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【代表サバイバル最終盤】1998年フランスW杯の当落線上で落選してしまったメンバーベストイレブン

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ちなみに私はカタール旅行の計画は立てていません。

 

どーもこんばんは

 

 

さてさて、カタールW杯までいよいよ残り2ヶ月です。

森保一監督率いる日本代表はW杯メンバー発表前最後の親善試合として9月23日にアメリカ代表、9月27日にエクアドル代表と対戦。W杯にも出場する2ヶ国を相手に大会に向けた最終調整と同時に、W杯メンバーの最後の絞り込み作業を行う事になります。

という訳で、今回からはW杯の日本代表にちなんだ連載企画をば。

 

 

「サプライズ選出」───W杯メンバーの発表が近付く度に、様々なメディアで度々耳にするフレーズです。印象的なところで言えば2002年の中山雅史秋田豊、2006年の巻誠一郎、2010年の川口能活、2014年の大久保嘉人辺りでしょうか。彼らは次の日のスポーツ新聞を賑わせ、次のトピックが来るまでは、選考の話題を独り占めする事になります。

一方、一人滑り込んだ人間がいるという事は、同時に一人滑り落ちてしまった当落線上の人間がいる…という訳で。しかし、W杯メンバーまであと一歩のところまで迫った時点でその選手は言うまでもなく時代を代表する名選手です。という訳で今回からは、過去の日本代表のW杯メンバーに於いて、当落線上にいながら落選してしまった、或いは出場確実とされながら怪我等で大会参加が叶わなかった選手で11人を組み、各大会の裏ジャパンを作ってみたいと思います。

 

 

第1回はフランスW杯編です。

日本にとって初めてのW杯となった同大会は、現在とは異なり登録メンバーが22名となっていました。日本代表はスイスでの事前キャンプに最終候補選手として25名のメンバーを帯同させ、そこから22人に絞る(=3人を落とす)という方式を採用。結果的に、現段階では唯一選出メンバーではなく落選メンバーを発表する形でメンバー発表が行われ、そこで生まれた伝説のコメントが「外れるのはカズ、三浦カズ」でした。

また、フランスW杯は予選の最中に加茂周監督から岡田武史監督に交代した事も特徴の一つで、そうなると当然ながら、加茂体制では主力だったけど…というような選手も少なからずいました。後のロシアW杯でもそうですが、そこはもう運命というか…。

 

1998年フランスW杯編

2002年日韓W杯編

2006年ドイツW杯編

2010年南アフリカW杯編

2014年ブラジルW杯編

2018年ロシアW杯編

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

【1998年フランスW杯日本代表メンバー】

 

監督:岡田武史

コーチ:小野剛

GKコーチ:マリオ

フィジカルコーチ:フラビオ

 

第1戦 vsアルゼンチン●0-1

第2戦 vsクロアチア●0-1

第3戦 vsジャマイカ●1-2(得点者:中山雅史)

 

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GK1 小島伸幸(ベルマーレ平塚)

DF2 名良橋晃(鹿島アントラーズ)

DF3 相馬直樹(鹿島アントラーズ)

DF4 井原正巳(横浜マリノス)

DF5 小村徳男(横浜マリノス)

MF6 山口素弘(横浜フリューゲルス)

MF7 伊東輝悦(清水エスパルス)

MF8 中田英寿(ベルマーレ平塚)

FW9 中山雅史(ジュビロ磐田)

MF10 名波浩(ジュビロ磐田)

MF11 小野伸二(浦和レッドダイヤモンズ)

FW12 呂比須ワグナー(ベルマーレ平塚)

MF13 服部年宏(ジュビロ磐田)

FW14 岡野雅行(浦和レッドダイヤモンズ)

MF15 森島寛晃(セレッソ大阪)

DF16 斉藤俊秀(清水エスパルス)

DF17 秋田豊(鹿島アントラーズ)

FW18 城彰二(横浜マリノス)

DF19 中西永輔(ジェフユナイテッド市原)

GK20 川口能活(横浜マリノス)

GK21 楢崎正剛(横浜フリューゲルス)

MF22 平野孝(名古屋グランパスエイト)

 

 

 

フランスW杯の当落線上で落選してしまったメンバーベストイレブン

 

※システムやフォーメーションは当時の代表と異なる場合があります。

 

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GK 下川健一

 

生年月日:1970年5月14日

当時の所属チーム:ジェフユナイテッド市原

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:9試合0得点(1995〜1997)

アジアカップ1996出場

 

