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アジアカップ2023 あんたそこで監督やってたんかいな選③

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アジアカップ2023 あんたそこで監督やってたんかいな選企画概要と①はこちら

②はこちら

 

 

 

アジアカップ2023観戦ガイドを作成しました!コンテンツは随時更新しておりますので、是非ご活用くださいませ!

 

2023年のJリーグを振り返る記事も色々更新しています。それらの記事はこちらにまとめておりますので是非!

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

ロベルト・マンチーニ

(サウジアラビア)

 

現職:2023年8月〜

国籍:イタリア

生年月日:1964年11月27日

 

イタリアサッカーに輝かしい記憶を残したファンタジスタ。長きに渡ってプレーしたサンプドリアでは華麗なプレーぶりと端正な顔立ちでクラブの歴史に偉大なる功績を残し、中小クラブの印象が強いサンプドリアの最も美しい時代の象徴的な存在として君臨した。

監督としても04-05シーズンよりインテル・ミラノの監督に就任すると、最後のリーグ優勝から長らく遠ざかっていたインテルセリエAを3連覇。マンチェスター・シティでも44年ぶりのリーグ優勝を、イタリア代表でも53年ぶりのEURO優勝を達成。特にイタリア代表では新記録となる31試合無敗まで樹立したが、カタールW杯予選ではスイスに勝ちきれずプレーオフに回り、プレーオフでノーマークの北マケドニアに敗れて出場権を逃してきた。

それでもEURO優勝や試合内容を評価されて2026年W杯までイタリア代表での仕事を続ける予定だったが、2023年8月にイタリア代表監督を辞任。2週間後には大型補強で世界を席巻していたサウジアラビアの代表監督に突如として就任を発表した。もしサウジアラビアアジアカップを制する事が出来れば、EURO2024が開幕する6月までの間、マンチーニは2つの大陸王者の称号を手にしている状態となる。

 

 

 

ヨルン・アンデルセン

(香港)

 

現職:2021年12月〜

国籍:ノルウェー

生年月日:1963年2月3日

 

ノルウェー代表FWで、長年ドイツで活躍したストライカー。特にアイントラハト・フランクフルトに所属した89-90は躍進するチームの中心選手として活躍し、外国人選手としては初となるブンデスリーガ得点王として歴史にその名を残した。

監督としては小クラブやアシスタントとしての期間が長く続いたが、08-09シーズンはドルトムントに引き抜かれたユルゲン・クロップの後任としてマインツの監督に就任し1部復帰を達成。その後もヨーロッパで監督業を続けていたが、2016年に北朝鮮代表の監督に就任した事は大きな話題を呼んだ。北朝鮮代表監督を退任してからは韓国の仁川ユナイテッドでも指揮を採っており、近年は東アジアでの仕事が中心。北朝鮮と香港ではそれぞれE-1選手権で日本と対戦している。

 

 

 

ブランコ・イバンコビッチ

(オマーン)

 

現職:2020年1月

国籍:クロアチア

生年月日:1954年2月28日

 

大学の修士課程を修了している事でも知られる知将。クロアチアで「全ての監督の監督」とも称された名将、ミロスラヴ・ブラジェヴィッチに師事し、3位に入った1998年フランスW杯のコーチなどで実績を積んだ。2001年にイラン代表のコーチに就任して以降はアジアでの仕事が多く、2006年ドイツW杯ではイラン代表監督として出場しており、2018年にはペルセポリスの監督としてACL準優勝も果たした(ちなみに決勝では鹿島に敗れている)。

日本キラーとして知られている監督でもあり、前述のクラブチームを率いたACL決勝こそ鹿島に敗れたが、イランとオマーンの監督時代に最終予選で日本に手痛い敗北を喰らわせている。特にオマーンの監督として挑んだカタールW杯予選の初戦では、日本ホームの試合で徹底的に日本を研究し尽くし、1-0での大金星に結実させた。

 

 

 

シン・テヨン

(インドネシア)

 

現職:2019年12月〜

国籍:韓国

生年月日:1970年10月11日

 

