RK-3はきだめスタジオブログ

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今こそ振り返る、2005年のガンバ大阪〜橋本英郎の引退試合をより楽しむ為の特集〜

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前回に続いて橋本英郎引退試合特集という事で。

前回はシンプルに見どころを4つピックアップしましたが、今回はチームについてです。

 

 

通常、引退試合は特定のクラブの選抜チームvs代表を含めたそれ以外のチームの選抜チーム…というカードで開催される事が主です。直近で言えば橋本英郎引退試合の翌日に行われる中村俊輔引退試合なんかがそれにあたりますね。

 

 

今回で言えば、シンプルに「ガンバ選抜vsその他の選抜チーム」という形式がオーソドックスな引退試合の形です。

しかし今回は「ガンバ大阪選抜」ではなく、2005年メンバーに限定した「ガンバ大阪'05」として試合を行う事になっており、本来であればガンバ選抜にカテゴライズされるであろう加地亮稲本潤一播戸竜二安田理大、髙木和道も代表選抜となっているほど徹底した縛りを設定しています。相当2005年のチームの再現にこだわりを、何より思い入りを持っているという事でしょう。そして2005年に対する思い入れは多くのガンバファンがそれだけ強いものを持っているはずです。私自身、あの年からサッカーを見始めて、あの年からガンバ大阪という概念に捕まってしまった訳ですから……2005年への思い入れは強いです。

とはいえ、言っても2005年は18年前。今ガンバファンとして過ごしている人の中には当時はがんば、あるいはサッカーに興味を持っていなかった、なんなら産まれてすらいなかったとかでリアルタイムで2005年を見ていない方も多くなっているはず。それこそ、あの伝説の最終戦はリアルタイムで見ていなかった人も強く頭に残っていると思いますが、ではそこに辿り着くまで……そもそも、ガンバ大阪が初優勝を遂げた2005年とはどんなシーズンだったのか?を今回はざっくりと改めて振り返っていきたいと思います。

 

 

↑2005年については、ガンバ大阪公式YouTubeがアップしている2005年のハイライト映像及びDAZNで最終節が配信された際のトーク番組も併せてお楽しみください。

 

 

 

【押さえておきたい!橋本英郎引退試合のポイント特集】

前編:橋本英郎引退試合のみどころ選

後編:そもそもガンバ大阪の2005年とはどんな年だったの?

 

 

2023年のJリーグを振り返る記事も色々更新しています。それらの記事はこちらにまとめておりますので是非!

 

Jリーグ30周年記念特集こちらから!

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

【開幕前】

 

「良い若手は育つけど弱い」「数年に1回だけ一桁順位に顔を出す」程度のクラブだったガンバでしたが、2002年に西野朗監督が就任すると初年度からいきなり優勝戦線に絡み、2003年は沈むもと2004年には再び年間順位で3位に入るなど優勝争いを展開。特に2004年は絶対的エースだった長身FWマグロンが負傷離脱しながらも、その間に遠藤保仁二川孝広を中心とした、その後に繋がるパスサッカーがチームに浸透。結果としては2002年も2004年も勝負どころの大一番をことごとく落とした事で優勝は得られませんでしたが、シドニー五輪世代の選手達を中心にした編成はまさに機を熟し、黄金期前夜の予感は漂っていました。

 

 

Jリーグが2ステージ制から1シーズン制に正式移行した初年度となる2005年は前年のメンバーをベースにしつつ、ワールドユース(現:U-20ワールドカップ)で正GKを務めるなど世代別代表の常連だったGK藤ヶ谷陽介を獲得。更にそれまで絶対でエースだったマグロンの穴を埋める補強として当初は市原や京都で年間20得点ペースで得点を重ねていた崔龍洙獲得に動きましたが、2004年のスタイルを更に促進する狙いで急遽方針転換。それがブラジルでは抜群の実績を誇りながら鳴り物入りJリーグ入りを果たしながらも、2004年の清水では不完全燃焼に終わっていたアラウージョでした。

シーズン前には前年に20得点を叩き出してブレイクした大黒将志が、2月のドイツW杯最終予選北朝鮮戦のゴールで一躍時の人に。近年の成長が著しく、元々宮本恒靖というカリスマ的な選手がいたところに「大黒様」という新たなスターが台頭したガンバは、世間からの注目もこれまでとは違うものが注がれる中でシーズンに突入しました。

