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13-1という衝撃が夢を破った11月の暮れから一月と少しの日が経った頃、京都サンガFCは2020年シーズンに向けた新体制発表会を執り行っていた。
ショッキングという言葉で片付けるにはあまりにも衝撃的だった悲劇の余韻に浸る暇はもう無い。今、この壇上に並ぶ新加入選手を加えたチームがお披露目となる日、それはこのクラブが、少なく見積もっても20〜30年に一度の晴れ舞台を迎える時である。サンガスタジアム by KYOCERAの初年度……記念すべきシーズンが始まろうとしていたその壇上の左奥に座るあどけなさの残る10代の選手。ここからサンガが辿る道のりを振り返った時、それが単なる偶然以外の何者ではないことはわかっていたとしても、サンガスタジアム by KYOCERAと川﨑颯太という選手の1年目が同じ年だった事には数奇な運命を感じずにはいられない。
7月9日、川﨑颯太の1.FSVマインツ05への移籍が発表された。
移籍発表自体は7月6日、前日にJ1第23節新潟戦を終えた直後のタイミングでリリースされており、同日のファン感謝デーでは移籍先のクラブを明言しない形でサポーターへの挨拶が行われていた。
発表によれば、2025-26シーズンは一旦サンガに本籍を置いた上でのレンタル移籍という事になり、シーズンが終わった時点で付帯する買取オプションをマインツが行使するかどうかを決める流れになっている(山田楓喜もこのパターンで、山田の場合はレンタル先クラブがオプションを行使しなかった事でサンガ復帰となった)。金額はドイツメディアによればレンタル料として3500万円、買取オプションを行使した場合は1.7億円で設定されており、完全移籍が実現した場合は総額2億円の移籍金という事になる。
川﨑のキャリアを振り返るのは…まあ、このブログを今読まれている方は大体の概略は把握していると思うので省略するとして。
サンガにとっての川﨑が単なる若手有望株、若くしてレギュラーを掴んだ有力選手という立場を一段超えた立場となったのは2022年からだったと思う。この頃には21歳の若さでチームの顔となっていた川﨑の育成はこの時点である程度成功したと同時に、現在の潮流を踏まえた時に「サンガとして海外に送り出さなければならない選手」にして、乱暴な言い方をすれば「川﨑を海外に送り出せなかったら失敗」というある種の責任に変わったように感じている。要は川﨑颯太という選手個人としてもそうだし、サンガに於ける川﨑の立ち位置という意味でも2022年頃の時点でステージが引き上がったとも言える。
曺貴裁監督も少なからずそういう側面を意識していたように感じる部分はある。例えば川﨑はプレースタイルやポジションのみならず「若くしてチームをJ1に導いた事」「若くして主将を担った事」…そして「曺貴裁の薫陶を受けた事」から遠藤航の後継者と称される事が多かった。曺監督としても多少過去の記憶とオーバーラップするものはあったのかもしれないが、いずれにしてもクラブも曺監督も「川﨑颯太は海外に送り出さなければならない」という責任めいたものは共通して意識していたように思う。
「クラブが育てたのではなく、選手が勝手に育った」とはよく聞く言葉だ。実際問題として、選手の才能という存在が無ければそもそも始まりようがないし、どれだけ優秀な指導者が働きかけても選手の努力がないと実力にはならず、どれほど才能を努力で磨かこうとも結果にならなければ実績にはならない。生まれ育った山梨から才能を担保に京都の門を叩き、努力で磨き上げた実力で自身のキャリアどころかチームの運命まで引っ張り上げた…その川﨑への称賛として、彼が勝手に育ったというフレーズは正しくもある。
一方、クラブとしての務めは何かと問われれば、それはもちろんサッカーの技術指導から人間的なものまで含めた教育である事は大前提なのだが、その上でその選手に応じた舞台を用意する事も務めである。例えば中学3年のチームで敵無しぐらいに無双している子がいるなら一度高校年代のチームの試合に出してみてやるだとか、子供の身体が大きくなった時に一つ大きなサイズの服を買い与えるように……親が子供に与えるものが服ならば、クラブが選手に与えられるものは舞台である。
お世辞にもこれまでのサンガはそれを果たせていたとは言えない。ユース年代であればそれなりの舞台を提供できていたクラブではあったと思うが、選手が上がった先のトップではその舞台を提供しきれなかった。その現実を前に、いつかサンガを背負って立ってほしい、サンガから海外に行ってほしい……そう願った選手といくつもの別れを繰り返してきた。少し昔からサンガを応援している人であれば、駒井善成が移籍した時に抱いたあの感情は未だ胸のどこかに燻っているように思う。サンガから直接海外に行った事例自体は久保裕也と奥川雅也の例があるとはいえ、彼らも海外移籍より前にJ1で戦う事はできなかった。スカラー・アスリート・プロジェクトが評価を高めていながらも、トップに行き着いた先で成し遂げられない循環の中にこのクラブはずっと取り込まれていた。
今回の川﨑のドイツ移籍が京都サンガFCというクラブに於いて特別である所以はそこにある。川﨑にしたって、例えば2023年の開幕を紫ではないJ1上位クラブのユニフォームを纏って迎えていた可能性だって全然考えられたのだ。それを海外に行くまではサンガの象徴として輝き……クラブにしても現場の指導者にしても、育ちゆく子に大きなサイズの服を買い与えていくように、川﨑颯太の成長に合わせて舞台を用意する事ができた。それはJ1というカテゴリーだけの話ではなく、日本代表然り、主将やチームの顔としての重責も然りだろう。望んだところで叶うかどうかはわからない、クラブとして然るべき育成プロセスを完遂した……このクラブの育成組織にとって、川﨑はその初めての事例なのかもしれない。言ってしまえば、親が子育てを完了したようなもので、サンガは「川﨑颯太の育成」という大いなる仕事に一つの区切りがついた。この移籍に対する私の感覚はそれに尽きると言っていい。
ずっとサンガにいて欲しかった気持ちもあるけれど、今のサッカー界の流れを踏まえると、乱暴な言い方をすれば京都サンガとして川﨑颯太を海外に送り出せなきゃ失敗みたいな側面は少しあったと思う。
— RK-3 (@blueblack_gblue) 2025年7月6日
そういう意味ではサンガはこれで一つの大きな仕事を終えた。川﨑の移籍はそういう感覚。
僕が京都に行く決め手となったスカラーアスリートプロジェクトの紹介動画です。
— 川﨑 颯太 (@sota10vent) 2022年10月17日
ぜひ、進路を考えている選手、その保護者の皆様には一度見てほしいです!
