RK-3はきだめスタジオブログ

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文脈の先へ〜日本代表・森保ジャパンのカタールW杯振り返りブログ〜【前編・森保ジャパンの前提条件】

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1992年………今現在も、そして今後、たとえ日本代表がW杯で優勝出来るような国になったとしても、この国のサッカー史の運命を最も変えた一年は1992年だと思う。

W杯なんて遠い夢のまた夢───日本にとって、それはあまりにも縁遠く、あまりにリアリティのない響きだった。所詮、サッカーは企業スポーツに過ぎず、W杯という遠すぎる世界は当事者である選手や現場のスタッフを除けば、突き詰めて目指すような目標ですらなかったのだろう。

1992年5月31日に国立競技場で行われたアルゼンチン代表との試合……翌年から始まるJリーグに先駆けてヤマザキナビスコカップが始まった同年、マツダSCでの指導経験があるハンス・オフトを招いての初陣は、日本が初めて本腰を入れてW杯を目指した初めての試合だった。いわば、日本サッカーが日本サッカーとして歩み始めた最初の試合だったのだ。そして、スタメンにはJSLのスタープレーヤーが並ぶ中、1人だけまるで無名の選手がスタメンに名を連ねていた。全くノーマークどころか存在すら知らない選手も多く、元々親交があった選手以外は誰も彼の苗字を正確に読めなかったという。だがその試合で、日本より遥かに遠い場所にいたアルゼンチンの監督や選手から、名指しで賞賛されたのはその「名前もまともに呼ばれなかった男」であり、日本に「ボランチ」という言葉が広がったのはこの時だったと言われている。それが"森保一"の日本代表デビューだった。

 

 

 

あれからちょうど30年の月日が経った。

1992年から始まった物語は、1993年にドーハの悲劇という衝撃的な出来事を迎える。思えば、あれからの30年はあの記憶に抗い、記憶で記憶を打ち消す為の戦いのようでもあったのかもしれない。2022年、森保一が初めて青いユニフォームに袖を通した時から30年、ドーハという位置で、かつて日本にサッカーを教えたドイツを、そして大きくなった日本が背中を追おうとしたスペインを倒した……この物語は文脈として美しかった。本当に美しかった。

ここまでカタルシスを感じたのは、それはドイツ・スペインという相手にジャイアントキリングを起こした劇的性が全てではない。この2週間の戦いが、日本サッカーが歩み始めてちょうど30年という節目の年に、このドーハという日本サッカーが消せない呪いを持つ場所で、この30年の全ての文脈を飲み込んだような物語をピッチの上で見せたからである。そしてある意味、今大会の日本の戦いぶりには、節々にその物語であったり、文脈の跡であったりが存在していた。全てが繋がった……そんな気がした。

 

「最後の1分ぐらいの時に私もドーハの記憶は出てきました。ちょうどその時に、選手が前向きにボールを奪いに行っていたところで、時代は変わったんだなと。選手たちが新しい時代のプレーをしてくれているなと思いました」

 

…"森保監督"が語ったその言葉が、この2週間の日本を象徴するフレーズだったように思う。

ベスト8に行けなかったのは事実だ。結果として新しい景色を見たことにはならない。それでも、今まで見た景色の全てを詰め込んで編み上げたこの2週間は間違いなく新しい景色だった。

 

今回からは、カタールW杯の日本代表の戦いぶり、戦い方、その勝因と敗因を振り返るブログを書いていきたいと思う。

日本代表が戦った4試合の、個々の考察に関しては下記のブログを読んで頂きたい。

 

ドイツ戦コスタリカ戦スペイン戦クロアチア戦の考察ブログ

 

カタールW杯観戦ガイド更新中!是非覗いてください!

