ハッピーバースデーのび太
どーもこんばんは
さてさて、8月7日、今日は何の日。のび太の誕生日。
…ではなく(まあそれはそうなんですけど)、北京五輪サッカー競技の開幕から15年が経ちました。
まさしくメッシメッシメッシ、そしてディマリアな大会だった2008年北京五輪の男子サッカーだった訳ですが、我らが日本代表に関しますと……屈辱の3戦全敗。3戦全敗。
同じグループステージ敗退でも2勝しながら敗退を余儀なくされた1996年はともかく、2004年アテネ五輪でも1勝は挙げていただけに、ましてや2006年ドイツW杯で惨敗し、希望を復活させたように見えたイビチャ・オシム監督が病に倒れ、新たに発足した第2次岡田ジャパンも芳しくない時流にいた中でのこの結果はショックも大きく、この世代はいつしか「谷間の世代」と称されるようになりました。
しかし時は流れて2年後、惨敗さえも予想された南アフリカの地で躍動したのはこの時、中国の地で北京にも辿り着けずに泣いた選手達で、このオリンピックのメンバーがその後、アルベルト・ザッケローニが率いる日本代表の黄金時代を築き上げると共に、ヨーロッパの舞台で日本人がこれまで見たことのない世界をファンに提示してきました。そういう後日談ゆえに、北京五輪世代の是非は五輪代表で求めるものが成績か、或いは育成かというテーマで語られる事も多いですね。いずれにせよ、この北京五輪男子サッカー日本代表が後世に大きな意味をもたらすチームだった事は確かです。
あれから15年。
引退する者も多くなりました。一方で未だにプレーするものもあり、カタールW杯にも出場した者もあり。という訳で今回は北京五輪15周年という事で、当時のメンバー18人の選手名鑑を作ってみたいと思います。
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《スタッフ》
監督:反町康治
コーチ:江尻篤彦
コーチ:井原正巳
GKコーチ:川俣則幸
フィジカルコーチ:矢部由治
《登録選手》
《バックアップメンバー》
《試合結果》
第2戦 vsナイジェリア●1-2(得点者:豊田)@天津
第3戦 vsオランダ●0-1@瀋陽
GK1 西川周作
(大分トリニータ)
☆北京五輪予選参加メンバー
生年月日:1986年6月18日
北京五輪での成績:3試合(先発3)
現在の所属チーム:浦和レッズ(2014〜)
過去の所属チーム:大分トリニータU-18→大分トリニータ(2005-2009)→サンフレッチェ広島(2010-2013)
日本代表通算成績:31試合0得点(2009-2021)
★2014年ブラジルW杯出場
☆アジアカップ出場(2011,2015)
大分ユースから昇格した2005年に19歳にしていきなり正GKの座を獲得すると一躍大分のスター選手となり、2005年のワールドユースなど早い段階で五輪代表でも絶対的な守護神の座を確立。代表デビューこそまだ果たしていなかったがこの時点で既に定期的にA代表の活動にも参加しており、東口順昭らが台頭する前だった当時は同世代の中で明らかに抜けていた存在で、北京五輪の正GKとなる事も自然な流れだった。なお現在にも通ずるキック制度は当時の方がトレードマークとして取り上げられており、左利きかつFKを蹴る事もあった事から「和製チラベルト」とも呼ばれていた。
2010年南アフリカW杯こそ土壇場で出場を逃したが、北京五輪が終わって以降は2017年頃まで常に代表メンバーに選ばれ続けた。クラブレベルでは後に広島・浦和に加入し、絶対的なGKとしてJ1・リーグ杯・天皇杯・ACL制覇のグランドスラムを達成。37歳となった今季もそのプレーぶりには磨きがかかっており、終わらない全盛期を今なお謳歌している。
MF2 細貝萌
(浦和レッズ)
★北京五輪予選参加メンバー
生年月日:1986年6月10日
北京五輪での成績:2試合(先発1)
現在の所属チーム:ザスパクサツ群馬(2021.9〜)
過去の所属チーム:前橋育英高校→浦和レッズ(2005-2010)→FCアウクスブルク(2010.1-11/12)→バイヤー・レヴァークーゼン(12/13)→ヘルタ・ベルリン(13/14-14/15)→ブルサスポル(15/16)→VfBシュトゥットガルト(16/2017.3)→柏レイソル(2017.3-2018)→ブリーラム・ユナイテッド(2019-2020.7)→バンコク・ユナイテッド(20/21)
日本代表通算成績:30試合1得点(2010-2014)
★アジアカップ出場(2011)
圧倒的な戦力を誇った当時の浦和で2007年頃から万能型として重宝されるようになり、2008年になるとボランチ・SB・WBとして飛躍的に出場試合数を増やした。U-16から各年代の日本代表にコンスタントに招集されていたとはいえ、当時の浦和で主力の地位を確保した事で存在感も一層高まっている。ちなみに五輪代表では2番、浦和では3番と、クラブと代表で共にDFの印象が強い番号を背負っていた。
五輪後は浦和でレギュラーの座を獲得し、南アフリカW杯が終わったタイミングからA代表にも定着。特にザックジャパンではアジアカップ準決勝韓国戦のゴールのみならず、絶対的だった遠藤保仁&長谷部誠のボランチコンビに次ぐチョイスとして大いに貢献し、ブンデスリーガでもコンスタントな活躍を見せるなど圧巻のキャリアを誇っただけに、W杯の巡り合わせが悪かった事だけが悔やまれる。2021年9月には地元クラブである群馬に入団し、今季もJ2で現役を続けている。
DF3 吉田麻也
(名古屋グランパス)
生年月日:1988年8月24日
