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【ヤット大先生引退…】 遠藤保仁 史上最強チーム選手権!日本代表編Part2

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今回も遠藤保仁 最強チーム選手権】という事で、遠藤保仁が君臨した印象的な、かつ好成績を残したチーム/シーズンの中で、結局最強のチームは、ベストチームはいつなのかを振り返ってみよう…と。遠藤保仁が君臨した2種類の青……ガンバ大阪と日本代表からそれぞれ7チームずつノミネートしていこうじゃないかと。そういう趣旨でございます。詳しい企画概要と言いますか、前口上的なものはPart1をご覧くださいまし。

「選手権」とは言いますが、あくまでノミネートなので順位は皆さんの思い出と感覚で勝手に付けて貰えると嬉しいです。今回は日本代表編の7チームです。

 

 

 

遠藤保仁 最強チーム選手権】

ガンバ大阪編Part1

ガンバ大阪編Part2

日本代表編Part1

・日本代表編Part2

 

 

 

アジアカップ2023観戦ガイドを作成しました!コンテンツは随時更新しておりますので、是非ご活用くださいませ!

 

2023年のJリーグを振り返る記事も色々更新しています。それらの記事はこちらにまとめておりますので是非!

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

日本代表編】

 

#4 日本代表2010

 

監督:岡田武史

主な実績:南アフリカW杯ベスト16

 

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志半ばで終焉を迎えたオシムジャパンの後を引き継いだ岡田監督体制での南アフリカW杯。ザックジャパンのイメージが強い「遠藤・長谷部のダブルボランチ」を最初に確立させたのが岡田ジャパン体制下だったように、元々は4-2-3-1を採用しながら中村俊輔と2009年頃から急速に台頭してきた本田圭佑の共存も模索していた時期もあったが、大会直前に行われた親善試合で結果も内容も苦しい敗北を喫すると、スイスでの直前合宿よりシステムを4-1-4-1に変更。中村俊輔岡崎慎司がレギュラーから外れた一方、阿部勇樹のアンカーや本田圭佑のワントップといった配置を行い、守備的とは言われながらも前評判を覆してベスト16進出を果たした。

中村俊輔がスタメンを外れ、両WGは守備のタスク、ワントップの本田はボールを収める役割が求められていた中、新たに首相に就任した長谷部と組む形でインサイドハーフに入った遠藤は守備重視の戦術を採用するチームで貴重なパスの供給源として機能。全体的にカウンター寄りの戦い方になった事もあっていつもよりは長めのパスが多く、世にも有名なカメルーン戦での本田のゴールは松井大輔の切り返しから映像が流れる事が多いが、この時松井にパスを通したのも遠藤だった。

遠藤にとってはW杯自体は2回目だったが、前回のドイツW杯では出場機会ゼロに終わり、チームとしても個人としても悔やまれるW杯となっていた。この時点でいわゆる黄金世代は遠藤と稲本の2人となっていたが、他の79年組と比べて代表での活躍は遅かった遠藤は、ドイツW杯以降の4年間で一気にこの国のサッカー界の主役へと躍り出る事となった。

 

 

 

#5 日本代表2011-12

 

 

監督:アルベルト・ザッケローニ

主な実績:アジアカップ2011優勝,ブラジルW杯アジア最終予選突破

 

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南アフリカW杯での戦いぶりは大きな結果を残した一方で、現実路線に振り切った戦い方は、選手自身も割り切りつつも多少の未練を残していた。だが南アフリカW杯後と2010年シーズン終了後に多くの選手が欧州移籍を実現するなど日本代表としての選手層が著しく厚くなったタイミングで就任したアルベルト・ザッケローニ監督は岡田ジャパンのメンバーを中心に据えつつ吉田麻也などの新顔を加え、ショートパスとポゼッションを中心とした攻撃的なスタイルを早々に確立。就任から半年足らずで行われたアジアカップ2011で優勝を飾ると、2012年に開幕したアジア最終予選ではまさに圧倒的なパフォーマンスを披露。2011年に韓国を3-0というスコア以上に蹂躙した親善試合に代表されるように、当時の日本代表は実力・娯楽性・人気の3要素に於いてまさしく一つのピークを迎えていた感覚さえあった。

多くの選手が海外組となり、南アフリカW杯組でもアテネ世代以前の選手は多く代表から外れる中、遠藤はザックの中で「絶対的な存在」として常にキープレーヤーとして扱われていた。特に遠藤・本田・香川のパス交換に長友を絡めた左サイドの崩しを右サイドの岡崎が仕留める攻撃パターンは当時の日本代表の黄金パターンでもあり、本田や香川が象徴的なスターとなる中でも「結局一番外せないのは遠藤」はある種の共通認識とすらなっていた。ザッケローニ監督の通訳を務めた矢野大輔氏の著書「通訳日記」の中でも、ザックが遠藤・長谷部・本田の3人を特に特別視していた事がよくわかる。

