G・BLUE〜ブログとは名ばかりのものではありますが...ブログ。〜

気ままに白熱、気ままな憂鬱。執筆等のご依頼はTwitter(@blueblack_gblue)のDM、もしくは[gamba_kyoto@yahoo.co.jp]のメールアドレスまでご連絡お願いします。

ガンバ大阪3-5マンチェスター・ユナイテッドから15年…ガンバ大阪のクラブW杯2008を振り返る。

f:id:gsfootball3tbase3gbmusic:20231218092643j:image

 

 

2008年11月12日、オーストラリア、アデレードガンバ大阪はその地でAFCチャンピオンズリーグを制し、アジア王者の座に登り詰めました。

 

 

アジア王者になるということ…それは同時に、サッカーという分野においては小国だった日本にとっての大いなる挑戦権、日常というリーグ戦から非日常の2週間に飛び込む権利を与えられる事と同義でした。

 

その舞台の名は"2008 FIFAクラブワールドカップ"。

2008年12月18日、クラブW杯準決勝、ガンバ大阪vsマンチェスター・ユナイテッド。あの日からちょうど15年です。

 

 

 

あの試合を、あの90分を、この国のサッカーの歴史として語り継いでいくべきだと思うのは「私自身がガンバファンだから」という理由だけではないと思っています。

日本代表チームに海外組なんて5人いれば多い方だったあの時代、今のように毎年誰かはビッグクラブやチャンピオンズリーグにいる状況なんて夢物語でしかなかったあの時代、日本と欧州強豪国との距離なんて測ろうとさえ思えなかったあの時代…長すぎる歴史の中でも5本の指に入るほどの黄金期を過ごしていた赤い悪魔を相手に真っ向から立ち向かったあの試合は、私自身が今までのサッカー人生の中で見てきた試合の中でも最も美しい試合の一つでした。

という訳で今回は、ちょうどその得点者の一人でもある橋本英郎氏の引退試合も16日に行われたという事で、15年前のクラブW杯に於けるガンバ大阪の戦いぶりを振り返っていきます。

橋本英郎引退試合の写真や感想はTwitterやら Instagramやらに色々出しているので是非(追々ブログも書きます)。

 

 

2023年のJリーグを振り返る記事も色々更新しています。それらの記事はこちらにまとめておりますので是非!

 

Jリーグ30周年記念特集こちらから!

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

FIFAクラブワールドカップ2008 ガンバ大阪登録メンバー23名】

GK1 松代直樹

DF2 中澤聡太

DF5 山口智

DF6 福元洋平

MF7 遠藤保仁

MF8 寺田紳一

FW9 ルーカス

MF10 二川孝広

FW11 播戸竜二

DF13 安田理大

FW14 平井将生

MF16 佐々木勇人

MF17 明神智和

FW18 ロニー

DF19 下平匠

MF20 倉田秋

DF21 加地亮

GK22 藤ヶ谷陽介

MF23 武井択也

FW24 星原健太

MF27 橋本英郎

GK29 木村敦志

FW30 山﨑雅人

監督 西野朗

 

 

 

FIFAクラブワールドカップ2008準々決勝

アデレード・ユナイテッド0-1ガンバ大阪

2008年12月14日19:30@豊田スタジアム

G大阪得点者:遠藤保仁(23分)

 

f:id:gsfootball3tbase3gbmusic:20231218091924j:image

 

ガンバのクラブW杯デビューは豊田スタジアムから始まった。本来はアウェイのはずのスタジアムに38141人の観衆を集めて迎えた対戦相手はアデレード。クラブW杯は1ヶ国につき1チームしか出られない規定があるが、開催国である日本からはガンバがACL優勝に伴い出場権を得ていた為、前述の規定に基づき開催国王者枠がACL準優勝のアデレードに譲渡され、オセアニア代表との初戦を制したアデレードとのACL決勝の再戦となった。同様のケースは前年の浦和vsセパハンでも起こっている(ちなみにどちらも鹿島が開催国王者としての出場枠を失うハメになった)。

過密日程や負傷者続出で既に満身創痍に近い状態になっていたガンバだったが、この試合にはACL決勝と同じスタメンを揃える事に成功。立ち上がりこそアデレードが良い入りを見せ、ガンバも佐々木勇人が早々に負傷退場となるアクシデントがあったが、試合は徐々にガンバペースへ。23分には明神智和の縦パスを二川孝広がトリッキーなパスで繋ぐと、途中出場の播戸竜二が粘って落としたところに走り込んだ遠藤保仁が流し込んでガンバ先制。遠藤の冷静さもさることながら、二川と播戸の個性も光る得点となった。

