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ガンバ大阪ユース、森下仁志監督の退任に思う【後編】歪んだ境界線

 

 

 

今振り返れば、U-23での実績を理由にユースの監督に配置転換したこと自体がそもそもあまりにも安直すぎた判断だったのかもしれない。

もっとも、その配置転換の判断自体はクラブを責めることは出来ない。少なくともあの時点ではそれがベターかつベストな判断だった。クラブのみならずU-23で指導を受けた選手の中には「ユースから森下さんに指導してもらえる事が羨ましい」といった主旨のコメントを公言した選手もいたし、森下監督に恩義を感じるトップチーム選手からすれば、形を変えれど組織内に恩師がいる安心感は少なからずあっただろう。そして全員が全員とは言わないが、大多数のファン・サポーターも同じ感情だったはずだ。私だってそう思っていた。むしろ、U-23監督を退任した時点で他クラブからの打診もあったという森下監督を安易にリリースした時の方が遥かに批判されていただろう事は容易に想像出来る。少なくとも"2021年1月時点での判断"としての配置転換は間違った判断ではない。それは今でもそう思う。

だが色々なことを後々振り返ると、やはりこの配置転換に潜んでいた地割れのようなズレは確かにあった。そして物事は絵にでも描いたかのようにその中へと吸い込まれていく事になる。それはファンやサポーターを含めたクラブが見落とした落とし穴であり、森下監督自身が無意識に背を向けた断崖でもあったのだろう。

 

 

 

ガンバ大阪ユース前監督、森下仁志氏のパワハラ問題について、前編では私個人が一人のガンバファンとしてこの件についてどう思っているかを書いた。

 

 

今回は自分なりに、なぜこのような事態に至ったのか…みたいなところを考えてみたい。

前提として、私は記者や関係者でもなければ事情通でもない。持っている情報はリリースや報道として表に出ているものしかない。なので物事を断定はしないように書くようには務めるが、あくまで一考察として、ある種のソースとしては考えないようにしてもらいたい。

 

 

 

まず大前提としてガンバの森下監督への評価はすこぶる高かった。それはクラブのみならずファンからの支持もそう。ただ、最初から高評価だったという訳でも無かった。

森下監督がガンバのU-23監督に就任したのは京都のコーチに就任する事になった實好礼忠監督が退任して空席になっていた2018年シーズン終了後の事。この時はファンからの支持も厚かった實好監督がガンバを去る事自体に青天の霹靂めいたものがあったのは確かだが、何より森下監督が過去に率いたJクラブでの監督成績が芳しく無かった事でガンバファンは大いに不安を抱いていた。かくいう私もその一人である。実際、当の森下監督もガンバU-23就任以前のキャリアを「(監督としての)結果だけを見たら、とっくに終わっていてもおかしくない」と語っていた。

 

そんな中で始まった2019年のU-23はいささか島流しのような状態であった。ガンバの練習場をそのまま使用するので施設が足りていないとかそういう意味ではない。むしろ、ガンバの練習場で活動していることそのものが現実であった。2019年のU-23チーム始動に立ち会ったトップチーム選手は僅か6人。この6人はトップチームの沖縄キャンプに帯同出来なかった選手達で、その中には食野亮太郎や福田湧矢といった選手もいた。いわば島流しというよりは、島に連れて行ってもらえなかった選手達が大阪に残されていた事になる。沖縄キャンプこそ帯同したが、程なくして中村敬斗もU-23に送られることになった。

この時のメンバーで言えば、例えば奥野耕平のように同年から入団したルーキーであればともかく、食野や福田、中村は前年にトップチームで数試合に出場していた。特に食野や中村は準主力的な立ち位置にいたにも関わらずU-23でのプレーを余儀なくされており、彼らがいきなり正念場にぶつかったかのような感覚に陥ったのは想像に難くない。

 

だが、ここで名前を挙げた食野と中村は2019年中にプチブレイクと海外移籍を果たし、福田も同年から主力に定着する。翌年からは奥野もコンスタントに出場機会を得るようになった。

実際に森下監督がU-23で残した功績は大きい。今季のトップチーム所属選手で言えば前述の食野と福田に加え、髙尾瑠、黒川圭介、谷晃生、塚元大、中村仁郎といった選手が森下監督が率いるU-23から台頭した。ガンバやJ1でのプレーとは行かずとも、当時の選手の多くは今でもJリーグという舞台で生き続けている。いつしかファン・サポーターはU-23を「森下塾」と呼ぶようになり、クラブもそれをコンテンツとしていた部分もあった。少なくともU-23の功績としてのそれは間違った評価ではないとは思う。

