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【あれから15年…】15周年記念、北京五輪サッカー男子日本代表選手名鑑 vol.3

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マカーイいたなあ…

 

どーもこんばんは

 

さてさて、8月13日、今日は何の日。北京五輪サッカー競技の日本vsオランダの試合から15年が経ちました。既に敗退が決まった日本は最後の戦いを目指しましたが、惜しくもこの日の敗戦で3戦全敗という思い結果を背負う事になりました。

 

 

あれから15年。

引退する者も多くなりました。一方で未だにプレーするものもあり、カタールW杯にも出場した者もあり。という訳で今回は数回前のブログの続編という事で、北京五輪15周年という事で、当時のメンバー18人の選手名鑑を作ってみたいと思います。

 

Vol.1 / Vol.2 / Vol.3 / Vol.4

 

 

Jリーグ30周年記念特集こちらから!

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

【2008年北京オリンピック 男子サッカー日本代表

 

《スタッフ》

監督:反町康治

コーチ:江尻篤彦

コーチ:井原正巳

GKコーチ:川俣則幸

フィジカルコーチ:矢部由治

 

《登録選手》

GK1 西川周作(大分トリニータ)

MF2 細貝萌(浦和レッズ)

DF3 吉田麻也(名古屋グランパス)

DF4 水本裕貴(京都サンガFC)

DF5 長友佑都(FC東京)

DF6 森重真人(大分トリニータ)

DF7 内田篤人(鹿島アントラーズ)

MF8 本田圭佑(VVVフェンロ)

FW9 豊田陽平(モンテディオ山形)

MF10 梶山陽平(FC東京)

FW11 岡崎慎司(清水エスパルス)

MF12 谷口博之(川崎フロンターレ)

DF13 安田理大(ガンバ大阪)

MF14 香川真司(セレッソ大阪)

FW15 森本貴幸(カターニア)

MF16 本田拓也(清水エスパルス)

FW17 李忠成(柏レイソル)

GK18 山本海人(清水エスパルス)

 

《バックアップメンバー》

GK 林彰洋(流通経済大学)

DF 青山直晃(清水エスパルス)

MF 上田康太(ジュビロ磐田)

MF 梅崎司(大分トリニータ)

 

 

《試合結果》

第1戦 vsアメリカ●0-1@天津

第2戦 vsナイジェリア●1-2(得点者:豊田)@天津

第3戦 vsオランダ●0-1@瀋陽

 

 

 

FW11 岡崎慎司

(清水エスパルス)

北京五輪予選参加メンバー

 

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生年月日:1986年4月16日

出身地:兵庫県宝塚市

北京五輪での成績:3試合(先発1)

現在の所属チーム:シントトロイデンVV(22/23〜)

過去の所属チーム:滝川第二高校→清水エスパルス(2005-2010)→VfBシュトゥットガルト(2010.1-12/13)→1.FCマインツ(13/14-14/15)→レスター・シティ(15/16-18/19)→SDウエスカ(19/20-20/21)→FCカルタヘナ(21/22)

日本代表通算成績:119試合50得点(2008-2019)

★2010年南アフリカW杯,2014年ブラジルW杯,2018年ロシアW杯出場

アジアカップ出場(2011,2015)

 

2005年に清水に入団した当初はFWの8番手という立ち位置だったが、当時の長谷川健太監督体制での若手を積極起用しながら躍進する流れを逃さず2007年から出場機会が増加。五輪代表には最終予選から帯同するようになり、当初は平山相太カレン・ロバートが絶対的な存在と目されていたFW争いを勝ち抜いてメンバー入りを果たした。

当時のFWはCFタイプが多かった中で2列目やサイドもこなせる事から有効な交代カードとして重宝されたが、チーム同様に不完全燃焼の大会として終わった。だが大会直後にA代表デビューを果たすと、2009年にはレギュラー格にまで台頭し、五輪メンバーでは内田長友に次ぐ早さでA代表での立ち位置を築く。その後は日本代表では歴代3位となる50得点を挙げ、13-14シーズンでは欧州主要リーグに於ける日本人最多得点記録も樹立。プレミアリーグ史に残る奇跡とされるレスター・シティの優勝にもレギュラーとして貢献するなど、日本人FWとしては歴代最高と呼ぶべきキャリアを築いた。37歳になった今年もベルギーリーグで主力を張っている。