前半からアデレードのシュートがポストを叩くなどガンバの一方的な勝利となったACL決勝とは異なり一進一退の試合展開となったが、後半は再びガンバも優勢を取り戻していく。追加点が奪えないまま終盤こそパワープレーによる反撃を許したが、終了間際の右クロスに合わせたヘッドはギリギリ枠の外へ。二川の負傷退場という今なお悔やまれる不安要素を残しながらも、ほぼ1ヶ月で3度対戦したアデレードから3戦全勝、3戦全完封勝利でマンチェスター・ユナイテッドへの挑戦権を得た。

 

 

 

FIFAクラブワールドカップ2008準決勝

ガンバ大阪3-5マンチェスター・ユナイテッド

2008年12月18日19:30@横浜国際総合競技場

G大阪得点者:山﨑雅人(74分),遠藤保仁(85分),橋本英郎(90+1分)

マンU得点者:ネマニャ・ヴィディッチ(28分),クリスティアーノ・ロナウド(45+1分),ウェイン・ルーニー(75分,79分),ダレン・フレッチャー(78分)

 

f:id:gsfootball3tbase3gbmusic:20231218045549j:image
f:id:gsfootball3tbase3gbmusic:20231218045552j:image

 

今となってはビッグクラブと日本サッカーの距離はそう遠くはなくなった。常に誰かしらは欧州のビッグクラブに籍を置き、日本代表自体も十分に戦えるだけの実力を有している。節々のレベルを踏まえれば追いつくにはまだ遠い事は確かだとしても、今はお互いにとって、決して視界に入らないような存在ではなくなったと思う。

 

 

 

その点で言えば、今年のクラブW杯では浦和レッズマンチェスター・シティが戦うが…浦和vsマンCや2016年の鹿島アントラーズvsレアル・マドリードの2試合と、このガンバvsマンU及び前年の浦和vsACミランの2試合では、海外組なんて5人いれば多い方だった当時の日本サッカーにとっての意味合いが全く違っていた。ましてや当時のマンUはあれだけ輝かしい歴史を誇る名門にとっても歴史上トップ3に入るほどの黄金時代。見慣れた青黒の戦士とクリスティアーノ・ロナウドが同じ画角に収まる事など想像もできなかった時代が、この聖戦の舞台だった。

ガンバと言えば超攻撃的、超攻撃的といえばガンバの図式がJリーグでは既に確立されていた中で、ガンバがマンUを相手にしてもそれを貫くのかどうか…は一つの焦点でもあったが、序盤からガンバは攻めに攻めた。ファーストシュートは橋本英郎。そこから明神智和安田理大が立て続けにシュートを放つ。13分には遠藤保仁のパスから播戸竜二が決定機をも迎えた。圧倒的な力の差があるマンUが蹂躙するようなカウンター見せたところでガンバは怯まなかった。しかし…ガンバの果敢な攻めの前には伝説のGK、エドウィン・ファン・デル・サールがことごとく立ちはだかり、CKから頭ひとつ抜けたヴィディッチロナウドに1点ずつ決められてしまい0-2。奮闘したとて、圧倒的な個は不条理なまでに突き刺さっていく。

それでも当時のガンバは華麗な攻撃的サッカーと共に、華を後半に持たせるような戦いを見せるドラマ性が常にあった。結局のところ、それが当時のガンバにとって守りを固める事以上の最大の勝ち筋だったように思う。中央に君臨する遠藤は赤い悪魔を前にしても遜色のないほどの存在感を放ち、それに呼応するように攻撃陣は躍動する。74分、右サイドでボールを持った遠藤の縦パスを受けた橋本が中央に繋ぐと、これを山﨑雅人が流し込む。世界のサッカーが遥か遠くにあったこの時代、攻めて攻めて攻めた末に遂にもぎ取った、それも流れの中から掴んだあのゴールは、今振り返っても歴史的な一撃だったと今でも言える。