 

 

 

【ちょっと微妙な序盤戦と徐々に温まる攻撃陣】

 

しかし期待されながら迎えた2005年ですが、開幕戦では昇格組にしてJ1初挑戦となった大宮を相手に終盤の2失点でまさかの敗戦。

 

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第3節川崎戦では同じく昇格組だった川崎に、終了間際に追いつかれたところから勝ち越す劇的勝利で初勝利を飾りますが、第6節までを1勝4分1敗というなんとも微妙なスタートを切る事に。2014年もそうですけど、序盤あんまり調子良くないのは黄金時代も同じという…。

しかし第7節FC東京戦では大黒のハットトリックなどで5-3という圧勝を飾ると、アウェイでは負けが込んだもののホームでは毎試合のように3得点以上を稼ぐ荒稼ぎっぷり。第11節名古屋戦では前田雅文Jリーグ全体での1万ゴール目となるメモリアル弾も生まれ、第12節C大阪戦ではアラウージョと大黒が2ゴールずつ記録してようやくアウェイ初勝利。スタートダッシュに成功した訳ではありませんでしたが徐々にアラウージョがフィットし大黒やフェルナンジーニョとの最強トライアングルが確立され、ドイツW杯予選とコンフェデ杯に伴う2ヶ月の中断期間に入る第12節終了時点で首位鹿島と勝点10差の3位につけていました。

 

 

 

【大爆発と伝説の鹿島戦】

 

リーグ再開は第13節の東京V戦。この試合は7月2日に開催されましたが、7月23日までの期間に6試合が組まれていた事から「HOT6」と銘打たれた6連戦でしたが、待っていたのはガンバ史上最強の1ヶ月でした。

 

 

 

幕開けとなった東京V戦ではアラウージョが3ゴール4アシストという意味不明なパフォーマンスを見せて7-1で勝利すると、続く広島との2位3位直接対決でもアラウージョが終了間際に勝ち越しゴールを決めて2-1で勝利。6連戦の最後を飾る大阪ダービーでは橋本のゴールも決まって4-1で圧勝し、終わってみればHOT6を5勝1分、しかも6試合で21得点、アラウージョ1人で9得点を叩き出す凄まじい勢いで一気に駆け上がっていきました。

また、この6連戦では第13節東京V戦より家長昭博が左WBを置くようになると、それまで遠藤保仁ボランチを組んでいたシジクレイが欠場した第14節広島戦からは右WBに渡辺光輝を入れつつ、それまで右WBのレギュラーだった橋本をボランチにシフト。遠藤と橋本で組んだWボランチが抜群に機能した事でシジクレイは復帰後は宮本恒靖山口智と3バックで起用される形になり、この6連戦の間に皆様がパッと思い浮かぶ「2005年のガンバ大阪」のフォーメーションが完成したと言えるでしょう。

無敗期間こそ第19節で新潟に敗れてストップしましたが、続く2試合ではこれまでガンバの行く手を度々阻み続けた磐田・横浜FMを連続撃破。特に第21節横浜FM戦はそれまでガンバカラーとして知られた渡辺が終了間際の決勝点を含む2ゴールで劇的勝利を収めたもので、第22節東京V戦もアラウージョのゴールで勝利したガンバは遂に首位に浮上!そして1勝1敗を挟んだ第25節、ガンバは勝点1差で2位につける鹿島との首位天王山に挑む事に。

 

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おそらく、2005年のベストゲームを最終戦以外で選べと言われれば、多くの人が7-1で勝利した東京V戦かこの鹿島戦を選ぶ事でしょう。圧倒的なシチュエーション、戦いの前に舞う紙吹雪…その全てが今までのガンバの歴史の中で見た事のない情景でした。

試合は2-2で迎えたロスタイムにアラウージョのゴールでガンバ勝ち越し!…かと思われた直後、鹿島がアレックス・ミネイロのゴールで同点に追いついて3-3でフィニッシュ。それでも西野朗監督、鹿島のトニーニョ・セレーゾ監督の両者が「ナイスゲーム」と称え合ったこの試合は、ガンバにとってこれまでに感じた事のない余韻を与えましたし、この極上の頂上決戦は多くの人にとって「今年はガンバと鹿島のマッチレースになる」と確信させた……はずでした。

