大谷のトンデモホームラン観ながらこのブログ書いてます
どーもこんばんは
さてさて、ちょうどWBCが終わったタイミングになるんですかね。日本代表は3月24日にウルグアイ戦、3月28日にコロンビア戦と南米の強豪とキリンチャレンジカップ2023を戦います。
この試合は言うまでもなく、第2期森保ジャパン…森保ジャパンシーズン2の初陣となりますね。そして、ある意味でこれも4年に一度しか訪れない「W杯後最初の日本代表戦」となる訳ですね。という訳で先日から「W杯後最初の試合のメンバーの何人が次のW杯まで生き残っていたか」という連載検証を、フランスW杯後のエジプト戦からロシアW杯後のコスタリカ戦まで、全6試合分やっております。今回は第2回です。詳しくは第1回の方をご覧くださいまし。
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【2006→2010】
ドイツW杯後最初の試合
キリンチャレンジカップ2006
日本2-0トリニダード・トバゴ
2006年8月9日@国立競技場
日本得点者:三都主アレサンドロ(17分,22分)
【招集メンバー】
DF2 坪井慶介(浦和レッドダイヤモンズ)
MF3 三都主アレサンドロ(浦和レッドダイヤモンズ)
DF4 田中マルクス闘莉王(浦和レッドダイヤモンズ)
FW10 田中達也(浦和レッドダイヤモンズ)
GK12 山岸範宏(浦和レッドダイヤモンズ)
MF13 長谷部誠(浦和レッドダイヤモンズ)
MF15 鈴木啓太(浦和レッドダイヤモンズ)
MF18 中村直志(名古屋グランパスエイト)
監督 イビチャ・オシム
※備考
・海外組及び、A3チャンピオンシップに出場したG大阪、千葉所属の選手は招集対象から外れている。
【2010年南アフリカW杯出場者】
W杯後初戦メンバーのW杯選出人数→4名/19名
最初に13人だけ招集し、後から6人を追加招集という独特の選考となったオシムジャパンの初陣。ドイツW杯組は4人のみの招集とメンバーは大きく入れ替わり、その4人以外の代表経験者も駒野、田中達也、長谷部の3人だけで半数以上が初招集となっていた。
ただ、この試合は日程の関係で参加しなかった千葉とG大阪から多くの選手が加わった事もあり、翌年のアジアカップの時点で初陣からのメンバー変更は大きかった。そして千葉勢のみならず山瀬、鈴木といったメンバーは、監督が岡田武史監督に代わるとじわじわと代表を離れていく事になり、そもそも他の事例と比べて制限が多く人数も少なかったところはあるが、初陣からW杯まで残った選手は4人しかおらず、長谷部はこの試合以降のオシムジャパンではほぼ招集されていない。
《補足資料》
【2007年アジアカップ出場者】
川口、坪井、駒野、佐藤、鈴木→5名/19名
【アジア最終予選(2008〜2009)ベンチ入り選手】
川口、闘莉王、駒野、田中達、佐藤、長谷部→6名/19名
【2008年北京五輪出場者】
なし
【2010→2014】
南アフリカW杯後最初の試合
キリンチャレンジカップ2010
日本1-0パラグアイ
2010年9月4日@日産スタジアム
日本得点者:香川真司(64分)
【招集メンバー】
GK1 楢﨑正剛(名古屋グランパス)
MF11 香川真司(ボルシア・ドルトムント)
FW19 森本貴幸(カルチョ・カターニア)
監督 原博実(代行)
※備考
・2010年9月のパラグアイ戦、グアテマラ戦の2試合はザッケローニ新監督の就労ビザ取得が間に合わなかった為、当時の技術委員長である原博美氏が代行監督を務めている。
【2014年ブラジルW杯出場者】
長友佑都、内田篤人、遠藤保仁、岡崎慎司、香川真司、今野泰幸、本田圭佑、川島永嗣
W杯後初戦メンバーのW杯選出人数→8名/22名
この試合は原技術委員長が監督代行を務めたが、ザックジャパンとしての初陣となった翌月のアルゼンチン戦も招集メンバーは大きくは変わっていない。この時点ではザッケローニ監督体制では無かった影響もあったのか、初陣のメンバーは総じて南アフリカW杯メンバーとその候補と任されていた選手で構成されており、この時点では楢﨑や中澤も代表に残っていた。
ザックジャパンは南アフリカW杯のメンバーがそのまま定着したイメージがあるが、控えメンバーに関しては2013年コンフェデ杯終了後にロンドン五輪世代を中心とした選手群に大きく入れ替わっている為、総数としては8人とイメージよりは少なかった印象。初陣のメンバーで言えば駒野、中村、栗原は2013年を機に代表を外れていった。ただし、上記の8人に長谷部誠を加えた9人はいずれも4年間ずっとレギュラーであり続けていたので、その認識自体は正しいとも言える。
《補足資料》
※印は選出されたが離脱となった選手。
【2011年アジアカップ出場者】
長友、内田、遠藤、松井、岡崎、香川、藤本、岩政、今野、細貝、本田、川島、※槙野、永田→14名/22名
【アジア最終予選(2012〜2013)ベンチ入りメンバー】
駒野、長友、内田、遠藤、岡崎、香川、岩政、中村、今野、細貝、本田、栗原、川島、槙野、乾→15名/22名
【2013年コンフェデ杯出場者】
長友、内田、遠藤、岡崎、香川、中村、今野、細貝、本田、栗原、川島、乾→12名/22名
【2012年ロンドン五輪出場者】
なし
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マッチョ、マッチョメーン
ではでは(´∀`)