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ガンバ大阪ユース、森下仁志監督の退任に思う【前編】

 

3月15日、中村敬斗が日本代表メンバーのリストに名を連ねた。

初招集という事もあって中村のキャリアについての記事が各媒体から複数配信されていたが、その全ての記事に「中村の成長を大きく促したキーパーソン」として取り上げられていた男がいた。中村はその男に「めちゃくちゃ鍛えてもらった」と感謝を語り、海外から帰国するか、海外での挑戦を続けるかの選択を迫られた時、その背中を押したのはその男と電話越しで交わした会話の影響も大きかったという。彼にとってその男は間違いなく恩師であり、そこには深い感謝の念を持ち合わせている。

通過点とて一つの到達点だ。友人でも知人でもないので実際にはわからないが、中村はその男に吉報の連絡を入れているかもしれない。一つの到達点に辿り着いた時、人間が大きな感慨を覚えるのはお世話になった人にその吉報を伝えた瞬間だとも思う。「日本代表に選ばれました」と伝えた時にどんな顔をするだろうか、第一声は何と言ってくれるのだろうか。それがメンバー発表直後だったかどうかはわからないが、少なくとも恩師に日本代表選出を報告する瞬間を中村が楽しみにしていたであろう事は容易に想像がつく。それはどんな立場の人間も持ち合わせている自然な感情だろう。

だがその時、既に事は起こっていた。今思えばなんと皮肉な事なのだろうとも思う。中村が欧州に帰ったその頃、感謝する人物として出したその人はバッドニュースの中心としてメディアにその名を踊らせていた。「中村敬斗を育てた事でも知られる」との文言と共に───。

 

 

 

3月30日、ガンバ大阪は一つのリリースを出した。

 

 

仮にもガンバファンとしてブログを運営し、近年それなりのアクセス数を頂けるような立場としてはこの件についてスルーするのもどうか…という事で、今回はこの件に関して私自身の思うところを綴っていきたいと思う。一応2回に分けて更新するつもりで、前編では応援するクラブで事案が発生してしまった事に対して思う事、後編では今回の事案を自分なりに考察してみようと思っている。

なお、私は関係者でも記者でもなければ事情通でもないので、現在表に出ている以上の情報は知る由もない。その上で推察を交えつつ断定はしないように物事を書いていく形になるので、その辺りはご理解願いたい。

 

 

 

リリースの翌日に行われた会見には松波正信アカデミーダイレクターと和田昌裕取締役が出席し、事の経緯を説明した。

30日のリリースと31日の会見をまとめて要約すると、大体以下の通りの流れである。

 

・2月28日に一部のアカデミー選手より、森下監督の指導について「指導の適正範囲を超えた不適切な言動が見受けられる」との情報提供がクラブに寄せられた。

・クラブは3月1日までに森下監督を自宅待機として当該事案の調査と審議を開始した上で当該事案をJリーグに報告。3月9日までにアカデミー選手及びスタッフ、そして森下監督への聞き取り調査を個別に実施し、3月10日より顧問弁護士と調査結果に基づく審議を開始した。

・その中でクラブは森下監督の指導に於いて、アカデミーの選手やスタッフに対する「過度な要求や行き過ぎた指導」「威圧的な叱責や侮辱的な発言」が森下監督がユース監督に就任した2021年以降で継続的にあったと認定し、指導として適切な範囲を超えたパワーハラスメントに該当すると判断。なお、暴力行為は無かったと発表している。

・森下監督も事実を認めており、3月24日の時点でユース監督の退任を決定し、3月30日付けで正式に退任。森下監督本人は謝罪の意を示すと共に、上記の指導に至った理由として「プロとして活躍する為に厳しさを求めた」と話した。

・後任監督は後日発表。現時点では森下監督の契約としての籍はクラブに残っており、その上で今後の処遇を決定する。

 

 

ガンバ大阪が発表している事実は大体以上の通りとなる。

まず先に書いておきたい事としては、森下氏の籍がクラブに残っている事については批判的な声も挙がってはいるが、これはおそらく調査や処分の関係の都合だと思われる。

というのも、Jリーグに報告を上げている以上、今後Jリーグとしての最終報告やJFAによる森下氏のライセンスに関する処分などが科されると考えられる。その為、その調査・審議のプロセスに於いて、クラブが責任者として森下氏を管轄下に置いておく事は調査を進めるJリーグ及びJFAに対する責任とも言える。実際にガンバは2020年10月に発生したアデミウソン酒気帯び運転の事案の際も即座に契約解除はせず、謹慎処分とした上で警察の捜査と被害者の示談交渉が完了した後で示談としていた。選手と指導者で立場が違うとはいえ、こういう事案に対するクラブのスタンスとしては共通するスタンスなのだろうと考えられる。

あくまで推察ではあるが、スポーツ報知にも「ユース監督を3月30日付で退任した森下氏は現時点ではクラブに籍を残し、今後の処遇が検討される」と記載されている事を踏まえると今回もガンバとしてはそういうスタンスであると考えられ、この点に関しては判断として間違っていないものだと捉えている事をまず始めに書いておきたい。

ここから本題に入る。

 

 

 

