この時のカタール、まだスタジアムギラギラしてない。
どーもこんばんは
さてさて、アジアカップ2023が始まります!
通算5度目となる優勝を目指す日本代表ですが、いわば日本代表とアジアカップの歩みはその成長の軌跡を映すようなものでもありました。
という訳でこのアジアカップを機に、日本代表が過去に戦ってきた8回のアジアカップを振り返っていきたいと思います。
今回は2011年カタール大会です。
2010年南アフリカW杯は日本サッカーにとってあまりにも大きすぎる分岐点となりました。岡田武史監督の下で現実路線にシフトチェンジして結果を掴んだ南アフリカW杯を経て、北京五輪世代を中心とした若い選手達は大舞台で自信と渇望を手にし、多くの選手が戦いの舞台を欧州へと移す中、南アフリカW杯での守備的スタイルへの移行に伴う「少しの消化不良感」を埋めるような最後のピースがアルベルト・ザッケローニでした。就任初戦でアルゼンチンを撃破したザックジャパンは北京世代中心のメンバーを編成し、初戦のヨルダン戦はザックジャパン発足から僅かに3戦目という急ピッチのチーム造りでしたが、THE・中東という特異な環境下での激闘と攻撃的スタイルへの転換はこの4年間の方向性を確定させると共に、日本代表をこれまでの常識よりも遥か上のステージに引き上げる事に…。
そんな2011年のアジアカップを振り返っていきたいと思います。
【過去のアジアカップを振り返ろう】
⑥2011年 カタール大会(優勝)
アジアカップ2023観戦ガイドを作成しました!コンテンツは随時更新しておりますので、是非ご活用くださいませ!
↓
2023年のJリーグを振り返る記事も色々更新しています。それらの記事はこちらにまとめておりますので是非!
↓
オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。
↓
【アジアカップ2011 日本代表】
《スタッフ》
監督:アルベルト・ザッケローニ
コーチ:ステファノ・アグレスティ
コーチ:関塚隆
アシスタントコーチ:和田一郎
GKコーチ:マウリツィオ・グイード
フィジカルコーチ:エウジェニオ・アルバレッラ
《登録メンバー》
MF10 香川真司(ボルシア・ドルトムント)
MF17 長谷部誠(VfLヴォルフスブルク)
アジアカップ2011 グループB第1戦
日本1-1ヨルダン
2011年1月9日16:15@カタールSCスタジアム(ドーハ)
日本得点者:吉田麻也(90+2分)
ヨルダン得点者:アブドゥルファッターハ(45分)
アジアカップ2011 グループB第2戦
シリア1-2日本
2011年1月13日19:15@カタールSCスタジアム(ドーハ)
シリア得点者:アル・ハティーブ(76分)
アジアカップ2011 グループB第3戦
日本5-0サウジアラビア
2011年1月17日16:15@アフメド・ビン・アリー・スタジアム(アル・ラーヤン)
日本得点者:岡崎慎司(8分,13分,80分),前田遼一(19分,51分)
ザックジャパンでは南アフリカW杯の4-1-4-1から4-2-3-1へのシフト。本田圭佑をトップ下、ブレイク中の香川真司を左MFとして起用。中澤佑二と闘莉王が絶対的な存在だったCBには今野と、アジアカップがほぼ初招集に近かった吉田を抜擢する布陣でアジアカップはスタートした。だが初っ端から出鼻をくじかれる展開となるようにヨルダン戦は低調なスタートとなる。前半終了間際に失点を許すと後半に入っても攻めあぐねる時間が続き、2004年の伝説のPK戦以来のアジアカップでの邂逅となったヨルダンの牙城をなかなか崩せない。
しかしロスタイム、ショートコーナー受けた長谷部のクロスに対してファーサイドで飛び込んだのは吉田!これが代表2試合目、それも1試合目は実質的なB代表だった事を思うと、ほぼ代表デビューに近い立場の男が最後の最後で大仕事をやってのけてどうにか同点に追いついた。続くシリア戦でも受難は続き、松井の粘りから長谷部が先制ゴールを奪って幸先の良いスタートを切ったが、後半には「なんなんすかこれ」でお馴染みの川島永嗣の退場劇が発生する。数的不利を背負った日本だったが、この難局を最後は本田がPKを仕留めて2-1で乗り切ると、最終戦では岡崎のハットトリックでサウジアラビアに前回大会の雪辱を晴らす圧勝劇。早くもアジアカップの苦難に苛まれながらも、まずは最初のミッションをしっかりクリアしてみせた。
アジアカップ2011 準々決勝
日本3-2カタール
2011年1月21日16:25@アル・ガラファ・スタジアム(ドーハ)
日本得点者:香川真司(28分,70分),伊野波雅彦(89分)
カタール得点者:セバスティアン(12分),ファビオ・セザール(63分)
