RK-3はきだめスタジオブログ

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【Jリーグの日・Jリーグ30シーズン目記念】オリジナル10の30年史をざっくりまとめてみた〜前編〜

1993年に開幕したJリーグ30周年のアニバーサリーイヤーとなるのは来年ですが……今年は記念すべき30シーズン目のシーズンになっています。

という訳で、当ブログでも今回から…Jリーグ30シーズンの歴史を振り返る様々な企画をやっていこうじゃないかと。通年企画と言えば大袈裟ですが、シーズンが閉幕してカタールW杯が始まるまでの間、Jリーグの歴史に触れるような様々なコンテンツを連載していきます!

 

 

本日5月15日…今から29年前、国立競技場のピッチで始まったあの日を1回目として30回目の5月15日です。

という訳で今回は、ざっくりではありますが…オリジナル10の10クラブの30年史を、10年単位で2回に分けてざっくり振り返っていきたいと思います。

 

※最長指揮監督・最多出場選手・最多得点選手は2022年5月15日時点での記録とします。

ACL記録に関しては、2002年まで開催されたACLの前身であるアジアクラブ選手権も対象とします。

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

オリジナル10の10クラブ(当時のホームスタジアム)】

鹿島アントラーズ(茨城県立カシマサッカースタジアム)

ジェフユナイテッド市原(市原緑地運動公園臨海競技場)

浦和レッドダイヤモンズ(浦和市駒場スタジアム)

ヴェルディ川崎(等々力陸上競技場)

横浜マリノス(三ツ沢公園球技場)

横浜フリューゲルス(三ツ沢公園球技場)

清水エスパルス(日本平運動公園球技場)

名古屋グランパスエイト(名古屋市瑞穂球技場)

ガンバ大阪(万博記念競技場)

サンフレッチェ広島(広島ビッグアーチ)

 

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【開幕戦の結果】

1993年5月15日(土)

19:29 ヴェルディ川崎1-2横浜マリノス@国立競技場

1993年5月16日(日)

13:05 横浜フリューゲルス3-2清水エスパルス@三ツ沢公園球技場

13:59 サンフレッチェ広島2-1ジェフユナイテッド市原@広島スタジアム

16:00 鹿島アントラーズ5-0名古屋グランパスエイト@茨城県立カシマサッカースタジアム

19:04 ガンバ大阪1-0浦和レッドダイヤモンズ@万博記念競技場

 

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鹿島アントラーズ

 

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J1最高順位:優勝(1996,1998,2000,2001,2007,2008,2009,2016)

リーグ杯最高成績:優勝(1997,2000,2002,2011,2012,2015)

天皇杯最高成績:優勝(1997,2000,2007,2010,2016)

ACL最高成績:優勝(2018)

最長指揮監督:トニーニョ・セレーゾ(2000〜2005,2013〜2015.7)

最多出場選手:曽ヶ端準(1998〜2020)

最多得点選手:長谷川祥之(1992〜2003.7)

歴代MVP受賞者:ジョルジーニョ(1996)、マルキーニョス(2008)、小笠原満男(2009)

歴代得点王獲得者:マルキーニョス(2008)

 

【前期:1993〜2002】

神様ジーコの影響を直接的に受けた世代であり、時代とも言える。Jリーグの初代王者はV川崎だが、1stステージにあたるサントリーシリーズを制したのは鹿島だった。住友金属時代から植え付けられた「ジーコイズム」はジョルジーニョ、レオナルドといった往年のブラジルの名選手の手も借りて正しく継承されていったと言えて、世代交代も図りながら迎えた2000年はJ史上初の三冠を達成。この時期は磐田と2強時代を形成しており、1997〜2002年のJ王者はこの2チームで締められていた。

 

【中期:2003〜2012】

横浜FMの復活、G大阪や浦和、川崎の台頭もあってタイトルから4シーズンタイトルから遠ざかるも、その間に野沢拓也岩政大樹らが成長。そこに内田篤人興梠慎三らが台頭し、小笠原満男柳沢敦中田浩二といった海外でもプレーしたレジェンドの帰還で世代間融合を果たすと、2007年からはJ史上唯一のリーグ3連覇を果たす。オズワルド・オリヴェイラ体制の5シーズンで、無冠でシーズンを終える事は一度も無かった。

