今回も【遠藤保仁 最強チーム選手権】という事で、遠藤保仁が君臨した印象的な、かつ好成績を残したチーム/シーズンの中で、結局最強のチームは、ベストチームはいつなのかを振り返ってみよう…と。遠藤保仁が君臨した2種類の青……ガンバ大阪と日本代表からそれぞれ7チームずつノミネートしていこうじゃないかと。そういう趣旨でございます。詳しい企画概要と言いますか、前口上的なものはPart1をご覧くださいまし。
「選手権」とは言いますが、あくまでノミネートなので順位は皆さんの思い出と感覚で勝手に付けて貰えると嬉しいです。今回はガンバ大阪編の7チームです。
【遠藤保仁 最強チーム選手権】
・ガンバ大阪編Part2
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【ガンバ大阪編】
#4 ガンバ大阪2007
監督:西野朗(6年目)
J1リーグ:3位(勝点67:19勝10分5敗)
ナビスコ杯:優勝
天皇杯:ベスト4
ゼロックス杯:優勝
結果的には浦和とのタイトルレースを戦っていると思ったら突然復活した鹿島に追い抜かれる形です優勝は果たせなかったが、平均得点と平均失点の両方がクラブ史上トップ5に入っている唯一のシーズンであり、シーズン5敗はガンバ史上でも最少。ナビスコ杯では決勝戦で共に攻撃サッカーを標榜していた川崎と対戦し、1-0で勝利して初めてのカップ戦タイトルを獲得した。
前年は4バック移行を目指しながらも結果的に3バックと併用する形になっていたが、宮本恒靖が海外移籍に伴い退団した事がかえって退路を断つきっかけにもなったのか、2007年は開幕から完全に4バックにシステムを変更。その中で左SBにはMFを本職とする安田理大をコンバートさせ、安田が攻め上がった時は加地が3バックの右CB的なポジションに入る可変的な要素も持ち合わせていた。圧倒的な構成力を誇る中盤と圧倒的なストロングとして機能するFW、そこに播戸竜二と家長昭博をスーパーサブとして控えさせる神懸かり的な編成は、この年に掲げた「超攻撃」というスローガンに相応しい輝きを見せた。
何よりこの年から中盤が遠藤保仁、橋本英郎、明神智和、二川孝広の4枚で完全に定着。前年の4バック採用時にもこの4人の中盤は既に魅惑のパスワークを見せていたが、同年に橋本が代表デビューを果たした事で4人全員が代表経験者となり、この4MFが「黄金の中盤」「黄金のカルテット」と呼ばれるようになったのはこの年からだったように思う。ジーコジャパンでは黄金のカルテットを追いかける立場だった遠藤が、ガンバでは自分を中心とした黄金の中盤を形成していたのも何とも味わい深いストーリーである。
#5 ガンバ大阪2008
監督:西野朗(7年目)
J1リーグ:8位(勝点50:14勝8分12敗)
ナビスコ杯:ベスト4
天皇杯:優勝
クラブW杯:3位
パンパシ杯:優勝
スルガ銀行杯:準優勝
ガンバ史上最も濃密かつ、遠藤保仁という存在がいち中心選手ではなく、伝説の領域に踏み込む事を確定させたシーズンと言える。Jリーグクラブが物理的に消化可能な全スケジュールのうち、ゼロックス杯とナビスコ杯決勝の2試合を除く61試合を戦う狂気のシーズンとなった中、リーグ戦こそ不振に終わったもののACLでは前年の浦和に次ぐ日本勢2チーム目の優勝を達成し、西野監督が「野戦病院状態」と称するほど満身創痍で戦った天皇杯も制覇。そしてクラブW杯では構成に語り継がれるべきマンチェスター・ユナイテッドとの伝説の一戦があり……ガンバ大阪にとっても遠藤保仁にとっても、まさしく金字塔のような一年だった。
チームのベースとしては黄金の中盤を軸に2006〜2007年に構築したものが主となっていたが、シジクレイとマグノ・アウベスの退団により新たに水本裕貴とルーカスを獲得。3億円をかけて獲得した水本が大誤算だった一方で、それまでのキャリアでレギュラーになっていた時期がほぼ無かった中澤聡太が、ガンバのパスサッカーを構築する上で「中盤に縦パスを常に通せる才覚」を発揮して台頭した事は当時のガンバのスタイルを端的に表す出来事でもあった。システムは4-4-2で固定した前年とは異なり、バレーの退団も影響して4-2-3-1を併用。その中でFWと2列目をこなせるルーカスとなんか全部のポジションやってたような気すらする橋本のポリバレント性は大きな助けになったが、この年は遠藤もボランチのみならずトップ下で起用される機会も多く、ACL決勝などアタッカーっぽいゴールも少なくなかった。
