RK-3はきだめスタジオブログ

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京都サンガFC、クソ長かったJ2生活を振り返る〜第3回 2017年・2018年 サンガ史上最悪〜

京都サンガFC、クソ長かったJ2生活を振り返る】

 

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第1回→2011年〜2013年

第2回→2014年〜2016年

第3回→2017年、2018年

第4回→2019年、2020年

 

 

オリジナルアルバムの配信も開始したのでそちらも観てね

 

 

【2017年】

 

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監督:布部陽功(1年目)

J2リーグ順位:12位

J2リーグ成績:勝点57(14勝15分13敗55得点47失点)

チーム得点王:田中マルクス闘莉王(15得点)

 

【主な選手の入退団】

入団

DF 湯澤聖人←柏(レンタル)

DF 田中マルクス闘莉王←名古屋

MF ハ・ソンミン←蔚山現代

MF 小屋松知哉←名古屋

FW ケヴィン・オリス←仁川ユナイテッド

 

退団

DF 菅沼駿哉→山形

MF アンドレイ→シャペコエンセ

MF 堀米勇輝甲府

MF 山瀬功治→福岡

MF 佐藤健太郎→山口

 

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京都サンガというチームはもう二度とJ1を戦えないんじゃないか…」

本気でそう思った瞬間があった。それが他でもない2017年だった。2017年の衝撃はそれだけ悪い意味で強烈だったと言えよう。

号砲となったのは石丸清隆監督の解任だった。大木武監督が退任した2014年にプレーオフ圏からも漏れ、2015年にはJ3降格危機にまで陥ったタイミングでコーチから昇格した石丸監督はなんとか降格危機からチームを救うと同時に、2016年には堅守をベースに5位にまで浮上。2012年と2013年のプレーオフは成功ではないのかもしれないが、2016年のプレーオフはそれまでのサンガを踏まえると成功と呼ぶべき結果だった。成績を踏まえれば、解任するにはあまりにも無理のある状況と言えた。しかし一方で、石丸監督体制での攻撃はやや停滞気味なところがあり、引き分けが多かった事実には「勝てなかった」「負けなかった」の両方が混在している状況で、じゃあ2017年に2016年以上の数字を出せるか?と言われれば頷けるところとそうでない部分があったので、石丸監督解任そのものに関しては、個人的には反対だったが理解不能…という程では無かった。

ただ、一定の結果を残した石丸監督を解任したとあらば、その後任監督には「あっ、それなら石丸さん解任も頷けるわ」という説得力を持つ必要がある。そもそも昨季は良い位置にいたチームの監督を切る訳で、石丸監督を解任するのであれば実績のある監督が求められるのは当然の流れだ。この時のサンガは赤字続きで、今年昇格が出来ないのであれば、クラブライセンス制度との兼ね合いで来季はクラブ規模を縮小しなければならなくなる……2017年はある意味で「ラストチャンス」だった。そう考えると「石丸監督から実績のある監督に代えるという選択は、確かに理解はできるな」と思っていた。後任監督を知るまでは。

当時の社長は後任監督の選定についてこう語る。

 

「リーダーシップ」「マネージメント能力」「フットボールスキル」を基準に、来てくれる可能性のある監督、外国人も含めまして、みんなで採点をしまして、それの平均点を取りました。実を申しますと、布部さん、監督経験がないのに採点できるの?との話も出ましたが、実際には断トツでこの人しかいない。ということで選ばせて頂きました。

2016年サポーターカンファレンスでの発言

 

果たしてこのリストに上がっていた他の名前は誰なのか、というのは今なお疑問である。

それでも補強は精力的に行なった。韓国・Kリーグで大活躍していたケヴィン・オリス、ハ・ソンミン、名古屋からは小屋松知哉を迎え入れ、大卒ルーキーの仙頭啓矢、高卒ルーキーの岩崎悠人とのトライアングルは「京都橘高校トリオ」として話題性もあった。そして何と言っても補強の目玉として田中マルクス闘莉王である。昨季加入したエスクデロ競飛王や菅野孝憲、山形へのレンタルから復帰した大黒将志を含め、J2とは思えないスター集団と化し、そしてそれをまとめるのが監督未経験者という非常に歪な構成がここに誕生した。

