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【代表サバイバル最終盤】2014年ブラジルW杯の当落線上で落選してしまったメンバーベストイレブン

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伊藤でイトゥ

伊東でイトゥ

 

どーもこんばんは

 

ひっでえ出だし…

 

さてさて、カタールW杯までいよいよ残り1ヶ月です。

森保一監督率いる日本代表のW杯メンバー発表はいよいよ1週間前。特に当落線上の選手にとっては、まさしく今は刻まれるカウントダウンにドキドキしている事でしょう。

という訳で、今回もW杯の日本代表にちなんだ連載企画をば。

 

 

「サプライズ選出」───W杯メンバーの発表が近付く度に、様々なメディアで度々耳にするフレーズです。印象的なところで言えば2002年の中山雅史秋田豊、2006年の巻誠一郎、2010年の川口能活、2014年の大久保嘉人辺りでしょうか。彼らは次の日のスポーツ新聞を賑わせ、次のトピックが来るまでは、選考の話題を独り占めする事になります。

一方、一人滑り込んだ人間がいるという事は、同時に一人滑り落ちてしまった当落線上の人間がいる…という訳で。しかし、W杯メンバーまであと一歩のところまで迫った時点でその選手は言うまでもなく時代を代表する名選手です。という訳で今回からは、過去の日本代表のW杯メンバーに於いて、当落線上にいながら落選してしまった、或いは出場確実とされながら怪我等で大会参加が叶わなかった選手で11人を組み、各大会の裏ジャパンを作ってみたいと思います。

 

 

第5回はブラジルW杯編です。

南アフリカW杯での成功と課題を経て誕生したザックジャパンでしたが、南アフリカW杯で活躍した多くの選手が欧州進出を果たし、名実ともに彼らが主軸となって迎えた代表チームも初陣のアルゼンチン戦に勝利すると、アジアカップ2011でも優勝。長友、香川、本田は少し前までは考えられなかったようなビッグクラブへ移籍し、スペクタクルなポゼッションサッカーを見せた当時の代表チームの完成度・タレント性・人気はまさしく日本代表史上最強と言っても過言ではないものでした。しかし結果は……。

代表メンバーに関しては、2013年のコンフェデ杯まではほぼほぼ同じ11名どころか大体同じ23名が選ばれていたものの、コンフェデ杯後に国内組だけで挑んだ東アジア選手権を機にメンバーの入れ替えを敢行。ここで台頭し、一気にメンバーに食い込んできたロンドン五輪世代の選手がいた一方で、これまでレギュラー・準レギュラー格だった選手が外れるなど、メンバー選考はコンフェデ杯以前・コンフェデ杯以後が一つのポイントにもなりました。

 

1998年フランスW杯編

2002年日韓W杯編

2006年ドイツW杯編

2010年南アフリカW杯編

2014年ブラジルW杯編

2018年ロシアW杯編

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

2014年ブラジルW杯日本代表メンバー

監督:アルベルト・ザッケローニ

コーチ:ステファノ・アグレスティ

コーチ:和田一郎

GKコーチ:マウリツィオ・グイード

フィジカルコーチ:エウジェニオ・アルバレッラ

コンディショニングコーチ:早川直樹

 

第1戦 vsコートジボワール●1-2(得点者:本田圭佑)

第2戦 vsギリシャ△0-0

第3戦 vsコロンビア●1-4(得点者:岡崎慎司)

 

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GK1 川島永嗣(スタンダール・リエージュ)

DF2 内田篤人(シャルケ04)

DF3 酒井高徳(VfBシュトゥットガルト)

FW4 本田圭佑(ACミラン)

DF5 長友佑都(インテル・ミラノ)

DF6 森重真人(FC東京)

MF7 遠藤保仁(ガンバ大阪)

MF8 清武弘嗣(1.FCニュルンベルク)

FW9 岡崎慎司(1.FCマインツ)

FW10 香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)

FW11 柿谷曜一朗(セレッソ大阪)

GK12 西川周作(浦和レッズ)

FW13 大久保嘉人(川崎フロンターレ)

MF14 青山敏弘(サンフレッチェ広島)

DF15 今野泰幸(ガンバ大阪)

MF16 山口蛍(セレッソ大阪)

