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2022年カタールW杯 サッカー日本代表 W杯メンバー全26名の選手名鑑〜Part1〜

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当ブログではカタールW杯をより楽しむべく、今回の放送日程や開催スタジアムに各国のチーム・選手・監督の紹介といったカタールW杯情報、カタールW杯の試合のマッチレビューや予想を楽しめるコンテンツの他にも、カタールW杯に向けた日本代表情報や森保ジャパンの歩みに加え、日本や他の国を含めた過去のW杯を振り返るようなブログを随時更新しており、それらをRK-3カタールW杯観戦ガイドとして下記のページにまとめています。是非ブックマークならなんなりしていただいて、あなたの1ヶ月間の狂気のお供にしてください!

 

さてさて、2022年11月1日、森保一監督の口から2022 FIFAワールドカップカタール大会に挑む26人のメンバーが発表されました!

という訳で、当ブログではカタールの地で戦う26名の日本代表をもっと知っておこう!という事で、カタールW杯日本代表選手名鑑を作っていきます!

全26名分作成していきますので、普段あまりサッカーを見ていない方も一緒に盛り上がるべく、観戦のお供な感覚で使ってもらえれば幸いです。

 

※選手データはカナダ戦(2022年11月17日)時点のデータです。

 

【2022 FIFAワールドカップ日本代表】

監督:森保一

コーチ:横内昭展

コーチ:斉藤俊秀

コーチ:上野優作

フィジカルコーチ:松本良一

GKコーチ:下田崇

 

GK1 川島永嗣(RCストラスブール)

DF2 山根視来(川崎フロンターレ)

DF3 谷口彰悟(川崎フロンターレ)

DF4 板倉滉(ボルシア・メンヒェングラードバッハ)

DF5 長友佑都(FC東京)

MF6 遠藤航(VfBシュトゥットガルト)

MF7 柴崎岳(CDレガネス)

MF8 堂安律(フライブルクSC)

MF9 三笘薫(ブライトン&ホーヴ・アルビオンFC)

MF10 南野拓実(ASモナコ)

MF11 久保建英(レアル・ソシエダ)

GK12 権田修一(清水エスパルス)

MF13 守田英正(スポルティングCP)

MF14 伊東純也(スタッド・ランス)

MF15 鎌田大地(アイントラハト・フランクフルト)

DF16 冨安健洋(アーセナル)

MF17 田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)

FW18 浅野拓磨(VfLボーフム)

DF19 酒井宏樹(浦和レッズ)

FW20 町野修斗(湘南ベルマーレ)

FW21 上田綺世(セルクル・ブルージュ)

DF22 吉田麻也(シャルケ04)

GK23 シュミット・ダニエル(シントトロイデンVV)

MF24 相馬勇紀(名古屋グランパス)

FW25 前田大然(セルティックFC)

DF26 伊藤洋輝(VfBシュトゥットガルト)

 

 

vol.1

vol.2

vol.3

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

GK1 川島永嗣

 

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生年月日:1983年3月20日

出身地:埼玉県与野市(現:さいたま市)

所属チーム:RCストラスブール(18-19〜)

過去の所属チーム:浦和東高校大宮アルディージャ(2001〜2003)→名古屋グランパスエイト(2004〜2006)→川崎フロンターレ(2007〜2010.7)→リールセSK(10-11〜11-12)→スタンダール・リエージュ(12-13〜14-15)→ダンディー・ユナイテッド(2015.11〜15-16)→FCメス(16-17〜17-18)

日本代表通算成績:95試合103失点

A代表デビュー:2008年2月17日 日本1-1北朝鮮(東アジア選手権)

カタールW杯予選成績:3試合2失点

W杯通算成績:11試合14失点(2010,2014,2018)

★2010年南アフリカW杯、2014年ブラジルW杯、2018年ロシアW杯出場

アジアカップ2007,2011,2015出場

★コパ・アメリカ2019出場

 

