阪神タイガース アレ→優勝!!!!!!-雌伏の18年間を振り返る-
①2005〜2009年編
六甲おろしをロック調にアレンジして歌ってみた(弾いてみた)
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オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。
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【2005年】
監督:岡田彰布(2年目)
セリーグ順位:優勝(87勝54敗5分 勝率.617、2位とのゲーム差10.0)
日本シリーズ:vs千葉ロッテマリーンズ(0勝4敗)
交流戦順位:3位(21勝13敗2分)
タイトルホルダー:《セリーグMVP》金本知憲《打点王》今岡誠《盗塁王》赤星憲広《最多勝》下柳剛《最高勝率》安藤優也《最優秀中継ぎ》藤川球児《ベストナイン》矢野輝弘,今岡,金本,赤星《ゴールデングラブ賞》矢野,アンディ・シーツ,赤星《月間MVP》赤星(4月),金本(5月),藤川(6月)下柳(9月),今岡(9月)
《基本オーダー》
1 赤星憲広(中)
2 鳥谷敬(遊)
3 シーツ(一)
4 金本知憲(左)
5 今岡誠(三)
6 桧山進次郎(右)
7 矢野輝弘(捕)
8 藤本敦士(二)
9 下柳剛(投)
《主な投手陣》
[勝ちパターン]ウィリアムス,藤川球児
[クローザー]久保田智之
《その他主な野手陣》
[捕手]野口寿浩
2年目となる岡田体制では、主力は前年及び星野仙一監督体制のメンバーを踏襲しつつも、金本の4番固定に加え、2番だった赤星の1番起用、1番セカンドだった今岡の5番サード起用など打線を再編。広島から獲得したシーツと大卒2年目の鳥谷も定着し、6番ライトと8番セカンド以外はほぼ同じスタメンで一年を通した。
ペナントレースは終始中日とのマッチレースの様相を呈し、前半戦は中日優勢だったがこの年から導入された交流戦中に首位に浮上すると、そこからは常に首位阪神を2位中日が追う展開で推移する。7月に11連勝を飾った中日の猛追もあったが、今や伝説として語り継がれる9月7日のナゴヤドーム直接対決を4-3で制し、そこからは中日を一気に突き放すと9月29日巨人戦の勝利で2年ぶり9度目のリーグ優勝を決めた。この年は2003年はクローザーだったジェフ・ウィリアムス、先発投手としては泣かず飛ばすだった藤川を7〜8回のセットアッパー、久保田をクローザーに起用した勝ちパターン「JFK」が定着。3人の圧倒的な力は阪神のみならず日本球界に革命的な影響力をもたらし、7回からJFKが登板する事から「阪神戦は6回までにリードしないと試合終了」とさえ言われるほどのインパクトを有していた。金本は37歳のシーズンにして40本塁打を放ち、MVPを獲得している。千葉ロッテマリーンズと対戦した日本シリーズは、敵地千葉マリンスタジアムで行われた第1戦に途中に濃霧によって中止になったという事にしてください。
そしてここからは、あまりに優勝に届きそうで届かない長い日々を過ごすことに…。
【2006年】
監督:岡田彰布(3年目)
セリーグ順位:2位(84勝58敗4分 勝率.592、首位とのゲーム差3.5)
交流戦順位:3位(21勝15敗)
タイトルホルダー:《最多奪三振》井川慶《最優秀中継ぎ》藤川球児《ベストナイン》矢野輝弘,金本知憲《ゴールデングラブ賞》アンディ・シーツ,赤星憲広《月間MVP》濱中治(3・4月),安藤優也(9月)
《基本オーダー》
1 赤星憲広(中)
2 藤本敦士(二)
3 シーツ(一)
4 金本知憲(左)
5 今岡誠(三)
6 濱中治(右)
7 鳥谷敬(遊)
8 矢野輝弘(捕)
9 井川慶(投)
《主な投手陣》
[勝ちパターン]ウィリアムス,藤川球児
[クローザー]久保田智之
《その他主な野手陣》
[捕手]野口寿浩
初開催となったWBCの優勝に沸く中で(阪神からは藤川と久保田、台湾代表として林が出場)、連覇を目指したシーズン。開幕ダッシュを決めた巨人の失速後は昨年同様に阪神と中日のマッチレースとなっていく。
しかし立場は首位中日を2位阪神が追いかけるという昨季とは逆の構図で、更に久保田や藤川など負傷離脱者も続いた。それでも藤川が戦線に復帰し、かつクローザーに定着した終盤戦は連勝街道を走り10月まで優勝の可能性を残したが、最後は中日に逃げ切られる形で連覇の夢は潰えた。中日に大差をつけられた優勝ではなかったが、ナゴヤドームで1勝10敗と負け倒した事が致命傷となった(うち1試合は山本昌の史上最年長ノーヒットノーラン)。
【2007年】
監督:岡田彰布(4年目)
セリーグ順位:3位(74勝66敗4分 勝率.529、首位とのゲーム差4.5)
クライマックスシリーズ:1stステージ vs中日ドラゴンズ(0勝2敗)
交流戦順位:10位(9勝14敗1分)
タイトルホルダー:《新人王》上園啓史《最多セーブ》藤川球児《最優秀中継ぎ》久保田智之《ゴールデングラブ賞》アンディ・シーツ
《基本オーダー》
1 鳥谷敬(遊)
2 赤星憲広(中)
3 シーツ(一)
4 金本知憲(左)
5 今岡誠(三)
