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クラブチーム化とUEFAネーションズリーグの功罪〜カタールW杯での一部欧州勢の不振とアップセットの要因を考える〜

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「幾何の問題のように見えて、実は関数の問題だとか」

 

近年のサッカーは戦術的に複雑化の一途を辿った。それ自体はサッカーにとって良いことで、この競技の進化の証明であり、そして進化の理由なのだろう。

だが、今回のW杯で笑ったチームと泣いたチームのそれぞれを紐解いて考えてみると、クラブチームと代表チームの考え方が、いつか読んだ有名な小説の一節とリンクして思えるようになってきた。

 

 

 

決勝戦のマッチレビューNoteでも書いたが、今回のW杯を一言で表現するとすれば、それは「突き詰めれば結局シンプルに還る」…だったんじゃないか。決勝戦はその「シンプルさ」の極致的な試合だったと思う。そして、もし今大会を象徴するカードがあるとしたら……個人的な贔屓目の感情を抜きにしても、それは日本がドイツとスペインを倒した2試合だった。

思えば大会前、UEFAネーションズリーグが誕生したことによる欧州各国と南米2強を除く非欧州国の格差は広がり、それが如実にW杯の結果に反映されていくんじゃないか…という予想もあった。実際、私自身も予想ほど確信を持っていた訳ではないが、そういう可能性は多少なりとも危惧していた。その観点で言えば、今回のW杯の結果は「クラブチーム化」が叫ばれるようになった現代サッカーへのアンチテーゼではないが、少なくとも代表チームで戦うトーナメントとクラブチームで戦うリーグ戦は、同じ競技のフォーマットを用いた別競技なのかもしれない。

 

 

 

 

今回のブログはカタールW杯で露呈した「ネーションズリーグの功罪」を軸に、日本のドイツ&スペイン撃破に代表される一部欧州チームの不振と、代表チームとクラブチームの考え方について書いていきたいと思う。

 

 

 

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近年……勿論前々から言われ続けてきたのだが、ロシアW杯以降、戦術の学問化と複雑化は急速に進んだような気がする。

それは「再現性」や「ロジカル」という言葉に代表されているが、チームとして戦い方に明確なフォーマットを設けることで、一つのプレーをいつでももう一度出来るような下地を整え、個々の役割やタスク、動き方をパターン化しながらチームとして発揮できるクオリティを常に高く保ち続けられるシステムをチームに仕込み、戦い方を理詰めで徹底していくことで、ピッチ内の現象を論理的に説明できるチームが出来上がる。そしてそれがそのチームにとっての教科書や設計図になり、これが出来ているチームを「ロジカルなチーム」と呼ぶのだと思う。即ち、そういうベースを作っておく事で、今日の点の取り方をもう一度、今日の勝ち方をもう一度出来るようなチームになっていく。そうしていくうちに「10試合戦ったら8〜9回勝てるチーム」が出来上がっていくのだ。

世界のサッカーに目を向ければ、現在ではこれがクラブチームを強くする為の必要条件として見做されている。近年のプレミアリーグに於ける、グアルディオラ率いるスペイン式のマンチェスター・シティとクロップ率いるドイツ式のリバプールの2強体制はその最たる例と呼ぶべきだろう。Jリーグで言えば川崎フロンターレ横浜F・マリノスは勿論、特にサガン鳥栖はその象徴的なチームで、あれだけ選手を引き抜かれていく中でも同じクオリティーのサッカーをしっかり出せているのは、クラブとして確固たる教科書と設計図を用意出来ている事に他ならない。逆に、戦力的には上位にいてもいい選手を揃えるガンバ大阪清水エスパルスが低迷し、鹿島アントラーズも近年はタイトルから遠ざかっている要因として、戦術論理のベースが薄い現実を無視する訳にはいかない。

 

つまるところ、戦術を突き詰めてロジカルに考えていく事はリーグ戦を戦う上での必須条件になりつつある。そこの理屈をしっかり整えられれば、鳥栖のように選手を抜かれても一定の成績を出せるサイクルを回す事が出来るし、むしろその下地のないチームは置いていかれるのだ。

