LINE MUSICで曲を配信するという血迷った行動から1ヶ月が経とうとしています。
どーもこんばんは
さてさて、本日は以前更新したブログの続き、「残留争い復活記念!衝撃のびっくり降格チームトップ10」の後編をお届けします。企画概要については前編の方をご覧ください。
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なんてったって今年は降格枠が4つもありますからね。いつもよりエグいエンターテイメントとなるのは必至です。
それでは独断と偏見によるトップ10発表!!
【世界一悲しいVゴール】
第5位 浦和レッドダイヤモンズ(1999)
監督:原博美(2年目)→ア・デモス(2nd第1節〜)
1999年J1順位:15位(1st13位/2nd14位)
1999年成績:勝点28(7勝1延勝5分7敗、39得点58失点得失点差-19)
リーグ杯:ベスト8
天皇杯:4回戦敗退
前年度J1順位:6位(1st8位/2nd3位)
翌年度J2順位:準優勝(昇格成功)
Jリーグ初期の浦和は1995年を除いて長い低迷期の中にいました。しかしそれでも三菱時代の名残もあってJでもトップクラスの人気と観客動員を誇り優秀な選手も揃っている、小野伸二や永井雄一郎のような若手も台頭してきたのがこの頃で、1998年には2ndステージで3位にまで躍進。1999年はステージなりカップ戦なり、初のタイトル獲得への機運も高まっていました。しかし怪我人の続出であったり、小野と永井がワールドユース出場により1ヶ月ほど欠場したりと主力の離脱が目立ち、1st最終節では名古屋に1-8の惨敗を喫してクラブOBの原監督を解任。この時点で浦和は13位でしたが、14位京都と15位市原との勝点差は僅かに1。この年から導入された「J2降格制度」の最初のチームになり得るところまで来てしまっていました。再起を図りたい浦和が2ndステージから招聘したのはオランダなどでの実績が豊富なア・デモス監督でしたが、残留を争う京都との直接対決となった2nd開幕戦を終了間際の失点で落とすとそこから怒涛の4連敗。第5節C大阪戦で何とか一度勝利したが、第6〜9節ではもはや芸術に近い4戦連続Vゴール負けを喫してしまい…。
監督と選手の不和、エース福田正博の冷遇などの爆弾を抱えながら迎えた最終節、13位福岡、14位浦和、15位市原という順位関係の中で迎えた広島戦、市原がリードした事で90分以内での勝利が必須になった浦和でしたが猛攻も実らずタイムアップ。当時のルールにより延長戦に突入するのですが、浦和の選手達は降格という事実を知りながら延長戦を戦うある種の生き地獄へ……。これがJリーグ史に残るシーンとして語り継がれる「世界で一番悲しいVゴール」に繋がっていったのでした。
【降格決定試合】
1999Jリーグディビジョン1 2ndステージ第15節
浦和得点者:福田正博(106分)
【道連れ西京極】
第4位 FC東京(2010)
2010年J1順位:16位
2010年成績:勝点36(8勝12分14敗、36得点41失点得失点差-5)
リーグ杯:ベスト8
天皇杯:ベスト4
スルガ銀行杯:優勝
前年度J1順位:5位
翌年度J2順位:優勝(昇格成功)
確かに大口スポンサーの撤退が開幕前にあって予算縮小という逆風こそあったものの、少なくともFC東京がこの年降格するとは誰も思っていませんでした。今野泰幸や石川直宏など代表クラスの選手を多く揃え、権田修一や米本拓司のような若手の躍進で前年はリーグ5位&ナビスコ杯制覇。優勝は難しくとも、ACL圏内は別に夢物語というほどでもない…くらいの。ですが蓋を開けると怪我人も多く、勝ち切れないドローゲームが続出。更に夏には長友佑都が海外移籍で流出してからは状況は更に悪化の一途を辿り…第22節で磐田に敗れ、14位となったタイミングで城福監督を解任して大熊監督を後任に抜擢しますが、17位京都と18位湘南が下位2つを早々に固めた反面、前半戦で不振だった大宮、仙台、神戸が盛り返し始めた中でまFC東京だけが状況が好転する事なく、大宮、仙台との直接対決にもことごとく敗北。ちょっと前までFC東京の下にいたはずの山形が第32節で、大宮が第33節で残留を決めた中、15位のFC東京は勝点差1の16位神戸と共に最終節決戦に至りました。
