RK-3はきだめスタジオブログ

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なぜWBCはW杯になれないのか〜2つのスポーツの成立過程とFIFAというシステム、そして"欧州的スポーツ感覚"と"アメリカ的スポーツ感覚"の差異〜

 

 

 

スポーツニュースは野球一色である。

 

それもそのはずだろう。今回のワールド・ベースボール・クラシック(以下:WBC)は過去の大会と比べてもニュースバリューが強い。大谷翔平の参戦は一気に注目度を高め、ヌートバーのような新たなるスターも生まれた。

そもそも、本来は3〜4年毎に行われていたWBC自体がコロナで延びて6年ぶりの開催なので、そういう"満を持して"的な側面もある。実際に視聴率は1次リーグ全4試合の視聴率が40%を超えた。初戦の中国戦と日韓戦の2試合は40%はノルマと捉えていただろうが、結果的に消化試合となったオーストラリア戦まで世帯視聴率43.2%を叩き出したのはAmazon Prime Videoの中継も同時に行われていることを踏まえると圧巻の数字であり、逆に言えばこの43.2%にプラスしてアマプラで観戦した顧客がいると思うともはや凄まじい。

 

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軸足こそサッカーに置いているが、かくいう私自身も阪神タイガースのファンであり、野球も大好きな立場である。

頻繁ではないが、ちょいちょい甲子園や京セラドーム大阪での現地観戦も楽しんでいるし、なんなら今回のWBCも開幕前の阪神との強化試合も行くつもりだった(そしてチケット争奪戦で無惨に散った)。このブログでもたまに、試合を観に行った際には観戦日記として野球観戦のブログを書いたりもする。

このブログは1次リーグと準々決勝の間の期間に書いているが、日本代表の躍進に連日連夜熱狂させてもらっている。阪神勢も湯浅は今のところパーフェクト。中野はチェコ戦のエラーが槍玉に挙げられがちだが、あのエラー以外は概ね十分な働きをしてくれていると思うだけに、実にホクホク顔でここまでの大会を楽しめている。チケットが取れなかった憎しみを除けば最高に楽しい。

 

 

ただ、WBCの季節になる度に勃発する論争が「WBCという大会のステータス」についての云々である。

WBCで盛り上がっているのは日本だけ」「欧州ではWBCなんて誰も知らない」みたいなフレーズは、やはり今回も叫ぶ人は多い。ましてや今大会は本来2021年3月に開催される予定だったものがコロナの影響で2年延期となった末に2023年3月の開催となった。一方、本来なら6月に開催される予定のサッカーW杯は、開催国であるカタールの気候を踏まえて2022年12月の開催という異例の措置が採られていた。要はW杯が終わってすぐのWBC開催となってしまい、それゆえに「W杯と比較したWBC」というところは今回は特に多く語られているように見える。サッカーも野球も好きな立場としては、もはや恒例行事と化したこの対立は聞き苦しく心が痛む(メディアを含めたこの辺りの話も後日ブログで書こうと思う)

だが一方で、大会としてのWBCが国際的な地位と注目度に欠ける事、大会の熱狂や盛り上がりが局地的なものになっているところは否定できない。それが「日本しか盛り上がっていない」のかどうかはともかくとして、出場国の全てが日本ほどの熱量を持っているとも言えず、ましてやW杯とは異なり、出場していない国の関心はほぼ無いのは確かだろう。少なくとも現段階では「WBCはW杯になれない」というところは間違いない。一部サッカーファンの質の悪い煽りには腹立たしさすら覚えるが、WBCが今後野球と共に国際的なステータスを高める為には、実際問題として存在する現実と向き合わねばならない。同時に、近年は「WBCがW杯になれない理由」をサッカーファン自身も笑えなくなってきているフシがある。

 

今回のブログでは「なぜWBCはW杯になれないのか」「WBCがW杯のようになるにはか」、そして「"WBCがW杯になれない理由"をサッカーファンが笑えなくなってきた理由」について書いていく。

 

 

 

①なぜWBCはW杯になれないのか

②WBCがW杯のようになるには

③"WBCがW杯になれない理由"をサッカーファンが笑えなくなってきた理由(後日更新)

 

 

WBC観戦ガイド

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

 

 

①なぜWBCはW杯になれないのか

 

結論から述べると、WBCとW杯の差を一言で言ってしまえば、それはFIFAの存在に他ならない。厳密には"FIFAというシステムの存在"と表現すべきだろうか。

FIFAが果たしてその力を正しく使えているのかどうかはともかくとして、サッカーW杯を特別たる存在とするにはピラミッドの頂としての役割を持つ中立機関の存在は必要不可欠だった。それが野球の場合はそうではない。結局のところ、それが一番大きな理由になる。

まず、これにはサッカーと野球が競技として確立して、それがどのようにして発展していったのか…という部分が大きく関わってくる。

 

 

 