たとえ1試合、その辺りの戦術性を無視したような奇策的なチームに不覚を取ったところで、どう転んだって年に数回は負ける訳である。1試合の勝敗より、10回試合をすれば8〜9回勝てる確率性の高いチームを作る……何かが奇跡的にハマった大型連勝を記録するよりも、1年というスパンで2勝1敗のペースを最後まで続けたチームが最後にリーグ戦の頂点に勝つ。そういう状況を作る為に、ロジカルな設計を敷いて確立性の高いチームを編み上げる事は絶対的に必要なベースになってくるし、そういうチームが継続的な好成績にありつける。逆に、その日暮らし的に1試合に徹底的にフォーカスする短期思考にスポットを当てているチームはその1試合、或いは1年限定であれば上位に行けたとしてもその栄光は長くは続かないだろう。だからこそ近年は「1年強くて3年弱いチーム」にならない為に「1年捨ててでも3年強いチーム」を目指そうとしているクラブも多い。

ここ最近ではそれがテクノロジーの発達によってピッチ上の現象がデータとして解析されるようになり、それがインターネットの発達によって一般層にも可視化されるようになった。そのおかげで、一般のファンもそういう視点でサッカーを見れるようにもなったと思う。ただ、この戦術の複雑化の流れ自体はグアルディオラFCバルセロナ以降かなり顕著になっていたので、最近一気に加速したのであって、潮流そのものは昔から始まっていた。そして、前述のマンチェスター・シティリバプール、ドイツのバイエルン・ミュンヘンのように、戦力とロジックの両輪を満たしたチームが必然的に無双状態と化し、そしてそこに更に人が集まる事で、いわゆる完全無欠のようなチームがいくつか生まれ始めてきた。

 

 

 

ただ、近年はその潮流が代表チームにも求められ始めるようになってきた。それが俗にいう「代表のクラブチーム化」である。

最もわかりやすいのがスペインとドイツで、前者はFCバルセロナ、後者はバイエルンを常にベースに置くようになった。スペインに関しては「バルサ的なサッカー」はスペインという国のサッカー文化として根付いていて、それが育成のDNAレベルに組み込まれているから結局それが一番合理的だったとも思うが、ドイツに関してはドイツ代表に行くレベルの選手がこぞってバイエルンに行った事で、むしろ代表チームが明確にバイエルンのやり方に合わせ、バイエルンが少しやり方を変えたら代表チームもそれに沿うかのように動いていったし、現ドイツ代表監督のハンジ・フリック自体が前バイエルン・ミュンヘン監督でもある。

戦術が可視化されやすくなり、学問のように説明される時代が到来すると、それまではスペインやドイツの方が特別視されていた代表チームにもそういう高度なクラブチーム的な戦術性が求められるようになってきた。その流れは日本にも波及していて、日本代表の事情については下記のブログを読んで頂きたいのだが、森保監督に対して「戦術がない」という声がここまで叫ばれ続けたのは、実際にこのチームが明確な戦術性が希薄だったのは事実だったとしても、この潮流や要求が過去の時代よりも強かったし、そして「得点期待値」という言葉に代表されるように、それが見えやすい・伝わりやすいという時代になった影響もあると思う。

 

 

そんな中で、ロシアW杯後から開幕したUEFAネーションズリーグ(以下:UNL)はこの潮流を更に加速させたというべきだろう。

欧州各国はこれにより、限られた代表ウィークの中で常に欧州の国々と競い合うリーグ戦を戦う形になった。このUNLには昇格・降格もあり、UNLでの成績はW杯やEUROの予選にも影響を及ぼすようなレギュレーションになっているから迂闊に手を抜く事も出来ない。そもそも、このUNLには批判的な論調が各クラブから出ている一方で、各国にとっても戦うとなれば公式戦である以上は当然本気で戦うし、サポーターもスタジアムも盛り上がる。

 

そして何より、UNLの誕生により欧州のカレンダーは革命的な変化を遂げる。この変化が欧州各国のクラブチーム化に拍車をかけた。

ロシアW杯が終わって最初の代表ウィークは2018年9月だが、この9月から11月までUNLが入り、2019年のスケジュールは全てEUROの予選で埋められた。ここでコロナ禍による日程のイレギュラーは発生したが、代表活動が再開した2020年の代表ウィークはUNLに充てられ、2021年に入ると6月はEURO本戦。そしてEUROが終わっても2021年中は3月から始まっていたW杯最終予選を戦い、それが終わればスケジュールには再びUNLが組み込まれた。UEFA加盟国にとって、ロシアW杯が終わった2018年9月から2022年9月までの4年間でUEFA公式戦のない代表ウィークは、EUROに出場しないチームの2021年6月とプレーオフに参加しないチームの2022年3月の2度しかなかった。即ち、EUROにもプレーオフにも出場したチームはこの4年間ずっとUEFAの公式戦を戦い続けていた事になる。