それでもFC東京は自力で残留を決められる立場な上に、対戦相手は17位ながらもぶっちぎり最下位並の勝点だった京都。対する神戸は敵地での浦和戦だった為、FC東京の圧倒的優位は明らかでした。しかし試合はまさかの京都先制。最後の意地か、同じ関西勢である神戸への想いか、或いは道連れにしてやる的な怨念か……ともかく、FC東京の猛攻が悉く空回りして最後は2点目まで取られて終戦。一方の神戸は浦和相手にまさかの4-0で圧勝し、神戸にとっては奇跡の日、FC東京は悪夢の日となったのでした。
いわゆるびっくり降格と呼ばれるチームは「○連敗」「△試合未勝利」みたいな派手な低迷があるものですが、そういう意味ではこの年のFC東京はずーーーっと緩い不振が続いていたようなもので、要するに勝ち切れないドローゲームが続出したんですね。象徴的な数字としてはこの年、本拠地味の素スタジアムで行われたホームゲーム15試合の成績が1勝9分5敗という引き分け祭。しかもその1勝は開幕戦で、特に2点先制しながら84分とアディショナルタイムの失点で引き分けに終わった第13節神戸戦が色んな意味で全てを分けたような気もします。
ちなみに、サッカー系のネットスラングとして定着してしまっている「○○に期待した僕がバカでした」の元ネタはこの試合後に権田修一が「浦和に期待した僕がバカでした」と発言したと報道された事が由来です(権田本人は後に否定してます)。
ちなみに私、この最終節はサンガファンとして西京極に観戦に行ってたんですけど……スタンド全体が「道連れにしてやらぁ」的な空気でしたし、後ろの人が「えぇ!?浦和0-3神戸!?」と叫んだ時の謎のカタルシスは凄かったですね。
【降格決定試合】
2010Jリーグディビジョン1第34節
2010年12月4日14:34@西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場
京都得点者:ドゥトラ(34分)、ディエゴ(90+1分)
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【史上最…攻?】
第3位 セレッソ大阪(2014)
監督:ランコ・ポポヴィッチ(1年目)→マルコ・ペッツァイオリ(第12節〜第22節)→大熊裕司(第23節〜)
2014年J1順位:17位
2014年成績:勝点31(7勝10分17敗、36得点48失点得失点差-12)
リーグ杯:ベスト8
天皇杯:ベスト8
ACL:ベスト16
前年度J1順位:4位
翌年度J2順位:4位(昇格失敗)
「天国から地獄へ」……過去に予想外の降格を遂げたチームはそこそこいますが、この言葉が最も似合うのは2014年のセレッソでしょう。元々セレッソ大阪とは不思議なチームでもありました。2000年1stステージ、最終節に勝てばステージ優勝というところまで躍進した翌年に最下位で降格。2005年も同様に最終節を首位で迎えましたがここでも優勝を逃し、そして翌年またしても降格。「優勝争いした翌年に降格する」という奇妙なジンクスを持っていたのです。そんな中で2013年は柿谷曜一朗、山口蛍、扇原貴宏、南野拓実といったユース出身選手が大ブレイクを果たし、第33節まで熾烈な優勝争いを演じながら4位フィニッシュ。天皇杯の結果でACLの出場権も手にし、セレッソにとっては悲願の初タイトル獲得と奇妙なジンクスからの脱却を期するシーズンだったと言えます。
そんな中、この年クラブ創立20周年を迎えていたセレッソはオフシーズンから大胆に動きました。選手やファンからの信頼の厚かったレヴィー・クルピ監督に代わって前年までFC東京を率いたポポヴィッチ監督を招聘し、ポポヴィッチを招聘すると貰えると噂の長谷川アーリアジャスールとセルビア代表のゴイコ・カチャルを獲得。そして極め付けはウルグアイ代表ディエゴ・フォルランの入団でした。近年はDAZNマネーや神戸の暗躍もあって大物の入団にもどこか耐性が付いている部分もありますが、この時のJリーグは収入を増やす為に2015年からの2ステージ制復活を決める程の財政難っぷり。