星大輔の昇格決定ゴール今でも鮮明に覚えてるわ…
どーもこんばんは
さてさて、2021明治安田生命J2リーグも終盤戦。昇格争いはいよいよラストスパートです。
京都サンガFCは現在、1位か2位かはころころ変わりつつも、ジュビロ磐田と共に常に2位以内はキープできています。残り試合と勝点差を踏まえても十分優位な位置に立っており、とはいえ、ここから先…上位陣の影も迫ってきますから、油断する訳にもいきません。いかんせんサンガが最後にJ1にいたのは2010年ですから、やはり最後まで気を抜く事は許されません。
…そこで今回は、サンガが過去に昇格に成功した3シーズン、そして良いところまでは行ったけど昇格を逃した3シーズンを簡単に振り返ってみたいと思います。
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【昇格成功】
〜ロマンの塊!ヤングサンガの躍動〜
京都パープルサンガ2001
監督:ゲルト・エンゲルス(2年目)
J2リーグ順位:1位
J2リーグ成績:勝点84(28勝5分11敗/得点79失点48得失点差+31)
チーム得点王:黒部光昭(30得点)
サンガにとって初めてのJ2での戦いを強いられた2001年。三浦知良、平野孝、望月重良、遠藤保仁、ヘジスらの退団はあった一方で若手有望株は台頭し、前年もエンゲルス監督就任以降は数字を伸ばしており、当時のJ2は今ほど番狂わせが起こりやすいリーグでも無かったので最初から京都が本命視されていた中でのシーズンだった。シーズン途中まで優勢だったのは大宮だったが、大宮が故障者続出で一気に失速してからはサンガが首位の座に躍り出て、仙台、山形、大分といったチームの追撃を受けながらも首位を守り続ける。そして第43節、仙台が敗れた上でサンガが湘南に勝利を収めた事で昇格が決定。サンガは1年でのJ1復帰とJ2優勝を果たした。
一時期「一度J2を経由してチームが強くなる」という風潮が生まれた事があり、その筆頭格は広島、C大阪、柏、G大阪辺りが挙げられるが、その走りはサンガだったとも言える。事実、この年に黒部光昭、松井大輔、パク・チソン、手島和希といった選手が大きく才能を伸ばし、翌年はJ1で年間5位、更には天皇杯優勝を経験するなど旋風を巻き起こした。
ただし、優勝を決めた上で迎えた最終節の仙台戦が余りにも劇的な展開で仙台の昇格が決まるゲームとなった為、2001年のJ2を語る際は仙台の方にフォーカスされがちなのは切ないところ。
【昇格決定試合】
2001Jリーグディビジョン2第43節
2001年11月10日14:04@平塚競技場
湘南得点者:坂本紘司(4分)
【昇格失敗】
〜J史上に残る残酷な結末〜
京都サンガFC2019
監督:中田一三(1年目)
J2リーグ順位:8位
J2リーグ成績:勝点69(19勝11分12敗/59得点53失点得失点差+6)
チーム得点王:一美和成(17得点)
2018年途中まで監督を務めた布部陽功監督の下でチームは混迷を極め、2018年は「J2最下位」という立ち位置が長く続くほどになったサンガは、結局この年を終盤戦までJ3降格危機をリアルに感じながら過ごさなければならなかった。その中で就任したのが中田監督だったがゆえにその手腕を疑問視する声は多く、そしてハッキリ言えば、サンガファンですらあの時は「期待する事」さえ放棄していたように思う。事実、私自身も応援する事と期待する事を別次元で考えるようになっていたのは否めない。
しかし、蓋を開けてみれば開幕当初はスタイルの浸透に時間を要したものの、5月からは中田監督の志向したポゼッションスタイルを軸に仙頭啓矢、小屋松知哉、一美和成の3トップが躍動。庄司悦大をアンカーとして司令塔の役割を与えたスタイルは、今までのサンガでは記憶にないほどに戦術的であり、特に中田監督の実績あるコーチ陣に権限を与えながら統括のトップとして中田監督がいる分業制スタイルはJリーグとしては画期的だったようにも思う。今考えても中田監督は「コーチ」というよりは「マネージャー」という表現がしっくりきた。
しかし夏場には首位にも立ったチームの夢は脆くも崩れ去る。夏過ぎから失速すると、いつしかサンガの主戦場は昇格争いからプレーオフ争いへ。最終節まで可能性を残したが、言い方を変えれば可能性を残していたが故に、あのJリーグ史に残る悲劇が起こってしまった…とも言える。2019年に関しては色々と劇的すぎる、ドラマのある一年だったので当ブログでも色々書いたので読んでみてほしい(まさかの中田監督にまで読んでいただけるという…)。
