RK-3はきだめスタジオブログ

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凱歌の響くパナスタで〜2024明治安田J1リーグ第12節 ガンバ大阪 vs セレッソ大阪 大阪ダービー観戦日記〜

 

 

 

2019年9月28日、ヤンマースタジアム長居に試合終了のホイッスルが鳴り響き、メインスタンド寄りのゴール裏の背もたれに背を当てたその時、確かに覚えたその感覚は脱力感だった。

 

 

大阪ダービーとはなんぞや?」──その9月28日を迎えるまで、私にとってその答えは「年に2度訪れるお互いの順位や状況が意味を成さない試合」であり、「何があっても絶対に負けられない戦い」であり、そして「結局最後にはガンバが勝つ戦い」だった。単にガンバの方が強い時代が長かったから自然とそういう感覚になったんだろうと言われてしまえばそれまでなのだろうが、セレッソの方が良い状態だった2018年4月と2019年5月のダービーのような勝利を見せられると、このクラブは大阪ダービーという舞台に対して神通力を持っていると本気で縋る事も決して不自然ではなかったと思うし、あの時代にはそれに近しい何かがあったと今でも信じている。

だが、その神通力という魔法が解けたのが9月28日の長居スタジアムであり、そしていつの間にかその魔法が呪縛に変わっていた事に気付いたのはそれからもう少しの時を経た後だった。2022年7月のパナスタ、あまりに残酷な結末を迎えたその90分の後でブログに綴った「どうしてもこの結末でなければならなかったのだろうか」という文は本心そのままだった。そして翌年、それとよく似た結末を見る事になろうとは…。

 

 

それでもガンバは変革を目指し、変わろうとした。そして根っこに宿るような遺すべきものは遺しながら前に進もうとした。変革を目指して辿る道が正しいのならば、その道中にはどこかで潮目のような瞬間が訪れる。そしてその潮目に手を突っ込み、突っ込んだその手でこじ開けた時に初めて時代は拓かれる。思い返せばセレッソにとってのそれが2019年9月28日だったのだろう。

 

2024年5月6日、パナソニックスタジアム吹田に試合終了のホイッスルが鳴り響き、その瞬間からしばらくして背もたれに背を当てた時、全身からカタルシスが走り抜けていくような感覚に包まれた。

次のダービーに勝てる保証なんてない。そもそも次の試合に勝てる保証もない。本当に時代が変わろうとしているのかどうかはもう少し先になるまでわからない。ただ、遂に見つけた潮目にガンバは確かにその手を突っ込んだ。それは出来すぎなほど考え得る最高の形で……。

 

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本日のスポーツ観戦日記は2024年5月6日、パナソニックスタジアム吹田で行われた2024明治安田J1リーグ第12節、ガンバ大阪vsセレッソ大阪の一戦です。

 

 

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心配していた雨はどうにか潜り抜けて辿り着いたパナスタ。

 

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不思議なもので、ゴール裏に移設された展示ゾーンに足を踏み入れた時はどこか神棚にでも手を合わせるかのような気持ちになっていた。

 

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「ダービーもあくまで1/38試合」だと言って冷静さを保とうとする人がいる事は別に間違った事ではなく、それは一つの捉え方として正しい。ただ、やっぱりこの空間の中に入ると違うものだなと感じる。言葉では形容し難い何かと言うべきか。そういう試合は在るべきモノとは言わないが、好きなチームにそういう試合があって良かったとは心底思う。

選手入場前に高々と歌われるチャント、真っ青なゴール裏からじわじわと浮かび上がるコレオグラフィー。その場所に足を踏み入れる選手達……あの日あの時、あの場所は間違いなく異空間だった。

 

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試合開始。

試合の考察やら内容の総括についてはマッチレビューの方でしこたま書いたのでそちらをご覧くださいませ↓

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掛け値なしに素晴らしい試合だったと叫びたい。

マッチレビューの方では家でDAZNを見返しながらガンバの、或いはセレッソの戦術がどうだったかというところを考えながら書いたが、スタジアムで観ていた時はこの試合に限ってはそんな事どうでもよくなるくらいに昂っていた。変な言い方だが、自分もそうだし、多くのサポーターがあの日のピッチをこれまでにない程に純粋な昂りを抱いて観ていたように思う。

