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京都サンガFC、クソ長かったJ2生活を振り返る〜第1回 2011年〜2013年、叶わない夢〜

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2021年11月28日、私は千葉にいた。

 

 

サンガがようやくJ1に辿り着いたその瞬間をフクダ電子アリーナで見届けた私は、そのまま幕張へと向かう。

向かった先の幕張の温泉は昼は一面のオーシャンビューらしい。ただ、17:00には陽の沈むこの季節では、なんとなく波打っているのはわかってもその青を目視するには至らなかった。代わりに東京を浮かばせるような海岸線を、露天風呂からぼーっと眺めていた。

 

えらくイタイ書き出しになった事は否めない。誤解のないように言うが、別にメンヘラでもない。それでも一直線に伸びる海岸線を見続けていると、いやがおうにも色々と思い出す。

13歳だった私は、気付けば24歳になっていた。義務教育のみならず、教育という一連の流れを超えた。結婚する友人もいれば親になった友人もいる。なんなら、旅立ってしまった友人さえいる。サッカーでも同じ事だ。あの時の若手といえばロンドン五輪世代だったけど、今ではパリ五輪世代の台頭が始まっている。サッカーではないが、あの時「時代の顔」のような扱いだったAKB48も、あの時のメンバーなんて今は殆どいない。再びJ1といつ海岸線の向こうに辿り着くのにこれほどの時間がかかるとは想像さえもしていなかった。

 

今回からは4回に渡り、サンガの長すぎたJ2生活、11シーズンの全てを振り返っていきたい。11年もあれば、サッカーに関係のないところでそれぞれの思い出もあるだろう。それも感じながら見てもらえれば幸いである。

 

 

オリジナルアルバムの配信も開始したのでそちらも観てね

 

 

京都サンガFC、クソ長かったJ2生活を振り返る】

 

第1回→2011年〜2013年

第2回→2014年〜2016年

第3回→2017年、2018年

第4回→2019年、2020年

 

 

【2011年】

 

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監督:大木武(1年目)

J2リーグ順位:7位

J2リーグ成績:勝点58(17勝7分14敗50得点45失点)

チーム得点王:久保裕也(10得点)

 

【主な選手の入退団】

入団

DF 酒井隆介駒澤大学

DF 秋本倫孝甲府

DF アライール←愛媛

MF チョン・ウヨン慶熙大学

MF 工藤浩平←千葉

 

退団

DF 水本裕貴→広島

DF 増嶋竜也→柏

DF 角田誠→仙台

MF 渡邉大剛→大宮

FW 柳沢敦→仙台

 

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ここから果てしなく長く続く事になるサンガにとって4度目となるJ2の初年度。2度目となる2004年と3度目となる2007年のJ2初年度はそこまで主力流出は目立たなかったが、この時は若手を除いた主力がまるまる揃って退団。チームは再編の時を迎え、GMにはかつて千葉でイビチャ・オシムを招聘した祖母井秀隆氏が就任。そして監督として迎えられたのは前年まで日本代表コーチとして南アフリカW杯に帯同し、2005〜2007年まで監督を務めた甲府でセンセーショナルなサッカーを展開した大木武監督だった。

しかし主力の大幅な入れ替え、前年までのリアクションサッカーからのスタイル転換に対する戸惑いなどもあってサンガは前半戦から大不振に陥り、一時は19位にまで転落するほど低迷してしまう。だが後半戦に入ると3バックから4バックへの変更、大木サッカーの浸透、期待の新戦力ながら長期離脱していた工藤浩平の合流、それに加えて宮吉拓実中村充孝といった既存の若手に久保裕也駒井善成チョン・ウヨンといったルーキーが飛躍的に伸び始めると一気に好調に転じ、ラスト10試合は6連勝を含む8勝2敗で7位フィニッシュ。更にリーグ終了後に行われた天皇杯では鹿島、横浜FMを倒して決勝まで進む。特に延長戦の末に4-2で横浜FM戦はサンガ史上のみならず、天皇杯の歴史に残していいほどの試合だった。2-1でリードしていた試合終了間際に格上チームに追いつかれて延長に持ち込まれれば普通なら心も折れるだろうが、延長戦でもサンガが見せた姿勢は変わらず、あの日のサンガファンは皆、久保と駒井のゴールに近い将来も遠い未来も見たはずである。

「史上初のJ2対決」として注目されたJ2王者・FC東京との試合は2-4で敗れて準優勝に終わったものの、魅力的なサッカーと若手の躍動が成績に繋がり始めた後半戦を見たサンガファンは計り知れないほどの大きな希望を抱いていた。この時は確かに抱いていた───。

 

 

 

【2012年】

 

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監督:大木武(2年目)

J2リーグ順位:3位

J2リーグ成績:勝点74(23勝5分14敗61得点45失点)

チーム得点王:中村充孝(14得点)

 

【主な選手の入退団】

入団

DF バヤリッツァ←陝西宝栄

MF 倉貫一毅←徳島

FW 原一樹←浦和(レンタル)

FW 長沢駿←熊本(レンタル)

FW サヌ←FCケルン※シーズン途中

 

退団

DF 森下俊→川崎

MF 鈴木慎吾→東京V

MF 中村太亮→新潟(レンタル)

MF 加藤弘堅→富山

FW ドゥトラ→鹿島※シーズン途中

 

