東京オリンピックが盛り上がってますね。私も連日テレビにかじりついております。
さてさて、唐突ですが……みなさん、覚えておいででしょうか?
2020年の夏季オリンピック、東京以外の日本で開催する可能性があった事を。
そう、ヒロシマ・オリンピック構想です。
2020年の夏季五輪には、実は広島市も開催都市として立候補していました。
当初は長崎市との共催で計画を進めており、「平和の祭典」とされるオリンピックを広島・長崎で開催する事で「核兵器廃絶と平和の尊さ」を訴える…という理念の下で立ち上がった構想であり、「広島オリンピック」ではなく「ヒロシマ・オリンピック」となっているところにもその辺りの目的が伺えます。長崎市が共催を断念してからは広島市の単独開催として構想が進められていました。
最終的には正式な立候補の前に招致断念となった構想ですが、果たしてヒロシマ・オリンピックが実現していた場合はどこが会場になったのでしょうか。
今回のブログでは広島五輪が実現していた場合に開催予定だったサッカー会場、及びその他の主な開催計画に含まれていた会場を紹介していきます。
2020年広島五輪構想
サッカー競技開催予定会場
その他の名称:デンカビッグスワンスタジアム
開場:2001年
収容人数:42300人
主な使用チーム:アルビレックス新潟など
過去に開催した主なイベント:コンフェデレーションズカップ2001、2002FIFAワールドカップ、a BEAUTIFUL REEL. B'z LIVE-GYM 2002 GREEN 〜GO★FIGHT★WIN〜(2002)、第64回国民体育大会(2009)、平成24年度全国高等学校総合体育大会、第99回日本陸上競技選手権大会(2015)など
「日本国内で初めてFIFAワールドカップを行った会場」としても知られるスタジアム。これは日韓W杯の開幕戦が韓国開催となった為、翌日の昼に当会場で行われたアイルランドvsカメルーンの試合が「日本側の開幕戦」になったからである。
「ビッグスワン」という愛称が表すようにスタジアムは白鳥をモチーフにした外観になっており、鳥屋野潟越しに見るスタジアムはまさしく白鳥の湖とも呼ぶべき絶景で、日本一美しいスタジアムといっても過言ではない。このスタジアムを本拠地とするアルビレックス新潟は熱狂的なサポーターを持つ事でも知られており、2000年代のJリーグ観客動員数は浦和と新潟が常に圧倒的な数字を叩き出していた。ちなみに、昨今のコロナ禍に於いて感染者数に応じてレインボーブリッジ(東京)や太陽の塔(大阪)がアラートとしてライトアップされた事が話題になったが、このスタジアムもアラートとして赤く点灯されている。
元々は2009年に開催される国体の為に3万人規模のスタジアムとして建設計画が練られていたが、新潟県の日韓W杯招致が決まった事を機にプランBとして用意していた4万人規模のスタジアムに計画を変更した…という経緯がある。また、アルビレックス新潟のクラブとしての歴史は新潟県のW杯招致表明から一気に動き出した…とも言える。
その他の名称:ヤンマースタジアム長居
開場:1964年
改修:1996年
収容人数:47816人
主な使用チーム:セレッソ大阪など
過去に開催した主なイベント:1964年東京五輪サッカー大阪トーナメント、大阪国際女子マラソン、日本陸上競技選手権大会(1996、1997、2007、2012、2017、2021)、第52回国民体育大会(1997)、全国高等学校サッカー選手権大会決勝(1972〜1976)、2002FIFAワールドカップ、世界陸上2007、東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!(2011)、FIFAクラブワールドカップ2015
一般的に長居スタジアムといえばセレッソ大阪の本拠地、或いは1996年の拡張以降に行われた日韓W杯やパナソニックスタジアム吹田完成以前の関西での日本代表戦会場、もしくは2007年世界陸上の印象が強いが、過去を振り返ると様々な大会のベニューとなっている。今でこそ「冬の国立」のイメージが強い高校サッカー選手権は1976年大会までは関西をメインに行われており、特に1972年大会から1976年大会までは長居が決勝戦の会場となっていた。更に1964年の東京五輪サッカー競技は全試合首都圏で行われる予定になっていてが、当時の関西サッカー協会が「関西でもトップレベルのサッカーを見せたい」と働きかけた事で、正式な競技ではないもののIOC公認の上で準々決勝敗退チームによる「大阪トーナメント」がFIFA主催で開催。この時にプレーしたのが日本の釜本邦茂や川淵三郎、後に日本サッカーに多大な貢献をもたらすイビチャ・オシムだった。要するに、もし実現していたら長居スタジアムは「2度目の五輪」を行う予定だった事になる。
