打倒トルシエ
どーもこんばんは
さてさて、アジアカップ2023が始まります!
通算5度目となる優勝を目指す日本代表ですが、いわば日本代表とアジアカップの歩みはその成長の軌跡を映すようなものでもありました。
という訳でこのアジアカップを機に、日本代表が過去に戦ってきた全8回のアジアカップを振り返っていきたいと思います。
今回は2000年レバノン大会です。
1998年フランスW杯にて遂に夢舞台に辿り着くと共に、余りにも遠すぎる世界との距離を痛感させられた日本代表は、2002年に控える自国開催のW杯に向けてフィリップ・トルシエ監督を招聘。フル代表とアンダー世代の両方をトルシエ監督に任せるやり方で強化を目論みました。2000年代前半まではなかなか結果が出ずに解任も現実味を帯びる時期もありましたが、解任危機を乗り切って以降はそれまで五輪予選に集中させていたシドニー世代の選手達がフル代表に続々と合流。9月に行われたシドニー五輪から連続して行われる形になったアジアカップにはオーバーエイジを合わせて五輪から9選手がそのまま参加。フル代表とアンダー世代の融合…アジアカップはトルシエ体制で目指したプロジェクトの成果に一つの結果が提示される舞台となりました。
そんな2000年のアジアカップを振り返っていきたいと思います。
【過去のアジアカップを振り返ろう】
③2000年 レバノン大会(優勝)
アジアカップ2023観戦ガイドを作成しました!コンテンツは随時更新しておりますので、是非ご活用くださいませ!
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2023年のJリーグを振り返る記事も色々更新しています。それらの記事はこちらにまとめておりますので是非!
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オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。
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【アジアカップ2000 日本代表】
《スタッフ》
監督:フィリップ・トルシエ
コーチ:山本昌邦
コーチ:サミア
GKコーチ:望月一頼
《登録メンバー》
MF30 小野伸二(浦和レッドダイヤモンズ)
アジアカップ2000 グループC第1戦
サウジアラビア1-4日本
2000年10月14日17:05@サイダ国際スタジアム(サイダ)
日本得点者:柳沢敦(26分),高原直泰(37分),名波浩(53分),小野伸二(88分)
アジアカップ2000 グループC第2戦
日本8-1ウズベキスタン
2000年10月17日17:05@サイダ国際スタジアム(サイダ)
日本得点者:森島寛晃(7分),西澤明訓(14分,24分,49分),高原直泰(17分,20分,57分),北嶋秀朗(78分)
ウズベキスタン得点者:ルシャン(29分)
アジアカップ2000 グループC第3戦
日本1-1カタール
2000年10月20日17:05@カミール・シャムーン・スポーツ・シティ・スタジアム(ベイルート)
日本得点者:西澤明訓(60分)
カタール得点者:アル・オベイドリー(22分)
アメリカにPK戦で敗れたシドニー五輪での準々決勝からほぼ3週間で開幕を迎えたアジアカップは、初戦からアジア最強クラスかつ前回王者、ましてや前回大会ではクウェートを率いて日本に悪魔のような試合を見せつけて敗退に追い込んだミラン・マチャラ率いるサウジアラビアだった。
しかし日本は4年前とは全く違う姿を見せる。シドニー五輪でも2トップを組んだ柳沢と高原が前半から1点ずつ挙げると、終わってみれば4-1といきなり圧勝。サウジアラビアはこの大敗に強いショックを受け、マチャラ監督を解任するほどのインパクトだった。続くウズベキスタン戦では西澤と高原の2人がハットトリックを記録する8-1というド派手なスコアで決勝トーナメント進出を最高の形で確定。第3戦こそターンオーバーを敢行した事や前半の海本の退場もあってドローに終わったが、他の実力国に日本のレベルが4年前とは比較にならないところまで達した事を見せつけるには十分な3試合だった。
アジアカップ2000 準々決勝
日本4-1イラク
2000年10月24日17:05@カミール・シャムーン・スポーツ・シティ・スタジアム(ベイルート)
日本得点者:名波浩(8分,29分),高原直泰(11分),明神智和(62分)
イラク得点者:A・ジャシム(4分)
政情不安が常に付き纏っていたチームとはいえ、常に一定の競技力は持っており、それまで日本が一度も勝てていなかったイラクがベスト8の相手だった。何より日本にとって、イラクとの対戦は7年前…カタールの地で見た悪夢、ドーハの悲劇以来の対峙となる。
当時のメンバーは既に代表から外れていたが(後に中山雅史は復帰)、映像としてのその記憶は生々しく残っていたはず。だが日本がピッチで見せたものはその全ての記憶を上塗りしていくような会心のゲームだった。先制点こそミスも絡んで開始早々に喫する事になったが、先制を許した直後の8分には高原が右サイドでFKを獲得すると、中村がエリア内へのクロスではなく真横にふわりとしたボールを送ると名波がダイレクトボレー。日本サッカー史に今尚語り継がれる伝説のゴールはこの舞台で生まれた値千金の同点弾だった。