北京五輪での成績:1試合(先発1)
現在の所属チーム:LAギャラクシー(2023.8〜)
過去の所属チーム:名古屋グランパスU-18→名古屋グランパス(2007-2009)→VVVフェンロ(2010.1-11/12)→サウサンプトン(12/13〜2020.1)→UCサンプドリア(2020.1-21/22)→シャルケ04(22/23)
日本代表通算成績:126試合12得点(2010〜)
★2014年ブラジルW杯,2018年ロシアW杯,2022年カタールW杯出場
☆アジアカップ出場(2011,2015,2019)
日本代表史上最高のCBを問う時、その答えには各々の好みや思い入れも介在するだろうが、現時点の代表実績では間違いなくNo.1と呼ばれるべきCB。だがそれは"今となっては"の話であり、当時の吉田は北京五輪世代で特別な存在ではなく、予選には全く絡んでいないどころか合宿にすら五輪直前まで殆ど呼ばれておらず、実際に選出会見の席上で「今まで代表に縁がなかったのでクラブハウスで記者会見をする日が来ると思わなかった」と語っていたほど。しかし2008年は名古屋でストイコビッチ監督によりレギュラーに抜擢されて、名古屋が上位に躍進する重要人物にまで台頭すると、その活躍が評価される形で予選の主力だった青山直晃や伊野波雅彦らに競り勝ち、文字通り「最後の一枠」として五輪メンバーに滑り込んだ。
出場機会こそ消化試合となったオランダ戦のみとなったが…気がつけばその吉田がOAとしてその後2度の五輪で圧巻の働きを見せ、日本代表主将にまで上り詰める事になる訳で。北京五輪にギリギリで滑り込んだ男は、南アフリカW杯後の自身出場資格を有する国際大会にはリオ五輪以外の全てに出場する事となり、いじられムードメーカーだった長身CBは絶対的なリーダーとして、北京五輪メンバーの中で誰よりも長くトップオブトップで戦い抜いた。
DF4 水本裕貴
(京都サンガFC)
☆北京五輪予選参加メンバー
生年月日:1985年9月12日
北京五輪での成績:3試合(先発3)
過去の所属チーム:三重高等学校→ジェフユナイテッド千葉(2004-2007)→ガンバ大阪(2008.1-2008.6)→京都サンガFC(2008.6-2010)→サンフレッチェ広島(2011-2019.8)→サンフレッチェ広島(2019.8-2019.12)→FC町田ゼルビア(2020-2021)→SC相模原(2022)
日本代表通算成績:7試合0得点(2006-2015)
イビチャ・オシムの薫陶を受けたオシムチルドレンの一人。北京五輪代表活動にも西川や本田圭佑らと共に大熊清監督が率いたワールドユースを目指す初期段階から参加しており、反町監督が就任してそれまでの主将だった増嶋竜也が代表から外れるようになってからは水本が主将を務めるようになった。以降、CBのレギュラーが変わる中でも水本は常にDFリーダーとして君臨していたが、クラブでは五輪イヤーのG大阪移籍が失敗する形に。緊急での京都移籍は賛否両論を呼んだが、逆に言えば思いの強さが焦りを呼ぶほどに主将に責任感を持っていた表れでもあった。
主将として北京五輪で全戦フル出場した後は、A代表には定着こそ出来なかったがザッケローニ体制・アギーレ体制で不定期的に招集されていた。クラブレベルでは京都のJ2降格に伴い広島に移籍すると、3バックの左CBとして森保一体制での黄金期に貢献し3度のリーグ優勝を達成。松本、町田を経て2022年に相模原でのプレーを最後に現役を引退し、現在は横浜FCのスクールコーチを務めている。
DF5 長友佑都
(FC東京)
★北京五輪予選参加メンバー
生年月日:1986年9月12日
北京五輪での成績:2試合(先発2)
現在の所属チーム:FC東京(2021.9〜)
過去の所属チーム:明治大学→FC東京(2008-2010.7)→ACチェゼーナ(2010.7-2011.1)→インテル・ミラノ(2011.1-2018.1)→ガラタサライSK(2018.1-19/20)→オリンピック・マルセイユ(20/21)
日本代表通算成績:142試合4得点(2008〜)
★2010年南アフリカW杯,2014年ブラジルW杯,2018年ロシアW杯,2022年カタールW杯出場
☆アジアカップ出場(2011,2015,2019)
明治大学在学中の2007年に、北京五輪二次予選最終戦のマレーシア戦に選出。既に最終予選進出を決めていたのでメンバーの大半を入れ替えた中で巡ってきたチャンスだったが、この試合で先制点を挙げるなど大きなインパクトを残す。2008年には既に特別指定選手としてデビューしていたFC東京に正式入団すると城福浩監督に抜擢されて早々にレギュラーを掴み、今や語り草にもなったフッキとの攻防戦を経て5月にはA代表デビュー。これまで世代別代表にほぼ引っかかってこなかった男はまさしく飛ぶ鳥を落とす勢いで中国に乗り込む形となった。
しかし初戦のアメリカ戦では過緊張からミスを連発し、その惨状は反町監督が前半の早い段階で控えSBの安田にアップを命じた程だった。消化試合以外では予選も経験していない長友にとっては人生で初めての「絶対に負けられない国際舞台」であり、当時の長友の状態の良さからの落差に反町監督は「五輪やW杯が初めての国際舞台になるリスク」を痛感したという。
その後の長友のキャリアについてはもはや語るまでもない。日本人SBとして最も高いところに辿り着いた人物と言うべきだろう。大学時代、長友を五輪代表に引き上げた反町監督とは、選手と技術委員長という立場で初招集から15年後のカタールW杯での旅を共にしている。
vol.2に続く
ではでは(´∀`)