 

【後期:2013〜2022】

2ステージ制で行われた2016年には年間勝点順位で3位ながらも、チャンピオンシップで川崎、浦和を下して年間優勝を達成。CSで勝ってしまう辺り、鹿島らしいというかなんというか…。その後の、クラブW杯でのレアル・マドリード戦はまさしく伝説であり、2018年にはクラブに唯一欠けていたACLのタイトルを獲得して20冠を達成した。ただし、このACL以降はタイトルから遠ざかっており、特に2017年の優勝争いはやや鹿島らしくない幕切れとも言えた。

 

 

ジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)

 

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J1最高順位:3位(2001,2003)

リーグ杯最高成績:優勝(2005,2006)

天皇杯最高成績:ベスト4(2002,2014)

最長指揮監督:イビチャ・オシム(2003〜2006.7)

最多出場選手:佐藤勇人(2000〜2007,2010〜2019)

最多得点選手:崔龍洙(2001〜2003)、船山貴之(2016〜2021)

歴代得点王獲得者:フランク・オルデネビッツ(1994)

 

【前期:1993〜2002】

リトバルスキーオルデネビッツマスロバルといった名手がファンを魅了。だが成績は振るわず、同じく当時"Jのお荷物"と呼ばれたG大阪や浦和よりも状況は深刻だった。J2降格制度が始まった1998年はJ1参入決定戦に巻き込まれ、1999年には最終節で降格圏から脱出する「第一次奇跡の残留」でなんとか降格だけは回避。2000年も最終節まで残留が決まらなかった。それでも崔龍洙ミリノビッチを獲得した2001年は3位と大躍進。成績は低迷しながらもユースには力を入れていて、阿部勇樹を筆頭に佐藤勇人村井慎二山岸智工藤浩平といった選手が育ち始めていた事が後の躍進に繋がった。

 

【中期:2003〜2012】

2003年イビチャ・オシムの招聘に始まる3シーズン半は、言うまでもなくクラブにとって最高の期間であり、日本サッカーの歴史にすら多大な影響を与えた3シーズン半だったと言っても過言ではない。彼が掲げた"走るサッカー"は見ても楽しく結果も出す最高の循環を生み出し、優勝争いに無縁だったチームは2003年の両ステージで最後まで優勝争いに絡んだ。2005年も最終節まで優勝を争うと共に、クラブ史上初のタイトルをナビスコ杯で勝ちとっている。しかし、オシムを日本代表に引き抜かれる形で失ってからクラブの歴史は暗転。2006年こそナビスコ杯連覇を達成したが、2008年の主力大量退団の影響もあり、遂に古河電工時代から続いていた降格知らずの歴史が2009年に終わった。そして2010年に昇格間違いなしと言われながら2011年のJ2のピッチを踏んだ千葉の歴史は…。

 

【後期:2013〜2022】

一言で言えば「迷走」としか表現しようがない。2012年、2014年のプレーオフでは決勝で敗退すると、それ以降はプレーオフに進んだのも2017年のみ。鈴木淳関塚隆といったベテラン監督を招聘してもダメ、エスナイデルファンタジー政権でもダメ……気がつけば今年でJ2は13年目。干支は今年で2週目に突入し、昨年は"ズッ友"と称された京都まで見送る形になってしまった(しかも直接)。彼らを再びJ1で見れるのはいつの日か…。

 

 

浦和レッドダイヤモンズ

 

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J1最高順位:優勝(2006)

リーグ杯最高成績:優勝(2003,2016)

天皇杯最高成績:優勝(2005,2006,2018,2021)

ACL最高成績:優勝(2007,2017)

最長指揮監督:ミハイロ・ペトロヴィッチ(2012〜2017.7)

最多出場選手:山田暢久(1994〜2013)

最多得点選手:興梠慎三(2013〜2021)

歴代MVP受賞者:エメルソン(2003)、田中マルクス闘莉王(2006)、ポンテ(2007)