別に意図した訳ではないし、ガンバを観に行く時は別に特に「絶対にこのカテゴリーで観る」というこだわりはそんなに無いけれど、思い返せば2022年のダービーも2023年のダービーも、そしてこの日も……私は大体同じ辺りの席から試合を観ていた。カテゴリー5のガンバ側。そしてその記憶の結末はいつもバックスタンド側のサイドを走り抜けるジェアン・パトリッキの、山中亮輔の背番号が実際の速度よりもスローモーションに遠ざかっていく。その光景が直近のダービーの記憶だった。

前半5分、ちょうどそのここ2年の阿鼻叫喚の引き金を引いたエリアにボールが転がった時だった。そこにセレッソの選手がマイボールにした刹那に背番号10が猛然と身体を投げ出していく。スライディングに弾かれたボールは宙に浮いてラインアウト。ここ2年のそれとは時間帯も状況も全く違うし、そもそも攻撃方向から違う。なんならちゃんも中継映像で見れば場所自体もまあまあ違うのだが、それでもほぼ同じ席から観た自分の角度では同じ位置、あのエリア。あそこでパトリッキと山中の背中を目で追うことしかできなかった情景の記憶は、倉田のスライディングで弾かれたボールと共にどこか解き放たれような感覚すら覚えた。

それが倉田秋だったというところも大きいのだろう。「背中で語る」とはよく言ったものだが、実際に背中でモノを語れる人間は多くない。この試合の倉田は純粋に守備面での貢献は非常に大きかったが、立ち上がりのスライディング一発で、そのたったワンプレーで「この戦いが何たるか」を示して、スタジアム全体のギアを上げた。どれだけ時代がデータや数字に支配されようとも"数値化できない価値"はいつの時代も生き続ける。あれは技術や能力だけでできる芸当じゃない。そしてその数値化できない価値はダービーそのものなのだろうとも思う。

 

 

 

数値化できない価値はそれぞれの個々が持つ物語にも宿っている。

去年までセレッソにいた鈴木徳真にしてもそう、ユース時代からずっとこの舞台の意味を叩き込まれてきた坂本一彩にしてもそう、ダービーの義務と三浦の負傷離脱という2つの重責を背負う事になった福岡将太にしてもそう、自分が変革の象徴にならない使命を背負う中谷進之介にしてもそう、三浦弦太にしても……。選手のみならず、初めての立場でこのダービーと向き合う事になった遠藤保仁にしても、その遠藤にスピーチを託したように去年の屈辱から連鎖を断ち切る為の術を必死で探したポヤトスにしてもそうだし、言ってしまえば同じ角度で同じような結末を2度迎えてもなお同じ場所でダービーを迎えた私にしてもそうであるように、観客にだってそれぞれの物語を持っている。人がそれほどまでに物語を感じるに値するような試合は多くない。その稀有な一つが大阪ダービーであり、この試合の根底にあったものだったように思う。随分精神論めいたブログになったが、精神論も捨てたもんじゃねぇよなと素直に思わせてくれたのがこの試合だった。

 

その上でガンバは戦術とゲームプランの構築、そしてチームとしてそれを徹底する事もしっかりやってきた。

この試合は言わば、あまりにも完成されたケーキのようなものだった。ファンやサポーターのそれぞれが一部を担いながら醸成させたスタジアムのの熱気、そこに至るまでの関係者の尽力やマーケティング、そして戦術やゲームプラン、コンディショニングまでを含めたこの試合に向けてのチームの準備が脆さのないスポンジを織り成し、それを熱量と冷静さと併せ持った選手達の実行が上質な生クリームとしてケーキの土台を完成させる。それでもケーキを完成させる為には眩いまでに輝くイチゴを乗せなければならないし、そしてそのイチゴのような存在はサッカー人口の激増したこの国でもほとんどいない。だが、ガンバ大阪というクラブは得難いその存在を擁しているのだ。

