「あっ…」
日常生活を日々生きれば、誰しもが何かを「察する」という瞬間に出会う事はあると思う。そしてその「察する」という瞬間は、多くの場合であまりポジティブな場面では訪れなかったりもする。「あっ、こりゃダメだわ…」と言った具合に。
この感情を口にすると「諦めんなよ」と言う人も多いが、この感情は別に諦めない気持ちと矛盾ている訳はない。予想に対する裏切りを信じる事、逆転を祈る事…その感情とは十分に両立出来るし、特にその舞台が大きければ大きいほど、そんな中でも諦めずに応援する事、信じる事、祈る事に対する想いは強くなるものだ。
だが、その気持ちと両立させるという事は何かを察した自分が居座り続ける事からも逃れられないのだ。
「これもう完全に詰まってるよ…」
この感情に蓋をするように前線で信じ、祈ろうとする自分を、一歩下がったところでどこか現実を冷めた目で見る自分が囁く。祈りの感情は逆転する事というよりも、そんな自分の正直な感想を裏切ってくれる事に矛先を向けた。
前書きが随分とイキった口調になったが、今日のブログで書きたいのは9月28日、明治安田生命J1リーグ第27節、セレッソ大阪vsガンバ大阪をヤンマースタジアム長居に観に行った際の観戦日記である。
9月28日、予報で心配されていた雨は降る事も無く、快晴…とは行かずとも、晴れと呼ぶには十分な天気だった。地下鉄御堂筋線に乗り込めば、長居駅へと向かう。長居には先月もセレッソ大阪vsサガン鳥栖を観に行っているが、やはり大阪ダービーとなると熱気とボルテージ-は比較にならない。長居駅に降りたその時点から青黒、ピンクのユニフォームが入り乱れている。パナソニックスタジアム吹田で行われた前半戦のダービーの時も書いたが、改めて「大阪ダービー」というブランドは関西に根付きつつある事を感じていた。Jリーグ全体を見ても「ダービーと言えば清水エスパルスvsジュビロ磐田の静岡ダービー」という歴史が随分長かったが、ガンバもセレッソも着実に歴史を積み重ねた近年は大阪ダービーこそ日本最高のダービー…という声も聞かれている。
そんな試合になると、当然両チームは更に良くも悪くも勢いが付く事になり、普段のチーム力…というのはベースにはあるものの、普段のJリーグの試合ほど大きな意味を持たなくなる。満員に近い観衆が醸し出す雰囲気は、例え両者とも順位が確定していたとしても決勝戦のような雰囲気になるだろう。そしてそういう状況になると、客観的に見ても勝負強さという点でガンバが上回っていた。2017年はカップ戦2冠を達成したものの、未だセレッソには勝負弱いチームという印象が拭えない。ガンバが大きく勝ち越す通算成績は勿論、2018年4月…あれだけボロボロだったガンバが好調のセレッソに勝利を収めた事も如何に大阪ダービーが特別な試合がという事、そしてそのような特別な試合での経験に秀でているのはガンバ…という事の証明だったように思えた。
セレッソは厳しくはあるものの優勝の可能性をまだ僅かに残す。逆にガンバにはJ2自動降格の可能性すら残っている。だが、これに関しては強がりでも何でもなく、仮に立場が逆であったとしても大阪ダービーでは関係が無くなる…そう思っていた。
遠藤保仁そっくりさんとして知られるフルカウント千葉さんに写真を撮ってもらい、
長居に来ると食べたくなる鶴心の唐揚げを食べ、
スタメン紹介を経て選手入場。この時、ガンバを応援していた者はあそこまでの結末を予想していなかった。…いや、あそこまでの展開はセレッソ側も想定していなかったのかもしれない。
マッチレビューでも述べたが、今年のセレッソというチームは実に守備が組織されたチームだ。セレッソの監督はスペイン人のミゲル・アンヘル・ロティーナ。スペイン人監督と言えばポゼッション主体の攻撃サッカーを志向する人が多いのかな、と思う人が多いと思うし、実際そういう監督は確かに多い。一方で、「良い攻撃は良い守備から」をモットーにしている監督も多く、ロティーナ監督は特に「良い守備」を前提としている守備型の監督で、守備組織の構築に定評のある監督だ。
実際、試合前の段階でセレッソはリーグ最少失点を誇っているにも関わらず、得点数はリーグで13位と下位である。にも関わらず上位に付けている…これが何を示しているかというと、セレッソは2点目が取れなくても1-0で勝ち切れるチームという事で、同時にセレッソに先制点を与える事はセレッソの望むゲームプランにどっぷりハマり込んでしまう事を表すのだ。
第12節、ホームでの大阪ダービーを不調だったにも関わらずガンバが制する事が出来た最大の要因はセレッソに先制点を与えなかった事だろう。清武弘嗣を欠く今のセレッソは、2点取られて3点取り返せるほど攻撃に破壊力がある訳ではない。今のチームの実力はセレッソの方が上と認めた上でガンバが勝つには先にガンバが点を取る必要があった。逆に言えば、攻撃力が高い訳では無く「1-0勝ち」を勝ちパターンとするセレッソ相手なら、先制点一発でガンバは試合を優位に進めるはずだったのだ。
しかし試合は先制点はおろか、開始10分そこらでガンバはセレッソに2点も許してしまう。それもセレッソの猛攻に遭ったのではなく、たった1度のチャンスと1度のセットプレーで。