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

自称・当ブログ的カタールW杯テーマソング

 

【2022 FIFAワールドカップ日本代表】

監督:森保一

コーチ:横内昭展

コーチ:斉藤俊秀

コーチ:上野優作

フィジカルコーチ:松本良一

GKコーチ:下田崇

 

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GK1 川島永嗣(RCストラスブール)

DF2 山根視来(川崎フロンターレ)

DF3 谷口彰悟(川崎フロンターレ)

DF4 板倉滉(ボルシア・メンヒェングラードバッハ)

DF5 長友佑都(FC東京)

MF6 遠藤航(VfBシュトゥットガルト)

MF7 柴崎岳(CDレガネス)

MF8 堂安律(フライブルクSC)

MF9 三笘薫(ブライトン&ホーヴ・アルビオンFC)

MF10 南野拓実(ASモナコ)

MF11 久保建英(レアル・ソシエダ)

GK12 権田修一(清水エスパルス)

MF13 守田英正(スポルティングCP)

MF14 伊東純也(スタッド・ランス)

MF15 鎌田大地(アイントラハト・フランクフルト)

DF16 冨安健洋(アーセナル)

MF17 田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)

FW18 浅野拓磨(VfLボーフム)

DF19 酒井宏樹(浦和レッズ)

FW20 町野修斗(湘南ベルマーレ)

FW21 上田綺世(セルクル・ブルージュ)

DF22 吉田麻也(シャルケ04)

GK23 シュミット・ダニエル(シントトロイデンVV)

MF24 相馬勇紀(名古屋グランパス)

FW25 前田大然(セルティックFC)

DF26 伊藤洋輝(VfBシュトゥットガルト)

 

 

【文脈の先へ〜日本代表・森保ジャパンのカタールW杯振り返りブログ〜】

 

 

①そもそも監督・森保一とは?

②サンプル集めの4年間

文脈の醸造(中編)

日本の進むべき道は…カタールW杯が示したクラブチーム化への疑問と囚われの再現性(後編)

 

 

 

①そもそも監督・森保一とは?

 

カタールW杯の日本代表の狙いを考えるには、まずそもそも「森保一とはどういう監督なのか?」という部分を今一度振り返る必要がある。もちろん、度々語られているモチベーターとしての才覚や人間性とは異なるところで。

 

監督にも色々なタイプがいる。戦術家と戦略家は似て異なるタイプだろうし、モチベーターに代表される心理的アプローチに長けたタイプの監督もいれば、選手育成に強みを持つタイプもいる。リーグ戦で言えば、何度も優勝経験のある監督が残留争いでも同じような手腕を発揮できるか?と言えばそうとは思わない。下位に燻っているチームを上位に引き上げる事が得意な監督がビッグクラブに来ればタイトルを取れるか?といえば、それもそうとは言えない。

 

 

今年、このブログではJリーグの各クラブに於けるベスト監督とワースト監督を考えてみよう、なるテーマのブログを更新したが、あるクラブではベスト監督候補なのに、別のクラブではワースト監督候補となる監督が何人かいた。ある意味でこれはこの企画の裏テーマみたいなもので、要は監督という職業で「有能」や「無能」を一概に判断する事は出来ない。大事なのは、目標や現状を踏まえたチームにとって適切な監督を就任させる事である。選手が監督によって輝き、廃れるのと同じで、監督もまた、どのようなクラブに呼ばれるかでその評価を大きく変える。

 

 

 

この4年半とにかく批判にさらされ続けた森保監督だが、最も多く寄せられた批判としては、要約すれば「戦術に一貫性がない」というものが多かった。近年、サッカー界では「再現性」「ロジカル」「代表のクラブチーム化」と言った言葉が躍る。サッカーが複雑化し、戦術が学問のようになり始めた近年のサッカーにおいて、特に輪郭が見えづらかった森保ジャパンにはこの手の批判が寄せられる事が度々あった。

実際、これに関しては基本的にそうだと思う。世界であればジョゼップ・グアルディオラユルゲン・クロップJリーグ関係で言えばアンジェ・ポステコグルーやミゲル・アンヘル・ロティーナ、そしてミハイロ・トロヴィッチが持つ、その監督固有の戦術性というか、一貫性が森保監督からなかなか見えてこなかったのは事実だ。