近年の代表戦は大阪府吹田市のパナソニックスタジアム吹田がメインになり、セレッソ大阪も当会場の真横にあるヨドコウ桜スタジアムに本拠地を移転し、今後はサッカーでの使用機会は減る事が予想される。しかし、東京五輪直前となる2021年6月には東京五輪出場権も懸かった「第105回日本陸上競技選手権」も開催され、関西でのスタジアムライブでは未だに第一候補である為、これからも稼働を見る機会は多いはず。また、スタジアム内部に宿泊施設を備えていることでも知られている。
神戸市御崎公園球技場(神戸ウイングスタジアム)
その他の名称:ノエビアスタジアム神戸
開場:2001年
改修:2018年
収容人数:29631人
主な使用チーム:ヴィッセル神戸、INAC神戸レアネッサ、神戸製鋼コベルコスティーラーズなど
過去に開催した主なイベント:2002FIFAワールドカップ、INOKI BOM-BA-YE 2003、第61回国民体育大会サッカー競技、ラグビーワールドカップ2019など
日本のサッカー史において重要なベニューである神戸市立中央球技場を取り壊し、日韓W杯開催に向けて建築したのがこのスタジアム。日韓W杯では3R(リバウド、ロナウド、ロナウジーニョ)擁するブラジル代表もプレーし、現在でも日本代表戦が定期的に行われている。また、近年は国際大会の開催も増えており、前述の日韓W杯に加えて2019年のラグビーW杯ではイングランドや南アフリカといった人気チームの試合も行われた。実現はしなかったが、日本サッカー協会が立候補していた2023年サッカー女子W杯の会場リストにも含まれていた。
長らく芝生問題が取り沙汰されていたスタジアムだったが、2017年にスタジアムの運営権をヴィッセル神戸の親会社である楽天が取得すると、日本で初めてハイブリッド芝である「SISGrass」を導入。2017年シーズン終了後にはスタジアムの内装も含めて様々な改修も行い、機能性をアップデートさせ続けている。コロナ禍に於いては「散布型ドローンを用いた新型コロナウイルス感染症対策としての実証実験」として光触媒コーティングを施したり、当会場をワクチン接種の大規模接種会場として利用するなどの取り組みを行なっている。
その他の名称:エディオンスタジアム広島
開場:1992年
改修:1998年
収容人数:50000人
主な使用チーム:サンフレッチェ広島
過去に開催した主なイベント:アジアカップ1992、FIFA U-17世界選手権(1993)、1994年アジア競技大会、第51回国民体育大会(1996)、SMAP LIVE TOUR 2003 "LIVE MIJ"、EXILE LIVE TOUR 2010 FANTASY、Mr.Children DOME and STADIUM Tour 2017 Thanksgiving 25など
日本サッカーの歴史の大きな分岐点…それがアジアカップ1992だったのは間違いない。そしてその会場は他でもないこのスタジアムだった。ある意味、ここから日本サッカーの歴史が動き出したとも言えるスタジアムである。1994年のアジア競技大会でもメイン会場になった他、Jリーグ開幕以来サンフレッチェ広島の本拠地として稼働中。オリジナル10の中で現存する9クラブのうち、1993年当時のホームスタジアムを現在もそのまま主本拠地として使用しているのはサンフレッチェ広島と清水エスパルスのみである。
仮に広島五輪が実現していた場合、この広島ビッグアーチが大会のメインスタジアムとして開閉会式などが行われる事になっており、招致が実現していれば大規模改修を行う事が予想されていた。だが元々、日韓W杯の際にも当会場での試合開催が期待されながら「改修費用を捻出できない」「費用対効果が見込めない」との理由で広島は立候補をしていなかった。また、かねてからアクセス面での問題は度々指摘されており、例えばJリーグ開催時ですらある程度大入りになると観客の輸送が混乱してしまうなど、サンフレッチェ広島が新スタジアム構想に躍起になるだけの理由になる問題点は多くあった為、広島五輪が現実のものとなっていた場合は、スタジアムのみならずスタジアム周辺のインフラに多額の費用がかかる事が予想されていた。
所在地:福岡県福岡市博多区
開場:1990年
収容人数:30000人
過去に開催した主なイベント:1995年夏季ユニバーシアード陸上競技、アジア陸上競技選手権大会(1998)IAAFグランプリファイナル(2002)、第103回日本陸上競技選手権大会(2019)など
「博多の森」と聞けば、アビスパ福岡の本拠地かつ2019年にラグビーW杯を開催したベスト電器スタジアムの方を思い浮かべる人も多いだろう。だがそちらは1995年に完成した「東平尾公園博多の森球技場」であり、広島五輪の会場リストに入っているのは同じ東平尾公園内の施設である「博多の森陸上競技場」なので非常にややこしい。アビスパ福岡のJリーグ加盟以降の23年間でこちらの陸上競技場の方で行われたJリーグ公式戦は僅かに1試合だったが、2019年は球技場がラグビーW杯で使用された影響もあって9試合を開催した。だが収容人数は球技場よりも多い。
