当ブログではカタールW杯をより楽しむべく、今回の放送日程や開催スタジアムに各国のチーム・選手・監督の紹介といったカタールW杯情報、カタールW杯の試合のマッチレビューや予想を楽しめるコンテンツの他にも、カタールW杯に向けた日本代表情報や森保ジャパンの歩みに加え、日本や他の国を含めた過去のW杯を振り返るようなブログを随時更新しており、それらを【RK-3カタールW杯観戦ガイド】として下記のページにまとめています。是非ブックマークならなんなりしていただいて、あなたの1ヶ月間の狂気のお供にしてください!
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さてさて、2022年11月1日、森保一監督の口から2022 FIFAワールドカップカタール大会に挑む26人のメンバーが発表されました!
という訳で、当ブログではカタールの地で戦う26名の日本代表をもっと知っておこう!という事で、カタールW杯日本代表選手名鑑を作っていきます!
全26名分作成していきますので、普段あまりサッカーを見ていない方も一緒に盛り上がるべく、観戦のお供な感覚で使ってもらえれば幸いです。
※選手データはカナダ戦(2022年11月17日)時点のデータです。
【2022 FIFAワールドカップ日本代表】
監督:森保一
コーチ:横内昭展
コーチ:斉藤俊秀
コーチ:上野優作
フィジカルコーチ:松本良一
GKコーチ:下田崇
DF2 山根視来(川崎フロンターレ)
DF4 板倉滉(ボルシア・メンヒェングラードバッハ)
MF6 遠藤航(VfBシュトゥットガルト)
MF8 堂安律(フライブルクSC)
MF9 三笘薫(ブライトン&ホーヴ・アルビオンFC)
MF13 守田英正(スポルティングCP)
MF14 伊東純也(スタッド・ランス)
MF15 鎌田大地(アイントラハト・フランクフルト)
DF16 冨安健洋(アーセナル)
MF17 田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)
FW21 上田綺世(セルクル・ブルージュ)
GK23 シュミット・ダニエル(シントトロイデンVV)
MF24 相馬勇紀(名古屋グランパス)
FW25 前田大然(セルティックFC)
DF26 伊藤洋輝(VfBシュトゥットガルト)
vol.3
オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。
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DF19 酒井宏樹
生年月日:1990年4月12日
出身地:長野県中野市
所属チーム:浦和レッズ(2021.6〜)
過去の所属チーム:柏レイソルU-18→柏レイソル(2009〜2012.6)→ハノーファー96(12-13〜15-16)→オリンピック・マルセイユ(16-17〜20-21)
日本代表通算成績:72試合1得点
A代表デビュー:2012年5月13日 日本2-0アゼルバイジャン(キリンC杯)
カタールW杯予選成績:10試合0得点
W杯通算成績:4試合0得点(2018)
★2014年ブラジルW杯、2018年ロシアW杯出場
日本サッカーの歴史の中でも稀に見る大型サイドバック。ブレイク当初は超高速クロスを武器に台頭したが、恵まれたフィジカルを活かした圧倒的な対人守備力を備えて、文字通り完成形のサイドバックとして君臨している。ブラジルW杯までは内田篤人の背中を追いかける立場だったが、2015年頃からは完全に日本代表のレギュラーに定着。最近はコンディション問題を抱える事も少なくないが、日本代表戦やACLのような国際舞台で度々見せるパッション溢れるプレーも大きな魅力。オリンピックには2度出場したが、2回とも4位進出を果たした。