キャリア最終年をオーストラリアでプレーした以外は長年に渡って城南一和一筋でプレー。クラブの黄金期を築くと共に、自身もKリーグで7度のベストイレブンと2度のMVPを受賞した。

引退後は2009年より城南一和の監督に就任し(正式な監督就任は2010年から)、リーグ戦での成績は芳しくなかった一方、2010年のACLでは見事優勝。選手・監督の両方の立場でACLを制する事となった。その功績が買われてロシアW杯を目指す韓国代表コーチと、リオ五輪を目指すU-23、自国開催のU-20W杯を目指すU-20代表監督を兼任。2017年からは韓国代表監督に昇格し、ロシアW杯ではグループステージ敗退となったが、最終戦でドイツを道連れにする勝利を掴んで爪痕を残した。

五輪代表を率いたU-23選手権決勝では、カタールの地で2点リードから日本に3点を奪われて優勝を逃し、逆にE-1選手権では日本に4-1で圧勝するなど、韓国時代から日本との対戦は多かっただけに、グループの第3戦での日本との再会に期するものもあるはず。一時はサガン鳥栖の監督候補として報じられた事も。

 

 

 

ファン・アントニオ・ピッツィ

(バーレーン)

 

現職:2023年7月〜

国籍:スペイン

生年月日:1968年6月7日

 

アルゼンチン出身だが後にスペイン国籍を取得し、スペイン代表として1998年フランスW杯でもプレーしたFW。テネリフェ時代には得点王と獲得し、その活躍が評価されて移籍したFCバルセロナではレギュラーは掴めなかったが、要所要所で重要な得点を挙げるなどして存在感を見せて人気を博した。

引退後は南米の各国で監督業を転々とする中で、2013年には古巣・バレンシアの監督に招聘されて欧州進出。チリ代表監督としては2018年ロシアW杯の出場権は逃す形となったが、記念大会として行われた2016年のコパアメリカでは見事優勝を成し遂げた。2017年にはロシアW杯出場を決めていたサウジアラビアの監督に急遽就任し、グループステージでは敗退したが同国にとって24年ぶりとなるW杯での勝利を達成。アジアカップ2019ではラウンド16で日本とも対戦しており、最終的には日本に敗れたがチームとしては好パフォーマンスを見せていた。

 

 

 

石井正忠

(タイ)

 

現職:2023年11月〜

国籍:日本

生年月日:1967年2月1日

 

Jリーグ初年度、1993年の鹿島アントラーズの主力選手であり、ジーコらと共に1993年のサントリーシリーズ(1stステージ)優勝を達成したメンバー。キャリア最終年は福岡でプレーしたが、引退と同時に鹿島に指導者として復帰した。

鹿島ではユースコーチ、フィジカルコーチ、サテライトの監督など様々な立場で指導に携わると、2015年7月にはトニーニョ・セレーゾ監督の解任に伴い監督に昇格。一貫して監督にはブラジル人を起用する鹿島にとっては初代監督の宮本征勝氏以来となる日本人監督となると、就任3ヶ月でナビスコ杯を獲得し、2016年にはチャンピオンシップを制してリーグ優勝を達成すると共に、クラブW杯ではアジア勢で初めて決勝に進出。レアル・マドリードとは延長戦までもつれ込む激闘を見せ、アジア勢としてクラブW杯優勝に最も近付いた瞬間を作った。

鹿島を去ってからは大宮の監督を経て、19-20シーズンの途中からタイに渡り、21-22シーズン途中からはタイ屈指の名門ブリーラム・ユナイテッドの監督に就任すると、ブリーラムではタイ史上初となる2年連続の国内三冠を達成。日本での功績を含めた実績が買われる形で就任したタイ代表のテクニカルディレクター職こそ様々な事情に振り回されて1ヶ月で退任する事になったが、2023年11月にアジアカップに向けたタイ代表監督に就任。元日の国立競技場での日本戦というこれ以上ないシチュエーションで初陣を迎えた。

 

 

 

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ではでは(´∀`)