準々決勝の相手はカタールとなった。カタールと言えば強力な南米選手の帰化政策を採ってチームを強化しており、日本も前回大会では終盤に同点に追い付かれる苦い想いをした相手。そしてなんと言ってもカタールはグループステージでウズベキスタンに敗れた事で2位となり、日本は決勝トーナメントの初戦から開催国と戦わなければならない事態となってしまった。
フランスの名将、ブルーノ・メツが率いるカタールに対し、日本は前半から優勢にプレーしながらもいわゆる「中東の笛」にも細かいところで悩まされ、カタールも防戦一方ではなくいくつかのチャンスを創出して12分には先制を許したが、日本は28分に本田のパスに抜け出した岡崎の折り返しに香川が詰めて同点に追いつく。ドルトムントでブレイク中の香川は10番デビューとなるアジアカップながらここまで精彩を欠いていた中、遂に今大会初ゴール。これで流れは日本に傾いた……かと思われた。日本は前半に終了間際に訪れたいくつかのチャンスを逃していると、後半に突入して60分には吉田が相手選手との接触の際に2枚目の計画で退場となる不可解な判定が勃発。更にそのプレーによるFKを直接決められてしまう。
開催国を相手に数的不利、1点ビハインド……絶体絶命の局面は敗退の2文字にリアリティーを抱かせる。それでも70分、本田の縦パスをなんとか残した岡崎のフォローに入った香川は相手DFを振り切ってそのままシュート!アゲアゲになったカタールを再び騙されたのは新たなるシンボルの一振りだった。2-2になってからは数的優位のホームの環境を背にカタールの攻撃を受ける時間が続くが、ロスタイム直前には遠藤のキープからボールを渡された長谷部の縦パスが再び香川に入る。強引に突破した香川にはカタールのDF2人とGKがめちゃくちゃファウル丸出しで食い止めようとしたが、こぼれ球に詰めていたのは出場停止の内田に代わって出番を得た伊野波だった。日本がアジアカップで優勝する時はいつも「伝説の夜」なるものがあるが、このカタールとの激闘もまさしくそう呼ぶべき夜だった。
なお、最後の伊野波の決勝点はセットプレーでもなんでもない場面での攻撃参加だった事もあってか「なぜそこに伊野波」が世間でも、なんならチーム内でも流行語になったとかなんとか……。
アジアカップ2011 準決勝
日本2(3PK0)2韓国
2011年1月25日16:25@アル・ガラファ・スタジアム(ドーハ)
韓国得点者:キ・ソンヨン(23分),ファン・ジェウォン(120分)
準決勝は日韓戦となった。アジアカップでは過去に2度対戦しているが、1度目は日本にほぼ勝ち目のなかった時代の1988年のグループステージ、2度目は両者優勝のない2007年の3位決定戦だった為、文字通り勝ち上がりを懸けた戦いとしては初めての構図になる。また、かつての韓国コンプレックスのようなものは遠い昔の話になっていたが、一方で少し韓国との対戦成績が悪くなっていた時期でもあっただけに、是が非でも勝利が求められていた。
南アフリカW杯ベスト16同士の対決となったこの試合は23分、後にゴールパフォーマンスが物議を醸す事になるキ・ソンヨンのPKで韓国が先制。しかし日本も36分には本田のスルーパスに抜け出した長友のクロスに前田が飛び込んで同点に追いつく。カタール戦も韓国戦も先制こそ許したが、いずれも15分程度で同点に追いつけた事は大きなポイントだった。試合は遠藤や本田を起点とし、そこに香川と長友が絡んだ左サイドの連携で日本が優勢に試合を運ぶ(遠藤もこの試合の17分に長友に通したパスが人生の中でも会心の一本だったそう)。だが後に川崎でプレーする事になるチョン・ソンリョンの好セーブ連発もあってゴールを奪えず、後半はリズミカルなパスワークで攻める日本とスピードとパワーでカウンター機会を伺う韓国の攻防戦になっていく。
90分で決着は付かず、日本は香川を負傷退場で失った状態で延長戦に入ったが、97分には岡崎が本田のスルーパスに抜け出してPKを獲得する。シリア戦ではPKを成功させた本田のシュートはGKに阻まれたが、香川の負傷退場により投入された細貝がこぼれ球に猛然と詰め寄って押し込んで逆転!だが伊野波と本田拓也を投入して守備固めを目論んだほぼラストプレーにて韓国のパワープレーが結実する形で同点に追いつかれ、日韓戦は前回大会に続いてPK戦となる。
後に「新旧川崎対決」となる事を当時は誰も知らないPK戦は日本にとって嫌な流れで迎える5本勝負だったが、97分に一度PKを失敗した本田がきっちり成功させて流れを掴むと、川島は韓国のキッカーを獅子奮迅の2本連続セーブ。3人目は日本も韓国も枠外に飛ばしたが、4人目の今野が決め切った事で試合終了!2大会ぶりの決勝進出を決めた。そして結果的に、この試合を境に日韓戦は日本がずっと優勢に進む時代が訪れる事となった。