今季のJリーグをチェックしている方なら、前半11分の時点で2点もリードを奪ったセレッソがどんな対応をしてくるか、大体想像出来るだろう。セレッソ側の視点に立つと、この日のセレッソの勝因は第一に早い時間で2点を奪えた事、そしてダービーという事でいつも以上に昂ぶるメンタルを戦術面、及びゲームプランにまで持ち込まなかった事だ。2点取れた事で変に押せ押せムードにならず、先制点を取ったらその1点を何とか守り切る…今季のセレッソの強みで、そして上位に付けている理由とも言える勝ちパターンを愚直なまでに貫いていたのだ。しかも2点リードを奪った事でその傾向はいつもより色濃く、2-0のまま時間を稼ぎ、仮に1点を返されたとしても「今更1点返したって遅ぇよ」と言えるように。そして試合はその後その通りになった。要するにガンバは、立ち上がりの入りが悪くなかったにも関わらず、いつも通りのセレッソであればある程やってはいけない展開に陥ってしまったのである。セレッソはその後、完全にリトリート戦術で自陣にブロックを敷き、もう無理にカウンター以外の攻撃を仕掛けようともしなくなった。
この試合、攻撃に於けるスタッツはほとんど全てでガンバが上回っていた。ポゼッションやシュートはもちろん、コーナーキックに至ってはセレッソは一度も蹴っていない。恐らく、試合を観ずにスタッツだけ見れば「ガンバが攻め込んでいたけど決め切れなかった試合」という印象を受けたと思う。実際、90分のうちの多くの時間で攻めていたのはガンバだった。それだけじゃない。試合のほとんどの時間はセレッソ陣内、即ちガンバはほとんどの時間相手陣内でサッカーをする事が出来ていた。押していた、と言えば確かに押してはいた。
だが前述の通り、結局それはセレッソのゲームプランでしかなく、セレッソからすれば自陣深くにきっちりとブロックを組んでいるから、バイタルエリアでいくらボールを回されようが大した意味を持たなかった。事実、ガンバは決定的なチャンスは皆無に等しく、結局行き詰ってミドルシュートをGKの正面に蹴る事しか出来ない。シュートはガンバの方が多く、ポゼッションもガンバの方が高いし、ずっとセレッソ陣内でプレーしていた。でも試合の主導権はずっとセレッソが握り続けていたのだ。「ガンバが攻めている」というスタッツにも現れた構図は見た目だけの印象に過ぎなかった。
今のガンバはそんな状況でもゴールを奪えた西野朗監督時代や、宇佐美貴史・パトリックの2トップが全盛期だった頃のような破壊力を持ち合わせてはいない。それでも、ガンバファンは見た目だけでの優勢というまるで蜃気楼のような光景にすがり、信じ、祈る事しか出来なかった。誰もがこの優勢は蜃気楼である事をわかっていた。全てセレッソの掌の上に過ぎなかった事も、開始11分の時点で察していた。だが、一歩下がったところで現実を見ている自分に見守られながら、蜃気楼を信じ、逆転を祈る以外に今という時間を過ごす方法が無かったのだ。
「負けない事」「投げ出さない事」「逃げ出さない事」「信じ抜く事」…どこかで聴いた歌の歌詞のような気持ちと諦めない心が、何か最後の結末を察してしまっている気持ちとの両立を果たしていたガンバファンは私だけじゃなかったと思う。蟻地獄…この試合を一言で表現するなら、その言葉しかなかった。
結局試合は1-3で敗れ、リーグ戦の大阪ダービーとしては2012年3月以来の敗戦を喫する事となった。
今季は現地で、3-4で敗れた神戸戦、ショッキングなドローとなった神戸戦、広島戦、磐田戦などのショックな試合を観てきたが、この日の試合はショックの質がどこか違った。セレッソとの直接対決でここまで完敗という印象を突き付けられたのは初めてだったかとしれない。試合後、セレッソの柿谷曜一朗は取材に対して「さすがガンバやなと。ゼロ(無得点)では終わらさんという気持ちが見えた。もしも1-0だったと考えると……」「ここ何年もセットプレーでガンバ相手に追加点をとれる展開はなかった。たまたまそれが今日だっただけ。この何年間勝てなかったことは関係なく、1年に2回あるダービーで、今回タイミングとか運とかで勝てたと僕は思っているから。本当に実力で圧倒して勝つという日が来るまで、やっぱり胸を借りるつもりで戦わないといけないなと思います」と語っていた事がサッカーダイジェストの記事になっている。
この言葉が、柿谷のガンバに対するリスペクトに満ちた発言だという事はわかっているし、セレッソの象徴である柿谷にとって、ガンバに対する連敗を止める事が出来た純粋な喜びという事も理解している。今流行りのノーサイド的な素晴らしいコメントだと思う。しかし、余りの完敗に打ちひしがれて荒んだ今の私の心ではもはや嫌味にすら聞こえる程だった(誤解の無いように繰り返すが、これはあくまで今の私の心が腐っているというだけの話であって柿谷批判とかではない)。柿谷のリスペクト溢れる言葉ですら嫌味に聞こえてしまう…その荒んだ私の心は、この試合がガンバにとって如何に辛い試合だったかを示していた。唯一ポジティブなところがあるとすれば、マルケル・スサエタの高次元な実力は確認出来た事だろうか。
長居の空は、去年見た色とまるで違っていた。サッカーチームに於いて「生まれ変わる」という事は決して必ずしも正義ではない。改革ではなく、継続路線の先が栄光という事も多々あるのがサッカーだ。ただし、改革にせよ継続にせよ、このままではいけないと思わなければならない試合だったのは確かだ。
前半戦の大阪ダービーが良い意味でのターニングポイントだったならば、今日の試合は一つの岐路にしなければならない。今年の頭に大きく打ち出した「GAMBAISM」というスローガンを掲げるなら、その言葉に相応しい実体を持たねばならない。ただその事を再確認させられただけの大阪ダービーだった。
試合後、某居酒屋でくだを巻きながら飲んだ酒の冷たさだけが身に沁みていった。
完。