さてさて、東京オリンピックも盛り上がってますね。
暇な時間はずっと見てますよ。
おかげさまで録画したドラマの存在完全に忘れていました。
さてさて、前回ね…東京と同じく2020年の五輪招致を目指していたヒロシマ・オリンピック構想が実現していた場合、サッカーはどこで開催したのだろう?というブログを更新しました。
今回も似たようなです。
ただ、2020年招致目標だった五輪の話ではありません。全然2020年というか全然前の話ですが、京都在住の私にはよりダイレクトな話題……せっかく日本で五輪やっているので、この機会に振り返ってみたいと思います。
今回のテーマはズバリ、2008年大阪オリンピック構想が実現していたらどこがサッカー会場になったんだろう?…です。
ちなみに2008年大阪オリンピック構想をざっくり説明しますと(当ページの最後に時系列とメリット・デメリットを踏まえてもうちょっと詳しく説明します)、1964年東京五輪以来となるオリンピックの日本開催を目指して1992年から活動が始まった招致活動で、メインスタジアムは大阪市此花区の人工島の運動公園を再整備(後の舞洲スポーツアイランド)し、世界初の海上オリンピックとして正式に立候補し、招致活動を進めていました。同年の五輪は横浜市も招致を試みていましたが、JOCの日本国内での開催地選考の場において大阪に敗れる形になっています。
しかし1次選考には通って最終選考までは進んだものの、2001年の第112次IOC総会に於いて2008年の五輪開催は北京に決定。日本にとっては韓国のソウルに敗れた1988年名古屋オリンピック構想に続いてアジア圏内の国に連敗という結果になってしまいました。
前回の広島五輪回同様、今回はもし2008年の大阪五輪が実現していた時に使用される計画だったサッカー会場の紹介、及びその他の競技を開催する予定だった会場を書いていきたいと思います。
2008年大阪五輪構想
サッカー競技開催予定会場
その他の名称:たけびしスタジアム京都
開場:1942年
改修:1996年
収容人数:20688人
主な使用チーム:京都サンガFCなど
過去に開催した主なイベント:全国高等学校駅伝競走大会、皇后盃全国都道府県対抗女子駅伝競走大会、京都マラソン、1964年東京オリンピックサッカー競技大阪トーナメント、国民体育大会(1946、1988)、平成9年度全国高等学校総合体育大会(1997)など
このスタジアムが開場したのは太平洋戦争の最中である1942年。戦後の時代になると「戦後の混乱期の中で国民に希望と勇気を与えるため」という目的の下で1946年に日本全国から選手を集めたスポーツの祭典が行われる事になり、その第1回の会場となったのがこのスタジアムだった。これが「国民体育大会」の始まりである。1964年の東京五輪の際には、FIFAとIOC公認の下で行われた東京五輪サッカー大阪トーナメントの開催会場にもなったので、実現していれば2度オリンピックを開催した会場になっていた。ちなみに、大阪五輪が実現していた場合は30000人規模のスタジアムに改修する予定だった。
その後は2度目の国体開催に向けた1985年、京都パープルサンガ(現:京都サンガFC)のJリーグ加盟に合わせた1996年と2度の改修工事を行った。電光掲示板はこれまでは「ドット絵」と称されてある種の西京極名物にすらなっていたが、今ではしっかりLED仕様に切り替え。2019年ラグビーワールドカップの招致には失敗したが、2022年に関西で開催されるワールドマスターズゲームでは開会式も行われる予定になっている。
ピッチから遠い、傾斜が足りない、夏の夜は雨の如く虫が落ちてくる、照明の柱で見えない席があるなどサッカーファンからはネタ的に扱われているスタジアムである一方、陸上界…特に駅伝にとっては「聖地」とも言うべき由緒正しきスタジアムであり、運動公園内には陸上や駅伝にまつわるモニュメントも置かれている。個人的な話だが、2021年のスタジアムとしてどうかと思う点は多々多々多々多々あるが、筆者にとっては最も愛着のあるスタジアムではある。そこでオリンピックが行われていたらどうなったんだろう…とは思う。
京都スタジアム(未完成)
収容人数:43000人