プロスポーツはある種、狂気の世界とも言える。この手の話題の時にやや揶揄的に「サバイブ」という言葉が用いられるが、実際問題としてプロスポーツは一つ一つのサバイブを繰り返していく事でしか生きていけない場所だという運命がいつも隣にある。もちろん社会通念としての超えてはならないラインは存在するが、一定の厳しさはどこかしらで避けられず、誰もが「この世界をどうサバイブするか」をいつも考え続けなければならない。ましてや、ガンバユース出身選手は長らく「技術や才能はピカイチだが精神的に貧弱」みたいな評価を受け続けていた。それは単に外部からの評価のみならず、トップチームの選手や監督時代の西野朗監督にまで指摘される事があった。それゆえに森下監督とガンバU-23が奇跡的なマッチングだったのは確かではあったのだろう。

森下監督も少なくともU-23に於いては──ただ単に厳しいという訳ではなく、厳しい指導の根拠や方法論は一定のラインの内側ではっきりさせられていたのだと思う。塚元や中村仁郎が森下監督の退任が発表された時にSNS上で感謝を示していたり、食野や中村敬斗は海外から森下監督と電話等でコミュニケーションをとる事も多かった。彼らにとっての森下監督はサッカー選手としての人生を好転させてくれた人物な訳で、その感謝の意を斜に見る必要は別にない。

 

ここまで随分森下監督に対して擁護的な事を書いている自覚はある。というのも私自身、ガンバ側の発表(「パワハラ行為があったのは2021年以降」「暴力行為といった有形行使はなかった」等)に準ずれば、少なくとも2019〜2020年のU-23チームでの功績は否定されるべきではないという考えが根底にある。例えば過去のJリーグで言えば、湘南や鳥栖のトップチームで発生した事象とは性質が幾分異なるとも思っている。なので基本的に、U-23での2年間を否定するつもりは(これから新事実が出てこない限りは)現時点ではない。

 

だが、問題はここからである。

 

 

 

森下監督が就任した2019年からガンバU-23の立ち位置は微妙に変わったように思う。

實好礼忠監督、宮本恒靖監督が率いた2018年シーズンまでは、U-23はどちらかと言えば文字通り「ユースとトップの間に位置する組織」であり、感覚としてはユースの延長・プロに行く前の最終準備という意識が強いチームだったように感じる。プロに行く前の「最後の仕上げを施す場所」としてのU-23だった…という感覚だろうか。

対して2019年以降のチームはよりプロ感が強かった。ユースの延長というよりはセカンドチームとしての趣が強く、いわば「トップに上がれない理由(足りないもの)はなにか」「何を伸ばせば(何を改善すれば)トップに上がれるのか」によりフォーカスを置いたチームだった。これは實好監督・宮本監督がアシスタントコーチやアカデミーの監督からU-23監督に就任したのに対し、森下監督は複数クラブのトップチーム監督を歴任した上でのU-23監督就任だった違いも少なからず影響しているのだろう。

誤解のないように言うが、これ自体は別に何も悪いことでもなければ間違ったことでもない。今回の件を経ると邪に聞こえる部分があるかもしれないが、あくまでこのスタンスの違いはアプローチの角度の問題であって、そのスタンスには正解も不正解もない。これが正解なのかどうかはその時その時のチーム事情によっても、或いは個々によっても変わってくる。

 

おそらく、森下監督はU-23で成功した方法論をそのままユースに持ち込んだと考えられる。

…正確に言えば、クラブは森下監督にそれを求めていたからこそユース監督に就任させたはずだ。だが、森下監督が持ち合わせていたのは育成力ではなくいわば選手を再生させる為のアプローチとメソッドであり、それは育成力とは似て非なるものだった。そこをクラブは見誤ったという事になる。森下監督が持ち込んだU-23のやり方は、おそらくは悪い意味でプロ的なやり方だったのだろう。

プロという狂気の世界で、サバイバルを避けられない世界に於ける厳しさは時として必要になる瞬間がある。それはプロとしてJリーグを生き残っていく事を目指した瞬間に、もちろん限度はあるが覚悟しなければならない部分はある。全員がプロとして生き残っていかなければならないというスタートラインがある。彼らはいわば賽を投げられた状態の人間だという前提で生きている。

 

だがユースは違う。何人の選手をユースチームに入れようが、最終的に一つの学年からプロの扉を叩く事が出来る人間は5人もいない。多くの人間はプロサッカー選手ではない形で社会に出る事になるのだ。U-23とは違い、サバイバルのやり方を叩き込むことが正解になる場所ではないのだ。