起源はともかくとして、サッカーも野球も現在の形が概ね確立されたのは1800年代。アメリカ大陸やアフリカ大陸の殆どが欧州諸国の一部だった時代である。

イギリスをスタートに発展したサッカーはそのまま欧州の各国へと拡がっていった。そして南米大陸の各地域は殆どが欧州諸国の植民地だったので、南米大陸にサッカーという文化が伝わる事も時間の問題だった事は想像に難くない。正確に言えばサッカーが南米に伝わり始めた頃には南米の多くの植民地が欧州諸国から独立するようになっていたが、それでもそのルートは濃く、文化の伝播として自然な流れだった。

結果的に、サッカーという概念を手にした各国はそれぞれの地域で独自の発展を遂げるようになる。要は様々な地域でそれぞれの形でサッカーが独自発展を遂げた事で、それを一つにまとめる為の組織の必要性に迫られた。

 

それが形になったものが1904年に発足したFIFAである。

サッカーは特定の国及びリーグを管轄する立場にないFIFAに権力を集中させ、ピラミッドの頂点にFIFA、その一つ下にUEFAAFCのような各地域・大陸毎の中立機関を設け、その下に各国のサッカー協会が存在し、リーグとクラブはその下にある…というシステムを早くに築く事が出来た。今となっては様々なスキャンダルも露呈したFIFAの権力が強くなりすぎた事を疑問視する声は多いが、サッカーの普及とW杯を唯一無二なものとする為にこのピラミッドシステムを早々と確立させた事の意味は大きかった。オリンピックとの棲み分けもそうだが、少なくともサッカーにとってはFIFAをナンバーワンかつオンリーワンの権力構造に持ってこれたおかげで、必然的にFIFAワールドカップはナンバーワンかつオンリーワンの大会として成立するようになったのだ。

つまるところ、FIFAはどこかの国やリーグを管轄する立場ではないので、純粋にW杯の価値と利益の最大化を考えて大会運営を行う事が出来る。いわばFIFAは「仕事を限定する代わりに最大権力を保証された組織」なのである。そしてサッカー界のシステムはFIFAを、FIFAだけを頂点に構成されている事を誰もが認識している為、FIFAワールドカップこそ最高の舞台であるという"設定"を国・クラブ・選手の全てを含めた個々がナチュラルにそれを受け入れる事が出来たのだろう。サッカーというスポーツがエンターテイメントコンテンツとして育つ前にこのシステムに乗せたことで、サッカーはこのシステムを先頭に発展する事が出来たのだ。

 

 

 

一方、これが野球となると大きく事情が異なる。

野球の起源となった球技はイギリス発祥とも言われているが、イギリスではそれがクリケットの方向に発展したのに対し、アメリカに伝わったその球技はアメリカの中でベースボールとして発展した。欧州や南米各地に散らばる事で発展したサッカーに対し、野球にとっての"各地"とは広い国土のそれぞれの州だった事になる。サッカーがまとめるべきは各国だったが、アメリカがまとまるべきは各州だった。その結果、アメリカで確立されたベースボールはアメリカで発展し、アメリカで完結するスポーツとしてアメリカで完成した。もちろんその確立にも紆余曲折があった訳だが、最終的に野球界で最も力を持つ組織は事実上、アメリカの野球リーグを司るメジャーリーグベースボール(MLB)という事になった。長くなったが、ここまでが前提となる。

 

 

 

それこそサッカーと野球を比べるとわかりやすいのだが、スポーツに於いては「欧州的思考」と「アメリカ的思考」の2つが存在していると思う。

前者はどちらかと言えば、スポーツそのものがライフスタイルの一角を担っており、例えばサッカーが好きな人であれば、家事や仕事の線の上にサッカーが位置している。端的に言えば、スポーツを生活の一部に溶け込んだものとして捉える人が多い。逆に後者にとってのスポーツはあくまでもエンターテイメントであり、ショーとして捉えている。前者が生活の中に溶け込んだ日常としてスポーツを捉えているのに対し、後者は普段の生活から外れた趣味としてスポーツに非日常体験を求めている。

サッカーがあれだけ拡がったのは、そういった日常という側面での文化伝播的な意味合いが強かったように思う。対して野球に代表される後者は、あくまでエンターテイメントコンテンツだからこそアメリカの中で完結する事を望んでいた。それはNBANFLを見ても明らかであり、メジャーリーグサッカー(MLS)もサッカーというスポーツに沿う以上他のスポーツよりは欧州的な思考に迎合しているが、他国のサッカーリーグに比べるとやや特殊なリーグシステムになっている。自由競争で資本主義の結果が大きく左右するヨーロッパサッカーと、ドラフト制やサラリーキャップ等を通じて戦力均衡を意識的に図るアメリカンスポーツのそういったスタンスの違いが垣間見えるところもその要素の一つだろう。節々に違いはあるが、大枠で分かれば歴史的背景や娯楽のバリエーションの広さも踏まえると日本は確実に後者のアメリカ型に当たる。