歴代得点王獲得者:福田正博(1995)、エメルソン(2004)、ワシントン(2006)

 

【前期:1993〜2002】

今や伝説の「ゴールを喜んでたら点取られた事件」に始まり、ぶっちぎり最下位に終わった挙句に両ステージの優勝決定を目の前で見せられたなど散々な目に遭った初年度はの惨状は、当時の森孝慈監督が「3年間分負けた」と漏らすほど。当時Jのお荷物と言われた浦和は俗に言う「世界一悲しいVゴール」により平塚と共に初のJ2降格チームにもなってしまった。だが、1995年には福田正博ギド・ブッフバルトらの活躍で優勝争いに絡み、1998年からは小野伸二というスターも誕生。2001年には埼玉スタジアム2002も開場し、J1復帰後からは後の黄金期に繋がる下地が醸成されていった。

 

【中期:2003〜2012】

ハンス・オフトの下で長谷部誠鈴木啓太田中達也らが出場機会を伸ばし、2003年にはナビスコ杯決勝。ブッフバルトを監督に据えた2004年と2005年も好成績を残すと、生え抜き選手の育成と代表選手の補強を組み合わせて「Jリーグ史上最強」とも言われる選手層を構築。2006年にはJ1制覇、そして2007年にはJクラブとして初のACL制覇を達成。2004〜2007年の4シーズンは全て1位か2位で、この間に天皇杯も2度制するなどまさに黄金期を迎えた。しかし2008年からは再び迷走が始まり、2010年には二桁順位に落ちると、2011年は最終節まで残留争いを余儀なくされた。

 

【後期:2013〜2022】

2012年から監督に就任したペトロヴィッチは初年度からチームを3位に導き、途中解任された2017年を除けば在任5シーズンでトップ3を逃したのは2013年のみ。古参の選手にも新たに刺激を与えてチームを復活させた。一方、槙野智章森脇良太西川周作などペトロヴィッチの古巣である広島からの大量補強は「サンフレッズ」と揶揄され、常に好成績を残しながらも最後の最後でG大阪や鹿島、挙句には引き抜きまくったはずの広島にまで優勝を攫われるなど、この時期の浦和の評価はサポーターによって評価が割れる。それでも、近年は難しい時期が続いているとはいえ、2017年のACLや2度の天皇杯制覇などタイトルはコンスタントに獲得している。

 

 

ヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)

 

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J1最高順位:優勝(1993,1994)

リーグ杯最高成績:優勝(1992,1993,1994)

天皇杯最高成績:優勝(1996,2004)

ACL最高成績:3位(93-94)

最長指揮監督:川勝良一(1997.12,1998.9〜1998.12,2010〜2012.9)

最多出場選手:平本一樹(2000〜2007.5,2008〜2011,2014〜2017)

最多得点選手:三浦知良(1990〜1994.7,1995.7〜1998)

歴代MVP受賞者:三浦知良(1993)、ペレイラ(1994)

歴代得点王獲得者:三浦知良(1996)

 

【前期:1993〜2002】

Jリーグと言えばヴェルディという時代であり、Jリーグの発展という意味では初期の黄金期ヴェルディの貢献は計り知れない。三浦知良ラモス瑠偉柱谷哲二武田修宏といったトップスターを擁し、1993年と1994年は2年連続で2冠を達成した。だが1996年頃から成績は暗転。同年は天皇杯を制覇したが、1998年からは読売新聞社の撤退で規模も縮小。東京移転初年度の2001年はかつての優勝監督である松木安太郎を呼び戻して大型補強も行ったが噛み合わなかった。尚、2001年から2007年までは「東京ヴェルディ1969」の名称を背負っている。

 

【中期:2003〜2012】

東京移転当初はさほど悪くなく、元々育成の名門として知られていたヴェルディユースから有望株も台頭。2003年は2ndステージで優勝戦線に食い込み、アルディレス監督の下で2004年は天皇杯を制した。しかし、今年こそ優勝と目論んで大型補強を敢行した2005年、Jリーグの歴史の重要部分を担う名門は失落の時を迎える。ラモス瑠偉監督体制で2年かけてJ1に戻ったが、千葉の奇跡の残留に巻き込まれる形で一年で降格すると深刻な経営問題が発生。クラブの存続危機は回避されたが、オールドファンにとってはJリーグの象徴であり、バブル期のシンボルでもあった彼等の末路は少なからずショックがあるものだった。