2002年FIFAワールドカップの招致活動を進める過程の中で、日本側の開催地を決める際に京都府が立候補。それに伴い、京都府立木津川右岸運動公園を建設して、その中に当時の日本ではかなり珍しかった43000人規模のサッカー専用スタジアムの建設を発表した。しかしW杯は日韓共催となって日本側の開催地が減った事でスタジアム計画の動きが鈍化し、開催地選定では神戸(御崎公園球技場)に敗北。頓挫すると思われた建設計画にとって救いの手を差し伸べるかのように持ち上がったのが大阪五輪だった。
しかし、大阪五輪の招致失敗により2003年に計画は正式に凍結され、木津川の大型球技場建設の夢は幻となる。一方その頃、京都サンガFC(当時は京都パープルサンガ)を中心にサッカースタジアム建設への活動が別軸で始まった。様々な紆余曲折の末に、最初に計画が持ち上がった1995年から実に25年の歳月を経て誕生したのが京都府亀岡市のサンガスタジアム by Kyoceraである。
万博記念競技場
開場:1972年
改修:2006年
収容人数:23000人
過去に開催した主なイベント:チャゲ&飛鳥コンサートツアーWe Shall Return(1987)、第52回国民体育大会サッカー会場(1996)、IAAFグランプリ大阪大会(2002)など
1970年万国記念博覧会の跡地に整備された万博記念公園の中に建設された陸上競技場。このスタジアムを英語表記にすると「Expo '70 Commemorative Stadium」となる。これはカッコいい。サッカーファンにとってはパナソニックスタジアム吹田以前のガンバ大阪の本拠地として、お笑いファンにとっては吉本陸上競技会の会場として知られている。大阪五輪が実現していた場合はこのスタジアムでサッカーが行われ、同公園内にある万博記念公園野球場で自転車競技も行われる予定であった。オリンピック会場に太陽の塔があるというロケーションはなかなか魅力的。ちなみに、2015年にオープンするEXPO CITYとパナソニックスタジアム吹田も同じ万博記念公園内の施設である。
ただし、大阪五輪が実現していた場合の開催予定年だった2008年にG大阪が出場したスルガ銀行チャンピオンシップはスタジアム規格が不適格との理由で大阪長居スタジアムでの開催を余儀なくされるという事態が発生した事を踏まえると、招致が決まれば何らかの改修が必要だったのは間違いない。また、過去に一度だけ京都パープルサンガ(現:京都サンガFC)のホームゲームを開催した事がある。
その他の名称:ヤンマースタジアム長居
開場:1964年
改修:1996年
収容人数:47816人
主な使用チーム:セレッソ大阪など
過去に開催した主なイベント:1964年東京五輪サッカー大阪トーナメント、大阪国際女子マラソン、日本陸上競技選手権大会(1996、1997、2007、2012、2017、2021)、第52回国民体育大会(1997)、全国高等学校サッカー選手権大会決勝(1972〜1976)、2002FIFAワールドカップ、世界陸上2007、東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!(2011)、FIFAクラブワールドカップ2015など
大阪五輪構想が動いていた時点で現存していた競技場の中では最大規模。これは完全に想像でしかないが、仮に招致が決まった上で大阪オリンピックスタジアムの建設に何らかの不具合が生じた場合は開閉開始式は長居で行われる可能性もあったように思う。大阪五輪は実現しなかったが、2002年には日韓ワールドカップの会場の一つとなり、実現した場合に開催予定だった2008年の前年に世界陸上が行われた事から大阪では最も国際大会開催経験のあるスタジアムであり、大阪オリンピックスタジアムが幻になった以上、今なお関西最大の陸上競技場である。余談だが、今や世界陸上の定番ソングとなった織田裕二の「All my treasures」が最初に使用されたのは大阪での世界陸上である。
前述の西京極と同様、長居スタジアムも1964年東京五輪の際に大阪トーナメントと称されたサッカーの試合を2試合行っていたので、大阪五輪が実現していた場合は2度五輪開催を開催したスタジアムとなっていた。また、大阪五輪招致失敗後に持ち上がった広島五輪でもサッカー競技会場の一つとして加えられており、大阪五輪構想と広島五輪構想の両方でリストに入っていたのは長居スタジアムのみである。
その他の名称:ヤンマーフィールド長居
開場:1993年
改修:1995年
収容人数:15516人