開幕からの7試合を1勝1分5敗という散々な数字で迎えた第8節愛媛戦はまさしくターニングポイントだった。前半を1点ビハインドで折り返すと、第8節という序盤ながら「闘莉王大作戦」を発動。そしてFW起用となった闘莉王は2点を獲得して逆転に成功しまう。しかし闘莉王をCBに戻して守備を固めようとすると追いつかれ、もはや半ギレ気味に再び闘莉王をFWに戻したらハットトリック決めて帰ってくるという……監督はこの勝利で完全に味を占めてしまった。

オリスと闘莉王を2トップに据え、サイドハーフの岩崎と小屋松に与えられた役割は「とにかく抉ってクロス」のただ一つのみ。徹底した放り込みサッカーをなんと第9節から発動してしまうのだ。しかも試合開始から。フルタイムパワープレー、フルタイムストロングスタイルである。確かにストロングスタイルというだけあって、一時は11戦無敗も記録したが、シーズン前半戦にキメたストロングスタイルの効果が長く続く訳などない。再び調子が翳った時、そこにあった景色はモイーズも真っ青、19世紀のイングリッシュスタイルのフットボールだった。しかも勝てない。これが石丸監督を切ってまでやりたいサッカーだったのだろうか。内容面を踏まえて石丸監督を切ったのだろうが、結果も内容も一気に悪化し、結局通年でずっと順位表は二桁を示す。幸いにも降格争いには巻き込まれなかったが、あのシーズンでサンガファンが抱いた絶望感は2015年さえも超えるものだった。

第29節大分戦、終了間際に大黒のゴールで2-2の引き分けに持ち込んだこの試合を私は観に行っていたが、隣に座っていたおじいさんがボソッと言ったセリフを今でも覚えている。

 

 

 

 

 

「…こりゃ再来年もJ2やわ。」

 

 

 

 

もはや来年ですら無かった。

しかし、このおじいさんの予言は外れかける事になる。それはJ1昇格ではなく、J3降格危機という形で……。

 

 

 

【2018年】

 

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監督:布部陽功(2年目)→ボスコ・ジュロヴスキー(第13節〜)

J2リーグ順位:19位

J2リーグ成績:勝点43(12勝7分23敗40得点58失点)

チーム得点王:レンゾ・ロペス(11得点)

 

【主な選手の入退団】

入団

DF 宮城雅史←山口

DF 増川隆洋←札幌

MF 金久保順←仙台(レンタル)※シーズン途中

MF 庄司悦大←仙台(レンタル)※シーズン途中

FW レンゾ・ロペス←プラザ・コロニア(レンタル)

 

退団

GK 菅野孝憲→札幌(レンタル)

DF 高橋祐治鳥栖

DF 吉野恭平→広島(復帰)

FW エスクデロ競飛王→蔚山現代(レンタル)※シーズン途中

FW イ・ヨンジェ→岡山

 

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この年の7月、基本的にサッカーを見る事に興味はないサッカー部時代の友人に聞かれた。

 

「サンガって頑張ってんの?何位くらいなん?J1行けそうなん?」

 

同じサッカー部に所属していた時、曲がりなりにもサンガはJ1昇格を争える地位にはいた。だから私は彼に聞き返してみた。

 

「逆に何位やと思う?J2ってさ、全部で22チームあるのよ。」

 

彼はこう言った。

 

「今の言い方で良くないのはなんとなくわかったわ。んー……20位!あっ、ごめんごめん、さすがに言い過ぎた、さすがに盛ったわw」

 

 

 

正解は22位だったのである。

 

 

 

結果を出しても解任される監督がいる一方で、結果が出なくても続投する監督は一定数いる。代表例として2008年のミハイロ・ペトロヴィッチだろうか。J2降格を喫したが、試合内容とと若手の台頭も見られた姿に広島のフロントは未来を計算出来た。要するに、続投させるべき理由があったという事である。

この時、サンガが監督を続投させるべきと考えられる理由を探してみても、それは今になってもわからない。成績は勿論悪い。内容も「来季もこのやり方を続けてほしい」と思えるモノでは到底なかった。ましてや若手の成長促進に繋がったとも言えない。じゃあ複数年契約を結んでいたから?いや、単年だった契約をサンガはわざわざ更新している。あまりこのような可能性をブログでは書きたくはないが、そうなると続投させる理由として考えられるのが…近畿大学時代の同級生である小島卓強化部長の"意向"くらいしか思い浮かばなかった。そもそもこの強化部長にしてもスカウトとしては優秀なのだが……強化部長としては「?」が否めなかった。