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今や日本代表の重鎮。2010年南アフリカW杯でスターダムにのしあがったGKも今や39歳となった。南アフリカW杯で、第2GKだった名古屋時代に正GKだった楢﨑正剛からポジションを奪うと、それ以降はロシアW杯までハリルジャパンの一時期を除いて常に正GKとして君臨。森保ジャパン発足後は権田修一に正GKを譲る形となり、自身も当初は代表を外れていたが、東京五輪世代の選手を中心にB代表的に編成されたコパ・アメリカで代表に復帰すると若手主体のチームでリーダーシップと安定感のあるパフォーマンスを発揮。それ以降、通常の代表活動にも復帰するようになった。南アフリカW杯から続く連続出場は止まる可能性が高いが、チームリーダーの一人としてチーム全体を、そして主将の吉田麻也を支える立場として期待されており、同じGKの権田は最終予選中に川島に救われたと公言している。

日本人で初めてヨーロッパで活躍したGKとして認識されており、特にベルギーでは国内トップクラブの一つであるスタンダールでも正GKを務めていた。ロシアW杯前後は無所属状態になる事も多かったが、ロシアW杯後に加入したストラスブールでは「第3GKとしての獲得」を公言されながら、主力が離脱して回ってきた出場機会で好パフォーマンスを披露。現在はベルギー代表のマッツ・セルツに次ぐ第2GKの座をキープしており、5大リーグの一つであるリーグアンで38歳にして複数年契約を提示された事実はもっと評価されるべき。Jリーグ時代は第一次川崎黄金期の正GKだった。

日本語を含めて7ヶ国語を喋れるエピソードは有名で、スタンダール所属時代に永井謙佑が加入した際には永井がまだ通訳を付けていなかったが為に急遽通訳として移籍会見に同席した。最終予選の試合後、埼玉スタジアムからリポーターとして中継した内田篤人にクールダウン中に絡みに行ったシーンが話題になったが、内田、吉田、長谷部誠とは長きに渡って親しく4人のLINEグループもあり、内田が引退報告をした際に最後まで反対したのは川島だったそう。中学時代は同級生の青木裕子(元TBSアナウンサー)に告白してフラれたらしい。ブラジルW杯のコロンビア戦では日本代表ユニを着た美女が抜かれて話題になったが、後に川島の彼女と発覚した時には騒然となった(現在の妻)。

 

 

 

DF2 山根視来

 

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生年月日:1993年12月22日

出身地:神奈川県横浜市

所属チーム:川崎フロンターレ(2020〜)

過去の所属チーム:ウィザス高校→桐蔭横浜大学湘南ベルマーレ(2016〜2019)

日本代表通算成績:15試合2得点

A代表デビュー:2021年3月25日 日本3-0韓国(国際親善試合)

カタールW杯予選成績:6試合0得点

W杯通算成績:初出場

 

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2021年に27歳で代表デビューを果たすと、デビュー戦となった韓国戦でいきなり得点を挙げるインパクトを残して代表に定着。その後の最終予選では酒井宏樹の欠場時にスタメンを務め、W杯出場を決めたオーストラリア戦でもフル出場を果たした。守備面ではやや不安が残る部分はあるが、今の代表では最も「攻撃的サイドバック」という表現の似合うプレーヤーで、川崎時代から好連係を形成していた守田英正や田中碧は勿論、堂安律や久保建英など右から中に入っていくタイプの選手との相性は抜群で、クロスは勿論そのまま自分でシュートまで持ち込むケースも多い。

大学まではMFとしてプレーしていたが、湘南でのプロ2年目に曺貴裁監督により3バックの右にコンバートされ、そこから飛躍的にバックラインから追い越していく攻撃性がフォーカスされるようになっていった。湘南ではJ2優勝やルヴァン杯優勝を勝ち取ると、2020年には前年にエウシーニョの穴を埋められず苦しんでいた川崎に移籍すると4バックの右SBとして大ブレイク。その時点で川崎は黄金期に脚を踏み入れてはいたが、黄金期を最後に完成させたのは山根だったと言える。特に右WGの家長とのラインは今や川崎の生命線とも言えて、川崎移籍後は毎年ベストイレブンにも選ばれるようになった。

