【ロシアW杯観戦記再編集版、第1話、前話はこちら↓】
「これ、ワンチャン日本代表の出発見れるじゃない?」
…そう下心を馳せた多くの日本人がカザンの空港にわらわらと集まり始めた。空港ロビーのカフェには自分も含めて青いユニフォームに身を包んだ人間が一気に増えた。
なんだ、やっぱり皆、考える事は同じじゃないか。みんな同種じゃないか。
気さくに話してくれる日本代表サポーターの方達と会話を弾ませながら、友人以外と友人の通訳を介さずに話せる久々の感覚に妙な安堵感を覚えながら暫しの歓談を楽しむ。
しかしこの中に一人、「同種」と我々と一緒にくくるには余りに申し訳ない程の人物が居た。そしてその人物が我々の下心を期待以上の結果として現実に昇華させてしまったのである。
その前にちょっとした事件は起こる。日本人が急に集い出したカフェでの一幕だ。
家だろうが何だろうが、狂ったようにコーヒーを飲む私は微糖も嫌いじゃないが基本的にはブラック派である。しかし中国にイメージしていたコーヒーなんてなく、中国のコーヒーは想像を遥かに超える極甘カフェオレしか無かった。ここに至るまでの私は無糖のコーヒーに飢えていたのだ。そこでカフェのメニューを見ればエスプレッソを見つけた。嬉々としてエスプレッソをオーダーし、待ち焦がれた黒い液体を眺め、先に戻って喉へと運んだ。喉との久し振りの再会になるはずだった。私は思わずこんな感情を抱いた。
「…これ、完全にガムシロじゃね?」
エスプレッソの味は完全にガムシロだった。
やけに甘いコーヒーだな、ではない。完全にガムシロだったのだ。
思わず私はカップを置いて凝視してしまった。この時の私は相当言語化しにくい表情をしていたのであろう。それを見た友人は「エスプレッソって元々そういう量やで?」と海外経験皆無の私がエスプレッソの量に戸惑う初歩的なミスをしているとすら勘違いしていた。いくらなんでも私だってそこまで無知じゃない。「いや、それはわかってる。飲んだらこの顔の理由がわかる」とエスプレッソ改めコーヒー色のガムシロを差し出すと口にした友人もやはり怪訝な顔を浮かべた。この期に及んでロシアの洗礼を浴びせられるとは…最初に懸念していたような不安も不満も殆ど無い旅行だったが、コーヒーを含めた液体事情だけは中々に困った。中国でのトランジット含め。あのエスプレッソだけは未だに何がどうなってあの味になったのかさっぱりわからない。
エスプレッソショックから少し経ち、時刻は16時前くらいだっただろうか。このカフェに来る前、「そこで日本人みんな集まってるんで一緒にどうですか?」と声をかけてくれた男性が再び歩み寄ってきた。さっきまでも会話をしたりしていたから、何かのお喋りでもしに来てくれたのかと思った。というか雑談でないとすれば他に予想される事は余り無かった。あるとすれば「今Twitterを見たら日本代表が〜」的な情報共有くらいのものだろうし、むしろこの同種だと思っていた男性の口から「今Twitter見たらもう日本代表出発したみたいなんです…」的な言葉が飛び出す可能性すら危惧していた。何なら、彼は我々以外にも何かを囁いていた。この瞬間、あ、もう裏口みたいなところから出発したんだ、と半分諦めた気持ちを持ちながら彼が我々のテーブルに回ってくるのは待っていた。
そして我々のテーブルに回ってきた彼が囁く。
「今◯◯◯(某テレビ局)の人から連絡あったんで付いて来てください。」
「……………へ?」
言葉の意味はスッと理解出来た。スッと理解できたからこそ、状況が全く理解できない。一人だけ明らかに同種とくくる訳にはいかない、くくるには申し訳なさ過ぎる人脈を持つ人間がいたのだ。
この男性を先頭にカフェを退店し、彼の後に続いてそこそこの人数が列をなして歩く。5割のワクワクとドキドキ、3割の非現実感、2割のあんた何者?という感情と共に。
彼が先導して向かう先には、彼が連絡を取っていた某テレビ局の人間がいた。これはワールドカップである為、選手が空港に入るところに繋がるここから先の道は「関係者以外立ち入り禁止」となっているのだが、そこそこの人数と言ってもそんなに人数がいる訳でも無いからか関係者扱いという事になり、ライフルを構えたロシアのガードマン2人の間を通り抜けていく。そこからもう少し進むと、日本の各テレビ局のメディアが大量に駐在しているゾーンまで辿り着いた。日本代表バスの到着を待つまでの間、某有名情報番組2つから取材を受けた。
