イターリャァァァァァァァァァァ…
どーもこんばんは
さてさて、3月24日……日本代表、無事にカタールW杯出場を決めました!!
とはいえ、11月のW杯開幕までの9ヶ月……チームとしては予選を突破しましたが、選手にとってはこれから個人戦の予選とも言えよう9ヶ月が始まります。「サプライズ選出」なる言葉がありますが、その言葉には裏の側面もあり、新しく誰かが選ばれるという事はこれまでの代表メンバーの誰かが落ちるという事であって……。
というわけで今回は、歴代のW杯出場を決めた試合のメンバーが、W杯本大会に至るまでにどれだけ残ったのか、どれだけ外れたのか、或いはどれだけ新しい選手が入ってきたのか…を振り返っていきます。
2022FIFAワールドカップカタール大会アジア最終予選・オーストラリア戦&ベトナム戦招集メンバー
【GK】
シュミット・ダニエル(シントトロイデンVV)
谷晃生(湘南ベルマーレ)
【DF】
山根視来(川崎フロンターレ)
板倉滉(シャルケ04)
中山雄太(PECズヴォレ)
【MF/FW】
伊東純也(KRCヘンク)
守田英正(CDサンタ・クララ)
三笘薫(ユニオン・サンジロワーズ)
林大地(シントトロイデンVV)
旗手怜央(セルティックFC)
上田綺世(鹿島アントラーズ)
田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)
監督:森保一
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【1998年フランスW杯の場合】
W杯出場決定試合
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1997年11月16日・日本3-2イラン
監督:岡田武史
【イラン戦メンバー】
FW14 岡野雅行(浦和レッドダイヤモンズ)
MF22 平野孝(名古屋グランパスエイト)
DF28 中西永輔(ジェフユナイテッド市原)
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【フランスW杯メンバー】
MF11 小野伸二(浦和レッドダイヤモンズ)
FW14 岡野雅行(浦和レッドダイヤモンズ)
DF19 中西永輔(ジェフユナイテッド市原)
MF22 平野孝(名古屋グランパスエイト)
イラン戦から継続して選ばれた選手(20人)→小島、名良橋、相馬、井原、小村、山口、伊東、中田、中山、名波、呂比須、岡野、森島、斉藤、秋田、城、中西、川口、楢崎、平野
イラン戦では招集されながらもW杯メンバーからは落選した選手(5人)→本田、高木、三浦、北澤、中村
イラン戦には未招集ながら、W杯メンバーには選ばれた選手(2人)→小野、服部
「カズ、三浦カズ」で有名なメンバー会見に繋がるフランスW杯メンバー選考ですが、イラン戦までの状況を踏まえると北澤の落選もそれなりのサプライズ。最後は25人での最終合宿でしたが、1997年までは代表に確実に呼ばれていた本田は最終候補からも落選する結果となってしまいました。カズの落選は現在でも議論の対象となっていますが、1997〜1998年の期間で中山・城・呂比須と比較すると成績を明らかに落としていたのは事実でした。
22人に絞る作業の中で、逆転で滑り込んだのは元々常連ではあった服部とルーキーイヤーで台頭した小野。ルーキーイヤーでW杯メンバーに入ったのは現在でも小野が唯一ですが、岡田監督いわくその選考理由は「中田が怪我でもしたら他にチャンスメイク出来る選手がいなかったから小野を入れた」との事。
【2002年日韓W杯の場合】
※日韓W杯は自国開催だった事から予選を免除された為、前年6月に開催されたコンフェデ杯のメンバーを参考とする。
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2001年5月31日〜2001年6月10日
監督:フィリップ・トルシエ
【コンフェデ杯メンバー】
FW9 西澤明訓(RCDエスパニョール)
MF10 三浦淳宏(東京ヴェルディ1969)
GK12 楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)
MF21 小野伸二(浦和レッドダイヤモンズ)
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【日韓W杯メンバー】
GK12 楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)
MF18 小野伸二(浦和レッドダイヤモンズ)
コンフェデ杯から継続して選ばれた選手(16人)→川口、松田、森岡、稲本、服部、中田英、森島、西澤、中山、鈴木、楢崎、柳沢(※)、中田浩、小野、明神、戸田
コンフェデ杯では招集されながらもW杯メンバーからは落選した選手(11人)→上村、三浦、山下、伊東、藤田、久保、波戸、都築、奥(※)、高原(※)、中澤(※)