余談だが、京都サンガでもプレーしたアジア史上に残る名手・パクチソンにとっては所縁のある日本と対戦したこの試合が結果的に韓国代表としてのラストゲームになった。また、後半途中からは当時18歳のソン・フンミンも出場している。
アジアカップ2011 決勝
オーストラリア0EX1日本
2011年1月29日18:00@ハリーファ国際スタジアム(ドーハ)
日本得点者:李忠成(109分)
日本にとっては満を持しての舞台だった。対戦相手はオーストラリア。一応、オーストラリアにとってアジアでの初大会となった前回大会ではPK戦で勝利したが、その後の最終予選で敗れた際に屈辱的な横断幕を掲げられた事もあり、オーストラリアに対するリベンジ意識は日本にとって再燃していた。また、前回大会もPK戦勝ちは記録上は引き分けとなる訳で、スコアで勝ってこそドイツW杯の恨みを晴らせる…最後にオーストラリアを倒すというシチュエーションを望んだ人は開幕前の時点で多かったと思う。
韓国戦で負傷退場した香川が全治6ヶ月の重傷だった事から離脱し、左MFには香川の代わりに藤本を抜擢。CBには韓国戦は出場停止だった吉田を復帰させて決勝戦に挑む。日本は韓国戦と同様に遠藤・本田を起点にサイドに出て攻撃機会を伺うが、この日はオーストラリアのスピード溢れるカウンターと圧倒的な空中戦の強さに気圧される時間も長く、極端に劣勢という程ではなかったがリズムを掴んでいたのはオーストラリアの方だった。0-0で後半に入ると、ザッケローニ監督は藤本を下げ韓国戦で活躍したDF岩政を投入してオーストラリアの高さに対抗。今野を左SB、長友を左MFに置く形にシフトする(ちなみに当初は今野をボランチにする予定だったが今野に拒絶されたという逸話がある)。これ以降、岩政と吉田の2枚体制ででオーストラリアのクロス攻勢に対抗出来るようになった事で、少しずつ日本はリズムを取り戻していった。しかし66分の長友のクロスに合わせた岡崎のヘッドは僅かに枠を逸れ、その後はオーストラリアに何度もカウンターで決定機を作られる。だが1対1まで持ち込まれたシーンはいずれもGK川島が鬼神の如く立ちはだかって0-0の状態を保ち続けた。試合は延長戦に突入する。
延長前半、日本は初戦以来出番のなかった李忠成を前田に代わってピッチに送り込む。伝説の瞬間は109分だった。遠藤のスルーパスから左サイドを突破した長友がファーサイドにクロス。そこにフリーで入り込んだ李忠成のスイングと弾道は、まるで絵画のように出来すぎたワンシーンだった。あまりにも鮮やかな一発がスコアを動かし、最後はその一点を徹底的に守り抜く。そして遂にタイムアップ。苦しくも長く、何よりもドラマチックな1ヶ月は最後に最高の結末をもたらし、「日本代表最強時代」の序章には派手すぎる花火を打ち上げた。
なお、この試合が開催されたハリーファ国際スタジアムは、11年後のカタールW杯にて日本がドイツとスペインを撃破した場所と同じで会場である。あの場所は日本にとって新たなる聖地と呼べるかもしれない。
《大会総評》
すごい大会でしたね。とにかく。南アフリカW杯以前の閉塞感と、逆に南アフリカW杯の躍進+香川筆頭にした多くの選手が欧州でブレイクしニュースターに。そこに娯楽性も加わった当時のサッカーの期待値は計り知れないほど上がっていましたし、ストップ高に近いほど高まり続けていたボルテージを興醒めさせない為に優勝しなければならない…というところで、ここまでドラマチックな展開で優勝まで走り切った事はもう見事と言うしかないですし、そりゃこの後日本代表人気もバブル状態になるわなと。
この大会の特徴的なところと言えば日替わりでスターが出てきたところでした。準々決勝の伊野波は内田の代役で、準決勝の細貝、決勝の李…そもそも吉田はぶっつけ本番みたいなところがありましたし、岡崎も始動時は松井の控えという立ち位置だった訳で、まだ就任して半年も経っていなかったザックがここまでの神懸かり的な采配を連発した事はちょっと凄まじかったなと。同時にザックジャパンの基本メンバー、基本戦術の大方をこのアジアカップで完成させてしまった手腕も圧巻でした。ただ、最終的にはそれがブラジルW杯に向けたピーキングという意味では裏目に出る事にもなったのですが…。
ただいずれにしても、この時のメンバーの躍動やスターとしての台頭、スペクタクルなサッカー、ドラマ的な展開…その全てを兼ねた代表がこの当時のザックジャパンだったと思いますし、ブラジルW杯までの期間で日本代表のステージは駆け足で階段を登るように向上していきました。この大会以降、お正月に放送される日本代表特番の名前が「日本サッカー新時代」だったりしましたが、その表現はまさに文字通りなものだったのと。それだけにブラジルW杯の顛末は本当に悔やまれるというか…。
「なんなんすかこれ」「名波気持ちだけでも壁に入って」
ではでは(´∀`)