正直、ワールドカップってここまで急に簡単に関係者扱いされていいものなのか?と思った瞬間はあった。
ここからは推測でしか無いのだが、そもそもカザンまで来ている日本人サポーターは初戦の会場であるサランスクに行くサポーターよりも少ない。ただ、それでも居ない訳では無いだろうし、テレビ局としては使うかどうかは別としても素材として見送りに来た日本人のコメントはストックしておきたい。そこで我々に囁いて来たあの男性には班長的な役割を頼んでいて、空港で彷徨っていた我々みたいな日本人を束ねて取材エリアまで引率する事で、男性と繋がっていたテレビ局以外の各局まとめて取材対象を集めつつ絞り込む事でスムーズに放送素材を集める為の連携を取っていたのだろう。だからあの時あれほど簡単に関係者扱いして貰えたのは単に適当だとかコネとかいう訳では無くて「取材対象者」としての関係者扱いだったんだと思う。実際、あの時は男性と繋がっていたテレビ局以外のテレビ局からも取材を受けたし、一緒にここまで来た日本人サポーターの多くが何かしらの取材を受けていたし。とりあえず結論から言うとこの日の晩に日本にいる母親に連絡したが、我々のインタビューはものの見事に全カットだった。
いよいよバスが到着する。西野朗監督を筆頭にスタッフが、そして日本代表に選ばれた選手達が順に降りて空港へと入っていく。
この時、日本代表に対する逆境はなかなか凄まじかった。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の時から募っていた閉塞感に、監督解任に至るプロセスから生まれたJFAに対する不信感や、ガンバ大阪退任以降の西野監督の成績への不安、西野ジャパン発足後のガーナ戦、スイス戦での内容にも乏しい敗戦、平均年齢が高い事で「おっさんジャパン」とも揶揄されたメンバー構成…本番前最後の国際Aマッチとなるパラグアイ戦の出来は良かった事で多少和らいでいた感はあったが、初戦の相手がコロンビアという事もあって悲観的な論調が多く、自分自身も100%信じていた…とは言えなかった。引き分けれたらば御の字と思っていた。
ただ、冷静に考えれば、今このバスに乗り込んだ代表選手に簡単に批判の声は挙げたりしているが、自分だって一瞬でもプロサッカー選手を夢見た事はある。夢見て即刻「あ、この段階で選抜チームとかにも食い込まないようじゃ無理やん」と思って挫折した余りにしょぼいキャリアがある。外野からやれ使えない、やら要らないとは簡単に言えるも、ここにいる選手達は皆、小さい頃からエリートと呼ばれ、エリートと呼ばれた連中の集う集団に進めばエリート同士で潰し合うような競争を戦い抜き、そこで勝ったものが更に選び抜かれたエリートとの競争を強いられ、そこでも勝ち抜いたごく一部の人間がようやく辿り着ける舞台がJリーグだ。そして当然ながら、そこからは更に熾烈な戦いが繰り広げられる。引退という2文字を口にするまで終わる事の出来ない生存競争の末にロシアまで辿り着いた彼らは誰が何と言おうと間違いなく「日本代表」なのだ。
更にロシアW杯日本代表は、ガンバ大阪ファンの私にとって、ガンバ大阪ファンにとって一番思い入れが強いであろう西野監督の率いるチームなのだ。西野朗が率いる日本代表がワールドカップを戦う姿を夢見たガンバファンはきっと多い。そして日本戦は観に行けないが、私もまたそのロシアW杯で今、こうしてロシアのカザンに居る事が出来ている。もし仮に購入する事が出来たチケットがカザンでのフランス戦でなく、モスクワのアルゼンチンvsアイスランドだったりドイツvsメキシコだったりロストフでのブラジルvsスイスだったとしたらこの瞬間に立ち会う事は出来ていなかった。6月17日の予定が空白になったあの時、偶然と下心が生む奇跡の序章は始まっていた。暑くは無いけれど陽射しの強いカザンの地、それが何かはわからないけれど、確かに私は人生の何かを手にした気がした。
つづく。
番外編の未公開写真↓