そんな中で現役バリバリのウルグアイ代表10番で、南アフリカW杯MVPで、前年には日本代表相手に格の違いを見せつけたスーパースターの獲得報道は相当な衝撃で、前述したような当時の今の背景の違いを踏まえれば、個人的にはルーカス・ポドルスキやアンドレス・イニエスタの時よりソワソワ感や衝撃は大きかったかもしれません。実際、当時黄金期を迎えていた柿谷との2トップは確かにガンバファンかつアンチセレッソの私としても夢があり、セレッソも営業に気合が入りまくり。御堂筋線に柿谷とフォルランの顔を並べて「この2人が並ぶだけで、ワクワクしないか?」とちょっと西野亮廣さん感のある広告を出してみたり(フォルラン×山口、扇原、南野、杉本健勇版もある)、そしてこの後散々ネタにされるのが開幕前にセレッソが掲げたキャッチコピー「史上最攻」「目指すのは優勝じゃない。観客を魅了しての優勝や!」でした。ガンバのチケット取れなかったから広島との開幕戦観に行ったわ長居。
前振りが相当長くなりましたが、セレッソが良かったのは第4節までで、ここから引き分けを連発し低迷に突入。唯一の柿谷&フォルランのアベック弾で勝利した第11節名古屋戦が最後の輝きでした。ブラジルW杯に伴う中断期間にポポヴィッチ監督を解任。柿谷が海外移籍で退団した代わりに、今度は元ドイツ代表のカカウまで獲得する大盤振る舞い。後半戦こそ目指せ史上最攻!
……しかし後任のペッツァイオリ監督が大ブレーキでした。少なくとも勝点1は積めていたポポヴィッチ監督に対し、ペッツァイオリ体制は9戦4分5敗とまさかの一勝も出来ないまま崩壊。中盤で孤軍奮闘していた山口は負傷により8月の時点で一足早くシーズンが終了。後任の大熊監督の初陣で何とか久々に勝利を挙げたものの、大熊監督は大熊監督でフォルランとカカウがいるにも関わらず杉本&永井龍の2トップに固執し、狂うどころか最悪の噛み合い方をした歯車は奈落の底へ猛スピードで転がり落ちて最終節を待たずに降格が決定。フォルランが「オオキニ」と言ったあの日あの時あの瞬間、ホーム最終戦で降格という現実を突きつけられているとは誰が想像した事か……。
【降格決定試合】
2014Jリーグディビジョン1第33節
2014年11月29日14:04@ヤンマースタジアム長居
鹿島得点者:カイオ(33分)、赤崎秀平(59分、67分)、柴崎岳(80分)
【理想郷は望みも絶たれて…】
第2位 柏レイソル(2018)
監督:下平隆宏(3年目)→加藤望(第15節〜第32節)→岩瀬健(第33節〜)
2018年J1順位:17位
2018年成績:勝点39(12勝3分19敗、47得点54失点得失点差-7)
リーグ杯:ベスト4
天皇杯:3回戦敗退
ACL:グループステージ敗退
前年度J1順位:4位
翌年度J2順位:優勝(昇格成功)
ネルシーニョ監督体制の黄金期こそサイクルを終えたものの、2016年と2017年の柏はある意味でJリーグクラブにとって理想のような形を体現していました。5-2で勝利した2016年2nd第10節川崎戦の試合終了時のメンバーのうち、外国籍選手のクリスティアーノを除く10選手が柏ユース出身で、それを率いるのもユースの監督を務めていた下平監督。それでいてかつ好成績を収める姿はJクラブの目指すべき姿と言っても大袈裟ではなかったと思います。そんなチームで2018年はACLへの出場権を得たので、江坂任を筆頭に即戦力を積極補強。開幕前の順位予想でも多くの人が柏をトップ5に入れるどころか優勝予想にしていた人も少なくなく、2018年は下平監督と柏ユースの集大成的な年になる……はずでした。しかしいざシーズンが始まると終了間際に失点を喫して勝利、或いは引き分けを逃す試合が続出。決勝トーナメントには確実に進んでいたACLでもグループステージ敗退を喫し、チームも第14節終了時点で11位と中位を推移。なんかラップみたい。ともかく、第14節川崎戦でアディショナルタイムの逆転弾で敗れた試合を最後に下平監督の解任に踏み切りました。ですが、本当の「絶望」はここからでした…。
