これ更新し切ってない事を完全に忘れていました。
どーもこんばんは
さてさて、2021年が幕を開け、今年のJリーグにも様々な期待がそれぞれにあるでしょう。「川崎の黄金期は続くのか?」「ACL組は両立できるのか?」「推しチームはどうなるのか?」……しかし、過去のシーズンと比べて最大の違いというところで言えば、「4チームも降格しちゃう」という鬼のレギュレーションですよ。
新型コロナウィルスによる特例措置として2020年は降格ルールが撤廃された形で行われました。それにより、2021年のJ1リーグは20チームで戦う事になり、その結果2021年はチーム数を従来の数に戻す為に4チーム降格…しかも入れ替え戦もなし!(J2プレーオフはある)。ここは一つ、厳しくもしんどい話ですがJリーグを盛り上げる部分にもなってくると思います。
参考までに過去の降格チームを振り返るとこんな感じ。( )内のチームは入れ替え戦で降格を回避したチームです。
1999年:16位平塚、15位浦和
2000年:16位川崎F、15位京都
2001年:16位C大阪、15位福岡
2002年:16位札幌、15位広島
2003年:16位京都、15位仙台
2004年:(16位柏)
2005年:18位神戸、17位東京V、16位柏
2006年:18位京都、17位C大阪、16位福岡
2008年:18位札幌、17位東京V、(16位磐田)
2009年:18位千葉、17位大分、16位柏
2010年:18位湘南、17位京都、16位FC東京
2011年:18位山形、17位福岡、16位甲府
2012年:18位札幌、17位G大阪、16位神戸
2013年:18位大分、17位磐田、16位湘南
2014年:18位徳島、17位C大阪、16位大宮
2015年:18位山形、17位清水、16位松本
2016年:18位福岡、17位湘南、16位名古屋
2017年:18位大宮、17位新潟、16位甲府
2018年:18位長崎、17位柏、(16位磐田)
2019年:18位磐田、17位松本、(16位湘南)
降格制度の移り変わりとしては、J2が発足した1999年から2003年までが下位の2チームが降格。当時は16チームでした。2004年のみ翌シーズンからJ1を18チームにする為に最下位チームの入れ替え戦のみとする特例制度を採用し、2005〜2008年までは自動降格2チーム+入れ替え戦の1チーム、2009〜2017年までは自動降格が3チームとなり、2018年と2019年はJ1は2005〜2008年と同じレギュレーションになりました。
Jリーグの降格争いはJリーグ時代のレベルが拮抗している事もあって、毎年最後の最後まで誰が落ちてくるのかわからない、誰が抜け出すのかわからない……もう、自分の応援しているチームが絡んでさえいなければ究極のエンターテイメントですよ。
そして何といっても、たまに優勝予想すらされていたところが降格するっていう。
ですので今回は残留争い復活記念!「衝撃のびっくり降格チームトップ10」を作っていきます!
第10位タイ ヴィッセル神戸(2012)
監督:和田昌裕(3年目)→※安達亮(第9節〜第12節まで代行)→西野朗(第13節〜第31節)→安達亮(第32節〜)
2012年J1順位:16位
2012年成績:勝点39(11勝6分17敗、41得点50失点得失点差-9)
リーグ杯:グループステージ敗退
天皇杯:2回戦敗退
前年度J1順位:9位
翌年度J2順位:準優勝(昇格成功)
2012年の神戸はむしろ「台風の目」とすら期待されていたチームでした。というのも前年クラブ史上初めて一桁順位でフィニッシュした背景に加え、鹿島から野沢拓也と田代有三、G大阪から橋本英郎と高木和道、更にクロアチアでプレーしていた現役代表の伊野波雅彦まで獲得して開幕2連勝。ここまでの神戸ファンは夢心地だった事でしょう。
しかしその後は一気に4連敗でペースダウン。それでも第13節に前年までG大阪を率いた西野監督就任後は一度は持ち直し、第22節終了時には16位G大阪との勝点差は11で降格の心配は無いところにいた…はずでした。ですがそこからまさかの9戦未勝利を喫すると、大宮、G大阪、新潟が一気に復調した事で残留争いに巻き込まれるハメに。ラスト3試合のところで2度目の監督交代に踏み切りましたが、最も優位な立場で迎えた最終節でも広島に敗れ、更に新潟が勝利した事で開幕前に描いた未来里はまるで違う現実にぶち当たりました。
尚、この年の神戸が獲得した勝点39という数字は現時点でJ2降格チームの中では最も多い勝点になっています(16位の最多勝点では2018年の磐田が最多)。