知っての通り、森下監督は2019年にガンバ大阪U-23の監督を2シーズン務めた後、2021年からガンバ大阪ユースの監督に就任していた。

現在のトップチームでプレーする選手で言えば食野亮太郎、福田湧矢、谷晃生、髙尾瑠、黒川圭介、塚元大、中村仁郎といった面々は森下監督率いるU-23チームでの教え子にあたる。U-23での森下監督の功績は間違いなく大きかった。前述の中村敬斗にせよ食野にせよ、彼らのキャリアを振り返るようなインタビュー記事で森下監督とのエピソードが出てくる頻度も多く、森下監督の退任が発表された後に塚元や中村仁郎はSNSで感謝の意を述べている。Jリーグでは近年にも似たような事案が他クラブで発生しており、その時にも言われた言説として、そういう事案を起こした指導者を慕う者は「サバイブに成功した生存者バイアス」と語られる事も多いが、実際問題として、サッカーに限らずプロスポーツという世界は絶え間ないサバイブの繰り返しで初めて権利を得る世界でもある。どの業界でも生存競争はあるが、避けられないサバイブを迫られる局面が引退まで絶えず続く…という側面を持ち合わせている事は事実である。個人的には彼らの感謝の意をうがった見方をしようとは思わない。

 

ましてや、この辺りは後編で詳しく書こうと思うが…U-23チームはそれがより一層顕著であり、加えてトップチームとの兼ね合いを含めるとU-23では戦術を徹底する事が逆に足枷にもなりかねない。だからこそ、森下監督の指導スタンスの根底には一人一人の選手が「一年でも長く現役を続ける為には」といったポイントに主眼を置いていた。いわば、彼らをどうサバイブさせるのか、この世界で生き残るにはどうすべきなのか…という観点からのアプローチを施していた。プロ…特にU-23のような立場のチームはある程度の厳しさも必要になってくる。無論、超えてはいけないラインというものは存在するが、生きるか死ぬかの世界に落とされた選手達にとっては、その場所でサバイブしなければならないのだ。

実際、現在はガンバにいない選手でもU-23で森下監督の指導を受けた選手は、カテゴリーはJ2やJ3などあるとしてもJリーグの舞台に留まり続けている選手は多い。その観点から見ても森下監督のガンバでの働きはトータル的に評価した時、これからも功績として捉えられるべきものであるとは考えている。選手にせよファンにしても、そこへの感謝を躊躇すべきとも思わないし、功績を全否定されるべきとも思わない。功績は功績として残るし、恩師と慕う選手は恩師と慕い続けていい。

 

 

 

だが………森下監督のリリースが出た時に、多くのガンバファンは寝耳に水であったり、ショッキングな感情は強く抱いただろうが、この事を「意外」と感じたガンバファンは正直そこまで多くなかったと思う。

おそらく多くのガンバファンが森下監督が超えてはいけないラインの内側で熱血的な指導を行っていると信じつつ、森下監督のスタンスはともすれば危ない転び方をする可能性を含んでいる事も自覚していたように感じている。指導者が"熱血漢"と称されるような熱い指導スタイルは決して否定されるべきではないし、そういう指導者も業界に必要ではあるのだが、その指導スタイルには相応のリスクが伴う事を本人以上にクラブが強く自覚しなければならない。ましてや今回の場合はプロやU-23ではなくユースチームでの出来事だ。プロやU-23はいわば「賽は投げられた」ような状態の選手達であり、だからこそ許容される厳しさもある。しかしユースチームは違う。彼らの多くはプロサッカー選手ではない道で、プロサッカー選手ではない場所で社会に出る。その事を森下監督やクラブはもっと強く考えなければならなかった。

今回の件があってもなお功績は功績として評価するべきであるべきだと思う。だが…"だが"というよりは"だからこそ"、功績は功績として評価されても今回の事をなあなあで済ませてはいけない。時代は100か0を求めがちだが、クラブとしても個々人としても、感謝と断罪が共存する事は矛盾したものでもなんでもない。ある選手が「森下監督のおかげで人生が救われた」と思うならその気持ちは嘘ではないだろうし、また別のある選手の「森下監督のせいで人生を苦しめられた」と思うのならばその気持ちも嘘ではない。真実はいつも一つではない。人の数だけ真実はある。権力を手にするという事は自分の真実と共に歩む事を許される事でもある。だからこそ上に立つ者はその無数の真実に向き合わなければならない。

森下監督の指導スタイルを全否定する必要はないが、確かな事は森下監督が「超えてはいけないラインを超えてしまった」という事だ。そしてそれに傷ついた人がいる。そうなってくると、もはやそこに指導法の是非は関係ない。厳しい指導はある種の均衡によって成り立つもので、その均衡が守られている間はそれが「厳しい指導」として成立する。一人ではない被害者が生まれた…その事実は重い。均衡が崩れた時、たとえそれが事案という形ではなかったとしてもその瞬間に厳しい指導ではなくなってしまうのだ。

 

 

 

後編では森下監督と歩んだU-23とそのスタンス、そもそも森下監督はどういうタイプの監督だったのか…というところを踏まえながら諸々を考察していこうと思う。

 

 

最後になるが、アデミウソンの時と同様に事案が報告されてからのクラブの対応の早さと、活動停止ではなく退任という形を即座にとった事は良かったと思っている。だが、そもそも事案自体にクラブも大きいところは避けられない。