ロシアW杯による中断前最後の試合は第15節名古屋戦でしたが、この試合は加藤望コーチが監督に昇格して指揮を執って勝利。ですがこの安易な人事がその後の悲劇を呼び込む事になってしまいました。J1が再開した第16節からは4連敗と逆噴射し、第17節鹿島戦に至っては6失点の大敗。私はイニエスタが初スタメンとなった第18節の神戸戦を現地で見たんですけど、イニエスタの巧さと感動の衝撃に近いレベルで柏のボロボロっぷりに驚いたのを今でも覚えています。いよいよ残留争いに本格参戦を余儀なくされると、フロントもオルンガや鈴木大輔など選手補強に資金を注ぎますが勝利まで買う事は出来ず、ピッチ上では狙いもプランも無いサッカーが延々展開され、しかも選手交代はすればするほど戦局が悪化する始末。第28節浦和戦では悪くない試合展開だったのに采配ミスで流れを浦和にプレゼントする形になり、第30節の名古屋との直接対決では夏に柏自ら放出したDF中谷進之介にシャットアウトされて敗戦。第31節川崎戦では首位相手に何の良いところもなく惨敗し、第32節鹿島戦では鹿島がACL決勝の為にスタメン総入れ替えみたいなメンバーだったにも関わらずやっぱり敗戦。第33節は遅すぎる2度目の監督交代でC大阪に3-0で勝利したものの、残留を争う湘南、鳥栖、名古屋の3チームが全部勝つというまさかの事態が起こり、中村航輔や伊東純也といった日本代表勢を抱えながらまさかの降格が決まってしまいました。
この時の柏のミスといえばやっぱり「加藤監督を引っ張りすぎた事」と「そもそも安易に加藤監督にしてしまった」という部分です。解任そのものの是非はあるでしょうが、少なくとも下平監督を解任するタイミング自体は悪くなかったんです。むしろ解任ありき考えるなら一番良いタイミングでした。第15節だけを加藤監督にやらせて、中断期間に新監督を連れてきて再開後のチームを任せるやり方が出来たはず。柏の後に監督を交代したG大阪と鳥栖のように他にどうしようもないタイミングでも無かったし、後任監督の目処をつけていた浦和と神戸以上に後任監督を探す時間、そして後任監督に与える準備期間を柏は得ていたはずなのに、安易かつ盲目的に加藤監督に丸投げにしてしまったのは致命傷でした。
この年の残留争いは「史上最もハイレベルな残留争い」と称されていましたが、残留争いに絡んでいたチームは長崎を除いてそれなりにポジティブ要素がありました。名古屋とG大阪はそれぞれ大型連勝で一気に勝点を稼ぎ、序盤は苦しんだ横浜FMも戦術が浸透して徐々に復調。同年のルヴァン杯を制した湘南は常に13〜15位くらいの勝点ペースは保っていたし、絶不調だった神戸と磐田には前半戦の貯金がありました。柏だけ、柏だけだったんです。選手層以外に明るい要素が何も無かったのが……。
【降格決定試合】
2018明治安田生命J1リーグ第33節
2018年11月24日14:03@ヤンマースタジアム長居
柏得点者:中山雄太(53分)、江坂任(58分)、クリスティアーノ(84分)
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【伝説だらけの降格劇】
第1位 ガンバ大阪(2012)
監督:ジョゼ・カルロス・セホーン(1年目)→松波正信(第4節〜)
2012年J1順位:17位
2012年成績:勝点38(9勝11分14敗、67得点65失点得失点差+2)
リーグ杯:ベスト8
天皇杯:準優勝
ACL:グループステージ敗退
前年度J1順位:3位
翌年度J2順位:優勝(昇格成功)
「ガンバファンが言うべきなのか」なのか「ガンバファンだからこそ言えるのか」のどちらが正しいのかもはやわかりませんが、もはやサッカーの世界史に残すべき降格劇が2012年のガンバでした。私はガンバファンなので、どうしてもこういうランキングを作ると最初から「ガンバ以外」みたいな縛りを付けない限りバイアスがかかってしまう部分があります。ですがこれに関しては……。
「基本的には下位、たまーに優勝争い」みたいなポジションだったガンバが変わったのは2002年、西野朗の監督就任でした。西野監督体制でのガンバは超攻撃的サッカーというブランドを確立するのみならず、西野監督が指揮した10シーズンのうちトップ3入りを逃したのは2003年と2008年のみ。2008年はACLと天皇杯を制した事を踏まえると2003年以外全部好成績だったのです。西野ガンバラストイヤーの2011年は順位こそ3位だったものの最終節まで優勝を争い、勝点70という数字は2020年終了時点でもガンバのクラブレコード。しかしゴタゴタは西野監督退任のプロセスから始まっていました。
