No.7よ、永遠なれ
どーもこんばんは
さてさて、アジアカップ2023が始まります!
通算5度目となる優勝を目指す日本代表ですが、いわば日本代表とアジアカップの歩みはその成長の軌跡を映すようなものでもありました。
という訳でこのアジアカップを機に、日本代表が過去に戦ってきた全8回のアジアカップを振り返っていきたいと思います。
今回は2007年大会です。
タイ、マレーシア、ベトナム、インドネシアの4ヶ国開催という異例の大会となった2007年大会は、日本代表にとって大きな改革の途にあった大会となりました。ドイツW杯での惨敗後、既に日本サッカーにとって大きな存在となっていたイビチャ・オシムを監督に据えた日本代表は大幅なメンバー変更を断行。ドイツW杯組は殆どがこの時点で代表から外れる形となり、代わってアテネ五輪世代を中心としたジーコ体制では不遇を味わっていたメンバーを中心としたチームを構成。2007年に入ると初年度は選出を見送っていた海外組の中村と高原、一度は代表引退を表明していた中澤が復帰し、日本代表の日本化を掲げたオシムジャパンは、前人未到の3連覇が懸かった初めての公式大会に挑みました。
そんな2007年のアジアカップを振り返っていきたいと思います。
【過去のアジアカップを振り返ろう】
⑤2007年 東南アジア大会(ベスト4)
アジアカップ2023観戦ガイドを作成しました!コンテンツは随時更新しておりますので、是非ご活用くださいませ!
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2023年のJリーグを振り返る記事も色々更新しています。それらの記事はこちらにまとめておりますので是非!
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オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。
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【アジアカップ2007 日本代表】
《スタッフ》
監督:イビチャ・オシム
コーチ:大熊清
コーチ:反町康治
コーチ:小倉勉
GKコーチ:加藤好男
フィジカルコーチ:里内猛
「俺、ヤット、憲剛を3人同時で使った監督ってオシムさんだけなんだよね。あれだけムーブムーブ、走れ走れって言ってた人が、パサータイプの3人を同時に使うってちょっと面白かった」
— RK-3 (@blueblack_gblue) 2024年1月9日
by 中村俊輔 pic.twitter.com/VFg2wuOzcP
《登録メンバー》
MF8 羽生直剛(ジェフユナイテッド千葉)
MF9 山岸智(ジェフユナイテッド千葉)
FW12 巻誠一郎(ジェフユナイテッド千葉)
MF15 水野晃樹(ジェフユナイテッド千葉)
GK18 楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)
FW19 高原直泰(アイントラハト・フランクフルト)
アジアカップ2007 グループB第1戦
日本0-0カタール
2007年7月9日@ミーディン国立競技場(ベトナム,ハノイ)
日本得点者:高原直泰(61分)
アジアカップ2007 グループB第2戦
UAE1-3日本
2007年7月13日@ミーディン国立競技場(ベトナム,ハノイ)
UAE得点者:アル・カース(66分)
アジアカップ2007 グループB第3戦
ベトナム1-4日本
2007年7月16日@ミーディン国立競技場(ベトナム,ハノイ)
日本得点者:巻誠一郎(12分,59分),遠藤保仁(32分),中村俊輔(53分)
グループステージはベトナムで戦う事になった日本は東南アジア特有の気候にも苦しめられるが、2人の中村と遠藤という3人のパサーを中盤に置いたチャレンジングな配置で小気味よいパスワークを展開する。だが初戦のカタール戦では今野のアウトサイドクロスに高原が合わせて先制しながらも、終盤に直接FKを叩き込まれて引き分けスタートとなってしまった。