思い返せば2019年9月29日のダービーは彼がこのガンバに帰還してから最初のダービーだった。それまでガンバを導いてきた象徴が去り、そしてその象徴の称号を受け継いだ男にとって、昨年のダービー前後を取り巻いた論調は屈辱と悔恨を抱き、苦悩とジレンマに苛まれ続けた事と思う。かつて「夢はプロサッカー選手になる事ではなくガンバ大阪の選手になる事だった」と語ったその男が、受け継がれるべくして受け継がれた背番号7を背負い、このダービーという舞台で、5年もの間勝てていないダービーで、プライベートでも親交の深い盟友の負傷離脱というタイミングもある中で……そしてましてやこの日は彼の誕生日でもあった。今初めてそう思った訳ではないが、その右足を振り抜いた数秒後、「7」というはっきりと視認した時、やっぱり「選ばれた人間」なるものは存在するのだと心から思った。

プレースタイルからも確かに賛否両論は集めがちな選手である。それでも、果たしてこれほどまでにアカデミーから育った特別と呼べる選手が君臨するクラブが世界にどれだけ存在するだろうか。流行りの歌に「誰が如何言おうと"U R MY SPECIAL"」なんてフレーズがあったが、誰が如何言おうと宇佐美貴史は特別な存在なのである。それに至るまでのガンバ大阪としての背景、土台が完璧だったからこそ、最後に自らの手で全てを完成させてしまった一日の顛末は控えめに言って出来すぎていた。いくらなんでもそれは出来すぎなほどに考え得る最高の結末だった。

 

 

 

2019年9月28日、ヤンマースタジアム長居に試合終了のホイッスルが鳴り響き、メインスタンド寄りのゴール裏の背もたれに背を当てたその時、確かに覚えたその感覚は脱力感だった。

大阪ダービーとはなんぞや?」──その9月28日を迎えるまで、私にとってその答えは「年に2度訪れるお互いの順位や状況が意味を成さない試合」であり、「何があっても絶対に負けられない戦い」であり、そして「結局最後にはガンバが勝つ戦い」だった。単にガンバの方が強い時代が長かったから自然とそういう感覚になったんだろうと言われてしまえばそれまでなのだろうが、セレッソの方が良い状態だった2018年4月と2019年5月のダービーのような勝利を見せられると、このクラブは大阪ダービーという舞台に対して神通力を持っていると本気で縋っていた。

だが、その神通力という魔法が解けたのが9月28日の長居スタジアムであり、そしていつの間にかその魔法が呪縛に変わっていた事に気付いたのはそれからもう少しの時を経た後だった。2022年7月のパナスタ、あまりに残酷な結末を迎えたその90分の後でブログに綴った「どうしてもこの結末でなければならなかったのだろうか」という文は本心そのもの。あの帰り道の重く澱んだ空気と一角を占めた湧き上がるピンク色の塊は屈辱的なコンストラストとしか言いようがなかった。そんな日々がここ数年はずっと続いていた。

それでもガンバは変革を目指し、変わろうとして、そして今、変わりつつある。鈴木や中谷のプレーぶりがそれを強く見せつけていた。それと同時に変わることなく持ち続けて受け継いでいかなければならない数値化できないモノを倉田や宇佐美が示し、その両輪は確かな回転と共にガンバ大阪というクラブを前に進めている。変革を目指して辿る道が正しいのならば、その道中にはどこかで潮目のような瞬間が訪れる。そしてその潮目に手を突っ込み、突っ込んだその手でこじ開けた時に初めて時代は拓かれる。思い返せばセレッソにとってのそれが2019年9月28日だったのだろう。

 

2024年5月6日、パナソニックスタジアム吹田に試合終了のホイッスルが鳴り響き、その瞬間からしばらくして背もたれに背を当てた時、全身からカタルシスが走り抜けていくような感覚に包まれた。

次のダービーに勝てる保証なんてない。そもそも次の試合に勝てる保証もない。本当に時代が変わろうとしているのかどうかはもう少し先になるまでわからない。ただ、遂に見つけた潮目にガンバは確かにその手を突っ込み、そしてそれをこじ開けて見せた。こじ開けた先から鳴り響いた凱歌を背に、またガンバは次のシーズンに向かって歩みを進めていく。潮目を超えたガンバが進これからの旅路はきっとこれまでと少しずつ違った世界で、そしてその中にもきっと不変と呼ぶべき価値あるものを宿しているのだろう。そういう未来を信じたい。

 

 

ではでは(´∀`)