 

【後期:2013〜2022】

優秀なユース組織を有している為、継続的に優秀な選手の育成と台頭は常に見られ、現在J1で活躍する選手にもヴェルディユース出身選手は多く、育成の名門としては未だに一目置かれ続けている存在である。しかしロティーナ監督の下でプレーオフ出場を果たした2017〜2018年を除いてはJ2でも二桁順位が定位置。名門ユースと名門女子チームの上に立つトップチームが古豪になってしまっている。しかし今季は堀孝史監督の下で好調をキープ。Jリーグ30周年の来季にJ1に帰る事は叶うか?

 

 

横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)

 

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J1最高順位:優勝(1995,2003,2004,2019)

リーグ杯最高成績:優勝(2001)

天皇杯最高成績:優勝(1992,2013)

ACL最高成績:ベスト16(2020,※2022)

最長指揮監督:岡田武史(2003〜2006.8)

最多出場選手:中澤佑二(2002〜2018)

最多得点選手:中村俊輔(1997〜2002.7,2010〜2016)

歴代MVP受賞者:中村俊輔(2000、2013)、中澤佑二(2004)、仲川輝人(2019)

歴代得点王獲得者:ラモン・ディアス(1993)、マルコス・ジュニオール(2019)、仲川輝人(2019)

※現在進行中

 

【前期:1993〜2002】

Jリーグ開幕戦に選ばれた事実が示す通り、当初はヴェルディマリノスが優勝争いを牽引すると言われていた事を思うと「悪くはないけど不完全燃焼」感が否めなかった。代表選手は井原正巳のような往年の名手から中村俊輔川口能活のような新星に至るまで常に多く輩出し、強豪として居続けたのは間違いないが、Jリーグ開幕初期は鹿島とヴェルディ、1995年の優勝を挟むと今度は鹿島と磐田の2強時代に巻き込まれる形になって、ポジションが常に3〜5番手的なところを推移していたのは否めない。2000年はやっとの思いで1stステージを制したがCSで鹿島に完敗し、翌年は残留争いに巻き込まれた。尚、1999年からは横浜フリューゲルスを吸収合併した為、名前に「F」の文字が加えられた。

 

【中期:2003〜2012】

岡田武史を監督に招聘した2003年、広島から久保竜彦を補強すると、2003年には両ステージ制覇で優勝。特に2ndステージ最終節の幕切れは今なお語り継がれる伝説の最終節として記憶されている。この優勝はマリノスにとって1995年以来の優勝だったが、鹿島と磐田以外のリーグ制覇も1995年以来だった。翌2004年も前人未到のステージ3連覇を果たし、CSでは浦和をPK戦で下して連覇を達成。ここから黄金期が到来する…かに思われたが、翌2005年で9位に沈んだ事を皮切りに迷走が始まる。2005年から2010年までの6シーズンでは7位より上にさえ行けなかった。

 

【後期:2013〜2022】

2013年、中村俊輔中澤佑二ドゥトラマルキーニョスなど「おっさん集団」と言われながらも開幕から絶好調。中村は史上初となる2度目のMVPを獲得した。しかし、ラスト2試合で1勝すれば優勝という状況から連敗を喫し、広島に優勝を攫われてしまう。だが、2014年夏からマンチェスター・シティを中心とするCFGが経営に参画すると、CFGの持つ膨大なネットワークを駆使しながら改革に着手。その最大の成果が2019年の優勝であり、ポステコグルー体制での内容と結果の両立による躍進だった。ポステコグルー退任後も、ポステコグルーの愛弟子かつチームスタイルに合致したマスカット監督を招聘するなど、近年の運営は各チームが見習うべきところになっている。

 

 

今回はここまで。

残りの5チームは明日5月16日、もう一つの開幕日に更新します!

 

 

30年前、親も結婚してない。

ではでは(´∀`)