ただし、この時点で遠藤は31〜32歳で、ブラジルW杯の時には34歳になる年だった。一般的に考えていつコンディションがガクっときてもおかしくない中で「遠藤依存症」とすら揶揄されている状況はチームが抱える大きなテーマの一つにもなっており、この頃から「遠藤後継者問題」「ポスト遠藤」という言葉が盛んに用いられるようにもなっている。

 

 

 

#6 日本代表2013

 

監督:アルベルト・ザッケローニ

主な実績:欧州遠征1勝1分

 

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ザックジャパンアジアカップからメンバーをほぼ固定しており、実際にメンバーがあまりにも早くに固まりすぎた、そのメンバーで迎えたピークがあまりにも早すぎた事から、2012年後半から少しずつ停滞感が見られるようにもなってきた。そこで2013年の上半期に組まれていたアジア最終予選コンフェデ杯を終えた後、国内組で挑んだ東アジア選手権ではロンドン五輪世代を中心とした新顔を大量に抜擢し、そのメンバーから柿谷曜一朗大迫勇也、山口蛍、森重真人らが代表に定着。9〜10月は従来のメンバーと東アジア選手権からの新メンバーの融合期間みたいなところがあったが、一つの完成形を見たのが2013年の欧州遠征だった。

ザックジャパンはメンバーの固定化に伴うワンパターン化と同時に「遠藤依存症問題」も同時に抱えていたが、その解決策の一つとして2013年後半から導入されたのが「スーパーサブ遠藤」システムである。前半は長谷部と共に守備で力を出せる山口を起用し、どちらかと言えば強度と守備面での強さを出しながら試合のペースを維持する。そして遠藤のエネルギーを後半45分に集中させ、フルパワーでチームの攻撃のリズムを組み立てさせていく。2013年の欧州遠征はオランダ、ベルギーという強豪国との連戦だったが、この2試合はそれぞれ先発メンバーを大きく入れ替えながらも「後半頭から遠藤を投入する」というパターンは共通して採用された。

親善試合とはいえオランダ、ベルギー相手に1勝1分で遠征を終えた事、特にオランダ戦の本田のゴールに至るまでの流れは「日本代表史上最高」とすら言われるなど、長谷部or山口を後半から遠藤にスイッチするパターンは一つの解決策にも見え、確かににエキサイティングな2試合だった。しかし、実際にブラジルW杯本戦でもこの方式が用いられる形になったが、遠藤個人のコンディションもチームのパフォーマンスも一番良くない時期にW杯が来てしまい、史上最強とも目された日本代表に与えられた結末は屈辱の敗退だった。

 

 

 

#7 日本代表2015

 

 

監督:ハビエル・アギーレ

主な実績:アジアカップ2015 ベスト8

 

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ブラジルW杯での惨敗を経た日本は、あまりにも充実していたW杯前とW杯でのチームパフォーマンスの低下を踏まえた時に、チームそのものと共にザッケローニ監督もW杯どころかナショナルチームでの指揮が初めてだった事もあって、ロシアW杯を目指す指揮官としては「W杯経験者」「W杯決勝トーナメント進出経験者」を前提に選考が行われた。その結果、メキシコ代表監督として2度のW杯ベスト16進出経験を持つアギーレが新監督として就任。9〜10月はあまりにも大胆すぎる新戦力の抜擢と芳しくない試合内容が賛否も生んだが、9〜10月で新戦力のピックアップを行い、11月から一気に本番仕様としてのチーム構築を進めた。遠藤もブラジルW杯以降は代表を外れたが11月のタイミングで復帰しており、遠藤のみならず今野泰幸長谷部誠らもこのタイミングで復帰している。

アジアカップの結果はベスト8。21世紀以降では最低の成績を出してしまったが、ブラジルW杯までのザックジャパンのチームのベースは残しつつ、システムを4-2-3-1から4-1-2-3に変更し、本田真ん中、香川左のザック時代から本田右、香川と遠藤のインサイドハーフという配置転換を行い、ポゼッションにショートカウンター要素を加えたスタイルは「ザックジャパンの新解釈」のように見えて、同時に固有のスタイルを有したザックジャパンに対し、固有のスタイルよりもチームに合わせたプランを構築するようなアギーレは確かに代表監督の適正という意味で正しい選択だったのだろうと思わされた。ターンオーバーを一度も行わなかった事には疑問も寄せられたが、同時にUAE戦でのPK敗退を監督の責任とするには無理のあるゲームでもあったが、同時期に勃発していた過去のアギーレが監督を務めていたチームの八百長疑惑(後に無罪)に巻き込まれる形で解任となっている。

ただアギーレの指導は日本代表選手からの好評も寄せられており、キャリアの中で多くの監督と指導をしてきた遠藤も、アギーレとの仕事は実質的に1ヶ月ほどしか無かったにも関わらず印象的な監督としてアギーレの名前を度々出している。

 

 

 

遠藤保仁 最強チーム選手権】

ガンバ大阪編Part1

ガンバ大阪編Part2

日本代表編Part1

・日本代表編Part2

 

 

ではでは(´∀`)