柏ユースの黄金世代の主要メンバーであり、プロ3年目となる2011年からレギュラーに定着。その年の柏がJ1昇格1年目で優勝を果たすという大躍進を遂げたシーズンだった事もあり、新たなる若手大型SBの登場として一気にブレイクした。ロンドン五輪後に海外移籍を果たすと、東京五輪前までドイツのハノーファーとフランスのマルセイユで活躍。特にフランスの強豪・マルセイユでの活躍は圧巻で、18-19シーズンには名門クラブのファンが選ぶMVPにも選ばれ、右サイドを形成していたフロリアン・トヴァンとはゴールデンコンビとして破壊力を誇っていた。2021年夏からは浦和への移籍でJリーグ復帰を果たし、世界レベルを味方にも敵にも伝えるようなプレーを見せている。
実業家としての一面もあり、ユース時代からのチームメイトである大津祐樹と共に株式会社Assistを設立し、大学生プレーヤーのキャリア形成を支援するプロジェクトを取り組んでいる。前述のようにマルセイユではスター選手として扱われた酒井だったが、マルセイユを舞台にしたマット・デイモン主演映画「スティル・ウォーター」では、劇中に登場する女の子の好きな選手として「Sakai」の名前が使われた。「五郎丸ポーズ」で同じのラグビー選手、五郎丸歩とはフランスでプレーしていた時期が重なっていた事もあり、家族ぐるみでの親交がある。
FW20 町野修斗
生年月日:1999年9月30日
所属チーム:湘南ベルマーレ(2021〜)
過去の所属チーム:履正社高校→横浜F・マリノス(2018)→ギラヴァンツ北九州(2019〜2020)
日本代表通算成績:4試合3得点
A代表デビュー:2022年7月17日 日本6-0香港(E-1選手権)
カタールW杯予選成績:7試合0得点
W杯通算成績:初出場
これまで高校選抜止まりで、世代別代表への選出経験すら無かったにも関わらず、2022年に入って湘南で大ブレイク。E-1選手権で代表デビューを果たすと3試合全てに出場して2得点を挙げ、9月の欧州遠征にも継続して選ばれた。当初の26名からは漏れる結果となったが、メンバー発表後にDFの中山雄太が負傷離脱。中山は左SBだったのでDFからの選出が予想されていたが、メンバー枠が23人から26人になった影響もあってポジションに捉われない選考が為された結果、まさにシンデレラボーイのような軌跡で代表入りを果たした。稀有なストライカー的なプレーヤーであり、比較的小柄な選手が多い前線の中で恵まれたフィジカルも持つなど、面白いオプションとなり得る選手。
今大会のメンバーはエリート街道を辿った選手も多い中、町野はブレイクに至るまでの道のりは紆余曲折だった。履正社高校を卒業して最初に入団した横浜FMでは層の暑さもあって出場機会を得られず、2年目にはJ3の北九州に移籍。しかしここでストライカー育成に定評のある小林伸二監督の指導を受け、ディサロ燦シルヴァーノとの強力コンビでJ2復帰とJ2での大躍進に導いた。その活躍が評価されて湘南で返り咲いたJ1の舞台で、2022年はシーズン二桁得点を達成。それまでノーマークだった若武者が、一気にスターダムに駆け上がった瞬間だった。
忍者の里として知られる三重県伊賀市の出身という事でやり始めた「忍者ポーズ」は、Jリーグでの活躍と共に今ではすっかりトレードマークとなった。忍者ポーズを始めた理由は「故郷への恩返し」の意味も込めており、自身も「世界に忍者ポーズを浸透させたい」と意気込んでいる。既に代表常連となっていた選手以外で、E-1選手権から新たにW杯メンバーに抜擢される可能性は低いと見られていたが、結果的に町野はその狭すぎる門を潜り抜けた訳で、その"持ってる力"に期待したい。
FW21 上田綺世
生年月日:1998年8月28日
所属チーム:セルクル・ブルージュ(22-23〜)
過去の所属チーム:鹿島学園高校→法政大学→鹿島アントラーズ(2019.7〜2022.7)
日本代表通算成績:11試合0得点
A代表デビュー:2019年6月17日 日本0-4チリ(コパアメリカ)
カタールW杯予選成績:0試合0得点
W杯通算成績:初出場
豊富なシュートバリエーションと圧倒的なシュート精度、そこにストライカーとしての動き出しの質の高さを兼ね備えた、今の日本では希少種にもなりつつある純粋なタイプのストライカー。森保監督が率いていた東京五輪世代の世代別代表にはプロ入り前から常に招集されており、そのメンバーが主体となったコパ・アメリカにも法政大学在籍で出場。2022年から日本代表に招集されると、そこからは完全に代表に定着し、そのままW杯メンバーにまで辿り着いた。