元々は名門・東京ヴェルディの下部組織に所属していたがユース昇格は叶わず、ウィザス高校(現:第一学院高校)から桐蔭横浜大学に進学。両校ともサッカー選手を多く輩出しているが、ウィザス高校時代には東日本大震災の影響でサッカー部の活動が困難になった際に練習参加を受け入れてもらった縁からだそう。湘南時代に挙げた3得点のうち2得点は90+4分の決勝ゴールで、世紀の誤審からの逆転劇として今なお語り草となっている2019年浦和戦の逆転ゴールを叩き出したのも山根だった。

 

 

DF3 谷口彰悟

 

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生年月日:1991年7月25日

出身地:熊本県熊本市

所属チーム:川崎フロンターレ(2014〜)

過去の所属チーム:大津高校筑波大学

日本代表通算成績:14試合0得点

A代表デビュー:2015年6月11日 日本4-0イラク(キリンC杯)

カタールW杯予選成績:4試合0得点

W杯通算成績:初出場

 

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筑波大学時代から風間八宏監督の薫陶を受けて育った総合力の高さが際立つCB。2015年に代表デビューを果たしながら、その後はE-1選手権など国内組が対象の代表活動を除いて代表からは遠ざかっていた。黄金期を迎える川崎の中心ながらなかなか招集されない日々が続いていたが、2021年6月に代表復帰を果たすとそれ以降は森保ジャパンに定着した。最終予選では吉田と冨安の両CBが欠場という事態が発生した中国戦とサウジアラビア戦では先発に抜擢。特にサウジアラビア戦は最終予選の大一番と目されていたが、板倉とのCBコンビで見事なパフォーマンスを見せて予選突破に貢献し、31歳にして初の国際大会出場を勝ち取った。

風間→鬼木体制で目覚ましい発展と飛躍を遂げる川崎に於いてクラブの躍進の重要人物として君臨し続けており、川崎のポゼッションサッカーを成立させる上で谷口のビルドアップ能力とDFリーダーとしての統率力は不可欠。2022年シーズンのJリーグ優秀選手賞に於ける選手間投票では最多投票を獲得した。2014年のデビュー以降、全てのシーズンで30試合以上出場しているのはまさしく鉄人。ただし、2019年のルヴァン杯決勝や2020年の優勝決定戦ではDOGSOにより退場処分を受け、公式プロフィールでは「怖いもの」「嫌いなもの」の欄に「DOGSO」と回答する事が一種の定番ネタになった。本戦ではそうならないように…。ちなみに車屋紳太郎とは川崎どころか小学校から大学までずっとチームメイトで、代表初招集も同時だった。

J屈指のイケメン選手としても知られており、車屋曰く、高校の卒業式では女子生徒が長蛇の列を作っていたらしい。川崎の積極的過ぎるプロモーション活動でも重宝されており、バナナの被り物などコミカル路線の川崎の仮装シリーズの中でも2枚目役が割り当てられている。直前のリーグ戦で鼻骨を骨折してしまった事で今大会では黒のフェイスガードを着用するらしく、20年前の日韓W杯での宮本恒靖以来となるバットマンとして、既に「バッドマン・リターンズ」と言われ始めている。バットマンはイケメンCB。バイト探しはindeed

 

 

 

DF4 板倉滉

 

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生年月日:1997年1月27日

出身地:神奈川県横浜市

所属チーム:ボルシア・メンヒェングラードバッハ

過去の所属チーム:川崎フロンターレU-18川崎フロンターレ(2015〜2017)→ベガルタ仙台(2018)→FCフローニンゲン(2019.1〜20-21)→シャルケ04(21-22)

