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○○は△△の門下生?現監督のアシスタント時代の監督特集〜Jリーグ編〜

自分が飯作るとなれば9割麺。

 

どーもこんばんは

 

 

さてさて、本日は監督についてのお話。

物事には必ずしも「初めて」が付き纏います。よく「監督未経験者を連れてくるな」という批判を聞いたりしますが(自分もたまに言っちゃいますが…)どの名将にも監督未経験者にも「初の監督業」だった時期は存在するのです。

一般的に、初めて監督に就任するまでの流れとしては以下の4パターンが挙げられます。

 

①トップチームのコーチを経て就任する。

②育成組織(高校や大学含む)の監督から昇格or抜擢される。

③フロントから現場に異動する形で就任する。

④引退した選手が即座にストレートで就任する。

 

今季のJ1で言えば多いのは②のパターンですかね。G大阪宮本恒靖監督や鳥栖の金明輝監督は②の典型的なパターンと言えます。

 

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で、今回取り上げるのは①について。

アシスタントコーチやヘッドコーチを経て監督デビューを果たすというのは、一般的に監督デビューまでの流れとしては一番理想的とも言われています。中には自分だけが同じクラブに留まって監督がころころ代わっていく人もいれば、逆に自分が移籍しまくる事で監督も必然的に代わっていく人もいるんですけど、その一方で一人の監督の長期政権で長らくコーチを務めていたり、或いは一人の監督に信頼されて監督の新天地に付いて行った人物も。そしてそういう監督はかつての上司とも言える監督の影響も大きく受けていたり、逆にそことは真逆の路線を進む人も。

なので今回は、現在Jリーグを率いる監督が誰の下でコーチをしていたのか?というところを見ていきたいと思います。

 

 

 

ミハイロ・ペトロヴィッチ(北海道コンサドーレ札幌監督)

イビチャ・オシム(ジェフユナイテッド千葉日本代表監督)

 

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2020年にJ1通算200勝を達成するなどJリーグ史上でも屈指の実績を残した監督ですが、1996年から2シーズンの間、自身の古巣であるSKシュトゥルム・グラーツのアシスタントコーチを務めましたが、この時シュトゥルムの監督を務めていたのが日本サッカー史に多大なる影響を及ぼしたイビチャ・オシムでした。

2006年5月に広島の監督に就任し、入れ違うかのようにオシム監督が日本代表監督に就任したので師弟対決は実現しませんでしたが、ペトロヴィッチ監督は今なお自身の師として度々名前を挙げています。また、広島の監督に就任する際は先に監督就任を依頼していた2人と破談になった後、オシム監督を日本に連れてきた祖母井秀隆(当時千葉GM)の紹介があったとの事。

 

 

鬼木達(川崎フロンターレ監督)

風間八宏(元川崎フロンターレ監督)

 

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鬼木監督は川崎で現役を引退した後、育成部門のコーチを経て2010年からトップチームのコーチに就任。鬼木監督にとっても、そして何より川崎にとっても大きな転機となったのが2012年4月の風間監督の就任でした。

言わずもがな、川崎の風間→鬼木のリレーはJリーグでも屈指の「引き継ぎ型監督交代の成功例」として知られています。風間監督の下でベースをしっかり作り、そのイズムをしっかり受け継いだ後任者が更なる成功に導く……風間スタイルの監督業を一番近くで見て、受け継ぐべき良い部分も修正すべき部分も一番理解出来ていたのが今の成功に繋がっています。

 

 

 

渡邉晋(レノファ山口FC監督)

手倉森誠(ベガルタ仙台監督)

 

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現在、その手腕が高く評価されている監督の一人に数えられている渡邉監督ですが、仙台のアカデミーで働いていたところからトップチームのコーチに昇格した時の監督が手倉森監督の1年目で、そこから手倉森監督の退任まで腹心であり続けました。手倉森監督の後任に就いたグラハム・アーノルド監督が6試合で解任され、大スランプに落ちたところで監督デビューを果たし、そこから手倉森監督に次ぐ長期政権を築いています。

仙台時代、手倉森監督が海外研修に行く際には佐藤洋平GKコーチと共に同行しており、戦術やスタイルというよりは言葉の力などチームマネジメント的な側面に於いて影響を受け、その辺りの影響についてインタビューで「財産」とさえ語っています。

 

 

柳下正明(ツエーゲン金沢監督)

鈴木政一(ジュビロ磐田監督)

 

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現役時代からヤマハから続く磐田の流れ一筋で生きており、サテライトチームやユースの監督を務めた柳下監督がトップチームに本格的に絡むようになったのは2000年9月、鈴木監督の就任と共に昇格しました。

年齢が近い事もあり、師匠と弟子というよりは同僚とか先輩後輩という感じなので、タイトルにある「門下生」とは意味合いが異なりますが、やはり触れておきたかったのは2001年の「N-BOX」という伝説の戦術。鈴木監督もトップチームの監督は初めてだった中で、上手く役割を分担しながら「Jリーグ史上最高のチーム」を作り、2003年以降は監督としても高い評価を得るようになっていきます。

 

 

片野坂知宏(大分トリニータ監督)

西野朗(タイ代表監督)

ミハイロ・ペトロヴィッチ(北海道コンサドーレ札幌監督)

森保一(日本代表監督)

長谷川健太(FC東京監督)

 

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○○の門下生だとかコーチ時代の誰の下でスタッフをしていたのかという話になると、やっぱり特に濃いキャリアを積んでいるのが大分の片野坂監督です。現役を引退した大分の育成部門でスタッフを務めた後、トップチームコーチとしてはガンバ大阪で5シーズン(2007〜2009、2014〜2015)サンフレッチェ広島で4シーズン(2010〜2013)を務めたんですが、この間に一緒に働いた監督のメンツの濃さが凄いのなんの。

まず第一次ガンバ時代は西野監督がいて、超攻撃的と呼ばれるサッカーの一端を担っていました。2010年から移籍した広島ではペトロヴィッチ監督の下で働き、2012年からは監督デビューとなった森保監督を補佐。ガンバに戻った2014年からは長谷川監督の下でヘッドコーチを務めています。この間、獲得したタイトルはなんと10個。2008年には西の監督の下でACL優勝も達成しており、2012年からは広島とガンバで個人としてJリーグ3連覇まで果たしています。

当然、この成績には片野坂監督の貢献も大きく、有能すぎる右腕として高い評価を得ていました。それゆえに監督としても絶対大成するだろうと思われていたところ、2016年から大分の監督に就任。そこでもある意味では驚きのない名将っぷりを見せています。大分でのスタイル的にはこの4人の中では若干ミシャに近い…?(無理矢理言うならミシャ+ちょっとハセケンみたいな…?)

 

 

 

そのうち海外リーグ編やります。

ではでは(´∀`)