どーもこんばんは
夜のゆるりとした時間にちょうどいい
さてさて今回は前回の日本代表新監督の西野朗氏が率いたガンバ大阪を振り返ろう連載の中編でございます。できれば前編の記事からご覧下さいませ。
では続きをどうぞ。
ディフェンディングチャンピオンとして迎える2006ですが、ガンバは少なくない変革を迫られていました。
遠藤保仁を中心としたチームとしての基盤は完成形に近づいていたとはいえ、ブラジルに帰国したアラウージョと海外挑戦に踏み切った大黒将志と、昨シーズン49得点を叩き出した2トップがそろって退団した影響は当然大きいもの。そこで日本代表レギュラーの加地亮、西野監督の柏での教え子明神智和を獲得して守備のバランスに着手します。
攻撃面でもこの年に獲得したマグノ・アウベスが得点王に輝き、ガンバに復帰した播戸竜二もブレイクに成功するなど攻撃力も危惧されていた程には落とさず、リーグも天皇杯も最後まで優勝を争ったものの、共に浦和に直接対決で敗れ優勝を逃します。
翌2007年は、宮本恒靖が前年限りで欧州移籍に挑戦した事もあり退団し、ユース上がりの安田理大がサイドバックとして躍動し始めたためチームは本格的に4バックに移行します。
そこで遠藤保仁、明神智和、橋本英郎、二川孝広とサッカーIQと確実な技術、パスセンスを兼ねた4人を並べた黄金の中盤が遂に完成し、この年も圧倒的な攻撃力で常に上位につけ、リーグ優勝こそ鹿島、浦和とのデッドヒートに敗れたもののナビスコカップ初優勝を果たしました。
黄金の中盤を形成したこの2006〜2007年辺りからガンバの攻撃サッカーというものは完成形に限りなく近づいたと言えるでしょう。
そして西野監督の長い監督キャリアの中でも特に輝かしかったのが次の2008年です。
2008年にJリーグのチームが参加する可能性のある試合はJリーグ、ナビスコ杯、天皇杯、ACL、ゼロックス杯、スルガ銀行杯、パンパシフィック杯の7つのコンペティションなのですが、このうちガンバが関わらなかったのはナビスコ杯決勝戦とゼロックス杯の2試合のみという超過密日程のシーズンでした。
その影響もあり、また夏場に遠藤が一時離脱した事やバレーの電撃退団などが重なりリーグ戦では8位と低迷。ですがACLと天皇杯で二冠を達成し、特にACLは日本勢としては2チーム目となる快挙で、しかもこのガンバの次の日本勢の優勝までには9年もの歳月を要しました。
2007年に日本勢初優勝を飾った浦和の果たした偉業が文字通りJリーグ勢として初というパイオニア的な意味のものだとしたら、西野ガンバのなし得た偉業は攻撃的なスタイルを貫いて優勝まで勝ち上がった事でしょう。
そしてこの年の12月にはクラブW杯で当時クラブ史上最恐とも言われていた、まだクリスティアーノ・ロナウドが居て、ウェイン・ルーニー、リオ・ファーディナンド、ファン・デル・サール、ライアン・ギグス辺りがバリバリやっていたマンチェスター・ユナイテッドと対戦します。
西野監督が戦術を押し付けるよりは手持ちの駒を1番活かせる戦術を設定するタイプの監督である事は前にも述べた通りですが、頭の中ではスペクタクルなサッカーを理想としているのもまた事実です。
そしてその理想と選手が合致したこのガンバ大阪で迎える大舞台に、西野ガンバはマンUとド正面から打ち合う事を決意。その結果敗れはしたものの3-5とド派手に打ち合い、シュート数や支配率ではマンUを上回るなど、レベル差を痛感させられたとはいえ確かな爪痕を残しました。
一昨年の鹿島vsレアルも凄かったですが、この時の日本サッカーはまだ「インテル長友」「マンU香川」「ミラン本田」なんて言ったら「はぁ...?」って思われるような時代だったので、そういう意味でも日本サッカーにとって大きな価値のあった試合を演じたのが全盛期のガンバ大阪で、遠藤も色んな媒体の取材で「2008年のチーム」が最強と言っているのをよく目にします。
この時のガンバの強さというのは大きく分けると3つ挙げられます。
①チームとしての意識(攻撃的なスタイル)が統一されていた事
②①を実践するに当たって、パスセンスに長けている選手、ショートパスを繋ぐ意識が高い選手を重宝していた事
③サッカーIQの高い選手が揃っていた事