日本代表通算成績:13試合1得点

A代表デビュー:2019年6月20日 ウルグアイ2-2日本(コパアメリカ)

カタールW杯予選成績:4試合1得点

W杯通算成績:初出場

★2021年東京五輪出場

☆コパ・アメリカ2019出場

 

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ここ数年の日本代表の中でも著しい成長速度を遂げた選手の一人で、近年の日本代表に多くの選手を輩出している川崎産の選手。世代別日本代表では控えCBの時期も長かったが、2018年に仙台で本格ブレイクを果たすと、マンチェスター・シティと契約した上でレンタルでプレーしたオランダで大活躍。それと同時に代表での存在感を高めた。東京五輪でも現代表でも吉田&冨安のCBの控えという立ち位置であったが、冨安が欠場した準決勝スペイン戦では圧巻の働きを見せ、吉田と冨安が揃って欠場した最終予選の試合でも好パフォーマンスを披露。恵まれたフィジカルと川崎育ちらしい卓越した足元の技術今や日本代表を構成するにあたって欠かせない選手で、板倉のスタメン昇格を推す声も根強いし、実際に控えに置いておくには勿体無いほどのタレントである。

クラブレベルでも現在はまさに充実期を迎えている。最初に契約を果たしたマンCへの復帰こそ叶わなかったが、オランダのフローニンゲンで20-21シーズンのクラブ最優秀選手賞を受賞すると、翌年はブンデス2部のシャルケで2部優勝に貢献。今季からはドイツの強豪クラブであるボルシアMGに移籍し、各国の代表クラスが揃う同クラブでもレギュラーポジションを獲得。現地での評価は日に日に増し続けており、今の海外日本人選手で最もホットな選手の一人と言っても過言ではない。所属クラブでの試合中の怪我で9月の欧州遠征を欠場した際にはファンの背筋も凍ったものだが、なんとか間に合って本当に良かった…。

現在の日本代表の中でも社交的なタイプの選手として知られており、人間関係の押さえ具合はそのプレーエリアばりに広い。特に三笘とは小学校の時から親交があり、また東京五輪世代の代表のみならずフローニンゲン時代にチームメイトだった堂安律とは当時はほぼ毎日のように行動を共にし、シャルケで入れ違う形となった吉田とはいわゆるご近所さんである。川崎のジュニアのセレクションを受ける際、募集に気づいた時点で応募書類の締め切りが「翌日必着」だったらしく、郵送では間に合わないという事で大慌てで書類を整えた母親が川崎のクラブ事務所に直接書類を持っていった逸話がある。ちなみに小学校入学までは兵庫県西宮市に住んでおり、当初父親は野球をやらせたい意向もあったんだとか。なお、カルボナーラを作ろうとして卵がスクランブルエッグになる様をインスタライブで世界配信してしまった。

 

 

 

DF5 長友佑都

 

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生年月日:1986年9月12日

出身地:愛媛県東与市(現:西条市)

所属チーム:FC東京(2021.9〜)

過去の所属チーム:東福岡高校明治大学FC東京(2008〜2010.7)→ACチェゼーナ(2010.7〜2011.1)→インテル・ミラノ(2011.1〜2018.1)→ガラタサライSK(2018.1〜19-20)→オリンピック・マルセイユ(20-21)

日本代表通算成績:138試合4得点

A代表デビュー:2008年5月24日 日本1-0コートジボワール(キリンC杯)

カタールW杯予選成績:14試合1得点

W杯通算成績:11試合0得点(2010,2014,2018)

★2010年南アフリカW杯出場、2014年ブラジルW杯出場、2018年ロシアW杯出場

アジアカップ2011,2015,2019出場

★2008年北京五輪出場

 

