OB監督……それは実に甘美な響きである。
ファン・サポーターのみならず、それはクラブにとって一種の夢物語である。しかし、ある人が選手と監督の両面でレジェンドとなり、クラブに関わる人々にとってこれ以上ない瞬間をもたらす事もあれば、一方では監督として、選手時代に築いた実績にさえ泥を塗る者も存在する。まるで付き合ってみたら違った、結婚してみたら違った…とでも言うかのように。
……前置きが長くなった(かつイキった)形になりましたが、今回のブログはJリーグのOB監督についてです。
Jリーグは開幕から30周年を迎えたJリーグ。少し前までは「J開幕後に産まれた選手がデビューした!!」なんて盛り上がっていたのに、今やJリーグ開幕した年に生まれた選手は30歳…立派なベテランの年齢になってきました。二世代Jリーガーも増えたこのご時世、年齢だけで言えばそろそろ三世代Jリーガーも出てきそうなほどの時間は経過しているのです。そして、あと数年の間に日本人監督の殆どが「Jリーグ経験者」になる事でしょう。というか、既にほぼそれに近い状態です。
となると、かつてそのクラブでプレーした選手…OBが監督に就任するという上で挙げたようなシチュエーションも増えてきます。そこで今回は「Jリーグで最もOB監督を登用しているチームはどこだ!?」ということで、全クラブのOB監督の総数を集計し、ランキング形式にしてみました。ランキング上位でなくても個人的に特筆したいチームもピックアップしつつ、最もOB監督を生み出したチームを確認してみようと。そういう取り組みでございます。
一応、ルールは以下の通りです。
・データは全て2023年7月20日時点でのデータです。
・OBは直系の前身クラブ(東京Vの読売クラブ、横浜FMの日産自動車サッカー部など)に選手として所属していた人物も含みます。
・Jリーグ(J1〜J3)に加盟したシーズン以降に就任した監督のみを対象としますので、前身クラブやJFL時代に指揮を採った監督は含みません。ただし、前身クラブやJFL時代から続投する形でJ参入後も監督を務めた人物はカウントしています。
・あくまで正式な監督就任を対象とするので、数試合程度の暫定監督・監督代行はカウントしません。ただし、暫定監督でもある程度の期間で指揮を採った場合はカウントしている場合もあります。
それではつらつらと見ていきましょう…。
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まずはJ参入後、OB監督を一人も登用していないクラブですね。
第34位 0人(27チーム)
ヴァンラーレ八戸,ブラウブリッツ秋田,いわてグルージャ盛岡,モンテディオ山形,いわきFC,栃木SC,FC町田ゼルビア,YSCC横浜,SC相模原,松本山雅FC,AC長野パルセイロ,ツエーゲン金沢,アスルクラロ沼津,FC岐阜,FC大阪,奈良クラブ,ファジアーノ岡山,レノファ山口FC,カマタマーレ讃岐,徳島ヴォルティス,FC今治,ギラヴァンツ北九州,V・ファーレン長崎,ロアッソ熊本,テゲバジャーロ宮崎,鹿児島ユナイテッドFC,FC琉球
ただし、このうち秋田,岩手,YS横浜,相模原,長野,FC大阪,奈良,山口,今治,長崎,琉球の11チームに関しては、J参入以前にOB監督が指揮を執った時期もあります。
第29位 1人(5チーム)
この5チームは一人ですね。このうち、富山の小田切道治監督と藤枝の須藤大輔監督は現在進行形で指揮を執っている監督になります。
FC東京が少ないのは結構意外な数字でしょうか。イメージとしてはFC東京は初代監督の大熊監督以降、コーチを含めて外部人事の招聘が多いイメージですね。内部昇格で数試合指揮を執った方も外部出身の人が多いですし。
①時崎悠(2021)
①木山隆之(2008-2010)
①大熊清(1995-2001,2010.9-2011)
①小田切道治(2022.9〜)
①須藤大輔(2021.7〜)
第22位 2人(7チーム)
名古屋グランパス←PICK UP
大分トリニータ←PICK UP
①石﨑信弘(2009-2012)
②財前恵一(2013-2014.8)
①秋葉忠宏(2013-2014)
②奥野僚右(2020-2021.7)
①山口素弘(2012.3-2014)
②早川知伸(2021.4-2021.12)
①黒崎久志(2010-2012.5)
②片渕浩一郎(2016.9-2016.12,2018.8-2019.4)
①ドラガン・ストイコビッチ(2008-2013)
②小倉隆史(2016.1-2016.8)
オリジナル10のクラブは歴史も長いですしOB監督が多そうなイメージですが、名古屋に関してはフロントやアカデミーのスタッフはともかく、トップチーム監督は基本的に外部招聘を前提にしている印象です。傾向として外国籍監督の招聘が多く、日本人監督にしても現在の長谷川健太監督然り実績のある人材の外部招聘が基本路線。初代監督となった平木隆三監督にしても完全にJリーグ開幕に向けた外部招聘でした。そこは親会社のバックアップもあって高額な監督を呼べる体力を有しているという部分もあるでしょう。
そんな中でOBとして監督を務めた2人がストイコビッチ監督と小倉監督で、奇しくも同じ時代にプレーした2人でこのクラブ最大の天国と地獄を分け合う格好になったのはなんたるや…。面白いのが、比較的OBの監督起用が少ない名古屋の中で、この2人はどちらも名古屋での監督業が監督どころかコーチやユース監督も務めていない状態での監督デビューだったところでしょうか。
①小村徳男(2013.1-2013.8)
②増本浩平(2023.6〜)
①ファンボ・カン(2005.1-2005.8)
②片野坂知宏(2016-2021)
大分の場合、過去にOBとして指揮を執った2人は、トップチーム監督としての成績には差が出る形となりましたが、就任に至るまでの流れは結構共通してるんですよね。
両者ともにプレーヤーとしての全盛期は他クラブで過ごした上で大分で現役引退。2人ともそのまま大分にスタッフとして残り、育成に携わりつつトップチームの監督になった…という。もっとも、片野坂監督の場合はG大阪と広島でのコーチ期間も長かったので大分を離れた時期も多かったんですが、そこの共通項という意味では少し興味深いものがあるのかなと。
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深夜にこれを書いています。
ではでは(´∀`)