このスタジアムは最寄駅からバスで10分、徒歩で20分となっている。そう考えると少し駅からは距離があるように感じるが、特筆すべきはその最寄駅が「福岡空港駅」である事。新幹線の駅からすぐのスタジアムは何個かあるが、空港からすぐのスタジアムはそうそうない。
その他の名称:かきまどり陸上競技場
開場:1982年
収容人数:16000人
主な使用チーム:V・ファーレン長崎など
過去に開催した主なイベント:第69回国民体育大会ラグビー競技など
当初は広島・長崎共催五輪とする目的だったことから、オリンピック種目で唯一広範囲にわたる開催が認められているサッカーで長崎が会場の一つになるのは自然な流れであった。だが当時はまだ長崎県立総合運動公園陸上競技場(現:トランスコスモススタジアム長崎)も改修されていなかった事もあり、こちらのスタジアムが名乗りを挙げた。メインスタンド以外は芝生席となっている為、五輪が決まれば改修工事もなされていたと推測できる。ちなみに当運動公園内では柿泊遺跡が発掘されている。
V・ファーレン長崎は2014年までは年間1〜2試合ほどこちらで公式戦を開催していた。また、当初予定されていた東京五輪の前年にあたる2019年には、サッカーでの年内最後の親善試合2試合をエディオンスタジアム広島とトランスコスモススタジアム長崎で行った。
その他の名称:えがお健康スタジアム
開場:1998年
収容人数:32000人
主な使用チーム:ロアッソ熊本など
過去に開催した主なイベント:日本陸上選手権大会(1998)、第54回国民体育大会(1999)、Mr.Children DOME & STADIUM TOUR 2017 Thanksgiving 25、ラグビーワールドカップ2019など
1999年の国体開催に向けて建設された陸上競技場。熊本出身で「日本マラソンの父」と称され、オリンピックを描いた大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」の主役のモデルにもなった金栗四三、そして九州と熊本の頭文字に加え、屋根の形状が羽根のように見える事から「KK WING」という愛称があり、マラソン大会の際に選手が出入りする3ゲートは「金栗ゲート」とも名付けられているなど、オリンピックとのゆかりは深い。
かつては日韓W杯開催時のベルギー代表を始め、主にラグビートップリーグとJリーグクラブのキャンプ地になる事が多かったが、現在はJリーグ入りを果たしたロアッソ熊本が本拠地として使用している。2019年ラグビーW杯の会場の一つにもなった他、世代別代表戦を中心に日本代表戦も時折行われる。
2016年の熊本地震では当スタジアムが救援物資の集積拠点となり、施設自体も損傷を受けた事で2016年いっぱいは制限付きでの使用を余儀なくされたが、2017年からは全面使用に戻すことができた。同年にはMr.Childrenの25周年記念ツアーのファイナルも開催されている。
2020年広島五輪構想
その他競技の主な開催予定会場
広島広域公園第一球技場
開催競技:ホッケー
開場:1993年
収容人数:10000人
過去に開催した主なイベント:アジアカップ1992、FIFA U-17選手権(1993)、アジア競技大会サッカー競技(1994)、第51回国民体育大会(1996)など
開催競技:水球
その他の名称:ひろしんビッグウェーブ
開場:1991年
改修:
収容人数:3078人
過去に開催した主なイベント:アジア競技大会水泳競技(1994)、第51回国民体育大会水泳会場(1996)、プリンスアイスワールド(2007)など
開催競技:新体操、バドミントン
開場:1993年
収容人数:10000人
主な使用チーム:JTサンダース広島
過去に開催した主なイベント:アジア競技大会バレーボール・体操競技(1994)、第51回国民体育大会バレーボール・弓道会場(1996)、バレーボール世界選手権(1998)、ワールドカップバレー(2003、2007)、2018年NHK杯国際フィギュアスケート競技大会、各種コンサートなど
開催競技:自転車トラック
開場:1952年
改修:1994年
過去に開催した主なイベント:ひろしまピースカップ、ふるさとダービー(1989、1990、2008)、共同通信社杯競輪(1993、1999、2003)、アジア競技大会自転車トラック(1994)など
開催競技:ボクシング
開場:1985年
改修:2011年
収容人数:6052人
主な使用チーム:広島ドラゴンフライズ