そこからは完全に日本の独壇場。森島と高原の果敢な動きで相手を撹乱し、前半のうちに森島のパスから高原のゴールで逆転に成功すれば、29分には再び名波が芸術的なシュートを決めて3点目。後半にも明神のミドルで1点を加えた日本は4-1の完勝で準決勝進出を決めた。
アジアカップ2000 準決勝
中国2-3日本
2000年10月26日19:45@カミール・シャムーン・スポーツ・シティ・スタジアム(ベイルート)
中国得点者:クイ・ホン(30分),ヤン・チェン(48分)
日本得点者:オウンゴール(21分),西澤明訓(53分),明神智和(61分)
準決勝の相手は中国。当時の中国は彼らにとってかなり良い時代で欧州組の人数は日本よりも多く、ハン・シギやヤン・チェンのように欧州でもしっかりと立場を作っている選手もいた。何より監督は名将にして鬼才、ボラ・ミルティノビッチ。イラク戦から中1日で組まれた強行日程、中東の地での過密スケジュールと合宿生活…五輪組はそれがほぼ2ヶ月近く続いている事を思うと、心身共に満身創痍になりつつあった日本にとっては難儀な相手だった。
高原のクロスがオウンゴールを誘発して先制した日本だったが、前半のうちに中国に空中戦の高さとそれに対するリアクションの早さを駆使されて同点に追いつかれる。ミスが頻発していた日本は後半開始早々にもロストから失点を許しビハインド。一転、日本は窮地へと立たされた。それでも逆転を許した直後には西澤が中村のFKのこぼれ球に執念で押し込むようなゴールを決めてすぐさま追いつくと、息を吹き返した日本は西澤が右サイドから折り返したボールに走り込んだ明神が叩き込んで再逆転!中国の2点目の起因にもなった明神にとっては汚名返上の一撃となった。
試合はそのまま3-2で終了。快勝続きの日本は今大会で初めての敗退危機にも陥ったが、それをも乗り越えてファイナルへ駒を進めた。
アジアカップ2000 決勝
サウジアラビア0-1日本
2000年10月29日18:45@カミール・シャムーン・スポーツ・シティ・スタジアム(ベイルート)
日本得点者:望月重良(29分)
決勝の相手、サウジアラビアとはグループステージ初戦以来の対戦となった。初戦で日本に大敗したことを受けて監督交代に踏み切ったサウジは、そのブースト的な効果もあってかV字回復。準決勝では韓国を破って決勝に駒を進めた。図らずも前々回王者vs前回王者、そして前々回大会と同じ決勝の対戦カードとなる。
準決勝で受けた警告により累積で出場停止となった稲本に代わって明神をボランチにスライドさせ、カタール戦以来の先発となる望月を右サイドに置いた日本だったが、試合は開始10分にPKを献上する苦しい入りとなる。だがこのPKが枠を外れる幸運にも恵まれると日本がリズムを掴み、29分には左サイドからの中村のFKをファーサイドに飛び込んだ望月が合わせて先制。稲本の出場停止に伴い、急遽出場した望月が大一番で大仕事をやってのけた。
しかしそこからは日本にとって過酷な試合を強いられる事となる。初戦の時とはまるで違う姿を見せてきたサウジアラビアは、中東開催という事でスタンドのほとんどがサウジ応援というシチュエーションも手伝い満身創痍の日本に対して凄まじい猛攻を見せてくる。それまでの試合では華麗なプレーで魅せていた名波や中村も次第に守備に忙殺され、日本はとにかくボールを跳ね返す事しかできなくなっていた。しかしサウジアラビアの猛攻の前にはビッグゲームプレーヤー・川口能活が鬼神の如く立ちはだかる。
そして遂に試合終了!川口が地面に突っ伏したと同時に、日本は2大会ぶり2度目のアジアチャンピオンに輝いた。中東開催のアジアカップで東アジア勢の優勝は史上初。AFCの事務所に飾られた優勝レリーフには「史上最強のチャンピオン」との文言が刻まれた。
《大会総評》
日本サッカーのスタンダードが劇的に引き上げられた年は1992年、2000年、そして2010年の3つだと思っているのですが、1992年がアジアで戦える領域に顔を出した年だとすると、2000年はアジアの域を抜け、世界に顔を出し始めた一年だったと思います。トルシエ解任論を抜け出して迎えたシドニー五輪とアジアカップの連続した流れはその象徴的な出来事でした。
フラットスリーと称されたDFラインや前線3枚の連動に加え、右WBに明神、左WBに中村という中央の選手をWBに置くトルシエ独特の選手起用も功を奏し、かつてトルシエとの間に問題を抱えた時期もあった名波は絶対的なリーダーとして君臨。後のコンフェデ杯や日韓W杯はこの時のチームにバランス調整が加えられたチームでしたから、やはりトルシエ監督にとっても最高傑作はこの時のアジアカップのチームだったんじゃないかと。
機能性、スペクタクル、破壊力、統率性……圧倒的な勝ち上がりはプレーする快感を日に日に増幅させるようなチームだったように思いますし、いわば旧世代と新世代を融合させた時にどんな姿を見せるかで初めて成否が問われるトルシエプロジェクトがこの上ない形で結実したという意味でも、日本代表の歴史に於いて間違いなく一つの礎となったチームでした。
中国戦前の散歩とかいうトルシエ擦られがちネタ
ではでは(´∀`)