このスケジュールによって何が起こるかと言うと……コンペティションはUNL、EURO予選、EURO本戦、W杯予選と形を変えているとはいえ、クラブチーム化どころかUEFA自体がリーグ戦化していたのである。確かに組み合わせによって対戦チームは少なからず変わるとしても、その概念はUEFAというリーグを毎シーズン戦っているものに近くなってきた。そうなると、チームとして目指すべきものはリーグ戦を戦うクラブチームのスタンスに近いものになってくる。要はリーグ戦と同じで、UEFAという括りの中を回る形になるからだ。そうなれば、UEFAの各国は「10回試合をして8〜9回勝つチーム」を作る事が求められる。なぜならある意味では、本来であればW杯に似た性質を持つEUROでさえもその一部に取り込まれたような形になっていたからだ。そしてそういうロジカルに編み上げたチームに勝つ為には、また理論立てた戦術性を作り上げる必要がある。欧州各国の代表チームでよく言われたクラブチーム化は、ここ数年の戦術理論発達もそうだが、各国のチームビルディングのスタンスがリーグ戦としてのクラブチーム的なスタンスが求められた部分は大きい。10試合戦って8〜9試合勝つこと、2勝1敗ペースを維持する再現性のあるチーム造りが必要な状況となった。その点において、スペインは今大会の中では最も組織的に完璧に近いチームだったと思う。

 

とはいえ、代表チームとクラブチームはその活動形態も時間的余裕も大きく異なるので、さすがにプランB〜Cまで仕込める時間的な余裕はない。だからこそ多くの欧州チームはプランAを如何に磨くか、突き詰めるかにリソースを割くようになった。いわば、何度も言っているように「勝つ確率」が格段に高くなったチームが多くなったし、再現性のある戦い方を繰り出せるようになった。大会前から「UNLの登場により欧州勢と非欧州勢の格差が拡がった」という言説が生まれたが、これは実際にそうだと思う。このプランAを磨く作業を借り返した欧州勢のレベルは日に日に上がってきており、勝つ確率論で言えばより90%に近いところまで彼らは持ってきた。欧州各国のレベルがUNLで飛躍的に高まった事は間違いない。彼らはプランAで殴り合うことで、彼らの洗練性をより一層高めていった。そういう意味では、彼らのチーム強化は正攻法と言えば正攻法なのだろう。

ましてや、この排他的なUNLにより他大陸の国とは一切試合を行えない状況な続いていたので、その戦術の進化合戦ような状況を見ると、UNLによって欧州勢のレベルアップと他大陸との差の拡大は大きくなった。仮にもし南米2強以外の非欧州国がUNLに突っ込まれれば日本も今回のW杯のように上手くはいかない。

 

 

 

ではなぜ、グループEに代表されるような状況が今大会では起こったのか。それこそがまさに、UNLがもたらした功罪、光と影のようなものだったと思う。

彼らは"再現性"という言葉がそれを端的に表しているように、ロジカルにチームを理詰めで成長させることで、常に確率論に優れたチームを造る事が出来た。一方で、例えば90%の確率で勝てる試合をしたところで、その10%が発生した時の対処を完全に見失うようになっていた。

その最たる例というべき試合が日本vsスペインの試合であり、後半立ち上がりの10分だったと思う。

 

 

詳しくは上の日本vsスペインの考察ブログでも書いたが、スペインというチームは最もクラブチーム的な考え方でチームを編み上げている。だからこそ上で書いたように、今大会で一番強いチームではなかったとしても、今大会で一番完璧に作り上げられたチームだったのは彼らだった。彼らは「試合に勝つ確率を高める方法」を極限まで突き詰めており、試合開始の笛が鳴ったその瞬間から最後の笛が鳴るその瞬間まで、その全てをシステム化して進めるだけのチームを作り上げていたのだ。だが…いや、だからこそと言うべきか。そこに計算違いの事象が発生した時、一気にパニックに陥ってしまう。完璧に仕上げられた確率論に異物を投げ込まれ、一つの綻びで全てが破壊されてしまう…堅いがゆえに脆い状況になってしまっていたのだ。

