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ロシアW杯観戦記〜あれから1年…《海外ド音痴、ロシアに翔ぶ。〜英語もまともに話せない私のロシアW杯観戦記〜》2019年再編集版〜第19話 20180619

【ロシアW杯観戦記再編集版、第1話、前話はこちら↓】

 

 

 

時刻は23:00を過ぎるかどうか、くらいのところだっただろうか。

ロシアという国はどこに行ってもロケーションが抜群であった。街中、国中のどこを切り取ってもインスタ映えしてしまうほどに。この時期のサンクトペテルブルクは深夜になれば薄暗くなるが、ほぼ白夜に近い状態が空に演出される。スタジアムを出たところから眺めたフィンランド湾はまさしく絶景だった。夕映えの空の下を、歴史的勝利に酔うロシア人が練り歩いていた。

 

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中にいた時は気づかなかったが、照明が付くくらいの時間になるとガスプロム・アリーナは面白い顔を見せる。スタジアム自体が全体的に発光するのだ。それも色々七変化するように配色を変えながら。

6万人を越す観衆が一斉にスタジアムから吐き出される訳で、地下鉄に乗り込むまでには当然それ相応の時間がかかる。だが、色とりどりに映るスタジアムと夜会にも近い周囲の空気を見ればそれらも退屈な待ち時間とは感じなかった。むしろこの場所なら何時間でも居られるわ…なんて思うほど。

 

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ゼニト・サンクトペテルブルクカラー。

 

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さて、スタジアムを出た人間が向かう先は大体全員地下鉄の駅である。モスクワやカザンと比べてもサンクトペテルブルクは肌寒くはあったが、ユニフォームを身に纏い、タオルをぶら下げ、あちらこちらでロシアの国旗が振り回されていく。

 

サンクトペテルブルクで過ごした2018年6月19日という日は自分の人生にとっても特別な意味を持つ日となった。

ガンバ大阪ファンである私にとって、西野朗という監督は今なお「最も好きな監督」として考えられる人物だ。最も優秀かどうか、最も偉大かどうかは各々が監督をどんな基準でもって評価するかによっても変わってくるだろう。だが、好きなのは一番好きという感情だけで成り立つ。そんな監督が、いつか日本代表の監督としてワールドカップを戦うシチュエーションは夢ですらあった。同じことを思っていたガンバファンは多いと思う。それが叶ったのがこの日だった。西野朗の率いた日本代表はこの日、正直勝てないと思っていたコロンビアを打ち破った。その姿を日本からは離れた、同じロシアの地で観る事が出来た。

 

 

そして今はこうして、ワールドカップ開催国の熱狂に包まれている。ようやく乗り込んだ地下鉄の中は車内もホームもお祭り騒ぎだ。すしづめのような車内を包むのはロシア人の高らかな歌声である。今、自分はこのロシアという国のスポーツの歴史的な瞬間の証人もなったような気がした。凄いのはすれ違う人間全員が大体似たようなリアクションを取っていたのだ。

性格的に、普段からあまりお手本のようなクサイ台詞は言いたくない。ただ、やっぱりスポーツの持つ力、代表戦、そしてワールドカップの持つ力の大きさは感じざるを得なかった。この車内にはきっと啀み合っている奴等もいるだろうし、政治的な意見で大きく対立するようなタイプの人間だっていると思う。だが今は、この時だけは全員が同じ歌を叫ぶように歌って歓声を挙げているのだ。前回辺りでも言った気がするが、そういう景色を見れば見るほどサッカーに興味なんてある訳も無かった当時5歳だった「2002」に対して少しの未練も抱く。

 

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地下鉄の中で誰かがカチューシャを歌い出せば、自然と車内の全員がそれに合わせて歌い始め、彼らは電車を降りてもそれを歌い続ける。すると今度は別の客の塊とすれ違うが、彼らもカチューシャを歌っていたりする。あの圧巻っぷりと凄まじさはなかなか形容し難い。2年が経とうとしている今もなお、鮮明に覚えている。

 

 

だが、最も開催国のボルテージを感じたのはカチューシャの響く地下道を抜けて地上へ、サンクトペテルブルクの街に戻ってきた時だ。感覚としては渋谷のスクランブル交差点というよりは、あれと同じことを原宿センター街の全部でやっているような感覚と言えるだろうか。或いは御堂筋全体でやっているような感じだろうか。

とにかくまぁ…凄かった。スタジアムの中や地下鉄までの道と同じような光景が広がっていた。

 

 

歩道に行き交う人が様々な雄叫びを挙げる。

上半身を脱いでるような者も普通にいたし、車道を見ればかなりのスピードでぶっ飛ばす車の窓から国旗を掲げながら叫ぶ者もいた。

ぶっ飛ばした車がいたかと思えば、今度は歩道の群衆を撮影するなり窓から乗り出してアピールするなりした結果、渋滞も発生している。

 

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不思議な時間だった。

開幕戦の後の赤の広場でもそうだったが、もし仮に、今後またロシアに旅行に行ったとしても絶対に出会えない景色と時間がそこにはあった。サンクトペテルブルクをただ観光しただけの日は、この街はある程度落ち着いていたけど、6月19日だけはこの街に落ち着きとやらはひとつとして残っていない。とうとう警察と揉め始める奴等も出てきた。

なにより、サンクトペテルブルクは本当に町並みが綺麗で、それは23時をかなり過ぎても少し明るさを残す空がよりメロウに演出している。そんな空間の中で繰り広げられる乱痴気騒ぎを…それを眺めながら歩いている自分はまるで、何かの間違いで映画の中に迷い込んだかのよう錯覚さえ覚える気分だった。あの感覚は初めてだったし、仮に今後日本でワールドカップが開催されたとしたら、暴れる事はさすがに無くても自分は「開催国の国民」として一人のキャストに位置するんだと思う。2002への未練を語ってはいたが、ある意味俯瞰で見れる立場であの空間に落とされた自分は、応援という意味ではロシアに肩入れしている友人が抱いた感情ともまた違う感情だったような気がする。なんというか、友人という完璧なガイドがいたからそういう訳では無いのだろうけど、この街とこの状況では迷い子のような立場だった自分にとってはゴールに辿り着かなくてもいいと思えるような迷路の中にいた気分だった。

 

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サンクトペテルブルクマクドナルドに寄り、日本で見覚えのあるメニューを頼んでホテルに持ち帰る。マクドナルドの味は海外のどこに行っても同じだ。

ホテルで荷物を下ろし、ポテトやハンバーガーをつまんで「海外マクドナルド症候群」とも言えようどこか馴染み深い味を感じる頃、時刻は0:00を過ぎる。魔法と錯覚に包まれた6月19日は終わったのだ。陽の沈んだサンクトペテルブルクで日付には6月20日と表示された。人生で経験した事のない2週間に於ける最後で、最大のイベントは過ぎた。一つの言葉で説明しようのない場面ばかり続いた旅の本編は終わり、後はエピローグを残すだけだ。

 

最後のポテトを口へ運び、シャワーを浴び、想像以上に小さいサイズのベッドに体を沈める。ここからモスクワに戻る為、シベリア鉄道にはもう一度乗る必要があるが、帰路につく飛行機が離陸するまでのカウントダウンは刻一刻と刻まれ続けていた。

 

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つづく