あれは8年前の2010年の事
気がつけば来年で放送から10年となるガンバTVもまだ放送開始から数ヶ月の頃、番組MCであるたむらけんじとガンバ大阪の監督としてグアムキャンプを行っていた西野監督の初対談の時です。
それまでお世辞にも強豪とは言えないチームだったガンバ大阪を優勝争いの常連にまで導き、そんなガンバで9シーズン目を迎えようとしていた西野監督に対し、たむけんは「将来日本代表の監督になる可能性はあるのか」というような質問を投げかけており、それに対して西野さんは「今はガンバの監督だから」というように解答をぼやかしていた記憶があります。
どーもこんばんは。
いつもに増して堅い導入となってしまいました。
さてさて、昨晩日本代表のハリルホジッチ監督の解任という衝撃のニュースが走りまして
後任は手倉森誠コーチか?U-21日本代表監督の森保一監督か??或いは3度目のスクランブル登板岡田武史監督か???なんて様々な憶測が飛び交っていましたが、先ほどの記者会見で技術委員長の西野朗氏が日本代表監督に就任する事が発表されました。
というわけで今回は西野朗監督のこれまでの経歴や、私なりの感想を述べていきたいと思います。
4月7日生まれですので、数奇な事にちょうど田嶋会長がハリルに解任を伝えた日に63歳になられた事になりますね。
学生時代は浦和西高校、早稲田大学と進み、早稲田大学在学中には日本代表に初選出。選手としてはその後、現在の柏レイソルの母体である日立製作所一筋でプレーして1990年に現役を引退なさいました。
その翌年の1991年から世代別代表の監督を務めるようになり、日本がW杯初出場を決める2年前には日本代表を実に28年ぶりとなるオリンピック出場に導きます。
普段サッカーを観ないという方でも、日本が最強チームで五輪に挑んできたブラジルを1-0で下した「マイアミの奇跡」という言葉は聞いた事があるのではないでしょうか?わかりやすくいうとその時の監督が西野朗です。
結果的にそのアトランタ五輪ではグループリーグ敗退に終わってしまいますが、退任後は古巣である柏レイソルのヘッドコーチを経て監督に就任。ここでは柏をクラブ史上初のタイトルとなるナビスコカップ優勝、また2000年の年間勝点1位(当時は2ステージ制であり、ステージ優勝は逃した為チャンピオンシップには出場できず年間順位は3位)に導くなど、柏の第一次黄金期を築いたと言えるでしょう。
そして何と言っても西野監督の歴史において欠かせないのが、柏の監督退任の半年後に就任したガンバ大阪での実績でしょう。
10年間という在任期間は未だにJリーグ最長記録ですし、前述のようにお世辞にも強豪とは言えなかったガンバを優勝争いの常連に育て上げ、タイトルもリーグ優勝(2005)、ナビスコ杯(2007)、天皇杯連覇(2008、2009)、そして2008年にはACLも制してクラブW杯ではクリスティアーノ・ロナウド擁するマンチェスター・ユナイテッド相手に3-5というド派手な打ち合いを演じました。
ガンバの監督を務めた10シーズンでトップ3入りを逃したのは2003年と2008年の2シーズンのみ。しかも2008年はリーグでは不調だったもののACLと天皇杯の二冠を達成している事を考えると殆ど失敗と呼べるシーズンがなかった程の高アベレージの成績を残しました。
ガンバのフロントが後任人事をやらかした事が最大の要因とはいえ、退任した次の年にJ2降格してしまった事も西野監督の影響の大きさを測るには十分なエピソードでしょう。
その後は神戸、名古屋の監督を歴任して2016年から現在の技術委員長のポストに就いています。
還暦超えてるとは思えないダンディーっぷりですねぇ...
西野監督のイメージとしては大きく分けて2つ、マイアミの奇跡の時の監督である事とガンバ大阪の礎を築いた監督である事でしょう。
ガンバといえば攻撃サッカー!と言われるようになったのは西野監督の下で培った魅力的な攻撃スタイルがガンバ大阪のクラブとしてのアイデンティティとして染み付いており、Jリーグでそのようなアイデンティティを持つクラブはそう多くありません。
実際私自身、その西野ガンバの虜になった内の1人です。
その反面、ガンバでは守備は疎かにしがちな部分がありましたので、W杯のような大会ではある種諸刃の剣のようなスタイルの日本代表になる可能性も多少あります。
まぁさすがに、残された時間は殆どないので、基本的にはハリルのやり方をある程度踏襲するでしょうからガンバ時代のスタイルで行く可能性はそこまで高くないとは思いますが...
ここからは凄く個人的な意見ですが、冒頭で述べたたむけんの質問もそうですが、実際ガンバファンの中に将来的な西野ジャパン誕生に思いを馳せていたファンは多数いたと思います。
実際私も西野朗が率いる日本代表を見てみたいという気持ちはありましたし、遅ればせながらその願いは叶ったともいえます。
ただ、西野監督が短期間で成績を残せる監督か?と言われると答えはうーん...と言わざるを得ません。
例えば五輪代表の時はその前のユース年代からアトランタ五輪世代と共に仕事をしてきた蓄積がありました。
ガンバ時代にしたって、初年度は年間3位と好成績を収めましたが2年目は不振に陥りました。この時のガンバは試合内容は1年目より向上している事を高く評価し、もちろんその後の結果が示すようにこの時のフロントの判断は英断だった事には間違いありませんが、これはクラブチームだったから出来た話であって代表、ましてや2ヶ月後のW杯に挑むチームとなると話は変わってきます。
神戸や名古屋でも短期政権、特に神戸でなんて実際半年しか指揮を執っていませんから、ある程度の時間を要する監督である事は確かだと思います。
かつて夢にまで見た西野ジャパンの誕生。
嬉しくないといえば嘘になりますが、ここに至るまでの過程が複雑で、素直に喜ぶ事はできないのが今の気持ちです。
今はある意味、自分の身の振り方を考えるのに頭を整理しようと必死です。
ただどんな結果になっても私の中でJリーグ監督で1番好きな監督である事に揺らぎはないでしょうから、西野ジャパンとしてW杯で躍進してくれればこれ以上の喜びはないです。
ではでは(´∀`)