日本の得点シーンを含め、スペインはこの試合で何か間違った選択をした訳ではない。彼らはこの試合で常に正解の扉を叩き続けた。例えば日本のゴールがぐうの音も出ないゴラッソであったり、或いは単純なミスパスやボールロスト起点の失点であればあの展開にはなっていなかっただろう。確かにあのゴールはミスパス起点ではあるが、それが発生したエラーではなく誘発されたエラーだった自覚が彼らにはあった。ドイツ戦もそうだが、チームの計算図にERRORと表示されたような状態になってしまったのだ。

これは森保ジャパンの考察ブログで書いた事だが、日本はスペインのような確固たる再現性の高い確率論的な戦術を持ち合わせていなかったが、日本は90分やり続ける事は出来なくても、時間限定なら大きな効果を生み出せる手札をいくつか持っていた。だからこそスペインの論理性を破壊出来た事になる。森保監督はこうも語っていた。

 

戦い方のパターンを持っておきつつ、そのうえで選手を型にはめなければ、パターンがたくさんあることが判断につながる。相手が自分たちが採用したパターンを止めてきたときに、判断して他のパターンに変えればいい。

 

フリックもエンリケも対応出来なかった森保カメレオン戦術、そのヒントは別競技にあり?-木崎伸也のシュヴァルべを探せ 第9回

 

今回のW杯は、W杯を「クラブチーム的な強化で考えた欧州勢とトーナメント的に考えた非欧州勢」の差だったように思う。基本的にサッカー界は常にリーグ戦を戦っているわけで、リーグ戦の正解を代表チームにも当てはめようとしてしまいがちだが、リーグ戦とナショナルトーナメントの戦い方はそもそも考え方が根本から異なるのだ。

リーグ戦であれば再現性の高いチームを目指すべきだし、そこに1試合単位のプランで刹那的に戦う事はチームそのものがその日暮らし的になってしまう事にも繋がりかねない。次勝ったところでそこに再現性は無いし、同じ奇策で戦っても2度目が通用するとは考えにくい。だからこそ再現性を高め、常に確率を高く維持する事が重要になる。例えば日本vsスペインに話を戻すと、もし明日、再び日本がスペインと戦ったとして…少なくともあの時と同じ勝ち方では勝てないだろう。日本が1回勝ったところで確率論的には変わらない。10試合戦えば、その大半で勝つのはスペインだ。スペインはそういうチーム造りをしてきたし、チームの完成度を磨き上げることでそういう状況に持っていける。リーグ戦なら2周目の対戦ではこうも物事は上手く進まないはずだ。

だがこれはW杯である。実際、日本は明日スペインと戦えば多分負けるだろう。だが、スペインと日本が10回試合をして9回スペインが勝つ関係性だったところで、そもそも日本がスペインと10回も試合をすることなんてない。だからこそ日本はその1回を起こす為に全てを賭ける事が出来たし、その1回さえ取れれば勝ち逃げ出来る。その為に日本と森保監督がやった事が"一つの戦術を10まで突き詰める事"よりも"5くらいまでは出来る戦術の手札を多く持つ事"だった。それこそ、決勝戦でフランスのデシャン監督が見せた「自分達の組織を自分達で破壊してしまう勇気」もW杯には非常に重要な能力になってくる。

W杯はいつものリーグ戦のように再現性のある勝ち方をしなければならないのではない。1回勝てばいい。長期的に勝ち続けなくていいから、短期間に連続して勝てばいいのだ。それがW杯である。この戦い方に未来が無いと言われたところで、代表チームの未来はいつもW杯の為にある。極端な例えになるが、W杯出場を前提に「3年11ヶ月ずっと強くてW杯の1ヶ月だけ弱いチーム」か「3年11ヶ月ずっと弱くてもW杯の1ヶ月だけ強いチーム」を選べと言われだけ時に、前者を選ぶサッカー選手が果たしているのだろうかという事だ。要は、上で言ったように1年間弱くても3年強いチームを目指すべきクラブチームとは根本から考え方が違うし、下記のブログにも書いたが、その観点に立てば森保監督のマネジメントと采配は実に合理的だったようにも思う。