 

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ただ、そもそも森保監督は別に"戦術家"ではないし、そして上で書いたように、戦術家である事が監督の全てだとも思わない。

森保監督は、タイプとしては「調整屋」というべき監督だったように捉えている。それは広島時代からそうだった。

 

2006年の途中から2011年まで率いたミハイロ・ペトロヴィッチが築き上げたサンフレッチェ広島というチームは実に美しかった。その戦術的完成度の高さは、彼の編み上げた3-4-2-1システムがいつしかこの国で「ミシャ式」と愛称が冠せられた事実が全てを物語っているだろう。だがそのチームは時に脆く、綻びと粗が多いチームで、それゆえにペトロヴィッチが率いた広島はタイトル獲得は果たせず、リーグ戦で優勝争いに絡む事も出来なかった。

そのペトロヴィッチ監督の後を2012年に継いだのが森保監督だった。森保監督が広島でやった仕事は、ロマンに溢れたチームの綻びと粗を修正し、チーム自体のバランスを調整する事。クラブの予算規模から毎年のように主軸が抜けていく苦しい台所事情の中で、森保監督が就任するまでの19年間で一度もタイトルを獲得できていなかったチームは、森保監督が就任してからの4シーズンで3度のリーグタイトルを獲得してしまったのである。恐ろしいのは、広島での監督業は森保監督にとって初めてのトップチームでの監督業だった、というところである。

広島の戦術の大部分は森保監督就任時点で、前任のペトロヴィッチが既に組み上げていた。一方、目に見えて粗が多かったところの補修・修正・調整を全て手掛けたのが森保監督で、主力が去って穴になる度にまたその箇所の修正や調整を繰り返し、3度のJ1制覇に漕ぎ着けている。特に2015年のチームは、近年の川崎が出現するまではここ10年で最強のチームだったと言っても過言ではなく、実際にそういう数字も出していた。要は「戦術がない」と指摘されるように、森保監督はこれという戦術性は持ち合わせている監督ではない事は事実で、それと同時に彼の長所はあらゆる文脈を飲み込んだ上でチームにフィードバックしていく事、その上でチームをベターな形に着地させる事である。この4年半と、そしてカタールW杯での日本代表を捉えるにあたって、まずそもそも森保一の監督としての特徴がどこにあるのかは理解しておく必要がある。そして戦術家であるという事は、ポジショナルプレーと同じで「だから良い」というものではなく、あくまで数あるタイプのうちの一つに過ぎない。

 

そして、誰かの延長線上でそのバランスを整えたのが広島の監督としての森保監督であり、様々な文脈をごちゃ混ぜにしてぶつけて、最終的に一つの形にまとめたのが日本代表監督としての森保監督だったと考えている。

 

 

 

②サンプル集めの4年間

 

2018年9月のコスタリカ戦を初陣とした森保ジャパンの4年間で、基本的な戦い方、メンバー構成の基本的なセットは大きく分けて3パターンあった。3パターンというよりは3つの時期があった…という方が適切だろうか。

 

①森保ジャパン初期〜アジアカップ〜アジア2次予選序盤の、中島翔哉-南野拓実-堂安律の通称"三銃士"の前に大迫勇也を配置したポゼッションスタイル

②アジア2次予選中盤〜アジア最終予選序盤の、南野拓実-鎌田大地-伊東純也の2列目で伊東のスピードから縦への強さを押し出そうとしたスタイル

アジア最終予選オーストラリア戦以降の、遠藤航をアンカー、守田英正と田中碧をインサイドハーフに置いた川崎ユニットを取り込みたつの4-1-2-3システム

 

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森保監督が率いて、結果的にW杯メンバーも多くプレーしていた2021年東京五輪のやり方は、堂安以外の人選は異なれど基本的に①に近い。もっと言えば、①のシステムは西野朗監督が率いたロシアW杯、もっと言えばそれ以前のザックジャパンから続く文脈を引き継いだものだったとも言える。そこから少しずつ形を変えたものが②だった。