 

 

 

【ああ失速、そして首位陥落】

 

鹿島戦後、残留を争う清水と神戸を共に4-1で蹂躙したガンバのリズムが狂ったのは第28節大分戦でした。

この時、ナビスコカップも決勝戦まで勝ち上がっていたガンバはかつてないほどのプレッシャーと戦う日程を過ごす中で、シャムスカ監督就任から5戦無敗で17位から一気に脱出した…俗に言う「シャムスカ・マジック」の餌食になる形で1-2で敗戦。更にこの試合では宮本の負傷離脱というダメージまで背負ったガンバは続くFC東京戦も落とし、クラブ史上初のファイナルとなった千葉とのナビスコカップ決勝も0-0の末、PK戦で名手・遠藤のキックをGK立石智紀に阻まれて優勝を逃す事に。

ガンバと時を同じくして鹿島も急激に失速した事で首位の座だけは守っていたガンバでしたが、浦和、オシム率いる千葉、そして第18節のダービーの敗戦から無敗で駆け上がってきたセレッソの猛追を受け、1997年や2000年の記憶もあってガンバは徐々に不穏なムードに。それでも宮本が当初の予定よりも驚異的な回復力で復帰を果たすと、勝点4差に迫られていた3位浦和との直接対決を2-1でなんとか勝利。アラウージョの「一番」のハチマキを見た時には優勝を再確信した人もいたでしょう。しかし宮本が復帰したかと思えば今度は大黒が負傷離脱。そしてここから名古屋・大宮・千葉を相手にまさかの3連敗…。11月頭の時点で今季限りの引退を表明していたミスターガンバ松波正信のラストを優勝で飾る……そんな甘美なストーリーは軋み、最終節を前にしたその時、首位に立ったのはよりにもよってセレッソでした。

 

 

 

【20051203】

 

散々長々と文章を書いておいてなんですが、これについてはもう語りません。動画を見ろ。見ろ!!震えて見ろ!!!

 

 

(一応ガンバ、というより2005年最終節というところにフォーカスを当てたブログは前に更新したので、文で読ませろという方はこちらを↓)

 

この年のガンバの勝点は60。この数字って優勝チームとしては多分最も少ない勝点だと思うんですよ。なんなら勝点数で言えばガンバの歴代のトップ5にも入ってない。失点に至ってはなんと58失点ですから、チャンピオンチームとしての安定感があったチームとはお世辞にも言えないでしょう。だから最終節が5チームも絡む壮絶な優勝争いになったところもあるでしょうし。

しかしこの年のガンバが挙げた得点数は82得点。アラウージョ大黒将志という2人だけで49点を取ってしまうようなFWがいて、FWには吉原宏太松波正信も控えていましたし、トップ下にフェルナンジーニョボランチ遠藤保仁がいた。左WBが二川孝広家長昭博というイかれた布陣に加え、宮本恒靖シジクレイ山口智の3バックも得点力があったんですね。いわばこのチームはとにかく、とにかく派手なチームでした。だから極上のロマンとスペクタクルがあって、そんなチームがあんな展開で初優勝した訳ですから、そりゃ誰の胸にも至高のチームになるわな…と。

 

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そしてそんな派手なチームの中で攻撃と守備、パスの繋ぎから空いているスペースの補完まで、一見地味ながらもツボの効いた仕事をフルシーズンやってのけたのが橋本英郎でした。おそらく橋本の姿はハイライトには映ってこない。しかし誰よりも、ピッチの中にいる他の10人こそが「この男こそ絶対に必要」だと確信する……おそらく橋本英郎という選手のキャリアハイは日本代表選出やACL制覇などを経験するこの後の5年間になるのですが、そのプレースタイルの象徴的なシーズンがこの2005年だったのかなと。

あのチームのメンバーにも色々います。J1で監督をやっている人、各種メディアに出演する人、何かしらの事業に携わっている人、太った人、そして未だに現役の選手やJFA会長まで出てきそうな伝説のチーム。単なる同窓会では得られないノスタルジーをパナスタで体感する瞬間が待ちきれません。

 

 

ではではまたね。