ちなみに、北京五輪メンバー発表の1週間後に入籍している。

 

 

 

MF12 谷口博之

(川崎フロンターレ)

北京五輪予選参加メンバー

 

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生年月日:1985年6月27日

出身地:神奈川県横須賀市

北京五輪での成績:3試合(先発3)

過去の所属チーム:横浜F・マリノスユース川崎フロンターレ(2004-2010)→横浜F・マリノス(2011-2012)→柏レイソル(2013)→サガン鳥栖(2014-2019)

日本代表通算成績:0試合0得点(2009-2012)

 

マリノスユースからトップへの昇格は逃したが、卒団と共に当時J2の川崎がオファーを出す形で2004年にプロ入り。同年から監督に就任した関塚隆監督に中村憲剛とコンビを組む形でボランチを任されると、恵まれたフィジカルと得点能力を兼ねた大型ボランチとして川崎の第一次黄金期の確率に貢献。2006年にはボランチながら13得点を叩き出してベストイレブンを受賞したが、これは北京五輪世代の選手としてはベストイレブン第1号となった。

五輪予選にはそこまで深くは関わっていないが、五輪本戦では全3試合に先発出場。第2戦のナイジェリア戦では自ら持ち上がって日本唯一の得点となる豊田のゴールをアシストしたので、日本で唯一のアシストを記録したのが谷口という事になる。最終的にキャップはつかなかったが岡田ジャパンザックジャパンの招集歴があり、現在は2019年に引退した鳥栖で強化スタッフとして活動。ちなみに、16シーズンに及ぶプロキャリアの全シーズンで背番号29を貫き通した。

 

 

 

DF13 安田理大

(ガンバ大阪)

2007 FIFA U-20ワールドカップメンバー

北京五輪予選参加メンバー

 

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生年月日:1987年12月20日

出身地:大阪府吹田市

北京五輪での成績:1試合(先発1)

過去の所属チーム:ガンバ大阪ユースガンバ大阪(2006-2010)→SBVフィテッセ(2011.1-12/13)→ジュビロ磐田(2013.9-2013.12)→サガン鳥栖(2014)→ヴィッセル神戸(2015)→名古屋グランパス(2016)→釜山アイパーク(2017)→アルビレックス新潟(2018)→ジェフユナイテッド千葉(2019.4-2021)→松本山雅FC(2022)

日本代表通算成績:7試合1得点(2008-2011)

 

ガンバユース時代から将来を嘱望され、ポジションをMFからSBに移して本格ブレイク。西野朗監督率いる黄金期ガンバの超攻撃的SBとして活躍し、既にA代表デビューを果たしており、一時は「内田と安田でSBは10年安泰」とも言われていた。2007年のワールドユースに出場した、いわゆる調子乗り世代の一人。

ただし、五輪代表では必ずしも目立った活躍を残せていた訳ではなく、本戦も先発でこそあったが出場はナイジェリア戦のみで、レギュラーは長友に譲る形になった。それでも同年にはガンバでACL制覇を達成し、日本代表定着には至らなかったが海外も含めて様々なクラブでプレー。オランダでも一定の結果は残している。2022年の引退後は現役時代から持ち前だった明るいキャラクターと軽快なトークで各種メディアに出演しており、特にガンバジュニアユース時代の家長昭博本田圭佑を語る姿はもはや語り部

なおJ1初ゴールは2010年に記録しているが、J1初ゴールより先にナビスコ杯決勝、ACL決勝、A代表初ゴールを決めるという稀有な記録を有しており、特にナビスコ杯決勝では20歳安田のプロ初ゴールで1-0で勝利した。キャンドル・ジュンとはメル友関係。

 

 

 

MF14 香川真司

(セレッソ大阪)

2007 FIFA U-20ワールドカップメンバー

 

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生年月日:1989年3月17日

出身地:兵庫県神戸市

北京五輪での成績:3試合(先発2)

現在の所属チーム:セレッソ大阪(2023〜)