「長居第2」という呼び名が物語る通り、基本的には長居スタジアムの補助競技場とも言える扱いである。その証拠に1996年の第52回国民体育大会と2007年の世界陸上では長居スタジアムで行われる競技の練習トラックとしての使用であり、実際に本番の会場としては使われていない。
だが、1万人規模の観客席は備えており、長居スタジアムの改修時期や大会開催期間を中心にセレッソ大阪がホームゲームを開催した事から「日本一有名な補助競技場」という見方も出来る。大阪五輪が実現していた場合は陸上競技は大阪オリンピックスタジアムで行われる為、このスタジアム自体が試合会場として使われる予定だった。長居スタジアムを含む長居公園では3会場がオリンピック開催会場となる予定だった。
大阪オリンピックスタジアム(未完成)
収容人数:100000人
完成する事は無かった幻のスタジアム。現在の舞洲スポーツアイランドの中にメインスタジアムとして建設する予定だった。もし大阪五輪の招致に成功して、このスタジアムの建設が現実のものとなった場合……収容人数は100000人の大台が予定されており、現在日本最大の収容人数を誇る横浜国際総合競技場を大きく上回る予定になっていた。
最終的に計画は五輪招致の失敗もあって断念せざるを得なくなったが、規模を変更しながら舞洲自体の整備計画は続行され、それが現在の舞洲スポーツアイランドとなった。また、2025年には大阪で行われる事が決定した大阪万国博覧会の会場は舞洲となっている。ちなみに、日本サッカー協会が2022年のFIFAワールドカップ招致を計画した際に8万人以上収容できるスタジアムを大阪に建設する「梅田北ヤードスタジアム構想」も持ち上がったが、こちらも計画は白紙化されている。
開場:1985年
収容人数:35910人
主な使用チーム:ヴィッセル神戸、INAC神戸レオネッサ、神戸製鋼コベルコスティーラーズなど
過去に開催した主なイベント:1985年夏季ユニバーシアード、第90回日本陸上競技選手権大会(2006)、第61回国民体育大会(2006)、B'z LIVE-GYM Pleasure 2008 -GLORY DAYS-、EXILE LIVE TOUR 2010 FANTASY、2020FIFA U-20女子ワールドカップ、SUPER SUMMER LIVE 2013 「灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!」など
「ユニバー記念」との名の通り1985年の夏季ユニバーシアードに向けて、そして将来的なオリンピック誘致を目論んで須磨区の山林を切り開く形で建設された総合運動公園。長居スタジアムが1996年に拡張工事を行うまでは関西最大の競技場であり、Jリーグ初年度は関西で唯一のJクラブだったガンバ大阪は多数の観客が見込める試合ではユニバーを使用する事も多かった。その後に当会場を本拠地としたヴィッセル神戸はノエビアスタジアム神戸の完成とともに本拠地を移したが、カップ戦や天皇杯を中心に年に数試合はユニバーで行っている。ちなみに、広島五輪構想では招致失敗後に開場したノエビアスタジアム神戸がサッカー会場に入っている。
この運動公園内にはグリーンアリーナ神戸という体育館やほっともっとフィールドという野球場もある。前者ではバレーボールの世界選手権やフットサルのデウソン神戸の主催試合が行われ、後者はオリックス・バファローズの準本拠地として稼働している。特にオリックス・ブルーウェーブ時代にはイチローらを中心としたチームで黄金期を築いた。
2008年大阪五輪構想
その他競技の主な開催予定会場
開催競技:野球、バスケットボール
その他の名称:京セラドーム大阪
開場:1997年
収容人数:36164人
主な使用チーム:オリックス・バファローズ、阪神タイガースなど
過去に開催した主なイベント:東アジア競技大会開会式(2001)、プロ野球日本シリーズ(2001、2020)、各種コンサートなど
いわゆる5大ドームの一角。2度の東京五輪やその他の五輪構想の中でも、ドーム会場がリストに入ったのはこの時の大阪ドームが唯一である。元々はプロ野球、近鉄バファローズの本拠地で、2004年のオリックス・ブルーウェーブとの吸収合併でオリックス・バファローズとなってからも本拠地には大阪ドームが選ばれた。大阪五輪が実現していた場合、野球のみならずバスケットボールの会場としても予定されていたそう。愛知県名古屋市のナゴヤドームとは同じ年にオープンしている。