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【昇格消滅試合】
2019明治安田生命J1リーグ第42節(最終節)
2019年11月24日14:03@三協フロンテア柏スタジアム
柏得点者:オルンガ(6分、23分、33分、57分、65分、67分、78分、90+1分)、瀬川祐輔(27分)、クリスティアーノ(60分、70分、84分)、マテウス・サヴィオ(79分)
京都得点者:小屋松知哉(38分)
【昇格成功】
〜J2史上トップクラスのぶっちぎり優勝〜
京都パープルサンガ2005
監督:柱谷幸一(2年目)
J2リーグ順位:1位
J2リーグ成績:勝点97(30勝7分7敗/得点89失点40得失点差+49)
チーム得点王:パウリーニョ(22得点)※J2得点王
2002年にJ1で5位と天皇杯優勝を成し遂げながらも、翌2003年は最下位でJ2降格。2004年は最終的に5位に終わりまさかのJ2残留。危機感を抱いたサンガは前年途中から就任した柱谷監督主導の下、育成組織を含めた抜本的な改革に着手した。
2004年のエースだった崔龍洙を始め松井大輔や黒部光昭など天皇杯優勝メンバーの多くはチームから去ったが、星大輔や米田兼一郎といった前年のJ2で活躍した昇格争いのライバルとなるチームの選手を中心とした補強でJ2オールスターのようなチームを築き、加えて助っ人外国人も総入れ替え。各ポジション、常に2人以上の主力がスカッドにいる状態を作りつつ、パウリーニョ&アレモンのサンガ史上最強クラスの2トップが躍動し、7試合を残した時点で昇格、5試合を残した時点で優勝を決めるなど圧倒的な強さを見せた。最終節に勝っていれば勝点100だったのは悔やまれるが、第2節草津戦で首位になって以降一度も2位にすら転落する事無くシーズンを終えたという事実がこの年の磐石っぷりを物語っている。ただし、この2005年にJ2で見せたパフォーマンスが余りにも圧倒的過ぎて、継続性を過度に重視しすぎた事が結果的に2006年の不振に繋がった……という側面は少し否めない。
この年が私が初めてサンガを見た年だった。それだけに思い入れの強いチームだし、現地である西京極で見た昇格を決めた水戸戦、星のゴールは今でも忘れない。当時の小学校でみんなアレモンかパウリーニョのユニフォームを着ていたのを覚えている。
【昇格決定試合】
2005Jリーグディビジョン2第37節
2005年10月22日14:04@西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場
京都得点者:パウリーニョ(42分、59分)、星大輔(89分)
水戸得点者:ファビオ(66分)
【昇格失敗】
〜サンガ史上屈指の完成度を誇るも…〜
京都サンガFC2013
監督:大木武(3年目)
J2リーグ順位:3位
J2リーグ成績:勝点70(20勝10分12敗/得点68失点46得失点差+22)
チーム得点王:原一樹(12得点)
大木武監督体制の3年間は天皇杯の準優勝があったり、若手の台頭やピッチ上で見せたサッカーの娯楽性と完成度の高さもあって、サンガファンにとっては思い出深い3年間だっただろう。前半戦の不振で上位には絡めなかったが尻上がりに完成度を高めた初年度、あと一歩で昇格を逃した2年目を経て辿り着いた3年目は大木体制の中で間違いなく最も強力なチームだったと思うし、同時にサンガ史というくくりで見ても屈指の完成度を誇るチームだった。
しかしこの年のサンガにとって大きな誤算があった。J1から落ちてきたのがガンバ大阪とヴィッセル神戸だった事である。ガンバは言わずもがな、神戸も優秀なブラジル人選手の獲得で、おおよそJ2とは思えない選手層を確立していた。即ち、事実上自動昇格枠の2つが開幕時点で埋まってしまっていたような状態でシーズンを迎えてしまったのである。それでもサンガは7連勝などを経て、大混戦となったこの年のプレーオフ争いで比較的すんなり3位を確定させた。しかしリーグ戦の残り3試合で3連敗を喫すると、プレーオフ準決勝はJ2参入1年目でプレーオフまで上り詰めた長崎相手に9割GKオ・スンフンの神懸かり的なパフォーマンスに何とか0-0で終えるのがやっと。引き分けルールで勝ち上がった決勝では徳島に完敗し、2年連続あと一歩でJ1復帰を逃した。J1昇格の為に徳島から京都に移籍したオ・スンフンにとっては、自身は大活躍しただけに非常に皮肉な結末だった。
この年を最後に大木監督は退任。だがこのシーズン以降、サンガはJ1昇格争いにまともに絡めない時期が続く事となる。