日本年間最優秀選手賞を受賞するなど、この年はまさしく遠藤保仁の為にあったような一年となり、前述のマンチェスター・ユナイテッド戦とその試合でファン・デル・サールを相手に決めたPKは象徴的な場面として記憶されている。アレックス・ファーガソン監督によるガンバへの賛辞はリップサービス的な部分も含まれてはいるだろうが、仮に全てがリップサービスならば決勝戦後に「キト(決勝の対戦相手)には遠藤くらいのクオリティーの選手はいなかった」という言葉は出ないと思う。
正直なところ、個人的にはチームの完成度は2006年と2007年方が高かったとは思うが、やっぱり2005年と2008年は何物にも変え難い特別な一年だった。
#6 ガンバ大阪2014
監督:長谷川健太(2年目)
J1リーグ:優勝(勝点63:19勝6分9敗)
ナビスコ杯:優勝
天皇杯:優勝
言うまでもなくガンバ大阪として最高の数字を残したのが2014年。まさかのJ2降格から1年でJ1復帰を果たしたガンバは、序盤戦こそ宇佐美貴史の負傷離脱や久々のJ1とあってリズムの違いに苦しむ場面もあり、ブラジルW杯に伴う中断期間には降格圏に位置して突入する有様だった。だが宇佐美が復帰し、夏場には新たにパトリックを獲得。これがビタハマりするとリーグ再開後は5連勝から1分1敗を経て今度は7連勝。歴史上に類を見ないほどの大ブーストをかけ、一時は優勝も時間の問題と目された浦和を捲って世紀の大逆転優勝。更にナビスコ杯決勝では広島、天皇杯決勝では山形をそれぞれ撃破し、Jリーグ史上2チーム目、そしておそらく世界で唯一であろう1部昇格即三冠というもはやイカれた偉業を成し遂げた。
長谷川監督の下で当時はかつてのポゼッションスタイルとは異なるサッカーを志向しており、遠藤の役割もパスワークの中心というよりは攻撃の整理という趣が強くなっており、周りの人の動かし方も含め、そういう意味では「司令塔感」は西野時代よりも強くなっていたかもしれない。その遠藤自身も、前半戦は前年の名残を引き継いだ「FW遠藤」で若干不振に陥ったものの、ボランチに戻り今野泰幸とコンビを組んでからは水を得た魚のようにプレー。これまで10年連続ベストイレブンという偉業を達成しながらも獲得できていなかったMVPを34歳にして受賞している。
遠藤も同年はコンディション面に少なからず問題があり、チームのプレースタイルも相まって西野体制の時のような完全無双状態…という訳には行かなくなっていた。しかしこの頃になると、周りの選手には倉田秋や宇佐美貴史など遠藤に憧れていたような後輩が主力の大半を占めるようになった事で存在そのものが大きな意味を持っていた。特にナビスコ杯決勝の広島戦は2点ビハインドを背負う展開となったが、その際に焦る素ぶりも見せずにいつも通りリラックスした声かけをしている遠藤を見て勇気付けられた、あるいは平常心を取り戻したと多くの選手が語っていたように、プレーぶりだけでなく圧倒的精神的支柱としての役割が大きく発揮されていた一年でもあった。
#7 ガンバ大阪2017
監督:長谷川健太(5年目)
J1リーグ:10位(勝点43:11勝10分13敗)
ナビスコ杯:ベスト4
天皇杯:ベスト16
ACL:グループステージ敗退(4位)
どう見ても最強チームではない顛末を辿ったので企画趣旨からは大きく外れるシーズンになるが、遠藤保仁とガンバ大阪の括りで語るなら「もう少し見たかった形」という意味で取り上げる。
長谷川監督体制5年目を迎えた2017年、チーム自体が前年からマンネリ傾向にあった事に加え、遠藤もフィジカルコンディションは落ちつつあった一方、やはりピッチ全体を手中に収めているかのような感覚と圧倒的なパスセンスは健在であった為、チームに新しい刺激を加えつつ、かつ2017年の遠藤を最大限に活かす為のシステムとして立案されたのが4-3-1-2だった。遠藤をアンカーに置き、その脇に今野と井手口を配置。この2人が時にはストライカーばりの位置まで顔を出し、倉田はアタッカーとしての動きと共に今野や井手口のフォローも兼ねる。いわばアンチェロッティ体制初期のACミランに於けるピルロ・システムのような形だった。
しかし、この戦術を成功させる為には遠藤・今野・井手口が全員出場している事が大前提であり、長谷川監督もそれは自覚していたようで、井手口が負傷したタイミングでこの計画は一旦頓挫。井手口の怪我こそ軽傷だったが、井手口復帰のタイミングで今度は今野が長期離脱となってしまった事でお蔵入りのような形になってしまった。そして2017年はその後地獄を見る事になったのだが……ただ短い期間に見たこのシステムは途中から堂安律が出てくることも含めてロマンがあった。これが上手くいっていれば、少なくとも長谷川ガンバはもっと別の終幕を見たと思う。
ではでは(´∀`)