西日本最大の都市である大阪のドームでもある事から、有名アーティストがドームツアーを行う際にはほぼ必ずリストに入れられる。だが、土地の地盤の影響もあって、かつてロックバンドのGLAYがライブを行った際には周辺で震度1〜3程度の揺れが発生したらしく、この件を機にGLAYは大阪ドーム出禁という形になってしまい、それはGLAYが当時の所属事務所から独立した今もなお解かれていない(リーダーであり所属事務所の社長であるTAKUROは何度も謝罪と交渉に出向いているらしい)。2020年に行われたプロ野球日本シリーズは福岡ソフトバンクホークスと読売ジャイアンツ(巨人)の対戦となったが、シーズンの日程そのものが新型コロナウィルスの影響でズレた影響で巨人は本来の本拠地である東京ドームを使えなかった。その為、代替としてスケジュールの空いていた京セラドーム大阪が使用される事になったが、本拠地以外での日本シリーズ開催は実に40年ぶりだったという。
大阪府立門真スポーツセンター(なみなやドーム)
開催競技:バスケットボール
その他の名称:東和薬品RACTABドーム
開場:1996年
収容人数:10000人
主な使用チーム:大阪エヴェッサなど
過去に開催した主なイベント:第52回国民体育大会(1996)、1998年バレーボール世界選手権、ワールドカップバレーボール(2003、2007)など
開催競技:フェンシング(1〜3号館)、ボクシング(4〜5号館)
開場:1985年
過去に開催した主なイベント:RADIO CRAZY、GLAY OSAKA 4DAYS.SPECIAL 2005“WHITE ROAD”、第14回20か国・地域首脳会合G20サミット(2019)など
開催競技:体操、新体操
開場:1983年
収容人数:16000人
過去に開催した主なイベント:ディズニー・オン・アイス、プロ野球No.1決定戦!バトルスタジアム、ANIMAX MUSIX、各種コンサートなど
開催競技:ハンドボール
その他の名称:エディオンアリーナ大阪
開場:1952年
改修:1987年
収容人数:6131人
過去に開催した主なイベント:各種格闘技イベント、各種コンサートなど
開催競技:ハンドボール、卓球
その他の名称:おおきにアリーナ舞洲
開場:1995年
収容人数:7056人
過去に開催した主なイベント:WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ徳山昌守vs名護明彦(2000)、WWE日本公演(2014)
開催競技:ホッケー
その他の名称:ヨドコウ桜スタジアム
開場:1987年
改修:2021年
収容人数:25000人
主な使用チーム:セレッソ大阪など
過去に開催した主なイベント:2016年リオデジャネイロ五輪女子サッカー競技アジア最終予選など
今年から「ヨドコウ桜スタジアム」として大規模改修の末にリニューアルオープンしたスタジアム。セレッソ大阪は隣接するヤンマースタジアム長居から本拠地を完全に移動させる事を既に発表しており、桜スタジアムの完成により関西のJリーグクラブは4チーム全てが球技専用スタジアムとなった。改修以前のスタジアムは「キンチョウスタジアム」として馴染み深い。
……だが、大阪五輪が実現した場合はサッカーではなくホッケーの試合会場になる予定だった。球技場をホッケー会場として使用するのは広島五輪構想でも同様の計画が練られている。実現していた場合、長居公園では2種目3会場のセッションが行われる予定だった。
開催競技:ソフトボール
その他の名称:大阪シティ信用金庫スタジアム
開場:1996年
収容人数:10000人
主な使用チーム:オリックス・バファローズ2軍など
過去に開催した主なイベント:2015 WBSC U-18ワールドカップなど
開催競技:バレーボール
その他の名称:丸善インテックアリーナ大阪
開場:1996年
収容人数:10000人
過去に開催した主なイベント:第52回国民体育大会体操会場(1997)、バレーボール世界選手権(1998、2006)、世界新体操選手権(1999)、グランドスラム・東京(2018、2019)、全日本卓球選手権大会(2019、2020)、各種コンサートなど
【そもそも大阪五輪構想とはどういう流れだったのか】
・1992年、当時大阪市議会議員を務めていた船場太郎氏が大阪市議会にて提唱。当初、市議会の反応は芳しくなかったが、西尾正也大阪市長(当時)の同意と後押しもあって構想が過去わき始める。