カタール戦後にオシム監督は通訳が泣くほどの剣幕で檄を飛ばしたとの逸話もしばしば語られる中、UAE戦からは4-2-3-1を巻と高原を2トップに据えた4-2-2-2に変更。すると前述の3人のパサーと守備のタスクを一手に担う鈴木のバランスが噛み合い、同時に点の取り所が増えた事で再びリズムを掴んだ日本はUAE戦では3得点、開催国ベトナム戦では先制されながらも最終的に4得点を叩き出して首位通過。特にベトナム戦の中村のゴールに繋がるパスワークは大いなる期待を抱かせるには十分なゴールだった。
アジアカップ2007 準々決勝
日本1(4PK3)1オーストラリア
2007年7月21日@ミーディン国立競技場(ベトナム,ハノイ)
日本得点者:高原直泰(72分)
オーストラリア得点者:ジョン・アロイージ(69分)
ドイツW杯を最後にオセアニアからアジアに転籍したオーストラリアにとっては初めてのアジアカップ。日本はおそらく、ケーヒルやキューウェル、ビドゥカにシュウォーツァーらを擁するオーストラリアとは決勝での対戦を想定していただろうが、オーストラリアがグループステージで苦戦して2位通過となった事で準々決勝での激突となった。
日本にとってオーストラリアは強い因縁を抱える相手だった。その要因は言うまでもなく、1年前のドイツW杯。当時はあの悪魔としか言いようのない記憶が生々しく残っており、南アフリカW杯まで続く時間はあのショックに端を発する閉塞感を振り払う為の作業の繰り返しだったと言っても過言では無いほど。それだけにオーストラリアは今後アジア予選でも対峙する訳で、これ以上オーストラリア・コンプレックスなるものが生まれる状況だけは避けたかった。地上戦の日本と空中戦のオーストラリアというわかりやすい構図で一進一退の攻防が繰り広げられる中、後半途中からキューウェルを投入したオーストラリアは69分にセットプレーからドイツW杯でも日本から得点を挙げたアロイージが決めて先制。しかし日本もすぐさま72分に中村のクロスと巻のポストプレーから高原の巧みなコントロールから同点に追い付くゴールを決めた。
延長戦では今野、佐藤、矢野を投入した日本は後半に相手の退場により数的優位な状況を得るも、当時は日本よりも欧州で活躍するタレントの多いオーストラリアを相手に打開しきれない。ただオーストラリアもそこの部分は同じで、試合はPK戦に突入する。準々決勝、1-1、PK戦……このシチュエーションになれば、日本人は皆んな異常な自信を持っていたはずだ。だって川口がいるから。その期待に応えるかどころか上回るように、川口はいきなりオーストラリアのPKを2本ストップ。日本は4人目の高原は枠外に逸らしたが他の選手は全員成功。最後は5人目の中澤がきっちり決め、ドイツで抱いた劣等感を僅かに晴らしてみせた。
アジアカップ2007 準決勝
日本2-3サウジアラビア
2007年7月25日@ミーディン国立競技場(ベトナム,ハノイ)
サウジアラビア得点者:ヤセル・アル・カフタニ(35分),マレク・マーズ(47分,57分)
日本vsサウジアラビアは1992年大会と2000年大会の決勝でも実現したカードであるがゆえに、この試合に限ればおそらく熱量はその2大会で敗れたサウジアラビアの方が強かったようには思う。だが日本は前人未到の3連覇が懸かっていた。同時に、アジアカップは1984年大会以降の6大会に於いて日本とサウジアラビアが優勝を独占していた状態だった事から、反対の山には韓国もいたとは言えこの試合を事実上の決勝戦と目する向きもあった。
日本が優先にボールを持ってはいたものの、サウジは日本のパスワークを封じるべくボールを持たせるというよりもラインを高くし、いわばW中村+遠藤にボールが入る前に潰す事を試みる布陣を採る。ある意味ではお互いにリスキーな状態を前提に挑んだ試合は、途中にハーフタイムを挟む22分間で壮絶な推移を辿った。35分にはサウジ、37分には日本が共にセットプレーから得点を挙げて1-1で前半を終えると、後半開始早々にサウジにサイドを崩されて1-2。それでも日本はすぐさま再びセットプレーから阿部が手を怪我しながらのゴールで同点に追いついたが、同点弾の4分後にマレク・マーズに個人技で翻弄されて3度目の勝ち越し弾を許してしまう。節々に疑問の残る判定もあったが、それ以上に日本は得たチャンスをことごとく逃し、ボールロストから蹂躙するようなサウジのカウンターに苦しめられる過酷な展開に陥った。オシム監督も最後は遠藤、中村憲剛を下げて中澤をFW起用にしてまで1点を奪いに行くが、サウジのゴールを最終的にこじ開けられないまま試合終了。サウジに雪辱を晴らされる形で、日本の3連覇への夢は幻となって潰えた。