【降格決定試合】
2012Jリーグディビジョン1第34節
2012年12月1日15:34@ホームズスタジアム神戸
広島得点者:森崎浩司(52分)
2012年残留争いの詳細
↓
第10位タイ 京都パープルサンガ(2003)
監督:ゲルト・エンゲルス(4年目)→※木村文治(1st第11節〜1st第12節まで代行)→ピム・ファーベーク(1st第13節〜2nd第13節)→※木村文治(2nd第14節〜)
2003年J1順位:16位(1st16位/2nd14位)
2003年成績:勝点23(6勝5分19敗、28得点60失点得失点差-32)
リーグ杯:グループステージ敗退
天皇杯:3回戦敗退
ゼロックス杯:準優勝
前年度J1順位:5位(1st6位/2nd7位)
翌年度J2順位:5位(昇格失敗)
いきなりトップ10の概念ぶっ壊れましたけどどうしても入れたかった、外さなかったのでので入れちゃいました。これを見ている方、「別に京都なんて落ちてもそない珍しい話ちゃうやろ」とお思いでしょう。2003年に関しては少し事情が違いました。
2000年にJ2降格の憂き目を見た京都でしたが、J2での一年を通じて後に日本代表入りも果たす松井大輔、黒部光昭、手島和希、そしてアジア史上最高の選手とも呼ばれるまでになったパク・チソンといった選手が大きく飛躍。J1に返り咲いた2002年はまさしくサンガ史上最高の年で、年間順位では5位、更に関西勢として初のタイトル獲得となる天皇杯を制しました。ですが同年の日韓W杯での活躍もあってパク・チソンが欧州移籍。さぁ、どうなるか…ここまでが前振りです。
ですが蓋を開けてみれば怪我人も多く、パク・チソンの代わりに獲得した韓国代表MFコ・ジョンスもまるで活躍せず。シーズン中に代表選手が3人出たにも関わらず1stステージはがっつり最下位。2ndステージではこの年の上位5チーム相手に2勝3分と勝点を積み上げた反面、残留を争う神戸、大分、仙台に悉く敗れさり、僅かな可能性を残した最終節では豪雨の万博競技場でG大阪に1-5で完敗。2006年にも雨の中でG大阪に敗れて降格が決まった為、「雨」「万博」「シーズン終盤」はサンガファンにとって完全にトラウマになっています。
この時のACL出場ルールでは、2002年度の天皇杯王者は2004年のACLに出る予定になっていました。しかし2004年はJ2で戦わなければならなくなった事で同年のACL出場を辞退。ACLになって以降、唯一出場権を手にしながら辞退したJリーグチームにもなってしまいました。
【降格決定試合】
2003Jリーグディビジョン1 2ndステージ第15節
2003年11月29日14:04@万博記念競技場
G大阪得点者:マグロン(17分)、吉原宏太(51分)、二川孝広(64分)、中山悟志(83分)、大黒将志(89分)
京都得点者:黒部光昭(57分)
第9位 名古屋グランパス(2016)
監督:小倉隆史(1年目)→ボスコ・ジュロヴスキー(2nd第10節〜)
2016年J1順位:16位(1st14位/2nd15位)
2016年成績:勝点30(7勝9敗18敗、38得点58失点得失点差-20)
リーグ杯:グループステージ敗退
天皇杯:2回戦敗退
前年度J1順位:9位(1st9位/2nd10位)
翌年度J2順位:3位(昇格成功)
2010年、クラブレジェンドであるドラガン・ストイコビッチ監督の下でJ1優勝を果たすなど黄金期にいた名古屋でしたが、2012〜2013年にマンネリ化が露見し始めると、2013年オフには赤字問題解消の為に選手の契約満了を含める経費削減を敢行。西野朗監督が率いた2年間で中位に留まり、悪魔の伝説の始まりは2016年…2015年途中からGM補佐としてクラブに復帰したOBの小倉隆史氏がGM兼任監督に就いた事でした。
ただでさえ主力の退団があったところに、どちらかだけでも難しいGMと監督の仕事をどちらの経験もない人物が背負うという無茶にも程があるミッションはクラブ内部での派閥の対立があったとかなんとかも言われていますが、とにもかくにも序盤はそこまで悪くなかったもののすぐにメッキが外れ……18試合未勝利というドツボに嵌まり込んだ結果、小倉監督は2nd第9節で柏に1-3で敗れた時点で事実上の解任(当初は休養扱い)。ストイコビッチ体制でコーチを務めたジュロヴスキー監督が就任してからの5試合は田中マルクス闘莉王の電撃復帰も功を奏して3勝1分1敗と持ち直したかのようにも見えましたが、結局は最終節で既に降格の決まっていた湘南に完敗を喫して降格が決定。オリジナル10で降格のなかった名古屋の初降格により、1993年からずっとJ1に居続けているチームは鹿島と横浜FMの2チームだけとなりました。