本来は2020年から鹿島でプレーする予定だったが、コパアメリカで味わった悔しさを経て鹿島入団を半年前倒しにすると、早くから頭角を示すどころか、途中加入の2019年以外は3シーズン全てで二桁ゴールを記録しており、特に2022年はシーズン途中の海外移籍が無ければ確実に得点王ペースでもあった。ベルギー移籍当初は難しいところもあったが、少しの時間で適応を果たすとそこからはゴール量産体制に。自身のバイオリズムは良い流れで大会に入る。代表初ゴールを是非W杯の舞台で決めたいところ。ちなみに、元々鹿島ファンだったらしい。
意外と天然かつマイペースらしく、試合にユニフォームを忘れた、選抜合宿に選ばれた際にランニングシューズを忘れたなど、抜けているエピソードもちょこちょこある他、大食漢でもあり「パスタとハンバーグとライスとピザにアヒージョとバゲット2セット」「そば、天ざるうどんを大盛りと普通サイズのカツ丼+カツ丼おかわり」というイカれたメニューを平気で食うらしい。大学卒業後の予定が半年前倒しで鹿島に入団した為、大学中退と勘違いされる事が多いが、正式にはサッカー部を退部して鹿島に入団したのであり、大学は卒業まで在学している。
DF22 吉田麻也
生年月日:1988年8月24日
所属チーム:シャルケ04(22-23〜)
過去の所属チーム:名古屋グランパスエイトU-18→名古屋グランパス(2007〜2009)→VVVフェンロ(2010.1〜11-12)→サウサンプトン(12-13〜2020.1)→サンプドリアUD(2020.1〜21-22)
日本代表通算成績:122試合12得点
A代表デビュー:2010年1月5日 イエメン2-3日本(アジア杯予選)
カタールW杯予選成績:13試合2得点
W杯通算成績:7試合0得点(2014,2018)
★2014年ブラジルW杯、2018年ロシアW杯出場
★2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪(OA)、2021年東京五輪(OA)出場
ロシアW杯終了後、森保ジャパンが発足してから長谷部誠が8年間勤め上げてきた主将の座を受け継いだ、現日本代表キャプテン。近年で最も日本代表の価値が高まっていた時代に若手CBも気が付けば34歳になった。時折イージーミスが批判の的になる事はあるが、DFリーダーとしての統率力や冴え渡る読み、フィード能力は今なお折り紙付き。ザックジャパンの頃は「いじられキャラ」としても親しまられたが、東京五輪での彼の一挙手一投足を見てわかる通り、今ではこのチームにとって絶対に欠かせないリーダーとなった。元々卓越したコミュニケーション能力を持ち合わせており、歳の離れた選手とのコミュニケーションや試合前のスピーチでもその能力を発揮している他、家が近い板倉がW杯直前に負傷した際には頻繁にサプリメントを差し入れる気遣いを見せるなど、その辺りのケアにも長ける。
あまり育成組織から台頭した選手が上がってこない名古屋ユースにとって、菅原由勢の台頭以前はまさしく唯一にして最大級のスターと言うべき存在だった。今大会はセルビア代表監督を務めるドラガン・ストイコビッチ監督の薫陶を受けて2年目からレギュラーに定着すると、まだ今ほど海外移籍が容易では無かった時にオランダ移籍を果たす。オランダでの活躍を経て移籍したプレミアリーグでは世界屈指のCBと共に長きに渡って活躍を続けた。現在もブンデスリーガでレギュラーCBの座を掴んでおり、4大リーグのうちの3つでしっかりと実績を残した。
語学と言えば川島のイメージが強いが、吉田も凄まじい語学力を有しており、英語は勿論、イタリアに移籍した際も即座にジョークまで織り交ぜられるレベルにイタリア語を習得していた。現在の代表は海外組や海外を目指す選手ばかりという事もあって、食事会場では簡単な英語レッスンをする事もあるらしい。サウサンプトンではファン・ダイクを筆頭に多くの後のスターとなる選手とプレーしたが、その中でもサディオ・マネとは特に親しかった。内田篤人とは吉田のオランダ時代にほぼオフを毎日一緒に過ごしていた関係で、当時内田が所属していたシャルケの試合も時間が許せば観に行っていたらしいが、まさか後に自分がシャルケに入るとは…。