MF17 長谷部誠(1.FCニュルンベルク)

FW18 大迫勇也(1860ミュンヘン)

DF19 伊野波雅彦(ジュビロ磐田)

FW20 齋藤学(横浜F・マリノス)

DF21 酒井宏樹(ハノーファー96)

DF22 吉田麻也(サウサンプトン)

GK23 権田修一(FC東京)

 

 

 

ブラジルW杯の当落線上で落選してしまったメンバーベストイレブン

 

※システムやフォーメーションは当時の代表と異なる場合があります。

 

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GK 林卓人

 

生年月日:1982年8月9日

当時の所属チーム:サンフレッチェ広島

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:0試合0得点(2012〜2013)

★予備登録メンバー選出

 

2011〜2012年の仙台大躍進の立役者であり、川島が不在の東アジア選手権2013では第3GKとして優勝メンバーに名を連ねたGK。

第4GKの位置は東口順昭林彰洋辺りが争っていたが、当時の代表は川島・西川・権田の3人がほぼ固定で、誰かが負傷離脱する事も特になかったので招集機会は少なかったが、この3人に次ぐ予備登録メンバーには滑り込む形となった。

 

DF 駒野友一

 

生年月日:1981年7月25日

当時の所属チーム:ジュビロ磐田

それ以前のW杯出場:2006年ドイツW杯、2010年南アフリカW杯

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:78試合1得点(2005〜2013)

アジア最終予選参加

予備登録メンバー選出

 

レギュラーSBである長友や内田にも勝るクロス精度を持ち、ザックからも「真のプロフェッショナル」として信頼を得ていたSB。内田が出場停止となった最終予選のイラク戦では右SBとして先発し、先制点の起点となった。左右両方のSBをこなせる事から、2012年まではSBの控え一番手として長友か内田が欠場となった場合はいずれの場合も先発しており、背番号3は駒野で固定されていた時期もあった。

しかし2013年に入るといわゆるW酒井が台頭し、コンフェデ杯のメンバーから落選。国内組の東アジア選手権では主将として優勝に貢献するが、以降は自身もクラブの不調と共にフォームを落とし、序列がW酒井の次の5番手SBのような位置になってしまった事が徐々に代表から遠ざかってしまった。南アフリカW杯は自身のPK失敗がハイライトとなってしまっただけに、ブラジルW杯に懸ける想いは人一倍だったが…。

 

DF 栗原勇蔵

 

生年月日:1983年9月18日

当時の所属チーム:横浜F・マリノス

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:20試合3得点

アジア最終予選参加

☆2013年コンフェデ杯出場

 

ザックジャパン初期の常連メンバーの一人。初陣となるアルゼンチン戦では今野とCBコンビを組み、その後は吉田の台頭で控えには下がったが、今野か吉田の不在時やザックが当初志向していた3バックを試す際には3バックの一角に入るなど準レギュラーの座を手にしていた。特にゴールライン上のスーパークリアから得点、挙げ句の果てに退場まで喰らった最終予選オーストラリア戦は"栗原劇場"として伝説にもなっている。

コンフェデ杯でもメキシコ戦に先発するなど2013年までは第2CBのポジションを確保していたが、自身も出場した東アジア選手権で森重が台頭。最終的にはザックがポゼッションへの貢献度も踏まえたところから森重と伊野波が優先される形になり、東アジア選手権以降は招集されなかった。

 

DF 水本裕貴

 

生年月日:1985年9月12日

当時の所属チーム:サンフレッチェ広島

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:7試合0得点

アジア最終予選参加

☆予備登録メンバー選出

 

当時のJリーグで快進撃を続けていた広島のレギュラーCB。2008年以降代表からは遠ざかっていたが、最終予選イラク戦で今野と栗原が同時に出場停止となった事で代表復帰を果たした。

イラク戦前の親善試合2試合では伊野波と45分で入れ替える形で吉田とコンビを組んだが、ザックは伊野波を選択。その後の招集は散発的なものとなったが、予備登録メンバーには栗原を振り切って名前を連ねている。

 

 

MF 中村憲剛

 

生年月日:1980年10月31日

当時の所属チーム:川崎フロンターレ

それ以前のW杯出場:2010年南アフリカW杯

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:68試合6得点(2006〜2013)