前提条件があまりにも違いすぎる場所にこれまでの方法論を持ち込んで生じた摩擦は次第に硬直化を生み、そして競技成績としての悪化を辿った。ユースにどこまで大会の結果を求めるかはともかくとして、目に見える結果が与えるプレッシャーは大きい。熱血漢的なタイプは指導者はキャラクターとして業界から消えてほしくはないと思う一方で、彼らは彼らで自分がある種の綱渡りをしているという自覚は必要になるし、どんなプレッシャーに苛まれてもそれを忘れてはいけない。その綱渡りが外側に転んだ時、そこに待ち受けるものは悪循環と悲劇でしかないのだ。就任当初から生じていた微妙なズレは、いつの日か雪だるま式に巨大な歪みとしてグラウンドの上に表れてしまったのだろう。

 

 

 

クラブが事態を把握する上でもそのズレは影響していたと思われる。或いは選手自身でさえもそうだったのかもしれない。

前述したように、少なくとも2021年当時の時点では森下監督の配置転換は多くの人が望んだ人事でもあった。それは森下監督がU-23では多くの功績を残した人物で、その指導を受けて高いレベルまで成長した選手も多かったという実績があった事はやはり大きい。2021年は選手もそれを受け入れようとしていた、信じようとしていた段階だったようにも思う。要は彼らの中でも「森下監督は厳しい指導スタイルだけど、それで多くの選手を育ててきた」というようなスタートがあり、それゆえに徐々に生まれ始めた違和感とパワハラが直結しにくかった部分があったように想像する。しかし2022年からは成績降下も伴って本格的に負の側面だけが溢れるようになってしまった。違和感が確信に変わった時、それは2021年にから始まっていたことに気付いた…言ってしまえば、ある意味では魔法が解けたような感覚に陥ったとでも言うべきか。そういった側面はあったように感じる。

上でも書いたように、熱血漢と呼ばれている監督は常に境界線の上を綱渡りしているようなものである。クラブはそれが常に内側に転べるようにコントロールしていなければならない。だが、成功体験は結果的にその境界線を歪ませてしまった、見えにくいものにしてしまったとも言える。クラブとしてはそこの芯は絶対的に持っておかなければならなかった。松波正信アカデミーダイレクターがそこの評価基準を見失ってしまっていたところの責任は重い。選手からのSOSが出てからのクラブとしての対応は迅速だったのでそこは良かったと思うが、それ以前に何かしらの歯止めはかけておかなければならなかった。

 

ただ事実として、ガンバは2022年は監督としての仕事の多くは明神智和コーチが実質的に行なっており、森下監督はその補佐的な立ち位置になっていた事はよく知られた話でもある。少なからずガンバは明神コーチを将来の監督候補の一人として見ている部分はあるだろうし、純粋に森下監督に明神コーチや大黒将志コーチへの監督としての指導も求めていた可能性がある(というか今回の件が発覚するまではそう思っていた)が、もしかしたらその配置がガンバにとってはある種のイエローカード的なものだったのかもしれない。

前編でも書いたが、過去のパワーハラスメント事案の時と同様に、おそらく今後はJリーグとしての最終結論が出ることが予想される。細かいところについてはそちらを待ちたいという気持ちが強い。

 

 

 

オセロをひっくり返すかのように、U-23での森下監督の功績の全てを否定しようとは思わない。だがそれが今回の件を擁護したり、減刑のような扱いを求める理由にはならない。いちファンとしても、森下監督に対して「感謝」と「断罪」の気持ちを共存させることは矛盾したことでもなんでもない。森下監督がU-23で残した功績はこれからも評価されるべきだし、評価されるべきだからこそユースでやってしまった蛮行をなあなあでやり過ごしてはならない。その点に於いては、事案が発覚してから安易に休養や謹慎ではなく退任という結論を早急に出したことは良かったと思う。

「森下監督に感謝している」「人生を救ってもらった」と語る選手がいれば、それは嘘ではない。逆に「森下監督を恨んでいる」「人生に傷をつけられた」と語る選手がいれば、それも嘘ではない。真実はいつも一つではなく、それぞれにそれぞれの真実がある。特にユースという環境下においては、その複数の真実に対してもっと細やかなケアとチェックが必要だった。誰かが悪意を持っていたとは思わない。ただ、全てがあまりにも安直だった。その連鎖の果てが今回の悲劇だったように思う。