勝負の年だった前年も結果を出せなかったツケは回り、例年と比べて控えめな補強にならざるを得なかったサンガは最初の4試合こそ1勝2分1敗だったものの、そこから第12節栃木戦まで1勝1分6敗。ホームで迎えた第10節熊本戦、数的不利の相手にラストワンプレーの失点で逆転を許した試合後には最下位にまで落ちた。結局第12節栃木戦に敗れたタイミングで監督交代を決断。第13節山口戦からは元名古屋監督でヘッドコーチを務めたボスコ・ジュロヴスキーが監督に就任した(第13節山口戦の時点では監督代行で監督は休養扱い)

一度狂った歯車はそうそう簡単に噛み合う事などない。ボスコ監督は若原智哉や福岡慎平、上月壮一郎といった若手を抜擢するなど刺激を与えようとしたが勝ち星は伸びず、第17節金沢戦の勝利を最後に8戦未勝利に陥る。この年の6月、私はロシアにW杯観戦に赴いていたが、異国の地でサンガが敗れたスポナビの速報画面を見た時のなんとも言えない気持ちは今でも覚えている(第19節東京V戦)。J1でもJ2でも、予想外のチームがスランプに陥り、1〜2試合ほど最下位に転落するケースは時折ある。しかしこの年のサンガは最下位の時期が実に7試合も続いたのだ。J3降格はいつしか現実的な可能性を持ち始めていた。J1残留争いの常連とされていたサンガが、今ではJ3に降格する可能性を現実的に持ち始めている……何より辛かったのが、サンガのJ2最下位という現実そのものと、そしてピッチ上の「最下位であること」を証明するようなパフォーマンスだった。ファンである以上、当然降格してほしくない。残留してほしい。だが一方、もし仮にJ2に落ちたとしても「なんで…」とは言えなかった。それだけ2018年の上半期は、一言で表せば「地獄」だった。2017年に墜ち、墜ちた先の世界を見たのが2018年だったのだ。

だが、サンガ以外の残留を争うチームとは大きく違う点が一つあった。それこそが「バックの存在」である。補強は控えめにしていたサンガだったが、いよいよJ3降格が現実味を帯びた焦燥感から夏に大量補強を敢行した。共にJ1で出場機会の減っていた庄司と金久保、Jリーグ経験のあるカイオやJFLでプレーしていたジュニーニョなど総勢7名を補強した。特に庄司の獲得は大きく、チームの基本方針としてはシンプルなサッカーで確実に勝点を得る事を目的としていたが、少なくとも中盤でボールを持てる庄司を置いた事で小屋松や岩崎、仙頭もサイドに拘束される機会はやや減る。第27節山形戦で9試合振りの勝利を飾って以降は8勝3分6敗の数字を納め、一度は覚悟した「最悪の結末」だけは何とか回避。夏の補強然り、第28節岐阜戦、第35節熊本戦の大一番を勝利出来たのも大きかった。

ボスコ監督の評価は賛否は分かれるところだと思う。内容に関しては「J2残留」が目標であった以上仕方ないが、ボスコ体制でもしばらく数字が伸びなかった事も事実で、そもそもボスコ監督はこの時の頭から開幕からヘッドコーチとして招聘されていた訳で、2018年に限れば前体制の責任がない訳ではない。だが一方で、夏に大量補強をしたとは言っても…じゃあそれを、前の監督でも活かせたか?と言われれば………。その点で言えばボスコ監督は最低限の仕事はしてくれたと思っている。

2017年のサッカーを見た時、正直昇格は当分無理だと思った。「もうサンガは"昇格候補"ですら無くなってしまった」と。そして2018年はサンガの置かれた状況と立場を降格危機というバールのようなもので殴られるかのように突きつけられた。J1昇格は「至上命題」から「夢」へと変わった。「夢を見る事」は人間にとって幸せな事だろう。しかし「夢に戻る事」の辛さはきっと、その時に初めて知る事になる。そういう意味では、この次の年もまた、夢を見て夢に戻った一年だったのかもしれない。少なくとも、サンガのJ1復帰へのプロセスの中で2019年は起承転結の「転」となる。

 

 

 

つづく。