だがしかし、山﨑のゴール直前に投入されたウェイン・ルーニーの牙の前に一気にズタズタにされたガンバは、1点を返したと思えばすぐに返され、遠藤のFKはまたもファンデルサールに阻まれ、詰めた播戸はギャリー・ネヴィルに潰される。スコアは一気に1-5にまで拡げられていた。確かに勝ち筋は試合前から目視できるかも怪しいほど細かったに違いない。でもあの日のガンバは、その細い道を正面突破で拡げられるほどのモノを持っていた。85分、播戸のクロスがネヴィルのハンドを誘発すると、このクラブの歴史の中に永遠と輝くであろうファンデルサールとのPKを遠藤が制する。贔屓目と言われようが何と言われようが、あの状況、この実力差で、当時マンU相手に猛攻を仕掛ける事が出来たJリーグチームなど他にあっただろうか。ほぼ全てのスタッツでガンバが上回ったこの試合で、マンUが100%で戦っていたとは言わない。だがそれでも、マンUが本気の顔をする瞬間を引き摺り出したのは他でもないガンバの、西野ガンバの全てを詰め込んだようなパフォーマンスだった。試合後にファーガソンから贈られた賛辞にはリップサービスも含まれてはいただろうが、全てがお世辞ならば決勝戦の後に「(決勝で対戦した)キトには遠藤のような選手はいなかった」というコメントは出なかっただろうし、あくまで選手の移籍話に際した質問に対する例え話であって深い意味はなくとも、当時インテルの監督を務めていたモウリーニョは「私がインテルの監督であろうと、ガンバ大阪の監督であろうと、NYレッドブルズの監督であろうと…」と何も関係ないところで名前を口に出させるだけのインパクトはあった。彼がこの試合をどう捉えているのかの真意は定かではないが、少なくとも爪痕と彼らにとっての計算外を与えた事は間違い無い。それは西野朗と類い稀なる個性が築き上げた奇跡のチームの最高到達点だった。

ロスタイム、山口智インターセプトはルーカスに回り、ルーカスは前線へスルーパスを送る。橋本のシュートがネットを貫くように突き刺さった時、ファンデルサールゴールポストを蹴り上げた時、そこに存在した現実は夢より美しかったと今でも思う。

 

 

 

FIFAクラブワールドカップ2008 3位決定戦

パチューカ0-1ガンバ大阪

2008年12月21日16:30@横浜国際総合競技場

G大阪得点者:山﨑雅人(29分)

 

f:id:gsfootball3tbase3gbmusic:20231218091909j:image

 

マンUとの壮絶な試合から中3日。本来ならば中米の名門と戦える事はクラブにとってまたとない貴重な機会なのだが、ただでさえ過密日程の中を泳ぐように2008年を過ごし、その中である種、全員がハイになるような試合を2日前に過ごしたとあればこの試合を前にしたコンディションが悪いことは否めなかった。

試合後の山口の「準決勝の疲れはあったが、プライドだけで戦っていた。今日は勝つことが大事だったから」という言葉が全てだったのだろう。ポゼッションスタイルを貫いていたガンバだったが、徹底度っぷりはメキシコのクラブであるパチューカが上回っており、支配率で大幅に下回る展開はこの年のガンバでは稀だった。それでも29分、橋本のパスを受けた播戸がキャラに似合わぬ(?)テクニカルなパスを送り、山﨑がアウトサイド気味のシュートを放って先制。トーナメントに無類の強さを誇った男のゴールで前半をリードで折り返す。

パチューカは決してサイドストーリーに留められるような相手ではない強さを持つチームだったが、極端な話…ガンバはマンUとの試合を美しいものとして歴史に溶けさせる為には、パチューカに勝利する事は絶対条件だった。後半もパチューカにボールを持たれる時間が続いていたが、ガンバは縦というオプションも持ち合わせていたがゆえにカウンターでチャンスを作りつつ、ボランチ武井択也の投入で守備を固めていく。マンU戦で示した美学に説得力を纏わせる為には何がなんでも前半のゴールを守り切る必要があった。終了間際には二川が一発退場というアクシデントもあったが、なんとか前半のゴールを守り切って1-0で勝利。アデレード戦が夢舞台への最終決戦、マンUとの90分が夢の結実であるとすれば、パチューカ戦はアジア王者として最後に果たすべきミッションのような試合で、それを完遂してみせた。

疲労困憊のガンバはまだ天皇杯を控えており、コンディション問題は西野監督が「野戦病院状態」とコメントするほどになっていたが、リーグ戦の不振で来季のACL出場が天皇杯に懸かっていたガンバは「クラブW杯に戻ってくる事」をモチベーションに怒涛の2008年のクライマックスを目指していく事となる。

 

 

遠藤保仁引退試合ってどうなるんだろう…

ではでは(´∀`)