【昇格消滅試合】
2013J1昇格プレーオフ決勝
2013年12月8日15:30@国立競技場
【昇格失敗】
〜本命としての躍動と失態〜
京都サンガFC2012
監督:大木武(2年目)
J2リーグ順位:3位
J2リーグ成績:勝点74(23勝5分14敗/得点61失点45得失点差+16)
チーム得点王:中村充孝(14得点)
降格1年目であり、大木監督の初年度でもあった2011年、前半戦のサンガは大不振に陥った事で昇格レースからは早々に脱落したものの徐々に完成度を高めていた。終盤の7連勝と天皇杯準優勝で見せたサッカーは娯楽性にも富んでおり、それもあってサンガは昇格候補の本命と見られていた。事実、スカパーで解説者による順位予想番組が放送された時、6人中5人がサンガをJ2優勝に位置付けている。
しかし、前年に二桁得点を挙げて年始には日本代表にも招集された久保裕也の調子はなかなか上がらず、リーグ自体も日替わりで首位が変わる大混戦になった事で、サンガは常に昇格争いをしながらも抜け出し切れずにいた。終盤戦に入ると甲府が抜け出して首位を固め、いつしか甲府のJ1昇格とJ2優勝が確定する。それでもサンガは最終節の時点で2位に付け、最終節甲府戦に勝利すれば無条件で昇格を決められる立場だった。だが、最後まで甲府の牙城を崩さないまま0-0で終わり、他会場で勝利した湘南が2位に滑り込んだ事でサンガは3位に転落した。尚、当時の湘南の監督は監督デビューイヤーだった曹貴裁監督だった。
しかし昨年までなら3位チームも自動昇格の対象だった。だが、この年から3〜6位はJ1昇格プレーオフを戦うレギュレーションが導入されており、サンガは6位大分とのプレーオフに挑む事となる。ホームで戦えて、かつ引き分けならサンガが勝ち上がるなどアドバンテージは有していたが、それがかえってサンガの歯車を狂わせ、森島康仁一人に4点を叩き込まれて大惨敗。サンガのJ2生活は過去最長となる3シーズン目に突入した。
【昇格消滅試合】
2012J1昇格プレーオフ準決勝
2012年11月18日14:04@西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場
大分得点者:森島康仁(17分、33分、61分、90分)
【昇格成功】
〜紫の決戦を制して〜
京都サンガFC2007
J2リーグ順位:3位
J2リーグ成績:勝点86(24勝14分10敗/得点80失点59得失点差+21)
チーム得点王:パウリーニョ(24得点)
チーム名を京都パープルサンガから京都サンガFCに変え、エンブレムも一新。前年度の最下位降格から、文字通り心機一転を図るシーズン……サンガは主力の退団も少なく、かつ実績ある選手も多数補強。その補強意欲を去年もしてれば…とは少し思ったとはいえ。そしてサンガ以外にも福岡、C大阪、仙台、東京V、札幌、湘南、鳥栖、山形……2007年は実に半分以上のチームが昇格候補と目される程に大混戦が予想されていた。
第1クールでは勝ちきれない試合が続いたが、徐々に安定してきたサンガは、1位こそ札幌が抜け出していたものの、2位の座は安定的にキープ出来ている時期が続いていた。しかし札幌が調子を落としだしたのと時を同じくしてサンガもスランプへ。東京VやC大阪、仙台の猛追もあり、第44節には遂に第23節から守り続けた2位の座を失ってしまう。するとサンガは美濃部監督を解任して加藤総監督をそのまま監督に据える荒療治を決行。サンガの望みは入れ替え戦となったが、入れ替え戦天王山となる第51節仙台戦を石井俊也の劇的ゴールで制すると、なんとか3位に滑り込んで入れ替え戦というラストチャンスを得た。
入れ替え戦の相手は広島。佐藤寿人や駒野友一のような現役日本代表に加え、ウェズレイや戸田和幸、森崎兄弟といった実績抜群の選手に槙野智章や柏木陽介のような売り出し中の若手を擁するチームは、そもそも入れ替え戦に陥った事すら驚きを持って受け入れられていた。だが、ホームで迎えた第1戦を田原豊の2ゴールで2-1で勝利すると、アウェイの第2戦は広島の猛攻を最後まで耐え切って0-0で試合終了してJ1昇格。結果的にサンガは、現時点で入れ替え戦で勝利した最後のJ2チームとなっている。
【昇格決定試合】
2007J1・J2入れ替え戦第2戦
2007年12月8日16:04@広島ビッグアーチ
…さぁ、いよいよラストスパートです。
サンガファンにとって待望の瞬間を…!
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くるぶしっ。
ではでは(´∀`)