→1992年6月には「大阪市オリンピック開催問題研究会」が設置され、1995年3月に五輪招致活動を正式に開始する。1995年12月に大阪市長が交代してもこの方針は継続された。
・1996年9月にJOC(日本オリンピック委員会)に対して正式に立候補。1998年12月には大阪市の五輪招致が政府によって閣議了解がなされ、1999年2月には大阪オリンピック招致委員会が発足する。
→2008年のオリンピックは横浜市も招致を目指しており、日本としては国内の開催候補地を一本化する必要があったことから1997年8月にJOCで投票が行われ、大阪が横浜に勝利したことで大阪に一本化された。
・しかしその後、大阪市の財政問題を始めとした諸問題が噴出し、IOC(国際オリンピック委員会)から高い評価を受けた部分もあったが、開催地決定の2ヶ月前の時点で敗色濃厚となる。迎えた2001年7月、大阪、北京、パリ、トロント、イスタンブールの中から開催地を決定するIOC総会で最初に脱落した。
→開催地決定後に「大阪に投票したのに残念だ」というメッセージの数が大阪の得票数を上回っていた、というのは有名なエピソード。
・大阪はその後、大阪五輪が実現していた場合にメイン会場になる予定だった舞洲に2025年万国記念博覧会の招致を成功させている。また、日本としての五輪招致はその後東京が2度正式に立候補しており、2016年はリオデジャネイロに敗れたが、2020年はこの時も開催地を巡って争ったイスタンブールとの最終投票を制して開催を決めている。
招致に至らなかった、そもそも正式な立候補に行かなかった広島五輪構想だが、その招致の理由・目的と計画頓挫の理由は以下の通り。
【招致の理由・目的】
・当時の大阪市は国際都市としての価値と機能を高めようとしていた時期であり、その象徴となるイベントを求めていた時期でもあった。実際、メインテーマには「地球市民のオリンピック」と掲げられている。
→また、過去に日本で開催された五輪は冬季を含めると東京・札幌・長野(構想開始時点では予定段階)と全て東日本での開催だった事から西日本での五輪を、という側面もある。
・大阪自体が元々大都市という事もあり、招致活動開始時点で一定の交通インフラは府内全域で整っており、都市開発計画を根本から組み立てる必要は無く、舞洲エリアを除く開催会場の多くは五輪招致の可否に関わらず1997年に予定されていた国民体育大会の為に既に建設計画がある程度できている状態だった。
→最終的に立候補都市の中で最下位という扱いを受けた大阪だったが、前述のインフラ面と治安はIOCからも評価されていた。
【計画頓挫の理由】
・提唱者である船場氏が「沈滞した大阪を変える動きにつながるんではという思いがあった」と語るように、当時の大阪市の財政状況はかなり厳しかった為、五輪開催にある種のギャンブル性が見受けられた部分があった。
→市民の反応に関しては当初は商店街を中心に好意的な反応が多かった一方、2001年になると五輪招致支持が5割まで落ち込むようになっていた。
・招致活動は大阪市主導で進められたものの、JOCに対して支援要請を行わない、IOCや各種競技団体に対する人脈を活かそうとしないなど試行錯誤をしようとした形跡も見られず「お役所仕事の典型」とも言われた。
→2001年5月のIOCの現地調査の際、「ありのままの大阪を見せたい」と自然体的な案内を試みたが、前述のお役所仕事の影響もあるのか説明が全体的に上手くいかず、挙げ句の果てにはIOC委員の乗るバスが何度も渋滞に巻き込まれ、好印象を持ち帰らせるどころか「交通事情」という新たな懸念材料を与える事となった。
・北京の存在が余りに驚異的すぎた。これは大阪以外の落選3都市にも言える事で、当時急速に経済規模を拡大させていた中国で初開催する事で中国のマーケットを切り拓きたい想いは、IOCのみならずあらゆる国際競技連盟に少なからずあったはずであり、その時点で開催経験のあるパリや日本としては1964年東京五輪に続く2度目の開催となる大阪は不利だったのかもしれない。
→2002年ソルトレイクシティ冬季五輪招致を巡るスキャンダルが勃発した直後の招致活動だった事もあって、大阪はクリーンな招致として慎重なロビー活動を展開したのに対し、北京の気迫は凄まじく積極的というよりも怒涛なロビー活動を行ったとされている。ロビー活動に関しては、相手が同じ東アジアという意味でも1988年五輪招致レースの際に名古屋がソウルに負けたのと全く同じ轍を踏んだ事になる。