オリックスはいつになれば…という話を今LINEでしてた。
どーもこんばんは
さてさて、11月になると必然的に来季の事を考え始めなければなりません。いくら今年が特殊なシーズンで、いくらまだそれなりの試合数が残っていようとも。川崎の中村憲剛が引退を発表した事が一つの大きなトピックにはなりましたが、これからは一層引退、退団、移籍……そして来季に向けた監督人事の話が出てきます。
そんな中で先日、元日本代表のハビエル・アギーレ氏がJリーグクラブの監督に就任する可能性もある事を自ら語りました。
あくまで噂というかコンタクトを取った程度の話であり、そもそもスペインやアメリカに行く可能性もあるので「日本に来そう!」とかそういう訳では無いのですが、実際に2018年には横浜F・マリノスと接触した事もあるみたいですし、可能性が高い訳では無いけれどゼロでも無さそうな感じ。実際にアギーレ氏を雇える資金力を持ちつつ監督探してそうなチームもパッと思いつくだけで2つあるし…。
そこで今回は、2014年7月から2015年2月までの短期政権ではあったアギーレジャパンで代表デビューを果たした選手、いわゆる「アギーレ・チルドレン」にはどんな選手がいるか、そして彼らの当時と今を見ていきたいと思います。
(データは2020年11月14日時点でのものです)
FW 武藤嘉紀
生年月日:1992年7月16日
代表デビュー戦:キリンC杯 vsウルグアイ(2014年9月5日@札幌)
代表デビュー時の所属チーム:FC東京
現在の所属チーム:エイバルCF
日本代表通算成績:29試合3得点
「アギーレ・チルドレン」の筆頭格といえばなんといっても武藤。2014年に現役大学生ながらマッシモ・フィッカデンティ監督の下でいきなりレギュラーに定着すると大ブレイク。勢いそのままにアギーレジャパンの初陣となったウルグアイ戦で初招集&初出場を果たすと続くベネズエラ戦では初ゴールも記録。これはアギーレジャパンの得点第1号となり、端正なルックスと現役慶應ボーイというスペックも重なって一躍2014年の顔となった。スタメンこそ乾貴士に譲ったが、アジアカップ2015でも全試合に途中出場している。
2015年にはドイツのマインツに移籍したが、この時はチェルシーからもオファーが来ていた。アギーレが退任してヴァイッド・ハリルホジッチ体制となった日本代表では呼ばれたり呼ばれなかったりの当落線上の状態が続いたが最終的にはロシアW杯メンバーにも選ばれ、アジアカップ2019にも浅野拓磨の負傷により参加している。
MF 森岡亮太
生年月日:1991年4月12日
代表デビュー戦:キリンC杯 vsウルグアイ(2014年9月5日@札幌)
代表デビュー時の所属チーム:ヴィッセル神戸
現在の所属チーム:シャルルロワSC
日本代表通算成績:5試合0得点
2014年シーズン前半戦の台風の目となった神戸で王と君臨していたのが森岡だったので、Jリーグから新戦力を招集するとなった時に森岡が呼ばれる事は自然な流れとも言えた。アギーレジャパン初陣のウルグアイ戦でデビューし、香川真司が招集されていなかった事からデビュー戦からいきなり10番を背負った。後のハリルジャパン時代も含めて光るものを見せる場面はあったが、代表定着には至っていない。
MF 柴崎岳
生年月日:1992年5月18日
代表デビュー戦:キリンC杯 vsベネズエラ(2014年9月9日@横浜)
代表デビュー時の所属チーム:鹿島アントラーズ
現在の所属チーム:レガネスCF
日本代表通算成績:47試合3得点
初招集自体はアルベルト・ザッケローニ監督時代の2012年であり、代表未経験者を中心に招集した2013年の東アジア選手権にも招集はされているが、前者は久保裕也など若手数名と共に代表の練習に参加させる意味合いが強く、後者は体調不良により辞退したのでデビューはしていなかった。代表に定着したのはアギーレジャパンの頃からである。ウルグアイ戦では出番がなかったが、続くベネズエラ戦では先発フル出場し、前述の武藤と共に代表デビュー戦でのゴールも決めた。ちなみに過去デビュー戦でゴールを決めた選手は2020年時点で33人いる。
11月に遠藤保仁が代表に復帰してからはレギュラーからは外れたものの、アジアカップ2015準々決勝UAE戦では途中出場でゴールも記録。ハリルジャパンでは戦術とプレースタイルの影響もあって立ち位置が安定しなかったが、西野朗監督就任以降はボランチで不動の位置を築いている。
DF 坂井達弥
生年月日:1990年11月19日
代表デビュー戦:キリンC杯 vsウルグアイ(2014年9月5日@札幌)
代表デビュー時の所属チーム:サガン鳥栖
現在の所属チーム:サムットプラーカーンFC
日本代表通算成績:1試合0得点