前身の古河電工時代から長きに渡って市原で活躍してきたGK。オフト監督時代からコンスタントに招集されていたが、代表デビューは1995年の加茂周監督体制。

アジアカップ1996では正GKを務めたが、その後は川口や楢崎の飛躍的な台頭もあり、岡田監督体制以降は招集機会も殆ど無かった。

 

DF 中村忠

 

生年月日:1971年6月10日

当時の所属チーム:ヴェルディ川崎

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:16試合0得点(1995〜1998)

アジア最終予選参加

 

ヴェルディ黄金時代を黒子として支えた守備の万能型。加茂監督が率いた一次予選の段階では先発の機会も多かった。

岡田監督以降もレギュラーこそ名良橋に奪われながらもジョホールバルの歓喜ではベンチメンバーに入るなどコンスタントに招集されていたが、1998年に入ってすぐのオーストラリア合宿以降は招集機会が無かった。

 

DF 柳本啓成

 

生年月日:1972年10月15日

当時の所属チーム:サンフレッチェ広島

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:30試合0得点

アジアカップ1996出場

 

Jリーグ初期にリーグ屈指の右SBとして活躍。特徴的な選手を多く揃えた広島の中でも存在感を放っていた。1995年に代表デビューを果たすと、アジアカップ1996など加茂体制ではレギュラーをも担う。

しかし1997年に入ると、前述の中村同様に名良橋の台頭があり、柳本自身も怪我によって代表から遠ざかっていった。

 

DF 鈴木秀人

 

生年月日:1974年10月7日

当時の所属チーム:ジュビロ磐田

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:1試合0得点(1997)

★1996年アトランタ五輪出場

 

マイアミの奇跡と呼ばれるアトランタ五輪ブラジル戦でベベットを完封。3バックのストッパーとして磐田の黄金期の中心人物となり、加茂監督時代の1997年にデビューを果たした。

磐田は1997年に初優勝を飾っており、前述の中村・柳本とは逆で追い上げた立場になる。おそらく岡田監督的には3バック移行のオプションとして考えていたと思うが、そのポジションに中西永輔が収まるようになった事で候補から外れていった。

 

DF 市川大祐

 

生年月日:1980年5月14日

当時の所属チーム:清水エスパルス

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:2002年日韓W杯

日本代表通算成績:10試合0得点

★最終候補メンバー選出

 

17歳で高校在学中の1998年の開幕スタメンを飾り、そこからインパクトの強い活躍を見せた事でサプライズ的に代表選出。4月に記録した17歳322日という日本代表出場記録は未だに最年少記録である。

「外れるのは市川、カズ、三浦カズ、北澤」と言われるように、スイス合宿に帯同した最終候補の25名にまで残った。W杯メンバーには小野が選ばれていたので、最終候補の25人のうち18歳が2人いた事になる。ただし、同じくメンバーから外れた三浦や北澤とは色々な意味で立場と事情が違った事もあって、三浦と北澤は帰国した一方で市川は本大会も代表チームに帯同した。

 

 

MF 北澤豪

 

生年月日:1968年8月10日

当時の所属チーム:ヴェルディ川崎

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:58試合3得点(1991〜1999)

アジア最終予選参加

☆最終候補メンバー選出

 

いわゆるドーハの悲劇の際にも帯同しており、Jリーグ初期を代表する選手の一人。最終予選の前半はメンバーからも外れていたが、岡田監督就任後、システム変更と状況打破のキーマンとして代表に復帰。崖っぷちまで追い込まれたUAE戦から復帰すると、ジョホールバルの歓喜を含む残りの全試合にトップ下として先発。トップ下とは言えども、攻撃というよりは一列後ろにポジションを置いた名波や中田とのバランス調整などで文字通りカンフル剤として活躍した。

しかし最終候補の25名としてスイス合宿には参加したが、岡田監督は中田をトップ下に固定した上で4バックから3バックにシステムを変更。これに伴いポジションが無くなり、盟友のカズと共に帰国の途についた。三浦和良の落選は日本サッカー史に残る衝撃を残したが、当時の代表での出場状況を踏まえると、実は本当のサプライズは北澤だったという見方も出来る。

 

MF 本田泰人

 

生年月日:1969年6月25日

当時の所属チーム:鹿島アントラーズ

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:29試合1得点(1995〜1997)

アジアカップ1996参加

アジア最終予選参加

 

