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【代表サバイバル最終盤】2010年南アフリカW杯の当落線上で落選してしまったメンバーベストイレブン

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いよいよ来週!

 

どーもこんばんは

 

さてさて、カタールW杯までいよいよ残り1ヶ月です。

森保一監督率いる日本代表のW杯メンバー発表はいよいよ1週間前。特に当落線上の選手にとっては、まさしく今は刻まれるカウントダウンにドキドキしている事でしょう。

という訳で、今回もW杯の日本代表にちなんだ連載企画をば。

 

 

「サプライズ選出」───W杯メンバーの発表が近付く度に、様々なメディアで度々耳にするフレーズです。印象的なところで言えば2002年の中山雅史秋田豊、2006年の巻誠一郎、2010年の川口能活、2014年の大久保嘉人辺りでしょうか。彼らは次の日のスポーツ新聞を賑わせ、次のトピックが来るまでは、選考の話題を独り占めする事になります。

一方、一人滑り込んだ人間がいるという事は、同時に一人滑り落ちてしまった当落線上の人間がいる…という訳で。しかし、W杯メンバーまであと一歩のところまで迫った時点でその選手は言うまでもなく時代を代表する名選手です。という訳で今回からは、過去の日本代表のW杯メンバーに於いて、当落線上にいながら落選してしまった、或いは出場確実とされながら怪我等で大会参加が叶わなかった選手で11人を組み、各大会の裏ジャパンを作ってみたいと思います。

 

 

第4回は南アフリカW杯編です。

失意のドイツW杯を終え、当時千葉でセンセーショナルなサッカーを繰り広げていたオシム監督の下で「日本代表の日本化」を掲げて南アフリカへの冒険はスタートしました。しかし折り返し地点が近づいた2007年末に、オシム監督が病に倒れた事で岡田監督が緊急登板。苦しみながらもメンバーを固め、有機的なフットボールを目指して最終選考の23名を選出。もちろん、オシム監督→岡田監督への交代で招集された・されなくなった選手もいたところが各々の運命を分けた部分もあったのでしょう。

基本的にジーコジャパンのドイツW杯は日韓W杯メンバーが中心でしたが、オシム監督体制で大幅なメンバー変更が行われた事もあり、前回大会とはかなり違う顔触れになった事も特徴的でしょうか。サプライズとして矢野、そしてベテラン枠の川口が驚きを持って伝えられました。

 

1998年フランスW杯編

2002年日韓W杯編

2006年ドイツW杯編

2010年南アフリカW杯編

2014年ブラジルW杯編

2018年ロシアW杯編

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

2010年南アフリカW杯日本代表メンバー

監督:岡田武史

コーチ:大木武

コーチ:大熊清

コーチ:小倉勉

GKコーチ:加藤好男

 

第1戦 vsカメルーン○1-0(得点者:本田圭佑)

第2戦 vsオランダ●0-1

第3戦 vsデンマーク○3-1(得点者:本田圭佑遠藤保仁岡崎慎司)

ベスト16 vsパラグアイ▲0(3PK5)0

 

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GK1 楢﨑正剛(名古屋グランパス)

MF2 阿部勇樹(浦和レッズ)

DF3 駒野友一(ジュビロ磐田)

DF4 田中マルクス闘莉王(浦和レッズ)

DF5 長友佑都(FC東京)

DF6 内田篤人(鹿島アントラーズ)

MF7 遠藤保仁(ガンバ大阪)

MF8 松井大輔(グルノーブル・フット38)

FW9 岡崎慎司(清水エスパルス)

MF10 中村俊輔(横浜F・マリノス)

FW11 玉田圭司(名古屋グランパス)

FW12 矢野貴章(アルビレックス新潟)

DF13 岩政大樹(鹿島アントラーズ)

MF14 中村憲剛(川崎フロンターレ)

DF15 今野泰幸(FC東京)

FW16 大久保嘉人(ヴィッセル神戸)

MF17 長谷部誠(VfLヴォルフスブルク)

MF18 本田圭佑(CSKAモスクワ)

FW19 森本貴幸(カターニア)

MF20 稲本潤一(川崎フロンターレ)

GK21 川島永嗣(川崎フロンターレ)

DF22 中澤佑二(横浜F・マリノス)

GK23 川口能活(ジュビロ磐田)

 

 

 

南アフリカW杯の当落線上で落選してしまったメンバーベストイレブン

 

※システムやフォーメーションは当時の代表と異なる場合があります。

 

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GK 西川周作

 

生年月日:1986年6月18日

当時の所属チーム:サンフレッチェ広島

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:2014年ブラジルW杯

日本代表通算成績:31試合0得点(2009〜2021)

★2008年北京五輪出場

☆予備登録メンバー選出

 