最後にめちゃくちゃいいことを言っている選手がいるので、必見です😁 https://t.co/YQB5hvvp5i
サンガの育成組織で行われているスカラー・アスリート・プロジェクト(以下SAP)は良い取り組みであり、業界でも高評価を得ている。その詳細は過去に書いたブログやSNSに書いたので今回は省略するが、川﨑の育成はSAPの成功を意味するものだと言える。それは川﨑がSAPの名を挙げたというより、そもそもそのまま甲府のトップチームを目指す進路だってあったはずの川﨑がわざわざサンガに来た理由には文武両道を全面的に掲げたSAPの制度に惹かれたという側面もあったからだ。その川﨑が京都サンガというクラブで……もちろん、欲を言えば一緒に獲るタイトルだとかそういったものが欲しかった気持ちはあるけれど、川﨑が入ってきた時の最大目標はJ1昇格だったことを思うと、そこから今日に至るまでの軌跡や川﨑自身がサンガから日本代表や五輪代表に選ばれたことは、彼がこのクラブでやれる事をある程度やり切らせる事が出来たと言って差し支えないキャリアだったと思う。そういう感覚で選手をブンデスリーガに送り出せたという事実……それはこれから出てくる後輩達にとっても、サンガで目指せるゴールの拡がりを示してくれた。実績は実力で掴むものだが、まだ見えない未来への説得力を高めてくれるものは他ならぬ実績である。そういう意味でも、この川﨑颯太のプロジェクトが完遂した事の意味はクラブ史にとって途轍もなく大きな出来事なのだ。
サッカーにしても人生にしても、正解はないというよりもいつも正解は複数あり、複数ある正解のうちのどれがその時の自分に良い顔をしてくれるかどうかはその時になるまでわからない。だが、そういうSAPの存在も然り、いつしかクラブが選手に舞台を提供できるようになった事も然り、クラブの育成への意欲に情熱を共鳴させてくれる指揮官の存在然り──これに関しては曺監督のみならず實好監督にも言える事だとも付け加えておきたい──少なくとも近年の京都サンガFCというクラブは間違った道を歩んではいないし、有望な選手をちゃんとドイツに送り届けられるほどのキャパシティを持てるようになった。
その一連のプロセスが完遂させたという点に於いて、いちファンとして今回の川﨑颯太移籍に至る様々な努力に対して清々しさや誇らしさを覚えている。
13-1という衝撃が夢を破った11月の暮れから一月と少しの日が経った頃、京都サンガFCは2020年シーズンに向けた新体制発表会を執り行っていた。
サンガスタジアムという念願かつ悲願の、紫に彩られた自分達のサッカースタジアムの1年目、その後半戦から出場機会を掴んだ男は、サンガスタジアムがこのクラブのアイコンとしての存在感を増していく中でピッチに君臨した。一度諦めかけたような夢でさえあったJ1昇格を掴み取り、この場所でプレーオフという壮絶なゲームを生き残った事を皮切りにクラブが歴史の中で一度も成し遂げられなかった4年連続のJ1を達成し、そしてこのクラブから日本代表へ、五輪代表へと羽ばたいていった。このスタジアムと共に大きくなっていくクラブの中で、スタジアムと同じ年にデビューした男のこれまでのキャリアは、その偶然はあまりにも「サンガスタジアムの申し子」のような運命めいたものを感じずにはいられない。
サンガは一つの仕事を成し遂げ、川﨑は一つの目標を達成した。それは親と子が離れゆく日の訪れのように、川﨑颯太の海外移籍はサンガにとって、ここ数年を渡った一つの時代の区切りとも言えるだろう。今、時代は一つの句点を迎え、一つの章を終えた。サンガにとっても川﨑にとっても、次の章がより偉大な物語に繋がっていく事を信じている。
川﨑颯太にこれまでの感謝と、これからに幸多からんことを。
ではでは(´∀`)