「アジアカップ2023 あんたそこで監督やってたんかいな選」企画概要と①はこちら。
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2023年のJリーグを振り返る記事も色々更新しています。それらの記事はこちらにまとめておりますので是非!
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オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。
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(韓国)
現職:2023年2月〜
国籍:ドイツ
生年月日:1964年7月30日
数多くの偉大なFWが時代を彩ったドイツサッカーの歴史の中でもトップクラスのレジェンドFW。ドイツではシュトゥットガルトとバイエルンで活躍したが、選手の国外移籍がそこまで活発でない時代にイタリア、フランス、イングランドでも活躍した。ドイツ代表では西ドイツからドイツに変わりゆく時代の中でエースとして1990年イタリアW杯優勝に貢献し、歴史上8人(男子に限れば6人)しか受賞していないドイツ代表名誉キャプテンにも選出されている。
監督デビューは自国開催となった2006年ドイツW杯では戦術担当のコーチにヨアキム・レーヴを配置し、高齢化していたチームに若手を大胆に抜擢する手法で3位進出へと導いた。アメリカ代表でも二重国籍選手の勧誘を積極的に行いながらブラジルW杯では死の組を突破してベスト16に進んでいる(この時、アメリカにあと一歩及ばなかったポルトガルの監督をしていたのが前韓国代表監督のパウロ・ベント)。
韓国代表の新監督選定は難航していた中での就任となったが、アメリカ代表で解任された時の惨状やクラブチームでは失敗が連続している事、そこに自身の発言も輪をかけて韓国国内での批判は高まっている。アジアカップでの結果でそれを覆す事は出来るか。
(オーストラリア)
現職:2018年7月〜
国籍:オーストラリア
生年月日:1963年8月3日
元オーストラリア代表のFWで長きに渡って代表で活躍。1997年にはオーストラリア代表時代に監督を務めていたエディ・トムソンに請われて、Jリーグでも広島で2シーズンプレーした。日本がドイツW杯でヒディング率いるオーストラリアに悲劇的な逆転負けを喫した試合にもコーチとして参加している。
監督に昇格した2007年のアジアカップでは日本に敗れたが、その後U-23代表監督では北京五輪出場を果たし、母国のクラブでも結果を出した。2014年に就任した仙台での監督業は失敗に終わったが、シドニー五輪を経てロシアW杯後からオーストラリア代表監督に復帰。同時期に就任した日本の森保監督と同様に、アジアカップ2019や最終予選での戦いは不安視されていたが、カタールW杯のベスト16で評価を取り戻して2週目の契約を勝ち取った。
(ウズベキスタン)
現職:2021年8月〜
国籍:スロベニア
生年月日:1963年7月16日
今なお伝説として語り継がれている1990年イタリアW杯ユーゴスラビア代表の一員。イビチャ・オシムの薫陶を受け、ドラガン・ストイコビッチらと共にベスト8に進んだチームに貢献した。この事からオシムの愛弟子の一人として紹介される機会も多い。ドイツのシュトゥットガルト、イタリアのサンプドリアでもプレーしており、両クラブの黄金期の一角を担っている。
引退後は母国・スロベニアの監督に34歳にして就任し、EURO2000や2002年日韓W杯出場を達成した。日韓W杯後に就任したオリンピアコスでの監督業以降はスロベニア代表監督にも再任するなど代表監督としての活動が主だっており、アジアでの指揮はUAE、イラクに続いて3ヶ国目となる。
(UAE)
現職:2023年7月〜
国籍:ポルトガル
生年月日:1969年6月20日
ルイス・フィーゴやマヌエル・ルイ・コスタらを擁したポルトガル黄金時代でボランチを担った名手。EURO2000や日韓W杯にも出場しており、キャリアの晩期に移籍したスポルティングCPでは、当時デビューしたてだったクリスティアーノ・ロナウドにも影響を与えた。
監督としては引退したスポルティングCPでユース監督を経て、そのまま昇格したトップチーム監督として台頭。その実績を買われてポルトガル代表監督に就任して挑んだブラジルW杯では屈辱のグループステージ敗退に終わったが、2018年より就任した韓国代表ではカタールW杯で母国・ポルトガルを最終戦で下してベスト16進出を果たした。ただしベント自身は前のガーナ戦での退席処分により、肝心のポルトガル戦はベンチ入り停止となっていた。
韓国とは契約を延長する意思を両者とも持っていたというが、最終的には契約年数のところで折り合わずに退任する結果となった。その後の動向が注目されていたが、2023年7月よりUAEの監督に就任。成長著しい同国でのW杯出場を目指す。
ではでは(´∀`)