アジア最終予選参加

☆2013年コンフェデ杯出場

★予備登録メンバー選出

 

コンフェデ杯まではトップ下の2番手として常時招集されており、2011年後半の本田欠場時にはスタメンでも起用された。当時は本田香川共存問題が叫ばれる中、香川とは本田以上に好連係を見せるなど出場時には好パフォーマンスを見せていたが、駒野や前田と同様にコンフェデ杯を境に東アジア選手権組に押し出される形で代表から離れ、予備登録メンバーに留まった。

選手からの人望も厚い中村は落選メンバーでは最も待望論が強く、ましてや本番では川崎でホットラインを築いていた大久保がサプライズ招集された事から「大久保を呼ぶなら憲剛も…」と思ったファンは川崎ファンで無くても多かったのでは。大久保がサプライズ招集された瞬間の動画を川崎の公式SNSが公開していたが、大久保と大久保を祝う選手のテンションと中村のコントラストは印象的だった。

なお、ザックの通訳を務めた矢野大輔氏の著書「通訳日記」に依ると、ザックはメンバー選考に於ける唯一の後悔に「酒井宏樹のCB起用を試さなかった事」を挙げており、酒井宏樹をCBで計算できればMFを一枠増やして中村か細貝を招集できたと語っていたらしい。

 

 

MF 細貝萌

 

生年月日:1986年6月10日

当時の所属チーム:ヘルタ・ベルリン

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:30試合1得点(2010〜2014)

アジアカップ2011出場

アジア最終予選参加

★2013年コンフェデ杯出場

☆予備登録メンバー選出

 

落選に最もサプライズ性があったのが細貝と言える。アジアカップ2011では準決勝で得点を記録するなど優勝に貢献すると、それ以降は常時代表招集を受けており、ターンオーバー的にメンバーを入れ替える際には長谷部に代わって遠藤とWボランチで先発する機会と少なくなく、クラブでも好調を維持していた。

しかしコンフェデ杯終了時点ではリザーブながら当確メンバーと目されていたが、東アジア選手権で青山と山口が台頭すると、3人で控えボランチの2枠を争う格好となる。東アジア選手権以降は完全に代表から外れた中村や前田とは異なり、細貝は最後の最後まで代表活動には選ばれ続けていたが、ザックは最後は青山と山口を選択し、ザックジャパンの4年間で"W杯だけ行けなかった"という形に終わった。細貝に絶大な信頼を寄せていた当時のヘルタ・ベルリンのルフカイ監督は「(細貝の落選は)理解できない」と公にコメントしていた。

ただ前述の「通訳日記」に依れば、元々長谷部の状況が思わしくなく、更に事前合宿で酒井高徳が負傷した事で、2006年ドイツW杯では田中誠の負傷に伴いハワイ旅行中の茂庭照幸を緊急で呼び出す事態になった反省から「ブラジル入りまでに酒井が復帰出来なかった場合、或いは長谷部が大会期間中の復帰が困難と判断された場合は細貝と入れ替え」という方針が早い段階で固まっており、最終的に入れ替えにはならなかったが、実際に登録期限ギリギリまで細貝にはいつでもブラジルに行けるように待機命令が出ていた。

 

MF 高橋秀人

 

生年月日:1987年10月17日

当時の所属チーム:FC東京

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:7試合0得点

アジア最終予選参加

☆2013年コンフェデ杯出場

 

身長184cmの大型ボランチ。長身ボランチというタイプ自体が日本では稀有で、ハードワークタイプの細貝とは異なりアンカータイプの貴重なタイプとしてザックの評価も高く、特に最終予選の時期にはクローザー的な起用をされていた。

だが基本的にアディショナルタイム前後での交代が多く出場時間は著しく少なかった上に、スタメンの機会もほとんど無いまま、東アジア選手権以降は青山と山口に序列を抜かれる形となった。一時は常連メンバーでこそあったが、不憫な立場ではあった。

 

MF 乾貴士

 

生年月日:1988年6月2日

当時の所属チーム:アイントラハト・フランクフルト

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:2018年ロシアW杯

日本代表通算成績:36試合6得点(2009〜2019)

アジア最終予選参加

☆2013年コンフェデ杯出場

 