北京五輪代表の守護神で、若くして台頭した事もあり、オシムジャパン時代から散発的に日本代表メンバーに選ばれていた中で、最終予選が終わった辺りからは第3GKの枠で定着しており、GKは楢﨑・川島・西川の3人で当確と目されていた。

しかし岡田監督は、チームリーダーの役割を期待して川口のサプライズ選出を決断。川口は第3GKの枠として滑り込む形になった為、西川が弾き出される格好になった。当時チームメイトだった槙野曰く、西川は当確と目されていた背景もあり、既にクラブハウスから会見場を設けたホテルに向かう道中だったという。

 

DF 栗原勇蔵

 

生年月日:1983年9月18日

当時の所属チーム:横浜F・マリノス

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:20試合3得点(2006〜2013)

 

岡田監督がマリノスで監督を務めていた頃に台頭した大型CB。オシムジャパンの初陣となるトリニダード・トバゴ戦でデビューして以来代表からは外れていたが、W杯メンバー発表前最後の試合となるセルビア戦のタイミングで恩師が率いる代表チームに復帰を果たした。

しかしチームも栗原自身も低調なパフォーマンスに終わり、先発した栗原はハーフタイムで途中交代。長身CBの控えCB枠には岩政が入る事になった。

 

DF 徳永悠平

 

生年月日:1983年9月25日

当時の所属チーム:FC東京

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:9試合0得点(2009〜2013)

★予備登録メンバー選出

 

最終予選終了後に初招集されると、守備的なポジションならどこでもこなせるユーティリティ性と高い守備力が評価され、当時はやや守備やフィジカル面に難点があった内田を追う立場として猛アピール。事実、W杯メンバー発表前の2010年の代表活動にはコンスタントに参加していた。

最終的にはメンバーには選ばれず、予備登録メンバーでの選出に留まる。しかし大会直前の守備的な戦術への変更を見ると、もしあの決断がメンバー発表前に行われていた場合、徳永はメンバーに加わっていた可能性も否定出来ない。

 

DF 槙野智章

 

生年月日:1987年5月11日

当時の所属チーム:サンフレッチェ広島

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:2018年ロシアW杯

日本代表通算成績:38試合4得点(2009〜2019)

アジア最終予選参加

☆予備登録メンバー選出

 

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の下で「超攻撃的DF」として覚醒。当時の若手ホープ的なDFであり、出場機会こそなかったが、終盤は最終予選にも帯同した。所属する広島でも2009年にリーグで8得点を叩き出しており、ポテンシャルとオプションとしての価値に賭けてメンバー入りを推す声も多かった。

しかし、最終的には栗原と同様に岩政との争いに敗れる形になり落選。予備登録メンバーには選ばれたが、W杯出場は2大会後のロシアW杯まで待つ事となる。

 

 

MF 小笠原満男

 

生年月日:1979年4月5日

当時の所属チーム:鹿島アントラーズ

それ以前のW杯出場:2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:55試合7得点(2002〜2009)

★予備登録メンバー選出

 

2度のW杯出場を経験した日本サッカー界屈指の名MF。ドイツW杯以降は暫く日本代表から遠ざかっていたが、海外移籍を経て復帰した鹿島では攻撃的MFからボランチにポジションを変え、ドイツW杯前とは異なるプレースタイルで圧倒的な存在感を見せた。

鹿島の3連覇や2009年のJリーグMVPに選出された活躍もあって2010年から代表に復帰。同年の東アジア選手権にも参加し、ある種最後の切り札的にチャンスを得たが、ボランチの枠としてはレギュラーの遠藤と長谷部に加え、阿部や中村憲剛、稲本の存在もあって予備登録メンバーに留まった。

 

MF 橋本英郎

 

生年月日:1979年5月21日

当時の所属チーム:ガンバ大阪

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:15試合0得点(2007〜2010)

アジアカップ2007出場

アジア最終予選参加

 

当時黄金期を迎えていたガンバで「黄金の中盤」の一角を担い、先発機会は少なかったが、オシムジャパンの時代からいわゆる常連組でオシム体制でのアジアカップにも参加していた。

所属クラブでも好調を維持しており、最終予選も控えボランチとして常に帯同するなど岡田ジャパンでも継続的に招集されていたが、同年代の稲本と小笠原の序列が再び上がった事に伴い序列が再び低下。最終的に2010年になる頃には代表から遠ざかる事となってしまった。

 

MF 石川直宏

 

生年月日:1981年5月12日

当時の所属チーム:FC東京

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:6試合0得点(2003〜2012)

★予備登録メンバー選出

 

右サイドのスペシャリストとして有名なアタッカー。そのキャリアは常に怪我と隣り合わせで、W杯前年にも負傷で短くない期間を離脱していたが、それを差し引いても2009年には圧巻のパフォーマンスを披露しており、ベストイレブンにも選出されていた。