アギーレジャパンというか、日本代表史に残る驚きの選出とも言えたのが坂井の抜擢である。当時の坂井といえば所属する鳥栖で少し試合に絡み出したくらいの立ち位置だったので、招集に加えてしかもいきなりウルグアイ相手に先発してエディンソン・カバーニと対峙するなんて凄まじい話である。本人も最初は当時のチームメイトであるGK林彰洋と間違っていると思っていたらしく、正式なメンバーリストを見るまで信じられなかったらしい。また、いわゆる「W酒井」も招集されていたのでこの時は「トリプル酒井」が実現していた。
これは後述する皆川にも似たような事が言えるが、アギーレ監督は初陣に向けて代表経験のない選手も積極的に招集する方針の上で「若くて高身長かつ左利きのセンターバック」をとにかく招集したらしく、その条件に合致する数少ない選手が坂井だった。ウルグアイ戦では自らのミスで失点に絡み、その後の招集はない。それでも代表キャップ1というのは紛れもない足跡であり、勲章である。現在はタイに活躍の場を移している。
MF 田口泰士
生年月日:1991年3月16日
代表デビュー戦:キリンC杯 vsジャマイカ(2014年10月10日@新潟)
代表デビュー時の所属チーム:名古屋グランパス
現在の所属チーム:ジェフユナイテッド千葉
日本代表通算成績:3試合0得点
2014年10月の代表シリーズに向け、吉田麻也が負傷離脱した事により追加招集。CBの負傷でボランチ?という感じではあるものの、当時の田口は名古屋でボランチとして頭角を表しており、当時盛んに議論されていた「ポスト遠藤」候補の一人されていたので近い将来招集される期待はされていた選手ではあった。
ジャマイカ戦でデビューし、続くブラジルとの親善試合ではフル出場。11月シリーズにも継続招集され、当時のホームである豊田スタジアムで行われたホンジュラス戦にも出場したが、アジアカップのメンバー入りは逃した。
DF 松原健
生年月日:1993年2月16日
代表初招集時の所属チーム:アルビレックス新潟
現在の所属チーム:横浜F・マリノス
所属する新潟で定位置を確保し、2年後に控えたリオデジャネイロ五輪の有力候補の一人でもあった事から初陣に招集。代表デビューはならなかったが、11月シリーズにも招集された。この時は長友が負傷で離脱していた事により背番号5が割り当てられていた。
DF 塩谷司
生年月日:1988年12月5日
代表デビュー戦:キリンC杯 vsジャマイカ(2014年10月10日@新潟)
代表デビュー時の所属チーム:サンフレッチェ広島
現在の所属チーム:アル・アインFC
日本代表通算成績:7試合1得点
2012年、2013年のJ1を連覇した広島の絶対的な右ストッパー。ザッケローニ監督時代にも一度代表合宿に参加しており、フリーキックにも魅力があった事から待望論もある中でジャマイカ戦でデビュー。ブラジル戦ではネイマールと対峙し、出場機会は無かったがアジアカップ2015のメンバーにも選ばれた。
2016年のリオ五輪ではオーバーエイジとして出場したが、ハリルホジッチ監督就任以降は代表からは遠ざかる。しかし2017年からUAEリーグに活躍の場を移すと、守田英正の負傷によりUAE開催だったアジアカップ2019で急遽追加招集。グループステージ第3戦のウズベキスタン戦でゴールを挙げたが、この時の会場は自身が所属するチームの本拠地だった。
FW 皆川祐介
生年月日:1991年10月9日
代表デビュー戦:キリンC杯 vsウルグアイ(2014年9月5日@札幌)
代表デビュー時の所属チーム:サンフレッチェ広島
現在の所属チーム:横浜FC
日本代表通算成績:1試合0得点
坂井同様、アギーレ体制初陣におけるびっくり招集のうちの一人。元々2014年はルーキーイヤーであり、ちょうどアギーレ監督の就任が決まって初陣のメンバー選考をしている時に好調期を迎えていた。坂井と同じく、これまでの監督キャリアで最前線にはフィジカルに優れたFWを置いていたアギーレ監督の求めるタイプに合致していた影響も大きい。
いきなり世界屈指のDFであるディエゴ・ゴディンと対峙する事になったが、皆川に関してはウルグアイ戦でも結構頑張っていたと思う。実際、その後代表招集はされていないがアジアカップ2015の予備登録メンバー(50人)には選出されていた。その後は出場機会に恵まれない時期が続いたが、レンタルで移籍した熊本を経て今季は横浜FCの一員として主力として定着している。
DF 植田直通
生年月日:1994年10月24日
代表デビュー戦:E-1選手権 vs中国(2017年12月12日@東京)
代表デビュー時の所属チーム:鹿島アントラーズ
現在の所属チーム:サークル・ブルッヘ
日本代表通算成績:13試合1得点