GK23 シュミット・ダニエル
生年月日:1992年2月3日
所属チーム:シントトロイデンVV(19-20〜)
過去の所属チーム:東北学院高校→中央大学(川崎フロンターレ※特別指定選手)→ベガルタ仙台(2014.1〜2014.4)→ロアッソ熊本(2014.4〜2014.5)→ベガルタ仙台(2014.5〜2015.6)→ロアッソ熊本(2015.6〜2015.12)→松本山雅FC(2016)→ベガルタ仙台(2017〜2019.7)
日本代表通算成績:11試合8失点
A代表デビュー:2018年11月16日 日本1-1ベネズエラ(キリンC杯)
カタールW杯予選成績:0試合
W杯通算成績:初出場
身長197cmを誇る恵まれた体格だけに留まらず、現代的なGKとしてのセンスを兼ね備えた大型GK。ハリルジャパン時代に行われたGK合宿で、当時J2クラブに所属の身ながら選ばれると、森保ジャパンでの初陣のメンバーにも招集され、そこから常連メンバーとなった。2021年は東京五輪で台頭した谷晃生に枠を奪われかけた時期もあったが、2022年に入ってからは再び第2GKに定着。森保ジャパンの正GKはずっと権田だったが、出場した試合でのシュミットのパフォーマンスは良いだけに、シュミットを推す声も少なくない。
台頭してきたのが最近なだけに若手と勘違いされる事もあるが何気に今年で30歳で、代表デビューも26歳と遅咲きのキャリアの持ち主でもある。大学卒業後に、高校卒業時にもオファーがあった仙台に入団したが仙台では出番を得られず、レンタル先のJ2クラブで出場機会を積んで着実に成長すると、2017年の仙台復帰後は正GKの座に就いた。2019年途中からは海外移籍を果たし、現在はベルギーでも正GKを任されて奮闘中。ちなみに、プロとして正式に契約したクラブは仙台のみだが、大学時代は特別指定選手として3年連続で川崎でもプレーしていた。
母親は日本人で父親がドイツ系アメリカ人の日米ハーフ。出身はイリノイ州だが、2歳の時点で仙台に引っ越してた事もあって当初は英語を喋れなかった為、海外挑戦に向けた英語力はアメリカ人の父親と家庭内でも英語で会話をする事で培った。一度はサッカーに挫折してバレー部に入部したり、卒業文集に「夢はW杯を観に行く事」と書いた男がそんな誰かの夢となる事。
MF24 相馬勇紀
生年月日:1997年2月25日
出身地:東京都調布市
所属チーム:名古屋グランパス(2018〜)
過去の所属チーム:三菱養和SCユース→早稲田大学→名古屋グランパス(2018〜2019.8)→鹿島アントラーズ(2019.8〜2019.12)
日本代表通算成績:8試合4得点
A代表デビュー:2019年12月10日 日本2-1中国(E-1選手権)
カタールW杯最終予選成績:0試合0得点
W杯通算成績:初出場
東京五輪でも活躍し、その実力と状態の良さだけ見ればW杯メンバーに選ばれるポテンシャルこそあったが、日本代表の2列目は質・量ともに人材が豊富に揃うボリュームゾーンであるがゆえに、これまで2019年のE-1選手権しかA代表歴のなかった相馬のメンバー入りは期待されながらも厳しいとも思われていた。しかし2022年のE-1選手権で大会MVPに輝く大活躍を見せると続く欧州遠征にも継続招集。そしてそのまま見事W杯メンバー入りを果たし、本番前最後の試合となるカナダ戦ではゴールまで奪ってみせた。サイドアタッカーかつドリブラーだが、伊東や三笘とはまた違ったタイプのドリブラーで、相馬の選出でバリエーションは広がる。
プロデビュー前年で大学在学中の2018年から特別指定選手として名古屋でプレーしていたが、残留を争う中で相馬の出場試合が9戦無敗だった事から「相馬不敗神話」と呼ばれていた。鹿島へのレンタル移籍を経て復帰した2020年からは名古屋の豊富なアタッカー人の中でも重要な位置を担うようになり、今や名古屋グランパスというクラブの顔にまでなっている。W杯メンバー発表前後からは海外移籍の噂も出てきたので、その動向にも注目。ちなみに「ドラミちゃん」という愛称を付けたのは鹿島時代にチームメイトだった内田篤人である。