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言わずと知れた日本サッカー史上最高のサイドバック。初出場の南アフリカW杯から実に4度目のW杯出場となったが、日本人選手でW杯に4回選ばれたのは川口能活、楢﨑正剛、川島永嗣、そして長友の4人だけ。即ち、フィールドプレーヤーとしては日本人で初めてW杯に4回出場する選手であり、1試合でも出場すれば現在川島、長谷部誠と並ぶ日本人選手のW杯出場試合数で単独1位となる。カナダ戦終了時点で積み上げた代表キャップ数は単独2位となる138試合であり、遠藤保仁の152試合を抜く可能性も決して非現実的ではない。

日本人として初めてのビッグクラブ移籍となったインテルへの衝撃の移籍から気が付けば11年が経った。日本代表が世代交代を図る中でも数少ないロシアW杯組として生き残り、アジア最終予選時には限界説や不要論も唱えられ、実際に全盛期のような爆発的なスピードとスタミナは無いが、老練な対人守備には磨きがかかっており、サウジアラビア戦やその後のブラジルとの親善試合など、相手のレベルが上がるに連れてその存在感を増して自身の必要性を内外に印象付けた事はもはや圧巻という他ない。2021年9月に11年に及ぶ欧州でのプレーを終えて復帰したFC東京でもアルベル監督の下でプレーの幅を広げており、ドイツの有名サイト「transfermarkt」が選ぶ「カタールW杯に出場するベテランベストイレブン」にも名を連ねた。

インテル時代にスナイデルカッサーノといった選手に舎弟のように可愛がられていたり、チーム内でお辞儀パフォーマンスを流行らせたりなどインテル時代に伝説を残しまくったように、規格外のコミュ力お化けである事は今や彼の代名詞にもなった。大卒ルーキーながら初めて代表に選ばれた際には、当時のエースである中村俊輔にストーカーばりに話を聞きに付いて回ったらしく、中村は先日の引退会見で「尊敬する後輩」として長友の名を挙げ、サッカーに対するハングリー精神を称賛した。若手との交流も積極的に図っており、若手を率いて筋トレやヨガ、コンディション調整に取り組む様は「長友塾」とも称される。コミュ力や強靭な精神力もさる事ながら平愛梨との交際報道時に発した「アモーレ」が流行語大賞のトップ10にノミネートされたり、自身のYouTube上で遠藤保仁のパスを「オムライス」と例える謎の表現をするなど、そのワードセンスも規格外。ただし、ロシアW杯前には衝撃を与えた金髪のスーパーサイヤ人ヘアも、2度目の今回は出国時に帽子を被って変に焦らしたせいかウケは前回ほどのインパクトはなかったと言わざるを得ない。

 

 

MF6 遠藤航

 

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生年月日:1993年2月9日

出身地:神奈川県横浜市

所属チーム:VfBシュトゥットガルト(19-20〜)

過去の所属チーム:湘南ベルマーレユース湘南ベルマーレ(2010〜2015)→浦和レッズ(2016〜2018.7)→シントトロイデンVV(18-19)

日本代表通算成績:43試合2得点

A代表デビュー:2015年8月2日 北朝鮮2-1日本(東アジア選手権)

カタールW杯予選成績:13試合1試合

W杯通算成績:0試合0得点(2018)

★2018年ロシアW杯出場

☆アジアカップ2019出場

★2016年リオデジャネイロ五輪出場2021年東京五輪(OA)出場

 

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今、「日本の心臓」というフレーズが最もしっくりくる男。日本の心臓という称号を継ぐ者が"遠藤"である事にはちょっとした感慨も感じる。DFとして招集はされながらも出場機会なく大会を終えたロシアW杯を経て発足した森保ジャパンでは、自身の本来の希望ポジションであるボランチのレギュラーとして森保監督就任直後のアジアカップから絶対的な存在として君臨しており、東京五輪にもオーバーエイジとして参加した。アジア最終予選で苦境に陥った森保監督が4-1-2-3への布陣変更に踏み切る事が出来たのも、遠藤という存在をアンカーとして置ける安心があった側面は大きい。湘南では19歳の時から主将を託され、リオ五輪世代の日本代表や現在所属するシュトゥットガルトでも主将を担っており、吉田が欠場した1月の最終予選でもキャプテンマークを巻いていた事から、吉田が退いた後の次期キャプテン筆頭候補でもある。