この名古屋の降格に関しては「フロントの派閥対立」「計画性の無さすぎる人材登用」「ピッチ内でのスカスカ具合」とやってはいけない事のオンパレード状態だったので、予想外というよりは降格するべくしてした感は最も強いのかも。だって未だに「オグランパス」とか揶揄されるくらいだし…。余談ですが、名古屋と湘南が揃ってがJ1に復帰した2018年最終節も同じ瑞穂での残留争い直接対決でしたが、この試合は2-2の引き分けに終わり両チームとも残留に成功しました。
【降格決定試合】
2016明治安田生命J1リーグ2ndステージ第17節
2016年11月3日13:33@パロマ瑞穂スタジアム
名古屋得点者:シモビッチ(50分)
第8位 ジュビロ磐田(2013)
監督:森下仁志(2年目)→※長澤徹(第10節〜第13節まで代行)→関塚隆(第14節〜)
2013年J1順位:17位
2013年成績:勝点23(4勝11分19敗、40得点56失点得失点差-16)
リーグ杯:グループステージ敗退
天皇杯:3回戦敗退
前年度J1順位:12位
翌年度J2順位:4位(昇格失敗)
2012年は途中までは優勝争いに絡んでいたものの、途中から大失速して12位でフィニッシュ。上位予想する声は最初から少なかったものの、ジュビロ磐田というブランドのみならず前田遼一、駒野友一に加えて伊野波雅彦を補強。海外組が大半を占めるようになった当時の現役日本代表メンバーを3人も揃えていた事もあって、多くの人の予想では「中位よりちょっと上か下」。少なくとも降格候補に挙げる人はほぼいませんでした。
しかし開幕してみると開幕からの7試合で2分5敗と逆噴射スタート。第9節で昇格組の甲府に1-2で敗れた時点で森下監督の退任が決まり、中断期間が明けてからは前年のロンドン五輪で日本をベスト4に導いた関塚監督を招聘。ですが復調の兆しはまるで見えず、気が付けば「17位磐田、18位大分」が完全に指定席状態に。いわゆるびっくり降格枠と言われるチームは突然低迷したり、15位と16位を行ったり来たりというのが殆どでしたが、この年の磐田に関してはもはや残留争いに絡む事さえ出来ず。磐田の降格は最終節を待つ事なく、Jリーグの一時代を築いた名門は第31節の時点でJ2に叩き落とされてしまいました。
余談ですが、前年のG大阪降格時に「前田のデスゴール」と呼ばれる「前田遼一にシーズン初ゴールを決められると降格する」というジンクスが度々話題になり、最終節で前田自らガンバを潰すという離れ技を成し遂げていました。そんな翌年、まさか磐田の降格によってカタをつけるとはなんとまあ美しい……。ちなみに、磐田の降格が決まった鳥栖戦に関しても、GK林彰洋を巡る2chのコピペは相当な秀作。
【降格決定試合】
2013Jリーグディビジョン1第31節
2013年11月10日16:04@ベストアメニティスタジアム
第7位 サンフレッチェ広島(2002)
監督:ガジ・ガジエフ(1年目)→木村考洋(1st第9節〜)
2002年J1順位:15位(1st15位/2nd14位)
2002年成績:勝点26(7勝1延勝3分19敗、32得点47失点得失点差-15)
リーグ杯:グループステージ敗退
天皇杯:ベスト4
前年度J1順位:9位(1st13位/2nd3位)
翌年度J2順位:準優勝(昇格成功)
Jリーグ初期は風間八宏、高木琢也、森保一らを中心に上位グループに位置していた広島でしたが、徐々に財政的な弱さが目立つようになり予算規模は縮小。ですが、長期政権となったエディ・トムソン監督の下では徹底した堅守速攻と元々のスカウト力と育成力の高さで中位をキープし、その期間に台頭し代表に呼ばれるまでになった久保竜彦や上村健一、更に広島ユースで育った駒野友一や森崎兄弟が主力に定着した2001年はこの年から招聘したヴァレリー・ニポムニシ監督の下で攻撃的サッカーにシフト。前任者の貯金を後任が良い形で活かしつつスタイルを変えて2ndステージでは3位に食い込み、来年こそはヴァレリー体制で優勝…そんな空気さえ漂っていました。