両親は共に元テニス選手で、特に母はインターハイの優勝経験者という実績を持ち、父は松岡修造の練習パートナーを務めていた事から、松岡修造とは幼少期から親交がある。当時はテニスとサッカーを並行して習っていたが、2004年に東京ヴェルディのホームゲームで相馬が所属するクラブがエスコートキッズに選ばれ、当時はBチーム扱いだった相馬はアウェイチームの選手と手を繋ぐ事になったが、その相手が名古屋グランパスだったというのがなんとも。その経験をきっかけにサッカーの道を志す事になった。試合中に見せるキレキレの動きとは似つかわしくないぎこちなかいガッツポーズや失敗しがちな膝スラなど、ボテボテのゴールパフォーマンスも愛らしい。
FW25 前田大然
生年月日:1997年10月20日
所属チーム:セルティックFC(2022.1〜)
過去の所属チーム:山梨学院高校→松本山雅FC(2016)→水戸ホーリーホック(2017)→松本山雅FC(2018〜2019.7)→CSマリティモ(19-20)→横浜F・マリノス(2020.8〜2021)
日本代表通算成績:8試合1得点
A代表デビュー:2019年6月17日 日本0-4チリ(コパアメリカ)
カタールW杯最終予選成績:2試合0得点
W杯通算成績:初出場
スキンヘッドがトレードマークの日本が誇る圧倒的なスピードスター。東京五輪終了後からA代表にも呼ばれるようになり、圧倒的なスピードは大いなる選択肢の一つとして森保監督も重宝している。W杯と言えば、2002年日韓W杯で森島寛晃が所属するC大阪のホームスタジアムで得点を取った事が話題になったが、前田も日産スタジアムで行われた東京五輪のフランス戦で同様の記録を達成している。コパアメリカでは多くの決定機を逃した事で上田と共に批判の的にもなったが、上田と共に東京五輪、そしてW杯まで辿り着いたのはどことなく感慨深い。
2度の練習参加を経て入団した松本では1年目は出番がなかったが、2年目にレンタル移籍した水戸でブレイクすると、松本に復帰して2018年のJ2優勝に大きく貢献。当時の監督は現在JFAの技術委員長を務める反町康治だった。海外挑戦を経て日本に戻ってきた横浜FMではアンジェ・ポステコグルー監督の下でストライカーとして覚醒し、2021年にはJ1得点王のタイトルも獲得。2022年からは恩師であるポステコグルーが率いるセルティックで再び欧州への挑戦権を得た。
「風貌がイカつい」とは度々話題になっており、横浜FMに移籍してチアゴ・マルチンスに年齢を聞かれた際に「22歳」と実年齢を答えたら「ウソをつくな!」「ブラジル人を騙すな!」とマリノスのブラジル人軍団に散々な言われ方をした。その一方、娘との約束から始まったゴール後のアンパンマンパフォーマンスは今やお馴染みになっている。尚、元オリンピアンで日本代表選手のパーソナルコーチも務める杉本龍勇氏曰く、浅野や伊東などスピードスターが多い現日本代表の中で、陸上競技の観点で最も脚が速いと推測されるのは前田との事。
DF26 伊藤洋輝
生年月日:1999年5月12日
所属チーム:VfBシュトゥットガルト(21-22〜)
過去の所属チーム:ジュビロ磐田U-18→ジュビロ磐田(2018)→名古屋グランパス(2019)→ジュビロ磐田(2020〜2021.6)
日本代表通算成績:6試合0得点
A代表デビュー:2022年6月2日 日本4-1パラグアイ(キリンC杯)
カタールW杯最終予選成績:0試合0得点
W杯通算成績:初出場
アジア最終予選を終え、日本が本格的にカタールW杯に向けた作業に入り始めた6月の4連戦で初招集。その初戦となるパラグアイ戦で代表デビューを果たすと、早い段階から森保監督の信頼を勝ち取り、左SBを基本線にCBや3バックの一角として計算され、一気にW杯のスカッドに於ける主要メンバーとしてカウントされるようになった。磐田ユース時代から将来を嘱望されて世代別代表の常連でもあり、ブレイクが東京五輪には間に合わなかったが、カタールW杯には見事に間に合わせた格好となった。元々ボランチなだけあって、足下の技術やフィード力にも定評がある。