過去の所属チーム:FCみやぎバルセロナユース→セレッソ大阪(2006-2010.5)→ボルシア・ドルトムント(10/11-11/12)→マンチェスター・ユナイテッド(12/13-13/14)→ボルシア・ドルトムント(14/15-2019.1)→ベシクタシュJK(2019.1-2019.6)→レアル・サラゴサ(19/20-2020.10)→PAOKテッサロニキ(2021.1-2021.12)→シントトロイデンVV(2022.1-2023.1)

日本代表通算成績:97試合31得点(2008-2019)

★2014年ブラジルW杯,2018年ロシアW杯出場

アジアカップ出場(2011,2015)

 

Jクラブのユース所属選手以外では異例中の異例となる高校在学中にC大阪入団を決めたのが2006年。当初はボランチやSBをたらい回しにされる時期が続いたが、2007年途中から就任したクルピ監督が攻撃的MFとして抜擢すると当時のC大阪はJ2だったが圧倒的なインパクトを誇示。五輪前の5月には長友と同じ試合でA代表デビューも飾り、これが平成生まれの選手として日本代表第1号となった。本来は北京世代ではなくロンドン世代にあたるが、ロンドン世代から唯一の飛び級参加で北京五輪の切符を掴み、レギュラー格として起用されたが(ただし早生まれの為、学年では北京世代に入る1988年生まれの代になる)。だが結果は残せず、ほかの多くの選手と同様に失意を抱いて帰国の途についている。

C大阪では2010年途中までプレーし、そこからはドルトムントへ海外移籍。そこから日本代表10番として君臨するようになった香川だが、ドルトムント時代の香川はまさしく「日本人選手が欧州の舞台で最も高みに手をかけた瞬間」と言えて、2冠を達成した11-12シーズンの活躍はメッシ、C・ロナウド、シャビ、ピルロなど錚々たるメンツと共に欧州年間ベスト11にも輝いた。これは今現在に至るまでアジア人選手唯一の選出となっている。

マンU退団後は怪我にも苦しめられるキャリアになりながらも欧州でのプレーを模索していたが、今季から古巣のセレッソで遂にJリーグ復帰。怪我で満足に出場できないシーズンが続いていたのでコンディションや試合勘の面は不安視されたが、当時のようなアタッカーというよりはゲームメーカーとして圧倒的な存在感を既に放っている。

 

 

 

FW15 森本貴幸

(カルチョ・カターニャ)

2005年ワールドユースメンバー

 

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生年月日:1988年5月7日

出身地:神奈川県川崎市

北京五輪での成績:2試合(先発1)

現在の所属チーム:台中Futuro(2022.5〜)

過去の所属チーム:東京ヴェルディユース東京ヴェルディ1969(2004.5-2006.8)→カルチョ・カターニャ(06/07-10/11)→ノヴァーラ・カルチョ(11/12)→カルチョ・カターニャ(12/13)→ジェフユナイテッド千葉(2013.8-2015)→川崎フロンターレ(2016-2017)→アビスパ福岡(2018-2020.9)→AEPコザニ(2020.10-2021.1)→スポルティボ・ルケーニョ(2021.2-2021.6)

日本代表通算成績:10試合3得点(2009-2012)

★2010年南アフリカW杯出場

 

多くの名選手を輩出してきたヴェルディユースだが、この男を超える衝撃は後にも先にもないだろう。飛び級デビューは少なくないが、その多くがユースからの昇格であるのに対し、森本はジュニアユース…即ち中学生でJ1デビューを果たし、更に15歳にして22試合4得点と主力としてプレーした。そういうキャリアゆえに、森本に関しては存在自体を伝説と呼ぶのが正しいのかもしれない。

2006年からイタリアのカターニャに移籍すると、セリエAで若くして一定の出場機会を得て、北京五輪後のシーズンでは7得点を記録するなど今ほど若手選手の海外移籍が活発でなかった時代にトップリーグインパクトを残した選手の一人。だが本田圭佑と2人だけの海外組として挑んだ北京五輪では先発も初戦のアメリカ戦のみとなり、不完全燃焼で大会を去っている。

イタリアを去ってからは若干トラブルメーカー的な部分もあったが、川崎ではJ1優勝を経験するなどJリーグでもコンスタントに活躍しながら世界各国でもプレー。現在は台湾でプレーしているが、4部クラブへの移籍でイタリア復帰も噂されている。

 

 

 

vol.4に続く!

 

 

ではでは(´∀`)