しかし突如としてヴァレリー監督が辞任。フロントはヴァレリー体制続投で考えていたので当然びっくり。さて後任監督どうする?ここでヴァレリー監督の推薦を鵜呑みにした事が全ての始まりでした。後任となったガジエフ監督はそもそも監督自身の基本方針がクラブの方向性と真逆で、かつガ監督の意向で前年の主力を放出挙げ句に監督のリクエストで補強した選手がまるで使えず、負傷者続出&選手との軋轢という散々な事態に。僅か7試合で解任となり、後任の木村監督も新体制初勝利の翌節から7連敗とトンネルを抜け出せず、昇格組の京都と仙台が想像以上に健闘した事もあって柏、神戸と共に熾烈な残留争いへ。迂闊に推薦だけで監督を決めてはいけない(戒め)。
それでも負けたら降格決定の2nd第14節で柏との直接対決を制し、なんとか残留の望みを最終節に繋いだ広島。相手はこの年ダントツ最下位で降格内定済みの札幌だったので、広島側には「神戸と柏次第!」と楽観視的な風潮もありましたが、まさかこの試合が後に「伝説の試合」と呼ばれる激闘になろうとは…。Jリーグ史上最後のVゴール、それはステージ優勝経験のあるチームを初めてJ2に叩き落とした一撃になりました。道連れコワイ……。
【降格決定試合】
2002Jリーグディビジョン1 2ndステージ第15節
2002年11月30日14:03@札幌ドーム
札幌得点者:小倉隆史(8分)、曽田雄志(55分、88分、99分)、相川進也(74分)
広島得点者:森崎浩司(42分)、久保竜彦(47分)、茂木弘人(53分)、上村健一(87分)
第6位 東京ヴェルディ1969(2005)
監督:オズワルド・アルディレス(3年目)→※石崎信弘(第18節のみ代行)→バドン(第19節〜)
2005年J1順位:17位
2005年成績:勝点30(6勝12分16敗、40得点73失点得失点差-33)
リーグ杯:グループステージ敗退
天皇杯:4回戦敗退
ゼロックス杯:優勝
前年度J1順位:9位(1st9位/2nd9位)
翌年度J2順位:7位(昇格失敗)
今やJ2が完全に定位置になったかつての最強軍団。後に一年だけJ1に復帰したし、病巣はこれよりも前から巣食っていたのは想像に難くありませんが、凋落の決定的なキーポイントがこの2005年でした。
かつてのような名門らしさは無くとも中位は維持し、前年には天皇杯を制覇。林健太郎や山田卓也といった代表経験者、小林大悟、相馬崇人、玉乃淳、森本貴幸といった将来有望な選手がいるところに実績抜群の戸田和幸、ブラジル代表経験のあるワシントンとジウを迎え入れたチームは優勝争いのダークホースとも見做されており、少なくとも降格するとは予想されてもいませんでした。ヴェルディブランドもまだ残ってる時代だったし。しかし蓋を開けてみると、ワシントンの大活躍で点はそれなりに取れるものの守備が完全崩壊。夏の中断期間明けの第13節G大阪戦と第14節浦和戦ではそれぞれ1-7、0-7で敗れ、中断明けからの5試合で23失点という凄まじい事態に陥ります。同時期に17位が定着していた大分がシャムスカ監督の下でV字回復を果たすと、代わって17位の座はいつのまにかヴェルディの指定席に。第33節、ヴェルディのレジェンドであるラモス瑠偉がコーチを務める16位柏との直接対決は「降格か、入れ替え戦か」を決める大一番でしたが、6試合勝利の無かった柏に5-1で叩き潰され、かつての主役の長い長い迷走の歴史の分岐点となってしまいました。この年のヴェルディの守備崩壊っぷりは異常でした。だって4失点以上した試合が8試合もあるっていう……全試合の1/4以上が4失点って。点は取れたとは言っても、チームの得点の半数以上はワシントンが叩き出しているので、そこでのアンバランスさもかなり大きかったです。ちなみに、開幕前のゼロックス杯は横浜FMに勝利して優勝しているヴェルディ。ゼロックス杯優勝チームのJ2降格は後にも先にもヴェルディだけです(ゼロックス杯に出場して降格は2003年の京都も該当)。
1994年、ナビスコ杯で当時全盛期のヴェルディに「Jリーグのお荷物」と揶揄されたガンバが1-7で敗れ、当時の川淵三郎チェアマンに「ガンバなんて消えてなくなれ!」と言われる事件が発生しました。それから11年後、ガンバが不振に陥るヴェルディを7-1で叩き潰し……ガンバファン視点で言えばリベンジ成功なんですけど、ヴェルディ視点なら凋落を象徴するエピソードなのかなと。
【降格決定試合】
2005Jリーグディビジョン1第33節
2005年11月26日15:03@日立柏サッカー場
柏得点者:大谷秀和(18分)、矢野貴章(45分)、平山智規(57分)、土屋征夫(62分)、永田充(85分)
東京V得点者:小林慶行(27分)
次回に続く!
もうロシアよりカタールのが近いのか…。
ではでは(´∀`)