磐田ユース時代からユースの試合に優先してトップチームの練習に帯同していた。当初は出番に恵まれなかったが、ポジションを本格的にDFに移すと、名古屋へのレンタル移籍から復帰した2020年にはちょうど磐田がJ2に落ちたタイミングも重なり、そこで飛躍的に出場機会を伸ばした。その活躍が"ダイヤモンド・アイ"と称される名スカウトのスヴェン・ミスリンタートの目に留まると、彼がSDを務めるシュトゥットガルトに引き抜かれ、当初はU-23チームでの起用を考えていたそうですが、早々とトップチームでの立ち位置を築いた。
磐田時代はボランチからDFへのコンバートに葛藤もあったが、当時の監督である名波浩やチームメイトの中村俊輔といった日本史に残るレフティの指導も受けて育っていった。前回のロシアW杯ではトレーニングパートナーとなったU-19日本代表の一員としてチームに帯同し、久保建英らと共にW杯の空気を近いところで味わっただけに、今度は自分がそこで感じたことの全てをピッチの上で解き放ちたい。
監督 森保一
生年月日:1968年8月23日
過去に指導したチーム:サンフレッチェ広島(2012〜2017,7)→オリンピック日本代表(2017.10〜2021.8)
監督としての主な実績:J1リーグ優勝(2012,2013,2015)、2018年アジア競技大会準優勝、アジアカップ2019準優勝、2021年東京五輪4位、カタールW杯アジア最終予選突破
W杯を日本人監督が率いた事は過去に3回あったが、W杯終了後に、次のW杯に向けた新監督として選ばれた初めての日本人監督が森保監督だった。低調な試合内容やアジア最終予選での不振もあって、解任論も定期イベントかのように勃発し続けていながらも、最終予選オーストラリア戦でのシステムチェンジなど胆力を見せる場面も少なくない。コーチとして帯同したロシアW杯での西野朗監督の指導法を見た経験も手伝って、基本的には選手達の自主性を促しながらチーム造りを進めていくタイプで、いわゆる戦術の構築を図る戦術家タイプというよりは、様々な状況を混ぜ合わせて擦り合わせていく"調整型"の監督と言える。
監督としては2012年に、選手としてレジェンドだった広島の監督に就任。それも前任のミシャことペトロヴィッチ監督との契約更新が上手くいかなかったから、という後ろ向きな理由での就任で、当時のチームの状況もあって降格候補に推す声すらあった。しかし、ミシャ式と呼ばれるサッカーで勝点を取りこぼす事も多かったチームに修正を加えてチームブラッシュアップ。ミシャが築いた広島の足りなかったピースを埋めてチームを完成させ、5シーズンで優勝3回という脅威的な記録を残した。いつでもどこでも気遣いを忘れない人格者としても知られており、リーグ優勝やW杯出場を決定させた暁には、サポーターに対して「おめでとうございます!」と絶叫するのがお決まりとなっている。ちなみに、森保監督の現役時代の広島でバクスター監督が率いていた時代のチームメイトには風間八宏、松田浩、高木琢也、片野坂知宏など、後のJリーグで名将と呼ばれる人物が多数プレーしていた。また、アナウンサーとして有名な西岡昭彦氏とは、自身の自伝の共著を務めるほど深い関係で知られている。
選手時代はオフトジャパンの心臓としてプレーしたが、初招集の時には全く無名の選手であり、当時の代表メンバーは誰一人「モリヤス」と読めなかったらしい。しかし代表デビューとなった1992年のアルゼンチン戦で見せた活躍がアルゼンチンの監督や選手からも名指しで絶賛された事が「森保一」という名前と「ボランチ」というフレーズそのものを日本に広めたとも言われている。そうして掴んだ代表での定位置でアメリカW杯を目指したが、そこで見舞われたのがドーハの悲劇だった。日本サッカー激動の時代を知る男が、日本サッカー飛躍の時代にこの国のサッカーを脱皮させる事が出来るかどうか、注目したい。
完結!
ではでは(´∀`)