6 林威助(右)
7 矢野輝弘(捕)
8 関本賢太郎(二)
9 下柳剛(投)
《主な投手陣》
[先発]上園啓史,ボーグルソン,ジャン,福原忍,能見篤史,杉山直久
[勝ちパターン]ウィリアムス,久保田智之
[クローザー]藤川球児
《その他主な野手陣》
井川がメジャーに挑戦し、昨季まで先発の主軸だった福原と安藤が相次いで離脱。上園の台頭こそあったが、昨季までの先発で安定稼働を望めたのが下柳のみという事態となり、交流戦頃まではこの年からセリーグで導入されたCS出場さえも危ぶまれる事となった。
しかし7月に入ると巨人・中日との直接対決で白星先行。更に8月下旬からは怒涛の10連勝を達成。藤川がこの10連勝の全試合となる10連投、久保田が前代未聞の90登板を達成するなど文字通りJFKフル稼働で一気に三つ巴の優勝争いに食い込んだが、逆に最終盤にはブーストのツケが回ったか8連敗を喫して終戦。壮絶な優勝争いを演出してみせたが、初開催となるCSでも中日に連敗するなど儚い終わり方となった。
【2008年】
監督:岡田彰布(5年目)
セリーグ順位:2位(82勝59敗3分 勝率.582、首位とのゲーム差2.0)
クライマックスシリーズ:1stステージ vs中日ドラゴンズ(1勝2敗)
交流戦順位:2位(15勝9敗)
タイトルホルダー:《最優秀中継ぎ》久保田智之《ベストナイン》鳥谷敬,金本知憲《ゴールデングラブ賞》新井貴浩,赤星憲広《月間MVP》新井(3・4月),金本(6月)
《基本オーダー》
1 赤星憲広(中)
2 関本賢太郎(三)
3 新井貴浩(一)
4 金本知憲(左)
5 葛城育郎(右)
6 鳥谷敬(遊)
7 矢野輝弘(捕)
8 平野恵一(二)
9 安藤優也(投)
《主な投手陣》
[リリーフ]アッチソン,阿部健太
[勝ちパターン]ウィリアムス,久保田智之
[クローザー]藤川球児
《その他主な野手陣》
[捕手]野口寿浩
昨季は金本以外のクリーンアップの調子が安定しなかった事もあり、FAで広島のスター、新井を獲得。オリックスからは平野、日本ハムはからは金村を補強するなど大型補強でシーズンに挑んだ。
本塁打はさほど多くなかったが、文字通り切れ目のない打線で繋ぐ野球を体現し、開幕から異次元のペースで勝利を重ねて首位独走。7月中にマジックを点灯させる独走ペースはあまりにも群を抜いており、阪神ファンも阪神ファン以外にも「セリーグは阪神で決まり」との印象を植え付けた。
しかし8月に北京五輪が開幕すると、矢野、新井、藤川、そこにオーストラリア代表のウィリアムスを含めた4選手を代表に派遣した阪神は彼らを欠いた五輪期間で負け越し。しかも新井は五輪が強行出場だった事で帰国後に疲労骨折の発覚と腰痛の悪化を患うと、8・9月に1回ずつ5連敗を喫するどころか、一時は13ゲーム差をつけた巨人が異次元の追い上げを見せる。阪神も極端に低迷したわけではなく、勝率5割は切らないペースで巨人とのマッチレースを展開したが、10月8日に巨人との直接対決に敗れてとうとう首位陥落。そこから局面をひっくり返すだけの余力はもう阪神には残っていなかった。岡田監督は歴史的なV逸の責任を取る形で辞任。岡田阪神の最終戦となったCSでは昨季同様中日との対戦となったが、1勝1敗で迎えた第3戦、岡田監督によってスターダムを踏んだ藤川が9回表にタイロン・ウッズに被弾し、5シーズンに及ぶ岡田阪神の幕を閉じた。
Vじゃないねん…。
【2009年】
監督:真弓明信(新任)
セリーグ順位:4位(67勝73敗4分 勝率.479、首位とのゲーム差24.5)
交流戦順位:9位(9勝13敗2分)
タイトルホルダー:《月間MVP》金本知憲(4月)
《基本オーダー》
1 赤星憲広(中)
2 平野恵一(二)
3 鳥谷敬(遊)
4 金本知憲(左)
5 新井貴浩(三)
6 ブラゼル(一)
7 桜井広大(右)
8 狩野恵輔(捕)
9 安藤優也(投)
《主な投手陣》
[勝ちパターン]ウィリアムス,アッチソン
[クローザー]藤川球児
《その他主な野手陣》
[捕手]矢野輝弘
岡田と同じく1985年の優勝メンバーである真弓監督が就任。しかし序盤は岩田、矢野、久保田が負傷により出遅れ、昨年までの主力はことごとく不振に陥り、挙句在阪スポーツ紙で「バースの再来」と散々持ち上げられたメンチはもうメンチでメンチ。金本が4月の月間MVPを獲得したが、文字通り序盤戦は金本の孤軍奮闘状態で優勝争いからは早々と離脱した。それでも後半戦はロッテから獲得した久保や伸び悩んでいた能見がローテに定着し、野手では西武から獲得したブラゼルが大活躍。前半戦で不振に陥った選手が復調すると後半戦は巻き返してヤクルトとCS争いを演じたが、最終戦でヤクルトとの直接対決に敗れた事で4位が確定。CS導入後は初めてCS出場権を逃した。
シーズン後、後半戦に負った大怪我の影響で赤星が引退表明。この年からJFKは事実上の解体となり、赤星のみならずウィリアムス、今岡、藤本といった選手が2009年限りでチームを去り、一時代の終わりを強烈に印象づける年となった。
2010〜2014年編「光の中から現れた最強打線のチュッ」につづく。
野球見始めたのが2005でした。
ではでは(´∀`)