湘南ユース時代から当時トップチームの監督を務めていた反町康治監督、当時のユース監督で後のトップチーム監督となる曺貴裁監督の両名から高く評価され、18歳の2011年の時点からJ2で30試合以上に出場した。2016年にステップアップ移籍を果たした浦和で更に価値を高めるとロシアW杯終了後に海外移籍。シントトロイデンを経て移籍したシュトゥットガルトではデュアル勝利数がブンデスリーガでトップの数字を叩き出すなど絶対的な存在として扱われ、現地のファンからも「LEGEND」をもじって「LEGENDO」と称される。ちなみに、遠藤をベルギーからドイツに引っ張ってきたのはドルトムント時代にロベルト・レヴァンドフスキ香川真司、ピエール・オーバメヤンらの獲得で「ダイヤモンド・アイ」と称されたスヴェン・ミスリンタートで、SDを務める彼からは「ボス」と呼ばれているらしい。

横浜出身という事もあり、元々は横浜F・マリノスファンで日産スタジアムにも頻繁に通っていたが、マリノス下部組織のセレクションには悉く落選した(ちなみに伊東純也も同じ年に落選している)。その後、中学の部活動を経て曺監督にスカウトされる形で湘南ユースに入団し、そこからキャリアを飛躍的に加速させていった。義理堅い性格でもあり、今夏の帰国時にはクラブや出身地としての縁が無いにも関わらず、曺監督が在籍する京都サンガFCの練習場(しかも京都市じゃなくて城陽市)までわざわざ挨拶に赴いている。ロシアW杯のメンバーに選出された際には、かつて湘南の会長を務め現在も著名な湘南ファンとして知られる河野太郎外相(当時)が定例会見の場で「遠藤航君の活躍に期待したい」と名指しで述べた事が話題にもなった。比較的サッカー選手は早婚が多いが、遠藤は特に早く19歳で結婚し、26歳の時点で4児のパパである。

 

 

 

MF7 柴崎岳

 

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生年月日:1992年5月28日

出身地:青森県上北郡

所属チーム:CDレガネス(20-21〜)

過去の所属チーム:青森山田高校→鹿島アントラーズ(2011〜2016)→CDテネリフェ(2017.1〜2017.7)→ヘタフェCF(17-18〜18-19)→デポルティボ・ラ・コルーニャ(19-20)

日本代表通算成績:60試合3得点

A代表デビュー:2014年9月9日 日本2-2ベネズエラ(キリンC杯)

カタールW杯予選成績:11試合0得点

W杯通算成績:4試合0得点(2018)

★2018年ロシアW杯出場

アジアカップ2015,2019出場

★コパ・アメリカ2019出場

 

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前回のロシアW杯では日本のMVPクラスの活躍を披露した。遠藤保仁が名指しで後継者として指名したパサーであり、背番号も前回大会に続いて7番を背負う。森保監督の信頼も厚く、最終予選の中盤までは柴崎とハードワーカー(遠藤航橋本拳人)のWボランチが基本的な組み合わせとして定着していた。オーストラリア戦以降はレギュラーから落ち、最近の代表戦でのパフォーマンスや他の選手の台頭も相まって"不要論"が唱えられる機会も多かったが、カナダ戦では面目躍如の働きで相馬のゴールと山根の決定機を演出するなど評価を取り戻しつつある。

東京五輪世代の選手中心で挑んだコパ・アメリカの時も批判を受けていたが、同大会でも本番になれば圧巻の働きぶりを見せていた。思い返せば代表デビュー戦や1点ビハインドのアジアカップ2015準決勝でも得点を挙げており、鹿島時代には2012年のルヴァン杯決勝や2016年のクラブW杯決勝でレアル・マドリードから2点を奪うなど、大舞台でこそその真価を存分に発揮してくる勝負強さも持ち合わせていると言えよう。2部でこそあるが、日本人が鬼門としてきたスペインでコンスタントな活躍を長年続けている選手の一人でもあり、FCバルセロナレアル・マドリードの2クラブから得点を決めた唯一の日本人選手でもある。1992年生まれの選手は"プラチナ世代"と称されて期待されていたが、今大会では唯一のプラチナ世代からの選出となった。