Jリーグ元年から鹿島の絶対的なボランチとして活躍した名手。鹿島の6番が伝統の番号として認識されているのは本田が由来である。

一言で言えば加茂ジャパンでのレギュラーであり、加茂監督が率いたアジアカップ1996や最終予選も前半戦まではレギュラーとしてプレーしていた。しかし岡田監督就任後はボランチが山口の両脇に名波と中田を置く形になった事でレギュラーを外れ、最終予選は最後までベンチメンバーに入っていたが、1998年は代表の出場機会もなく選考を外れた。

 

MF 前園真聖

 

生年月日:1973年10月29日

当時の所属チーム:ヴェルディ川崎

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:19試合4得点(1994〜1997)

アジアカップ1996出場

☆1996年アトランタ五輪出場

 

当落線上…という訳では無かったが、本来であれば1998年のW杯でスターになる事を期待されていた選手。横浜フリューゲルスでの娯楽性溢れるプレーや、マイアミの奇跡を起こしたアトランタ五輪日本代表のエースだった事から国民的な人気を誇り、まさに時代のトッププレーヤーだった。現に加茂監督は、1996年頃は前園を中心に据えたチーム作りを志向していた。

しかし、1997年を前にしたスペイン移籍が失敗に終わってV川崎に移籍。そこで様々な問題が噴出した事もあって精彩を欠き、気が付けば前園のポジションには成長著しい中田が収まるようになり、1998年に入る頃には候補とも呼ばれなくなっていた。スペイン移籍が実現していた場合、上手くいったのかどうかはわからないが、果たしてどういう未来になったのか…。

 

FW 高木琢也

 

生年月日:1967年11月12日

当時の所属チーム:ヴェルディ川崎

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:44試合27得点(1992〜1997)

アジアカップ1996出場

アジア最終予選参加

 

日本代表躍進の始まりともなったアジアカップ1992では優勝決定ゴールを叩き出し、エースを張った広島を飛び越えて「アジアの大砲」と呼ばれたストライカー。当時の日本において、いわゆるフィジカル系のFWは稀な存在だった。

一次予選以降は代表から遠ざかっていたが、三浦和良呂比須を出場停止で欠いた最終予選最終節カザフスタン戦で中山と共に代表復帰して1ゴールを挙げている。ジョホールバルの歓喜にもベンチ入りはしなかったが遠征メンバーとして帯同した。しかし本大会では大型FW枠として城や呂比須が中心となった為、同時に復帰した中山とな異なり1998年は代表から遠ざかっている。

 

FW 柳沢敦

 

生年月日:1977年5月27日

当時の所属チーム:鹿島アントラーズ

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯

日本代表通算成績:58試合17得点(1998〜2006)

 

1998年に入ると、最終候補メンバーの25名を絞り込む過程で岡田監督は当時の若手選手を多く選出。その面子は前述の小野や市川に加えて中村俊輔らがいるが、そのうちの一人が1997年に新人王を獲得し、20歳ながら鹿島でもエースの座に駆け上がろうとしていた柳沢だった。

しかし、最終的にカズすら外れる事になるFWの争いはなかなかに熾烈で、特に1998年は前年まで当落線上だった中山が訳のわからないペースで得点を量産。柳沢の代表定着はフランスW杯後となった。

 

FW 三浦和良

 

生年月日:1967年2月26日

当時の所属チーム:ヴェルディ川崎

それ以前のW杯出場:なし

その後のW杯出場:なし

日本代表通算成績:89試合55得点(1990〜2000)

アジアカップ1996出場

アジア最終予選参加

★最終候補メンバー選出

 

それは日本サッカー史にとって最大の事件だった。「外れるのはカズ、三浦カズ」という言葉はこの先も確実に語り継がれていくだろう。Jリーグ創成期からの日本サッカー、そして日本代表の発展はカズと共に歩んできたと言っても決して大袈裟ではない。それだけにこの発表がもたらすインパクトは凄まじく、プロ・識者・素人を問わずに賛否両論を巻き起こした。

当時、カズがプレーに精彩を欠くようになっていた事は否めず、中山や城、呂比須らとのコンディションの差は確かに大きかった上に、岡田監督が中山と城の2トップの方針を固めた以上、スタメンではなく途中出場で投入する選手として考えた時に呂比須や岡野が優先される事は理論上は正しいと思う。一方で、前述の通り日本代表を超えて日本サッカーの象徴でもあったカズの落選はチーム内にも小さくない動揺が走った。

もしカズが選ばれていたら結果は良くなったのか、変わらなかったのかはわからない。ただ、この件が及ぼした波及がその後の日本サッカーに与えた影響は大きかった。

 

NEXT WORLD CUP

 

パリでパリーグ

ではでは(´∀`)