基本的にブログはマッチレビューなどの速報性のあるやつを除いて、分割して書いたり、書ける時やら思いついた時にガーッと書いたりしてます。
よって、書いた時点ではいつ更新するか…は具体的に決めていない事もしばしば。
なのでこのブログも更新日を定めていないので、これを書いている今のTwitterトレンドを一つ書いておきましょう。
「JR梅田駅」
どーもこんばんは
パワーワード…。
さてさて、以前こういうブログを更新しました。
7月4日に行われた2020明治安田生命J1リーグ第2節、ガンバ大阪vsセレッソ大阪の試合にてガンバ大阪のMF遠藤保仁選手がJ1通算632試合出場を達成し、横浜フリューゲルスや名古屋グランパスで活躍したGK楢崎正剛氏を抜いて単独で歴代最多の出場数を達成、Jリーグの記録更新となりました。2019年には現役通算公式戦1000試合出場という偉業も成し遂げた我等がヤット大先生は記録達成後も試合に出場し続けており、現在進行形で記録更新中でございます。
で、上に貼ったブログではですね、それだけの試合に出場出来る=全ての監督から重宝されていた事の証左という事で「遠藤保仁の偉大なるキャリアを遠藤保仁を指導した歴代監督という観点から振り返ってみよう」…ってテーマのブログな訳です。
前回はカルロス・レシャック監督からイビチャ・オシム監督までいきました。今回は後編です!
国籍:日本
遠藤を指導した期間:2008〜2010(日本代表)
前任のオシム監督が急病で監督業の継続が困難な事態に。そこで緊急登板したのが岡田監督だった。就任直後、岡田監督自身が代表の核と考えていた中村俊輔、中澤佑二、そして遠藤の3人を呼び出して「ベスト4を目指す」と宣言したのは有名な話。
今の代表とは異なり、固定するに足るだけのメンバーがそこまで多くなかった当時の日本代表にとって数少ない絶対にスタメンを外れない存在であり、岡田監督も「チームの心臓」「ピッチ上の監督」として全幅の信頼を置いていた。南アフリカW杯のグループE第3戦のデンマーク戦、日本はメンバーこそ変更は無かったものの、それまでの2試合で採用していた4-1-4-1からシステムを4-2-3-1に変更していたが上手く機能しなかった。そこで遠藤が岡田監督に進言し、岡田監督もそれを受け入れる形でシステムを戻した逸話は岡田監督の遠藤への信頼、そして遠藤の岡田監督への信頼を表すエピソードだったようにも思う。その試合ではその後、遠藤自身がフリーキックを直接決めて3-1での勝利の立役者となった。
国籍:イタリア
遠藤を指導した期間:2010〜2014(日本代表)
南アフリカW杯の時点で30歳以上だった選手の中で遠藤は唯一ザックジャパンにも定着し、ザッケローニ監督就任直後のアジアカップでも優勝に大きく貢献。…そもそも定着どころか、ポゼッションを重視した攻撃的なサッカーをガンバでも体現していた遠藤にとって、似たベクトルに向かって進んだ代表チームでの役割がこれまで以上に大きくなった事は必然の流れだったのかもしれない。実際、ザックジャパンに於ける殆ど全ての試合でダブルボランチは遠藤と長谷部誠のコンビであり、この頃から「遠藤の後継者探し」は日本代表の重要課題の一つとなっていた。
ザッケローニ監督の通訳を務めていた矢野大輔氏が出版した回顧記によると、ザッケローニ監督はチームの方向性や選手側の意見として、全体ミーティングなどを開く前に長谷部誠、本田圭佑、そして遠藤の3人を呼び出して少人数ミーティングを行う事も多くあったという。コンディションの問題もあってブラジルW杯本戦では山口蛍がレギュラーとして起用されたが、史上最強との呼び声高いザックジャパンの栄光は遠藤無しでは成り立たないものだった事は間違いない。
国籍:ブラジル
遠藤を指導した期間:2012(ガンバ大阪)
省略。
国籍:日本
遠藤を指導した期間:2012(ガンバ大阪)