妻は元ハロプロアイドルで、現在は女優の真野恵里菜ハロプロの中でもトップクラスの人気と知名度を誇る彼女との結婚だけでも話題になったが、まさか数年後、自身のポジションを脅かす若手選手が妻の直属の後輩アイドルになろうとは想像もしていなかった事だろう。それゆえにカナダ戦で柴崎と田中のボランチが組まれた時はちょっとばかしザワザワした。

 

 

 

MF8 堂安律

 

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生年月日:1998年6月16日

出身地:兵庫県尼崎市

所属チーム:フライブルクSC(22-23〜)

過去の所属チーム:ガンバ大阪ユースガンバ大阪(2015〜2017.6)→FCフローニンゲン(17-18〜18-19)→PSVアイントホーフェン(19-20)→アルミニア・ビーレフェルト(20-21)→PSVアイントホーフェン(21-22)

日本代表通算成績:29試合3得点

A代表デビュー:2018年9月11日 日本3-0コスタリカ(キリンC杯)

カタールW杯予選成績:4試合0得点

W杯通算成績:初出場

★アジアカップ2019出場

☆2021年東京五輪出場

 

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森保ジャパンの初陣で代表デビューを飾り、2021年の東京五輪では10番を背負ってプレーしたアタッカー。A代表での背番号は21番が定着していたが、本大会では親しい関係にある原口元気が付けていた8番を背負ってW杯に挑む。森保ジャパン初期は南野拓実中島翔哉と組んだ2列目が「三銃士」と称されるほどエース格の扱いを受けていたが、その後は伊東や鎌田の台頭もあって代表での序列は流動的になってはいるが、同じ右サイドを主戦場とする伊東が縦突破に長けたタイプであるのに対し、左利きの堂安はむしろ中に切れ込むタイプのプレーヤーであり、右SBの酒井と山根や似たタイプの久保らとの相性はすこぶる良く、特に東京五輪は久保と酒井とのコンビネーションは文字通りチームの生命線だった。堂安というポイントを一つ持ち合わせる事で、チームとしての幅は格段に広がる。

ガンバジュニアユース史上最強とも言われた世代(堂安がガンバJrユースの1年生だった時に3年生としてプレーしていたのが鎌田)でも中心を担い、高校2年生の2015年にACLFCソウル戦でデビュー。学年と対戦相手は堂安自身が「憧れ」と語る宇佐美貴史と全く同じシチュエーションだった事も話題になった。飛び級でのトップ昇格となった2016年こそ大半をU-23チームで過ごすが、そこで掴んだ自信と手応えで翌年からはレギュラーポジションを掴むようになると、そこからのキャリアはトントン拍子でステップアップ。フローニンゲンでは17-18シーズンのサポーターが選ぶMVPに輝くなどエース格として君臨し、名門PSVでもドイツからの復帰後はレギュラーとしてプレー。22-23シーズンからは、リーグとELでの躍進を目指すキーマンとしてフライブルクに移籍し、ここでもレギュラーとして欠かせない存在として活躍中である。ちなみに、セレッソのセレクションに落ちて「セレッソのオファーを1秒で断る事」を目標にし、実際にセレッソのオファーを断ってガンバのアカデミーに加入したのは今となっては有名な逸話となったが、この背景としては当時、実兄の堂安憂(元AC長野パルセイロ)がセレッソのアカデミーでプレーしていた影響もある。