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かつてサンガが「エレベータークラブ」と呼ばれていたのは、降格が多いというネガティブな文脈で語られる事がほとんどであるが、それは同時に「落ちてもすぐに昇格する」という意味も含んでおり、実際にこの時までサンガは必ず1年か2年でJ1復帰を果たしていた。それでなく、前年終盤の快進撃に天皇杯準優勝…更にシーズン開幕前には、久保裕也が18歳にして日本代表に招集される。久保以外にも宮吉や中村、駒井といった若手がメキメキ躍動していた事、大木サッカーの完成度が目に見えて高まっていた事、そしてJ1からの降格組も1年での復帰を確実視されるようなチームがいなかった事から、この年の昇格候補本命はもっぱらサンガだった。それを象徴するのがスカパーの開幕前の解説者陣の順位予想企画で、解説者6人中5人がサンガを優勝予想。唯一優勝予想から外した名波浩氏も2位には置くほど、サンガの昇格は確実視に近い見られ方すらされていた。

確かにサンガは良いサッカーをしていた。しかし、本命と呼ばれるほどの盤石性にはかけていた。開幕戦で湘南に敗れた後、4連勝したかと思えば3戦未勝利、5連勝したかと思えば7戦未勝利…J2自体も節毎に首位が変わる様は混戦どころか、8節連続で首位が変わる異常事態の様相を呈していた中で、昇格レースは次第に甲府の独壇場になり、結果的に第18節以降一度も負けずに走った甲府が早々と昇格を決めた。それでもサンガは第39節岐阜戦の勝利で2位に浮上し、自力で自動昇格を決められる立場で最終節を迎える。運命の最終節、雨の西京極──サンガの前に立ちはだかった甲府の「無敗記録維持」へのモチベーションは凄まじく、言い換えれば0-0上等の堅守の前に、サンガはまんまと0-0に嵌め込まれてしまい、喜びを爆発させる権利はサンガの手から湘南へと渡ってしまった。

もしこれが昨年であれば3位のサンガも自動昇格出来た。しかし、サンガが実に間が悪かったのがこの年から最後の一枠は3位ではなく、3〜6位が争うプレーオフに委ねられたというレギュレーションの変更だった。迎えた6位大分とのプレーオフ準決勝、ホームで戦える、引き分けでも勝ち上がれるというアドバンテージを得ていたが、かえってそれが立ち位置を狂わせたサンガは森島康仁1人に4発もブチ込まれて惨敗。机上の本命は脆くも散った。

ちなみにこの年、最後の最後で京都から自動昇格を掻っ攫っていった湘南の監督は2012年が監督としてのデビューイヤーであり、即ち開幕戦の京都戦が監督としての初めての試合だった。その男が2021年、サンガの監督として昇格に導く事になるとは──。

 

 

 

【2013年】

 

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監督:大木武(3年目)

J2リーグ順位:3位

J2リーグ成績:勝点74(20勝10分12敗)

チーム得点王:原一樹(12得点)

 

【主な選手の入退団】

入団

GK オ・スンフン←徳島

MF 山瀬功治←川崎

MF 横谷繁G大阪(レンタル)

MF 田森大己←愛媛

FW 三平和司←大分

 

退団

GK 水谷雄一→福岡

MF チョン・ウヨン→磐田(レンタル)

MF 中村充孝→鹿島

MF 伊藤優汰→愛媛(レンタル)

FW 久保裕也→ヤングボーイズ※シーズン途中

 

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サンガが初めて迎える「3年目のJ2」──土壇場で昇格を逃したとはいえ、大木監督の下で培ったポゼッションサッカーの完成度は高まっており、チームとしてのクオリティを疑う余地は無かった。チョン・ウヨン中村充孝をJ1に引き抜かれたが、日本代表経験もある山瀬、大分のJ1昇格に貢献した三平、徳島で頭角を表していたオ・スンフンを補強。確かにサンガも昇格候補に挙げられていた。

だがその声は2012年と比べると遥かに少なく、そして優勝予想に挙げる者は皆無と言えた。しかし、こればっかりはサンガ云々…という話では無かった。J2の昇格戦線そのものが、2012年とは明らかに状況が違ったのである。この年の降格組──J2勢にとって、ガンバ大阪はまさしく黒船だった。主力がほとんど残留したガンバのスカッドは実力・知名度ともに歴代のJ2でも類を見ない次元で、海外組がスタメンのほとんどを占めるようになった当時の日本代表で2〜3人しかいない国内組レギュラーを2人も擁しているチームがJ2に来てしまったのである。更にもう一つの降格チームであるヴィッセル神戸にしても主力の流出こそあったが、それでもJ2では異常な戦力を誇っていたところに実績のある外国人を3人獲得するというJ2離れした補強をやってのけた。今思えば、この年は開幕前の時点で自動昇格枠の2つが見事に埋まっていたというしかない状況がこの時点で出来上がっていたのだ。そして事はその通りに進んでいく。

2013年のサンガは大木体制の集大成とも言えるチームだったし、その完成度はサンガ史上トップクラスだったと思う。勿体ない試合はいくつかあったが、波も前年、前々年に比べれば少なくなっていた。開幕戦のG大阪戦はむしろサンガの方が押していたし、このチームをJ1で見てみたいという気持ちを持ったファンはサンガファン以外にもいたと思う。だけど……終盤に7連勝をして3位の座を固めても、2位を射程に捉える事は最後まで出来なかった。

2位が届かないところで3位も固まってしまったサンガは唐突に虚無のような状態に陥ったのか、ラスト4試合を1分3敗で終えてしまう。プレーオフ準決勝、J2昇格1年目ながらプレーオフまで勝ち上がった長崎には敗北同然の試合内容をオ・スンフンの神懸かり的な活躍でドローに持ち込み何とか勝ち上がったが、決勝では徳島に0-2で完敗。兵役との兼ね合いでタイムリミットが迫る中で、J1でのプレーを切望して徳島から移籍したオ・スンフンにとってはあまりに皮肉な結末だった。そしてこの瞬間、極上の娯楽性と躍動感、そして儚さをふんだんに込めた大木体制が終焉を迎えた。

 

 

 

次回、「新章・混沌・迷走」へ続く。