コンフェデ杯には未招集ながら、W杯メンバーには選ばれた選手(7人)→秋田、三都主、福西、宮本、小笠原、市川、曽ヶ端
※当初のコンフェデ杯登録メンバーには柳沢敦(鹿島アントラーズ)、奥大介(ジュビロ磐田)、高原直泰(ジュビロ磐田)、中澤佑二(ヴェルディ川崎)が選ばれていたが、メンバー発表後の負傷により山下・藤田・久保・鈴木と入れ替えになった為、今回の企画では前述の4人ともコンフェデ杯のメンバー入りとして扱っている。
シドニー五輪世代との融合が加速し始めた2000年のアジアカップから比べるとメンバーはなかなか激しく入れ替わっており、例えば鈴木と戸田はこのコンフェデから代表に定着。常連にはなりきれていなかった福西・宮本・曽ヶ端もコンフェデ以降に代表に定着したので、やはりこの辺りがメンバー選考に於ける転換期でもありました。「中山と秋田がサプライズ」とはよく言いますが、なんだかんだで中山は2001年の時点でほぼ全ての代表戦に呼ばれていたので、この2人のサプライズ度合いには多少の差はありますね。
コンフェデ杯から日韓W杯までで勢力図に大きな変化があったのはサイドの人選。2001年は主に波戸と小野のセットが多かった中、体調不良もあって長らく代表から外れていた市川と帰化した三都主という清水の両翼を担う2人が2002年のタイミングで台頭。それまで常連だった三浦とレギュラー候補でもあった伊東は怪我の影響でレースから外れ、波戸と中村俊輔は直前の欧州遠征のメンバーにも入りましたが、この2人は落選という結果になりました。
なんかの動画か番組かでトルシエが言っていたんですが(何かは忘れた)、やっぱり怪我と病気さえなければ名波と高原はメンバーに入れたかったみたい。
【2006年ドイツW杯の場合】
W杯出場決定試合
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2005年6月8日・北朝鮮0-2日本
監督:ジーコ
【北朝鮮戦メンバー】
GK1 楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)
MF6 中田浩二(オリンピック・マルセイユ)
DF14 三都主アレサンドロ(浦和レッドダイヤモンズ)
DF26 坪井慶介(浦和レッドダイヤモンズ)
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【ドイツW杯メンバー】
GK1 楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)
MF7 中田英寿(ボルトン・ワンダラーズ)
FW11 巻誠一郎(ジェフユナイテッド千葉)
DF14 三都主アレサンドロ(浦和レッドダイヤモンズ)
MF17 稲本潤一(ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン)
MF18 小野伸二(浦和レッドダイヤモンズ)
DF19 坪井慶介(浦和レッドダイヤモンズ)
FW20 玉田圭司(名古屋グランパスエイト)
北朝鮮戦から継続して選ばれた選手(21人)→楢崎、田中(※1)、遠藤、宮本、中田浩、中田英、小笠原、高原(※2)、中村、土肥、柳沢、三都主、福西、稲本、小野(※2)、大黒、坪井、玉田、加地、中澤、川口
北朝鮮戦では招集されながらもW杯メンバーからは落選した選手(4人)→鈴木、三浦、本山、茶野
北朝鮮戦には未招集ながら、W杯メンバーには選ばれた選手(3人)→茂庭(※1)、駒野、巻
※1 当初のドイツW杯登録メンバーには田中誠(ジュビロ磐田)が選ばれていたが、メンバー発表後の負傷により茂庭と入れ替えになった為、今回の企画では田中と茂庭を2人ともドイツW杯のメンバー入りとして扱っている。
※2 当初の北朝鮮戦メンバーには小野伸二(フェイエノールト)、高原直泰(ハンブルガーSV)が選ばれていたが、メンバー発表後の負傷により離脱となった為、今回は小野と高原を2人とも北朝鮮戦のメンバー入りとして扱っている。
元々ジーコジャパンはメンバーが固まっていたチームだったので、北朝鮮戦の時点で20名ほどは当確が出ていましたし、後は文字通りプレーオフみたいなメンバー入りサバイバルが始まった訳です。
そんな中で、北朝鮮戦後にコンフェデ杯を経て東アジア選手権(現:E-1選手権)があったんですけど、ここで結構代表初招集や久しく遠ざかっていたアテネ世代の選手を多く呼んだんですね。そこから候補に食い込み始めたのが駒野、茂庭、巻、村井慎二、田中達也、今野泰幸、阿部勇樹といった選手で、駒野と巻、そして追加招集で茂庭がメンバー入り。駒野と巻は東アジア選手権が初招集だった事を思うとなかなかの逆転劇ですね。逆に、三浦・茶野・本山・鈴木辺りは、アテネ世代の台頭でレースからフェードアウトしていく事になってしまいました。
てりたま。
ではでは(´∀`)