前述の徳永や小笠原のように、最終予選終了後から本格的な代表復帰を果たし、直前の親善試合となったセルビア戦ではチームとしての体たらくに方々から猛批判が寄せられたものの、その中で石川は唯一好印象を残した選手だった事もあり、前年の好調もあってメンバー入りが期待された。ただ最終的には予備登録メンバーに終わり、FC東京でチームメイトだった長友は取材の際に石川の落選を嘆いていた。

 

MF 鈴木啓太

 

生年月日:1981年7月8日

当時の所属チーム:浦和レッズ

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:28試合0得点(2006〜2008)

 

2008年6月を最後に代表からは遠ざかっていた為、当落線上にいたという選手ではなく、W杯直前の時点でメンバー入りの可能性はほぼゼロに近かったが、企画趣旨的には言及しておくべき選手で、オシム監督から岡田監督への不慮の監督交代によって運命が変わってしまった選手の一人と言える。

オシム体制では「水を運ぶ人」と称され、中村俊輔遠藤保仁中村憲剛と組む中盤の守備のタスクを一身に担い、レギュラーどころかオシムジャパンの最重要選手という認識も持たれていた。しかし監督が岡田監督に代わると、当初は招集されていたが、自身のコンディション不良と浦和時代にコンビを組んだ長谷部の台頭、更に岡田監督が戦い方を変更した時期が重なり、そこから代表に遠ざかっていく事となった。

 

MF 香川真司

 

生年月日:1989年3月17日

当時の所属チーム:セレッソ大阪

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:2014年ブラジルW杯、2018年ロシアW杯

日本代表通算成績:97試合31得点(2008〜2019)

★2008年北京五輪出場

アジア最終予選参加

★予備登録メンバー選出

 

代表デビューの時点で19歳かつ、当時所属していたC大阪はJ2にいながらも、その爆発的な才能とポテンシャルを買われて岡田ジャパンの常連となった。ベンチスタートが多かったがスタメン出場する機会も少なくなく、最終予選でも一部の試合では先発で出場しており、2010年にはJ1に昇格したセレッソでも好調を維持していた事からメンバー入りが有力視されていた。

しかし、最終メンバーを選ぶにあたって、岡田監督の「より戦える選手(よりチームの為に自己犠牲を払える選手)を選ぶ」という方針の下で落選。W杯にはサポートメンバーとして帯同した。結果的にこの後、大幅な戦術変更を行う上ではベターな選択とはなったが、サポートメンバーとしてチーム練習に参加する中で見せたキレキレの動きは関係者に未練を抱かせるほどのプレーぶりだったという。

大会後、香川はボルシア・ドルトムントへの移籍で海外挑戦を果たし、そこでブレイク。サポートメンバーとして活動する中で得た屈辱と手応えと経験は、後のキャリアのターニングポイントになっていった。

 

FW 佐藤寿人

 

生年月日:1982年3月12日

当時の所属チーム:サンフレッチェ広島

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:31試合4得点(2006〜2010)

アジアカップ2007出場

アジア最終予選参加

 

Jリーグの歴史の中で圧倒的な成績を残してきたストライカーの一人で、J2でプレーした2004年を含めれば6シーズン連続(最終的には11シーズン連続)で二桁得点を記録し続けており、ドイツW杯直前に代表デビューを果たすと、オシムジャパンでは常連メンバーとしてアジアカップ2007にも出場していた。

広島がJ2でのプレーを余儀なくされていた2008年も変わらず招集されていたが、2009年に入ると岡崎や森本、興梠慎三の台頭もあって代表から外れるケースも出始めた。それでも2010年までコンスタントにメンバーには名前を連ねていたが、純粋なストライカータイプゆえにやや起用法に詰まる形となってしまい、東アジア選手権以降は代表を外れる形となった。このジレンマは続くザックジャパンでも抱える事となる。

 

FW 田中達也

 

生年月日:1982年11月

当時の所属チーム:浦和レッズ

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:16試合3得点

アジア最終予選参加

☆予備登録メンバー選出

 

かつて浦和で「ワンダーボーイ」とも称された快速FW。2005年に負った大怪我により期待されたドイツW杯出場は逃したが、オシムジャパンに入ってから復帰すると、常に怪我と隣り合わせのキャリアを過ごしながらも岡田ジャパンでは一時期は定位置を得ており、最終予選も前半戦ではFWのレギュラーとして岡田監督の進退をも囁かれたカタール戦では貴重な先制点を挙げた。

ただ、前述のように最終メンバーに入った岡崎や森本を始め、佐藤や興梠、前田遼一といったメンバーとの戦いの中で、自身が怪我との隣り合わせのキャリアを強いられた事もあって代表から遠ざかっていく。予備登録メンバーには選ばれたが、悲願のW杯出場は果たせなかった。

 

NEXT WORLD CUP

 

みんなでやったー

\チャバララダンスー/

ではでは(´∀`)