長期政権を敷いたクラブにとって最も難しいのは、その長期政権が終わったシーズンというのはサッカーの常識であり、Jリーグのみならずマンチェスター・ユナイテッドやアーセナルを見てもそう。例えば広島や川崎は自身の哲学が染み込んでいるヘッドコーチを昇格させる事で成功に繋げましたが、ガンバにとって少し不幸だったのは西野監督があまりヘッドコーチを置きたがらない監督だったので、新監督は慎重に選ぶ必要がありました。そこで当時の山本浩靖強化部長はブラジルで若手監督として注目されつつあった呂比須ワグナー氏の招聘を決め、そのつもりで準備を進めていったのですが……呂比須の所有するライセンスがJリーグ規格に届いていないという理由で呂比須氏を監督に据えられないという事態に陥るのです。そこの見通しの甘さってどうなのよ……。結局、ガンバは呂比須をヘッドコーチに、監督には呂比須の恩師であるセホーン監督を招きました。
戦力面では山口智、橋本英郎、下平匠、イ・グノらが退団した一方で、日本代表レギュラーの今野泰幸が入団。他にもJリーグで実績のあるパウリーニョを獲得し、倉田秋や丹羽大輝のレンタルバックを含めて高い戦力値をキープ。新体制への不安こそあれど、多くの人が順位予想でトップ3に入れるどころか柏、名古屋、G大阪の3チームで「3強」なんて持て囃された開幕前……3月に開幕したJ1ですが、ガンバにとって10年ぶりの新監督であるセホーンガンバは4月すら迎える事なく終焉に至るのです。
呂比須を監督に出来ない事がわかった時点で現実的な選択肢は二択でした。それは「①クラブ内のS級ライセンス保持者をとりあえず監督のポストに置いて、呂比須はヘッドコーチor総監督的な名目で実質的な指揮権を与える」「②呂比須案自体を白紙に戻す」……この二択なんですけど、ガンバが選んだのは中途半端な形での①という最悪の選択肢でした。セホーンが監督として招聘された理由はただ一つ、呂比須の推薦……。セホーンは解任後に「実質的な監督は呂比須だった」って言うし、呂比須は呂比須で「ラフィーニャは外した方が良いって言ったけど監督が使うから…」って試合後に言ったり…。結局、セホロペ対戦の公式戦5試合はホームゲームが3試合でアウェイが2試合。その2試合はオーストラリア遠征とセレッソ戦なので、セホーンって国内では大阪から出ずに帰国したのよ。31試合もあったから責任が無いとは言えませんが、とんでもないタイミングで監督業をぶん投げられた松波監督にとっては酷すぎるミッションでした。
悪いスパイラルは更に加速し、選手個々のスランプ、松波監督の経験不足、更に西野監督時代から指摘され続けていた課題は負の連鎖に乗るかのように全部が噴出。更に俗に言う前田遼一デスゴールみたいなオカルト的要素まで絡まり始めたガンバは家長昭博、岩下敬輔、レアンドロを緊急補強した夏以降は多少持ち直したものの「3点取らないと勝てない」という異常現象が最後まで続いて一向に残留争いを抜け出せず。「さすがに降格は無いだろう、去年(2011年)の浦和だってギリ生き残ったんだから」的な楽観もどんどん深刻な不安と化し、残留のスペシャリストである大宮と新潟に追い抜かれ、最終節では前田遼一に直接沈められ……。「得失点差プラスで降格」「最多得点チームが降格」という世界的に見ても異常な称号と共に、スタートから一番大事な部分を間違えたガンバはJ2に降格しました。監督人事のところで長くなりすぎたのでシーズン中盤以降だいぶ端折りましたが、その辺りを細かく書いたブログは以前に更新したのでそちらをご参照下さい。
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【降格決定試合】
2012Jリーグディビジョン1第34節
2012年12月1日15:34@ヤマハスタジアム
磐田得点者:前田遼一(5分)、小林裕樹(85分)
思ってたより長くなっちゃった。
ではでは(´∀`)