前任の監督さんが派手にやらかして退任した後に就任したのは当時アシスタントコーチを務めていたミスターガンバこと松波監督であった。ガンバでは西野監督が10年に及ぶ長期政権を敷いていた事もあって、遠藤にとっては初めて「現役時代一緒にプレーした選手が監督になる」という状況になった事にもなる。また、2012年からは山口智の退団に伴い副キャプテンにも就任した。
最終的にJ2降格を止める事は出来なかったが天皇杯では意地を見せるように躍進。準決勝の鹿島戦では遠藤保仁スーパーゴール集に入るようなシュートを決めて勝利した。
国籍:日本
遠藤を指導した期間:2013〜2017(ガンバ大阪)
ガンバがJ2での戦いを余儀なくされた2013年から監督就任。ちなみにガンバのJ2降格が決まった2012年最終節の磐田戦に於いて、NHK試合中継の解説を担ったのも同氏である。また、就任初年度の2013年から退任する2017年までキャプテンも務めた。最大のハイライトといえばやはり2014年に勝ち取った三冠だろう。序盤は不振だったが、今野泰幸とのダブルボランチが固定されると息を吹き返したようにパフォーマンスを取り戻し、その姿は文字通りピッチ上の監督と言えるもので2014年にはMVPをも獲得した。一方、2017年からはスタメンを外れる機会も増え始める。正直、2017年の4-3-1-2システムはもう少し観たかったような気もする。
長谷川監督がガンバでやっていたサッカーと遠藤が理想として目指していたサッカーには幾分か隔たりがあった事は事実だろうし、その分難しいところもあったと察するが、信頼関係においては話はまた別。長谷川監督が退任する際のガンバTVのインタビューでは、就任の経緯として「ヤットと一緒にやってみたかった」という主旨のコメントも残している。
国籍:メキシコ
遠藤を指導した期間:2014〜2015(日本代表)
ブラジルW杯終了後に監督に就任したアギーレ監督は9〜10月までの4試合では代表経験のない選手も含めて新たな選手を多く抜擢した事もあり、遠藤のみならずブラジルW杯メンバーでアギーレジャパンからは遠ざかった選手も複数いた。だがアジアカップ2015が迫った11月に遠藤や今野、それ以外にも内田篤人や長谷部誠も一気に復帰させると、ホンジュラス戦でいきなりスーパーゴールを決めるなど存在感を誇示し、アジアカップでも全試合に出場した事で代表キャップは152試合まで積み上げた。
アギーレ監督は八百長疑惑(2019年に無罪判決)によりアジアカップ後に解任されたが、遠藤はアギーレ監督に関して「オレは好きな監督だった」といったように称賛するコメントもいくつか残している。アギーレ監督もまた、当時35歳だった遠藤を高く評価していたので、ザックジャパンほどの皆勤では無くても同氏が続投していれば代表キャップは更に増えていた可能性も高い。
国籍:ブラジル
遠藤を指導した期間:2018(ガンバ大阪)
2018年のクルピ監督就任に伴い、キャプテンを三浦弦太に譲る。序盤戦はトップ下で起用される事が多く、開幕戦では「らしい」シュートでチームの2018年ファーストゴールも決めたが、チームは長い不振から一向に抜け出せず、遠藤もレギュラーとして試合には出続けたがトップ下かボランチかポジションはなかなか定まらず、マテウス・ジェズスとのボランチコンビはさすがに守備力に難があった。
最終的にクルピは7月末に解任。遠藤のキャリアの中では5回目となるシーズン中の監督交代となった。
国籍:日本
遠藤を指導した期間:2018〜(ガンバ大阪)
ツネ様とヤットさんのコンビが再び、そして選手と監督という関係性で見られる事に喜びとロマンを感じたガンバファンは多いはず。…だが、ツネ様就任時はそう言ってられるほどの余裕はそこまで無かった。これまでのようにフル稼働という訳にはいかなくなっているものの、2018年には今野とのダブルボランチ、2019年からはシステムも変わった中でアンカーポジションを務めるなどして、要所要所で宮本監督を支えている。
2020年のルヴァン杯柏戦、最終的に0-1で敗れた試合ではあるが、後半から途中出場した遠藤が試合の流れを一気に変えた事は大きな話題ともなった。
これからも更なる止まらないキャリアを、いつまでも…!
ではでは(´∀`)