余談だが、2021年4月に勃発した欧州スーパーリーグ騒動はこの「欧州型」と「アメリカ型」のスポーツの捉え方の違いが如実に出た問題だったように思う。根底には欧州ビッグクラブのUEFAFIFAへの不満があった訳だが、スーパーリーグアメリカ型の理屈では正解であり、欧州型の理屈では不正解だった。そしてサッカーは欧州型の理屈に於けるスポーツの象徴みたいなところがあるだけにああいう反応になったのだろう。

 

 

話を戻すと、要はFIFAとは異なりMLBは最初から世界を相手にするつもりもなく、アメリカで始まりアメリカで完結するエンターテイメントとして野球を育てた。これはNBANFLにも同じ事が言える。その結果、MLBが司るメジャーリーグがこそが世界最高の大会であり、サッカーでいうところのFIFAワールドカップ勝戦は日本のプロ野球で言うところの日本シリーズに当たる毎年のワールドシリーズだ、ワールドシリーズこそが世界の野球人にとって最も高みにある舞台だ…という考えが根底にあり、国際試合を含めてアメリカの外に出ていく必要がない。そもそも、仮にもアメリカ最強チームを決める試合の名称が「ワールドシリーズ」になっている事がスタンスの全てと言えよう。実際問題として多くの人がそれを感覚で理解している。サッカーで例えるなら、クラブW杯で優勝したからといって誰もそのクラブを世界王者とは思わない事と近い感覚だろうか。

 

 

 

ここまで「なぜWBCはW杯になれないのか」と謳いながら"WBC"という単語すらほぼ出ていなかったが、ここからが本題である。

WBCの開催が提唱された要因は「MLBで活躍する外国籍選手が増えてきた事」「MLBと野球の市場を世界に拡大する事」が大きい。その為の「国別対抗野球世界一決定戦」としてWBCは提唱された。だが、ここで話がややこしくなってくるのは…WBCを主催しているのは、FIFAのような中立組織ではなくMLB…即ち、アメリカのリーグを運営している機関がそのままWBCを主催しているという事になる。

 

厳密には野球にも世界野球ソフトボール連盟(WBSC)というFIFAに当たるような中立組織は存在する。

しかし、前身の国際野球連盟(IBAF)時代はMLBIBAFは長らく断絶状態にあり、力関係的にMLB>IBAFである事は明白で、いわば高さの違うピラミッドが2つあるような状況が続いていた。現在のWBSCは野球とソフトボールの五輪復活を目標にIBAF国際ソフトボール連盟(ISF)が統合する形で2013年に発足した組織で、WBSC設立以降はMLBや日本プロ野球機構(NPB)のようなプロ組織との繋がりも生まれてきたが、それ以前に経営危機に陥ったIBAFMLBの援助を受けてなんとか持ち堪えた背景もあり、実質的にWBSCはMLBの傘下的な組織になってしまっているのが現状なのだ。

その理屈で言えば、野球世界一を決める大会を野球界で最も力を持つ組織となっているMLBが担うのは理には適っている。だがMLBが運営する以上、MLBにとって「WBC > MLB」とする為に運営する理由はない。あくまでMLBが最優先という理屈と定義になるがゆえにサッカーのような招集の強制力はないし、メジャー組がしばしばコンディションの問題で辞退を選択出来てしまうのは確固たる力関係の構図が出来上がってしまっている事に他ならない。日本はともかくアメリカの場合、選手にとって最も高みにある舞台はワールドシリーズとされている以上、給料を払うアメリカの球団はWBCに協力する旨味が少ない上に、その球団から給料を受け取る立場の選手は選手人生をWBCに懸けにくい。

ファン視点でも、例えば「アメリカ人はあまりWBCに関心がない」ともよく言われるが、これもMLBWBCの力関係に加え、前述のようにアメリカはアメリカで完結するスポーツを好むという2つ傾向が大きく影響している。いわゆるアメリカに挑む立場であり、かつ現実的に挑める可能性のある日本や中米諸国では盛り上がりの機運も強くなるが、FIFAFIFAワールドカップのように世界大会を明確なオンリーワンに出来ないシステムになってしまっている以上、どうしても盛り上がりは局地的な側面を脱する事が出来ていない。

 

 

 

なかなか野球がグローバルスポーツになり切れないこと、WBCがサッカーW杯のようになれない現状は、競技の成立過程の時点で宿命づけられたものだった。ある意味では、野球が目指しているグローバル化は当時のツケを払っているとも表現することが出来るかもしれない。

だがWBCは少なくとも日本などの東アジア圏では当初から盛り上がりを見せていた。そして、大会全体としても第1回から今回の第5回にかけて、様々な興行成績が右肩上がりに増加している。MLBとWBSCが連携をとるようになった第3回大会からは予選大会も実施されるようになり、欧州からもWBCを目指す国が表れ始めた。大会として成長している事は間違いない。

さすがにサッカーW杯に追いつく事は野球に限らず殆どのスポーツで不可能に近いだろうが、それでもWBCが国際大会としての地位と権威、そして人気を浸透させていく為には何が必要なのだろうか。

 

②WBCがW杯のようになるにはに続く