過去に開催した主なイベント:アジア競技大会新体操・柔道競技(1994)、第51回国民体育大会体操競技(1996)
【そもそも広島五輪構想とはどういう流れだったのか】
・当時の秋葉忠利広島市長はあくまで「将来的な夢」「現実からは遠い夢」として五輪招致へよ意欲を語っていたが、核兵器廃絶に向けたバラク・オバマ米国大統領のプラハ演説を機に秋葉市長が田上富久長崎市長に五輪共催を打診。2009年10月11日に長崎市と共催でのオリンピック招致を発表した。
→ただし、IOC(国際オリンピック委員会)及びJOC(日本オリンピック委員会)からは共催は却下され、2010年1月15日に長崎市が招致断念を正式表明。以降は広島市単独での五輪開催として構想が進められる。
・2010年9月18日に「開催基本方針案」を発表。2011年に入ると菅直人首相(当時)を始めとした政府首脳と会談を持ち、五輪招致に関する国の財政援助を要望した。
→一方で2011年1月4日時点で秋葉市長が任期満了に伴う市長選に出馬しない方針を発表し、五輪招致の判断は次の市長に委ねられる事になった。
・4月10日に行われた広島市長選挙で招致に否定的な松井一實氏が当選し、月14日に行われた就任初会見の場において正式に招致断念を表明。5月22日の五輪招致検討委員会において招致断念を提案し、了承され、委員会も廃止となった。
招致に至らなかった、そもそも正式な立候補に行かなかった広島五輪構想だが、その招致の理由・目的と計画頓挫の理由は以下の通り。
【招致の理由・目的】
・2020年は平和市長会議にて「世界の核廃絶の目標年」と位置付けられていた事もあり、世界最初の被曝地として知られる広島でのオリンピック開催が持つ意味は大きく、理念への賛同の声は世界からも多く集まっていた。
→その中には鳩山由紀夫首相(当時)、橋下徹大阪府知事(当時)といった人物も名を連ねている。「ヒロシマ」の名が持つ世界へのアピール力は大きく、同時期に進められていたサッカーW杯招致活動において開催都市リストに広島が入っていない事は海外でも話題になるほどだった。
・商業路線が進んでいた五輪に於いて、従来の五輪とは異なる新しいオリンピック開催モデルを提示することで、大都市の単独開催が関連だった五輪を大都市ではない都市でも開催出来るような可能性を生み出す考えがあった。
→開催1都市が負担するのではなく複数の都市で負担し合う、寄附金を集める、選手村等は仮設施設を多用する事で次回以降の五輪等国際大会や災害時の仮設住宅でも使えるようにする…など。
・1994年にアジア競技大会を広島市で開催した事から競技会場のベースは既に出来上がっており、仮設(特設)会場を多用する方針を踏まえると殆どが新築ではなく改修工事で間に合うとされていた。
→開催基本方針案で予定されていた会場は、当時の時点で会場未定だったゴルフと7人制ラグビーを除く全会場が仮設会場、もしくは1994年アジア競技大会開催会場となっていた。
【計画頓挫の理由】
・秋葉市長と市議会、及び藤田雄山広島県知事を始めとした広島県庁との関係は五輪招致計画以前から悪化しており、市議会では過半数が反対派に回るなど理解を得られなかった。また、被爆者側も五輪と反核を結びつける事に対しての違和感を表明していた。
→そもそもきっかけとなった広島長崎共催構想の発表自体が秋葉市長と田上富久長崎市長の2人だけで話を進めたものであり、それを根回しもなくゲリラ的に表明した事も疑問視されていた。
・広島市自体が長らく厳しい財政不安に陥っていた。
→2003年は「財政非常事態宣言」が発令されており、1994年アジア競技大会開催の実績をアピールしていたにも関わらず、その大会の際に発生した借入金を構想表明時点でもなお返済できていない状態だった。それらの実現に向けた工程表等も作成されていなかったと言われている。
・財政計画の不備が多く、主な資金確保における計画案の具体性が欠けていた。
→寄付金や助成金、また大会終了後の仮設資金の売却費などの不確定要素が多かった他に、交通インフラ予算が計画案には認められていなかった。
・同じ2020年の招致を目指して東京都が立候補した事で、国を挙げての支援を受けることが難しくなった。
→東京都は元々2016年五輪の招致を目指していたので招致計画をそのままスライドしつつ修正するだけで良かった事もあり、広島の計画と比べると完成度で大きな差があった。また、招致活動の費用と当然ながら大きく違った。
・東日本大震災の発生
→大規模な資金力を持つ東京とは異なり、招致実現の為には国からの援助が必要不可欠だったが、震災の発生により国からの財政援助が望めない(=大幅に縮小される可能性が高まった)為。
・反核と平和を前面にメッセージとして押し出して五輪を開催する事は、一歩やり方を間違えると、ただ単に政治色だけが強くなってしまう懸念があった。