目監督

早野宏史

 

在任期間:1999年8月〜2001年10月

国籍:日本

Jリーグ成績:1999年2nd13位、2000年6位(1st13位/2nd4位)、2001年7位(1st5位/2nd13位(途中まで)

ガンバ以外の主な監督キャリア:横浜マリノス(1995〜1996、2007)、柏レイソル(2004〜2005)など

ガンバ以外での主な実績:Jリーグ優勝(1995年、横浜FM)、Jリーグ1stステージ優勝(1995年、横浜FM)など

 

現在では隙あらばダジャレを捻じ込むNHKサッカー解説者としてお馴染み早野氏。1995年にマリノスで優勝を飾った実績を提げてガンバの監督に就任。ガンバにとってはJリーグ開幕時の釜本監督以来となる日本人指揮官で、早野監督にとっても現役時代を含めて日産(=マリノス)関係を出るのは初めてとなった。エムボマ旋風以外で半分以上の成績に入った事が無かったガンバだったが2000年2ndステージでは最終盤まで優勝を争い、一時は首位にも立っている。

マリノスでの優勝は早野監督より前任のホルヘ・ソラーリの功績と言われており、柏時代は散々な成績だった事で監督としての評価は芳しくないが、ガンバ時代に関しては一定の評価が与えられている。前述の宮本や稲本を筆頭に、新井場徹、二川孝弘、橋本英郎都築龍太遠藤保仁山口智などシドニー五輪世代の若手を積極起用し、翌年から発足する西野朗監督体制で黄金期を迎えるにあたって一定のベースを築く事は出来た。2001年1stステージでは優勝争いには絡めなかったが5位に入っており、当時のガンバ基準であればこれも結構な好成績である。

 

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7代目監督

竹本一彦

 

在任期間:2001年10月〜2001年12月

国籍:日本

Jリーグ成績:2001年2nd11位(途中から)

 

早野監督の辞任に伴い、コーチから昇格する形で2001年2ndステージの残り7試合を指揮。正式な監督就任ではあるが実質的にはシーズン終了までの代行監督という立場だった事もあり、後任に西野監督が就任した後はコーチに戻ってチームに残留している期間中の成績は3勝1分3敗のタイスコアだった。

ガンバ退団後は柏レイソル東京ヴェルディのフロントとして活躍。柏では2005年に1試合だけ監督代行を務めたが、奇しくもこの時も早野監督解任に伴う監督代行だった。妻は現女子日本代表の高倉麻子監督。

 

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西野監督以降は次回に続く!

 

 

 

唐突に訪れるドリンクバーに進む事が止まる瞬間。

ではでは(´∀`)