アジアカップ2007 3位決定戦
韓国0(6PK5)0日本
2007年7月28日@ゲロヤ・シュリーヴィジャヤ・スタジアム(インドネシア,パレンバン)
アジアカップ決勝トーナメントでの日本はこれまで優勝かベスト8のみだったので、初めて3位決定戦に送り込まれる形となった。対戦相手は準決勝でイラク相手に不覚をとった韓国。アジアカップでは1988年に対戦経験があるが、Jリーグ開幕後は初めてアジアカップの舞台で日韓戦が実現する事になった。
準決勝までの5試合全てをベトナムのハノイで戦った日本は舞台をインドネシアに移しての一戦は、日本にとっては過密スケジュールをほぼ固定メンバーで戦った蓄積疲労に加え、ベトナムからインドネシアに移動する際にAFCの不手際により到着が丸一日遅れ、宿泊の手配ミスまで発生するなど心身共に疲労困憊の状況でこの試合を迎えた。スタメンは山岸を先発に復帰させて初戦のカタール戦と同じ4-2-3-1に戻して挑んだが、日本も決定機が無い訳では無かったものの全体的に韓国押し込まれる展開になる。更にそこに韓国側のラフプレーも生じて荒れ模様になった試合は、既に疲労困憊だった日本を更に消耗させる結果となった。後半は退場者を出した韓国に対し、日本は羽生や佐藤といった俊敏な選手を投入。しかし延長戦に乱闘が発生するほど荒れに荒れた試合は、日本も延長後半に羽生と佐藤にそれぞれ訪れた決定機を活かせずにPK戦に突入する。
PK戦は日本の川口、韓国のイ・ウンジェというアジアの中でも特にPKに強いとして知られるGK同士の対決となったが、お互いに今大会で既にPK戦を経験していた影響もあるのか予想に反して5人目までは両者全員成功となった。迎えた6人目、先攻の韓国はキム・チウのキックが成功したのに対し、日本は羽生のキックをイ・ウンジェに阻まれてその瞬間に試合終了。仰向けに倒れ込んだ羽生の横で韓国が歓喜の輪を作る、余りにも強烈なコントラストと共にアジアカップは終わった。
余談だが、韓国は決勝トーナメントの3試合全てが0-0のPK戦という異例の展開となっていた。
《大会総評》
当時のオシムジャパンと言えば、日本サッカーに渦巻く閉塞感を打ち砕いてくれるだろう…というところで、メンバー刷新とプレースタイルに選手もオシムという強烈な刺激を受けた事で、期待と希望は大きかったです。その中でこのベスト4敗退という結果は3連覇も懸かっていたという背景もあって少なからずショックはありました。
実際に3パサーのプレーぶりはやっぱりスペクタクルでしたし、UAE戦やベトナム戦、空中戦のオーストラリアに対して挑んだ地上戦のように、オシムサッカーはこの試合でもハマった試合では眩さを見せた一方、攻略される形になったサウジ戦やチームとして疲労困憊になっていた韓国戦ではチームとしての幅の少なさを露呈する結果になってしまった。それは大会を通じてスタメン起用された選手が13名、交代選手もほぼ同じという固定メンバーがもたらした結果でもあり、或いはその幅を自覚していたからこそそうせざるを得ない部分があったんだと思います。そこはオシムジャパンの脆さとして生じた部分でした。
ただ、アジアカップで出た問題点はオシム監督としても南アフリカW杯へのロードマップとしてある程度踏まえていたのか、大会後は10月の欧州遠征に代表されるように新しい形の構築に着手して第2フェーズへとわかりやすく移行していました。オシムジャパンは世間で言われているほど完成されたチームでは無かった一方、やっぱり期待感と希望はすごく大きかった。それだけにその道が途上で……。
オージー戦、合宿先で見てたなぁ…
ではでは(´∀`)