試合出場はハリルホジッチ監督の時の2017年だが、初招集はアギーレジャパン。それも内田篤人の怪我の影響とはいえ、初招集がいきなりアジアカップ2015だった。ちなみに、準々決勝UAE戦敗退後にPKを外した事でカメラを向けられる香川真司をカメラから隠すようにして助けたとされる場面が大会後に話題になっている。
植田の場合はその後「招集はされるけど試合に出れない」という状態が長く続くが、出場機会こそなかったものの2018年ロシアW杯にはメンバー入りを果たしている。
FW 小林悠
生年月日:1987年9月23日
代表デビュー戦:キリンC杯 vsジャマイカ(2014年10月10日@新潟)
所属チーム:川崎フロンターレ
日本代表通算成績:14試合2得点
所属する川崎での好パフォーマンスが認められる形で10月のジャマイカ戦でデビュー。ブラジル戦では先発出場も果たした。大会中は全試合同じスタメンで戦った影響もあって出場機会はなかったがアジアカップのメンバーにも選ばれている。その後はハリルジャパンでも定期的に招集されていた。
DF 昌子源
生年月日:1992年12月11日
代表デビュー戦:JAL杯 vsウズベキスタン(2015年3月31日@東京)
代表デビュー時の所属チーム:鹿島アントラーズ
現在の所属チーム:ガンバ大阪
日本代表通算成績:18試合1得点
昌子も植田同様に代表デビューを飾ったのはハリルジャパンの時。だが、初陣を除いてはアギーレジャパンの代表招集を毎回受けており(10月シリーズは怪我で離脱)、アジアカップにもメンバーの一人として帯同していた。
当時のスタメンには吉田麻也と森重真人が君臨していたが、アギーレ監督は昌子を高く評価しており、スペインのクラブに「即戦力になりそうな日本人を教えてほしい」と聞かれた際には柴崎、武藤ともに昌子の名を上げた事を語っており、昌子自身もアギーレ監督退任の際には「僕はすごく好きでした」とコメントしている。
番外編
DF 太田宏介
生年月日:1987年7月23日
代表デビュー戦:アジアカップ2011予選 vsイエメン(2010年1月6日@サナア)
代表デビュー時の所属チーム:清水エスパルス
現在の所属チーム:名古屋グランパス
日本代表通算成績:7試合0得点
厳密な代表デビューは2010年のイエメン戦。だがこの試合はそもそも招集メンバーほぼ全員が初招集だった事を踏まえると、ちゃんと代表に定着したのはアギーレジャパンの時で、ブラジル戦とオーストラリア戦で先発起用されている。アギーレ監督は酒井高徳を右サイドバックとしてカウントした事もあり、アジアカップにも左サイドバックの2番手として招集されていた。
MF 田中順也
生年月日:1987年7月15日
代表デビュー戦:キリンC杯 vsアイスランド(2012年2月24日@大阪)
代表デビュー時の所属チーム:柏レイソル
現在の所属チーム:ヴィッセル神戸
日本代表通算成績:4試合0得点
田中も代表デビューは柏レイソルでブレイクを果たしたザッケローニ監督時代に果たしているが、アギーレチルドレンというくくりで語る時には名前が挙げられる存在でもある。遠藤保仁、今野泰幸、長谷部誠が復帰した事でアジアカップのメンバーには選ばれなかったが、アギーレ体制で代表に復帰し、一時は4-1-2-3のインサイドハーフのレギュラーを掴みかけた。というかウルグアイ戦のアンカーは森重が務めた為、この試合で本職MFで中盤起用されたのが細貝萌のみという状態だった。
FW 乾貴士
生年月日:1988年6月2日
代表デビュー戦:アジアカップ2011予選 vsイエメン(2009年1月20日@熊本)
代表デビュー時の所属チーム:セレッソ大阪
現在の所属チーム:エイバルCF
日本代表通算成績:36試合6得点
代表デビューは岡田武史監督時代であり、ザックジャパンでもコンスタントに招集され、かつ試合にも出場していたので少なくともアギーレチルドレンではない。だが、ロシアW杯では主役の座に躍り出た乾の代表キャリアを振り返ると、代表に選ばれていた10年間の間でレギュラーポジションを掴んでいた時期は2回しかなく、それがロシアW杯とアギーレ体制でのアジアカップだった。要するに、アギーレ監督が初めて乾を代表のレギュラーとして使った…という事になる。11月シリーズで結果を残すと、武藤からレギュラーの座を奪ってアジアカップでは4試合全てにスタメン出場を果たしている。
ちなみに、アギーレジャパン唯一の公式戦となったアジアカップ2015のメンバーはこんな感じ↓
GK1 川島永嗣(スタンダール・リエージュ)
MF10 香川真司(ボルシア・ドルトムント)
MF17 長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)
MF18 乾貴士(アイントラハト・フランクフルト)
DF21 酒井高徳(VfBシュトゥットガルト)
こう見ると良いメンツやな2015…。
ではでは(´∀`)