 

 

 

森保監督にとって、2018年9月から2022年6月までの4年間は何か一つの戦術を磨くのではなく、なるべく多くのサンプルを作ろうとしていた時期だったように思う。

これはどちらかと言えば後編のテーマになるのでここでは細かくは書かないが、今の日本代表が突き詰めた戦術を磨くのは実際問題として困難だろう。だからこそ、戦術以上に組み合わせやゲームプラン、そして節々での修正が重要になってくる。その点で、森保監督は一つの戦術を突き詰められないなら、考えうるいくつかのやり方を「初めてではない」状況にしておきたかったのではないか、と思う。上の中で③に関しては、アジア最終予選突破の為の布陣変更という意味合いが強かったが、例えば3バックにしても、めちゃくちゃ具体的な練習をしていた訳でこそなかったが、時折10分でも実践機会で試したりしていたし、むしろ五輪代表の方では2020年までは常に3-4-2-1でプレーしていた。私自身、森保監督にはTwitterでもブログでもあまり批判はしてこなかったというか、割と擁護的だった自負はあるが、この時の五輪代表のシステムに関しては3バックか4バックかはともかく、システムを合わせないと兼任監督の意味がないんじゃないかと思っていた。だが、それもある意味では一つの過程に過ぎなかったのだとすれば、今更ながら納得出来る部分はある。

0を1にする事は時間がかかるが、突き詰めようとしない限りは1を拡げる事は0を1にするよりは遥かに容易い。そしてこれまで培ってきた文脈を、最後の数ヶ月で一気にまとめ上げていく…なかなか稀有な作業方法を森保監督は採っていた。戦術的な積み上げが4年間であったかと言えば確かにあったとは言い難いが、おそらく森保監督的にはそれはそこまで狙ってはいなくて、なるべく多くのサンプルを集める事、なるべく多くのことを"1"にしておくことがテーマだったように思う。例えば、ドイツ戦の前半、あれだけ押し込まれた中でも後半勝負の為に前半をある程度放置出来ていたのは、6月のブラジル戦で日本がああいう猛攻に対して耐える事ができる守備力を見せたというサンプルを手にしていたからこそ前半を0-1のまま引っ張るという勝負に出る事が出来て、後半に出すつもりの奥の手を後半まで隠し持つ事が出来たのだろう。要は、そういうサンプルを集める場所というか、あの4試合に繋がる伏線はこれまでにいくつも散りばめられていた。

 

また、コスタリカ戦の日本はメンバーをガッと入れ替えてきたが、個人的にはあれはロシアW杯のポーランド戦のようなターンオーバーだったとは思っていない。あの試合は日本にとってドイツ戦やスペイン戦とは前提条件がまるで異なる試合だった。その辺りはコスタリカ戦について書いたブログの方も読んでもらいたいが、ドイツ戦スペイン戦でのセットと同様に、上の例で言うなら堂安を右サイドに置いた東京五輪型に近いセットも有していて、相手によって「どのセットが有効か」を使い分けられる状況になっていた。結果的にコスタリカ戦では上手くいかなかったが、戦い方を使い分けられるチームとしての幅は32ヶ国の中でもトップクラスに広かったと思うし、4年間の戦術的な積み上げがあったとは言わないが、4年間で少しずつ色々なものをかじっていった意味はここに繋がっていたように思う。それは森保ジャパンが、4年半かけて培ってきた文脈だった。コスタリカ戦では敗れたとはいえ、W杯に対して1セットではなく、2セットを用意して大会に挑めた事は十分に成果だったと捉えている。

後はそれを選手達とどう共有するか。そう、落とし込むというよりは、共有出来るかどうか、が重要だった。王道的なチーム造りとは言い難い。しかし最終的に、このやり方でやり切った訳だ。「サンプル集め」と「個人へのアプローチ」…これがこのチームの積み上げであり、そして伏線だったように思う。

 

 

 

次回【③文脈の醸成】に続く。

 

ではでは。