野球好きの一面もあるが、兵庫県尼崎市(阪神甲子園球場のある西宮市の隣市)出身ながら阪神ではなく大の巨人ファンで、とあるTV番組の取材では嬉々としながら阿部慎之助のバッティングフォームの真似を披露していた。トップチームでのプレーは1年半ながらガンバへの愛着は深く「ガンバへの想いを形にする活動をしたい」という考えから、2022年よりガンバのホームゲームでは堂安シートが設置されている。自身のYouTubeチャンネルを持っており、オフシーズンには企画動画を撮影したりもしているが、堂安がチャンネルを持っている事実が余りにも浸透しておらず若干苦戦気味(動画自体は結構面白い)。スポーツショップでプーマ商品を購入した客の代金を全部支払うドッキリ企画では、堂安のユニフォームを持っているというガンバファンの会計をする際に「『VISAで』って言わないんですか?」とイジられていた。

 

 

MF9 三笘薫

 

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生年月日:1997年5月20日

出身地:神奈川県川崎市

所属チーム:ブライトン&ホーヴ・アルビオンFC(22-23〜)

過去の所属チーム:川崎フロンターレU-18筑波大学川崎フロンターレ(2019〜2021.8)→ユニオン・サンジロワーズ(21-22)

日本代表通算成績:9試合5得点

A代表デビュー:2021年11月16日 オマーン0-1日本(アジア最終予選)

カタールW杯予選成績:3試合2得点

W杯通算成績:初出場

★2021年東京五輪出場

 

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今大会の日本代表に於ける、まさしく主役候補と呼べる選手と言えるウインガー。三笘がブレイクした直後はコロナ禍の影響による代表活動自体がストップや東京五輪世代としての活動優先となった事でA代表デビューは若干遅れる形になったが、デビュー戦のオマーン戦終了間際で伊東の決勝ゴールをアシストすると、W杯出場の懸かったオーストラリア戦では終盤からピッチに入り、そのままの勢いで2得点を叩き出すあまりにも決定的すぎる仕事を果たしてみせた。その後も9試合で5得点と得点率は50%を超えており、その強烈な活躍ぶりは実力と調子を素直に評価して先発で使うべきなのか、その圧倒的なインパクトをジョーカーとして使うべきべきかで識者の意見も分かれている。東京五輪では期待されながらもコンディションの問題で消化不良に終わっただけに、今回こそ正真正銘の主役になりたい。

近年のJリーグを支配する勢いだった川崎フロンターレの象徴的な存在であり、数多のJクラブを恐怖に陥れてきた。ウインガーとしてのドリブルの緩急と推進力は異次元で、三笘のブレイクと共にチームとして1ステージ上に上がったような川崎は「Jリーグ史上最強」とも叫ばられるスカッドを三笘の入団で完成させたと言える。欧州移籍後も初年度はベルギーのサンジロワーズを1部昇格1年目からレギュラーシーズン優勝(最終成績としては2位)に導く活躍を見せ、満を持して契約元であるプレミアリーグのブライトンでイングランドデビューを果たすと、躍進著しいブライトンの中でも一目置かれる存在として、イングランドの中でもインパクトと話題を巻き起こす…まさしく今、この国で最もホットな存在と言えるアタッカーだろう。

川崎ユース卒業後は筑波大学に進学し、大学サッカーでのプレーを経て川崎に入団した。通常、このパターンの選手はトップチーム昇格が認められなくて大学サッカーに進んだ選手が大半だが、三笘の場合は川崎からトップ昇格のオファーを受けているにも関わらず、大学進学とトップ昇格のオファーを異なる決断を下し、見事それを結果という形で結実させている。川崎公式サイトでのプロフィールでは、容姿の気に入っているところもコンプレックスも「まゆげ」と書いていた。小学校の頃はマンションの隣に住んでいたのが俳優の松重豊で、両親が留守の時は松重宅で帰宅までの時間を潰していたエピソードはよく語られる。また、川崎の下部組織に在籍していた小学生時代に中村憲剛エスコートキッズで入場する写真が残されている。

 

 

 

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ではでは(´∀`)