サイドの切り札として期待されていた宮市亮が怪我の影響もあって伸び悩んでいた一方、ドイツで安定した活躍を見せらようになっていた乾に白羽の矢が立つ形で、2012年の後半から2013年までは代表常連組の一人となった。フランス・ブラジルと対戦した欧州遠征でも控え組の中では多く出場機会を得ており、2013年の代表活動には最終予選やコンフェデ杯も含めてほぼ帯同。有力候補の一人と目されていた。

しかしザックは最終的にドリブラー枠としては齋藤を選択。予備登録メンバーからも漏れた。しかし乾はここからスペインに渡って飛躍し、次のW杯では主役の座に躍り出る事となる。

 

FW 前田遼一

 

生年月日:1981年10月9日

当時の所属チーム:ジュビロ磐田

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:33試合10得点(2007〜2013)

アジアカップ2011出場

アジア最終予選参加

★2013年コンフェデ杯出場

 

アジアカップ2011及び最終予選時のレギュラーFW。アジアカップ後は2011年は李忠成ハーフナー・マイクが先発に入る事もあったが、2012年に入ると最終予選では消化試合を除く全試合で先発した。前田がワントップを務めていた時代の日本代表はまさしくザックジャパンのピークを迎えており、タレント集団と化した2列目を活かすにあたってポストプレーに長けた前田がこのチームに与えた影響は大きく、現在の日本代表にも通ずる"2列目が点を取るサッカー"は2012〜2013年頃の前田の働きぶりから確立されたとも断言出来るほどのプレーであり、単なるレギュラーFWではなく戦術上のキーマンですらあった。

しかしコンフェデ杯終了後、ロンドン五輪世代のFWが東アジア選手権で台頭し、ザックがここで大幅な世代交代を行った事で中村、駒野らと共に代表からフェードアウトしていく形に。所属する磐田の不振もあってか、コンフェデ杯以降は再び代表に呼ばれる機会はなかった。その前田からFWの座を奪ったFWが2013年に時の人となっていた柿谷であり、そして前田が確立した役割をその後の代表で担い続ける事となる大迫だった。

 

FW 豊田陽平

 

生年月日:1985年4月11日

当時の所属チーム:サガン鳥栖

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:8試合1得点(2013〜2015)

★予備登録メンバー選出

 

鳥栖での大ブレイクが評価され、ハーフナー・マイクに代わる大型FW候補として東アジア選手権で代表デビュー。得点こそ無かったが守備やポストプレーで存在感を発揮し、試合後にはザックが名指しでパフォーマンスを賞賛。その後もコンスタントに代表招集を受けていた。

鳥栖もリーグで優勝を争うなど絶好調でそのパワーとフィジカルは良いオプションとして選出の期待も高かったが、ザックはパワープレーはプランから除外するという方針を示したことで、いわゆるジョーカー枠には豊田より齋藤をチョイス。更に大久保もサプライズ招集した事で、豊田は予備登録に留まった。その後、メンバーに選出された時の為にクラブ側が用意した会見はキャンセルするのが通例だったが「わざわざセッティングもして記者にも集まってもらってるし、期待してくれた方の為にも自分の気持ちを伝えたい」と自ら会見を行った。

 

FW 南野拓実

 

生年月日:1995年1月16日

当時の所属チーム:セレッソ大阪

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:2022年カタールW杯候補

日本代表通算成績:43試合17得点(2015〜)

★予備登録メンバー選出

 

ブラジルW杯時点で代表戦の招集歴は無く、代表デビューはハリルホジッチ体制の2015年まで待つ事となったが、前年にC大阪でブレイクした南野のポテンシャルをザックは大いに買っており、4月の国内組を対象にした代表合宿では19歳ながら選出されていた。

通訳日記」に依ると、ザックは23人以外でどうしても連れて行きたかった3人が中村、細貝、そして南野だったと語るほど期待しており、最終的には齋藤とどちらを選ぶかでジョーカーとしての才がある齋藤を選択したが、南野を予備登録メンバーには加えていた。もし南野を選んでいれば小野伸二以来の10代でのW杯メンバー入り、そして代表デビューがW杯となる可能性もあった。

 

NEXT WORLD CUP

 

シュラスコ食べたい

ではでは(´∀`)