 

 

そして、これまでは欧州各国もその点を理解出来ていた。他大陸のチームと戦う機会もあったし、そしてEUROという舞台がトーナメントとして機能していたから、トーナメント仕様の戦い方という意識も残せていたと思う。

だが、上で書いたようにUNLの登場で欧州全体がリーグ戦化されたことで、EUROに関しても扱いがトーナメントではなく、感覚がリーグ戦を戦うシーズン中のカップ戦のようになってしまった。もちろん重要度や優先順位はカップ戦のそれとは比較にならないのだが、トーナメント仕様の戦い方をする大会ではなく、リーグ戦仕様の戦い方をした先にある大会という位置付けになってきたのである。自分がこういう主旨のツイートをした際にフォロワーさんから頂いたリプの表現をそのままお借りすると、リーグ戦のような日々を過ごして高め合った彼らは「高度な秩序を手に入れた代わりにカオスに対応できなくなった」のだ。

そうなると、今回の日本代表のようにカオスを意図的に起こせてしまうチームを前にした時にパニックを起こしてしまう。受験で例えれば、一部の欧州諸国は受験で100点に近い点を取ればそれだけで合格出来ると思っていて、だからこそ徹底的に勉強だけを繰り返していた一方で、受験で100点を取ることが困難だと判断した国は面接やグループディスカッションなど、テストで点を落としてもトータル的に点数を稼ぐ為の準備をしていた。いざ受験本番で勉強していた単元と違う問題が出されて点数を落とした時に、100点を取ることを合格への条件としていた者と、100点は取れないから他のところでも点数を稼げる準備をしていた者の対比だったような感覚だろうか。

そして彼らが普段戦うステージはそもそもカオスが発生しないように設計されている状況の中で、UNLがカレンダーに入ってコンフェデ杯もなくなった欧州勢は他大陸のチームと戦う事もなくなった。要は、捉え方のズレに気付くタイミングがないままこのW杯を迎えてしまった。これはスペインやドイツの他にデンマークやベルギーにも同じ事が言えるだろう。例えばベルギーは、彼らは別の問題もかなり大きかったのは間違いないのは前提として、前回大会の日本戦では途中から地上戦を捨てて空中戦に持ち込む事で形勢を立て直すようなストリートファイト的な戦い方が出来ていたが、今回はそのアドリブ力を完全に見失っていた。そもそもW杯に来られなかったイタリアにしても、欧州予選での成績は確率論的に言えば極端に悪い成績を出した訳ではなかった。だが勝点1差に泣いて放り込まれたプレーオフで、確率論で言うところの1/10に全てを賭けた北マケドニアに散った事もまた、今振り返るとスペインやドイツより先にこの潮流に巻き込まれていたのかもしれない。逆に、クラブチーム化的な戦術構築への意識が比較的希薄だったが為に直前のUNLで低迷したフランスとイングランドがW杯では順当に勝ち上がったことも必然かつ自然な現象だったのだろう。

 

 

 

「幾何の問題のように見えて、実は関数の問題」……有名な小説の一節である。

クラブチームの問題を解いても、きっと代表チームの正解に辿り着く事は出来ない。関数の問題に幾何の問いで返してもそこに正解はないのだ。近年は戦術の複雑化に引っ張られるようにクラブチームと代表チームの考え方に境目をなくそうとする向きにあったが、そこできちんと幾何の問題と関数の問題の見分けがついていたのが日本であり、クロアチアであり、そしてフランス、アルゼンチンだったように思う。

まさしくその極致のような120分間だった決勝戦は、複雑に入り組んだ現代サッカーの中で、ベタすぎるほどにシンプルかつド王道で、そして何よりも美しかった。あの決勝戦と今大会のサプライズの数々は、サッカーに限らず何事も「突き詰めれば結局、物事はシンプルに還る」という宿命を思い出させてくれたような気がする。そういう意味で正直なところ、今回のW杯にある種の"解放"の感覚に似た心地よさを感じられたのかもしれない。

 

 

ではでは。