今更ながらヤットさん引退の速報が入った時に見てた動画が燃えよドラゴンズだったの謎に怒りに震えてる
どーもこんばんは
さてさて、盛り上がっておりますアジアカップ2023。既に各組初戦を終えて第2戦も始まっています。
日本にとってのトピックといえば、もちろん初戦のベトナム戦での勝利ですが、その中でも話題になった事が日韓W杯の日本代表監督だったフィリップ・トルシエがベトナム代表監督として日本に挑んできた事でした。言ってもトルシエは2018年の時点でベトナムの若手育成に携わる役職に就いていたので一部のサッカーファンには知られた話でもありましたが、多くの方は「え!?いまトルシエってベトナムいんの!?」と思った事でしょう。
実はトルシエに限らず、アジアの国は外国人監督の招聘が多い事もあって「え!?○○って△△の監督やってんの!?」的なケースがよく見られるんですよね。前回大会もアルベルト・ザッケローニがUAEの監督やってたり。という訳で今回は「アジアカップ2023 あんたそこで監督やってたんかいな選」と題して、アジアカップ2023に参加している有名人をご紹介します。
アジアカップ2023観戦ガイドを作成しました!コンテンツは随時更新しておりますので、是非ご活用くださいませ!
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2023年のJリーグを振り返る記事も色々更新しています。それらの記事はこちらにまとめておりますので是非!
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オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。
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(ベトナム)
現職:2023年2月〜
国籍:フランス
生年月日:1955年3月21日
ご存知、フィリップ・トルシエ。元日本代表監督にして日本サッカー殿堂の掲額者でもある。
日本では日韓W杯を目指すA代表とシドニー五輪を目指すU-23代表を兼任し、自国開催のW杯でのベスト16入りを達成。W杯の初勝点・初勝利・初のGS突破のみならず、1999年ワールドユースと2001年コンフェデ杯での準優勝、2000年シドニー五輪ベスト8など、日本代表の歴史のメモリアルな出来事はトルシエジャパンで達成されたものが多い。FC琉球の総監督就任やCM・バラエティ番組の出演など歴代の外国人監督の中でも退任後も日本との関わりは多く、旧知の記者を通じて日本代表戦の展望と感想もメディアに発信していた。2022年にはブラジル戦の前に行われた日韓W杯20周年式典にも参加している。
日本代表監督退任後はフランス代表監督の最終候補に挙がったりマルセイユの監督も務めたが、日本の監督になる前のアフリカ時代や先日の日本戦を見ても、やはりトルシエは発展途上のクラブ、国を鍛え上げて新たなステージに連れていく仕事に長けた人物と言える。ちなみにあまり知られていないが、日本向けにYouTubeチャンネルも運営している。
エクトル・クーペル
(シリア)
現職:2023年2月〜
国籍:アルゼンチン
生年月日:1955年11月16日
堅守速攻を武器にしたチームを築く事で知られた名将。母国・アルゼンチンで実績を積んでスペインに渡ると小クラブに過ぎなかったマジョルカをリーグ3位にまで躍進させ、バレンシアの監督時代にはUEFAチャンピオンズリーグの決勝に2年連続で進んだ。インテル・ミラノでの最初のシーズンはインテルがセリエAのリーグタイトルから遠ざかっていた16年間で最もリーグ優勝に近づいたシーズンだったなど実績は申し分ないが、一方でシルバーコレクターと揶揄される事も。
エジプト代表監督としてモハメド・サラーを擁して28年ぶりのW杯となるロシアW杯出場を決めて以降は代表監督としての活動がメイン。シリアの監督に就任する前にはウズベキスタン、コンゴの代表監督を務めた。ウズベキスタンとシリアでは日本とも対戦している。
余談だが、インテル時代の01-02シーズンに土壇場で優勝を阻止したラツィオを率いていたザッケローニが、クーペルがインテルの監督を解任された時の後任となった。
ヘスス・カサス
(イラク)
現職:2022年11月〜
国籍:スペイン
生年月日:1973年10月23日
選手としては大成しなかったが、ユース時代を過ごしたカディスで29歳から指導者業を開始するとBチームやユースチームでの仕事に従事。ルイス・エンリケが監督を務めた時代のFCバルセロナではスカウトとアナリストを担当してチームに貢献しており、その貢献が認められる形でエンリケが就任したスペイン代表でもアシスタントコーチを務めた。ただし、2022年2月の時点で退任しているので日本とも戦ったカタールW杯には参加していない。
イラク代表はプロレベルでの監督業は初めてだったながら、元々高い技術力を有していたイラク代表にパスサッカーがマッチ。既にガルフカップとキングスカップという中東、東南アジアでの大会を制している。
イゴール・シュティマツ
(インド)
現職:2019年5月〜
国籍:クロアチア
生年月日:1967年9月7日
現役時代はクロアチア代表として活躍した名DF。クロアチアが初出場ながら3位に入った1998年フランスW杯では全7試合に出場しており、グループステージの日本戦にも出場している。イングランドでのプレー経験も豊富。1987年のワールドユースにはユーゴスラビア代表として、ボバンやプロシネツキにシュケルといったクロアチア勢の他、ミヤトビッチらとも共闘して優勝を飾った。
引退後は母国クロアチアのクラブで結果を出し、2012年にはクロアチア代表監督まで登り詰めたが、そこでは結果を出せず、以降はアジアで監督業を営むようになる。2019年から監督を務めるインドではU-23代表監督も兼任している。
ではでは(´∀`)