①は西野ガンバと聞けば言わずもがなで、それが攻撃的であれ守備的であれ、パスサッカーであれカウンターサッカーであれ、何かしらの形でチームの共通意識を持っている事は強いと言われるすべてのチームの共通項だと思います。
②③は今後の代表選考にも関わってくるかもしれない話なので深く説明致しますと
これはACL決勝のスタメンになるのですが、黄金の中盤の4人はぶっちぎりに高いIQとぶっちぎりのパスセンスを備えていました。明神や橋本は守備寄りの選手のイメージがありますが、繋ぎは正確ですし、Jリーグで随一のサッカー脳を持つと言われている橋本は元々攻撃的な選手です。
中盤以外では、この年FC東京から獲得したルーカスはサッカーIQの塊みたいな選手でしたし、西野ガンバで高いサッカーIQを評価されて出場機会を多く得た選手といえば、武井択也や下平匠辺りが該当するでしょうか。
中盤にパスセンスの高い選手を並べるのは珍しくない話ですが、西野ガンバではそれをDFでも求めているのが特徴です。
山口智を筆頭に、例えばこの年ではありませんが宮本やシジクレイといった2人はボランチもこなせるくらいには配球能力の高い選手で、サッカーIQも高い。いわゆる西野サッカーには理想的なセンターバックでもありました。
そして西野監督のこのこだわりが最もわかりやすく出ているポイントはセンターバックの中澤聡太をレギュラーとして重用していた点です。
2007年にガンバに加入した中澤ですが、元々実績に乏しかった状態で加入した2007年を除いて西野体制では最終的にはいつもレギュラーでした。
この「最終的」がどういう意味かと言うと、前提として中澤は、長身のため空中戦は強いもののディフェンスはやや不安定な選手でした。
ガンバのフロントもそれを理解していたため中澤はバックアッパーとして計算しており、シジクレイ退団後は2008年に水本裕貴、2009年には高木和道、パク・ドンヒョクと立て続けに代表クラスのCBを獲得します。
ですが開幕当初はベンチに甘んじても、キャプテンも務めて不動の存在である山口の相棒の座を最終的に射止めたのはいつもA代表の経験は皆無の中澤でした。
水本に関しては、ガンバの攻撃的なスタイルに馴染めず...という要素もありましたが、いずれにしても水本、高木、パクは守備力は中澤よりも上です。ですが開幕当初はスタメンでも中澤に定位置を奪われ、高木はその後2010年は山口の負傷もあり出場機会を得ましたが、水本とパクはそのまま1シーズン過ごす事なくシーズン途中で退団しています。
では中澤はどこの部分で評価されレギュラーを掴み続けたかというと、それは積極的にパスを繋ぐ意識と、効果的なところに縦パスを入れる事ができる能力、チームとしてのパスサッカーに貢献できる選手だったからです。
また、西野監督としては水本を獲得する際、第1希望として当時FC東京にいた今野泰幸の獲得を熱望していた事もこのこだわりを裏付ける要素の1つと言えるでしょう。
クラブW杯は最終的に3位決定戦でパチューカに勝利し3位で終え、その後間を置かずにベスト8から再開された天皇杯では、準々決勝は名古屋こそ貫禄勝ちを収めたものの、その後は西野監督が「野戦病院状態」と評したほどの満身創痍っぷりで苦戦します。ですがそれでも、準決勝の横浜戦、決勝の柏戦を共に延長後半終了間際のゴールで1-0で勝利を収め、ガンバ大阪として初めてとなる天皇杯制覇(なお、前身の松下電器サッカー部時代には天皇杯での優勝経験あり)、そして国内3大タイトルをコンプリートしました。
ちなみにですが、先日やべっちFCに加地亮が出演した際に西野監督のエピソードとして「播戸竜二を投入する時に『ヒーローになってこい』という言葉を掛けて送り出したら播戸が決勝点を決めた」という話を(モノマネつきで)披露していましたが、これはこの年の天皇杯決勝柏戦でのひとコマです。
2008年シーズン、播戸自身コンディション面でも苦しんだシーズンの中、最後の最後で大きな仕事をやってのけ、べンチから飛び出した西野監督に一目散に猛ダッシュで抱きつきに行くシーンは語り継がれる感動的な名シーンです。
こうして激動の2008年シーズンを終えたガンバは、さらなる躍進が期待された2009年へと向かっていくのでした...
つづく