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軋む夕刻〜明治安田生命J1リーグ第14節 セレッソ大阪vsガンバ大阪(大阪ダービー)観戦日記〜あまりにも追い込まれすぎていたガンバの現状と葛藤。

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セレッソが3点目をとった時の光景が脳裏に焼き付いてる。

 

座っていたのはミックスバック席。ミックスという名の通り、このエリアは定義としては両チームのサポーターが混在していいという席種になっている。とはいえ、ヨドコウ桜スタジアムはセレッソの本拠地である以上、ゴール裏とミックスバック以外の席はセレッソを応援する為の席になってくるので、ガンバのユニフォームを着るにはゴール裏か"ミックス"と名のつく席を選ぶしかない。その為、ミックスバック席は実質的にガンバのエリアと言って差し支えない状態になっていた。

要はその場所で、ピンクのユニフォームは明らかに浮いていた。正確に言えば、数の割合的に浮くしかなかったのである。そこしか空いていなかったのか、比率の予測を間違えたのか、或いはガンバファンの友人がいてそいつに付き添ったのかはわからない。ただ彼らにとって、90分のうちの多くの時間で居心地の悪さを感じていたと思う。そりゃそうだ、周りはみんなガンバファンだったのだから。セレッソのホームゲームだが、少なくとも彼らにとってはアウェイに近い感覚もあったかもしれない。山見のゴールでガンバが先制すれば周りだけが立ち上がり、更に言えばセレッソが挙げた最初の2得点ですら、彼らは喜ぶ際に少し人目を憚っていたように映った。

 

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セレッソに3点目を奪われた時、青黒のユニフォームに身を包んだ者のほとんどが絶望に打ちひしがれていた。そんな青に染まったバックスタンドのほんの一角、多くの人間が座り込んだ傍らで、ピンクのユニフォームを纏った数人のグループだけが満面の笑みで立ち上がり、喜びを爆発させている。どこかお通夜のような空気に陥った半径の中で、あの一角だけはまるで異空間さながらだった。

状況は色々と違うのだけれど、不意に頭によぎったのは漫画「GIANT KILLING」の東京ダービーを前にした達海猛のセリフだった。

 

東京V(ヴィクトリー)のサポーターで埋め尽くされた一角でアップの時からすげー必死に声出してたよ

(中略)

だったらあいつらを気分良く帰してやろうぜ。何万ているサポーターが肩落として帰ってくなか……あいつらだけ胸張って上機嫌で帰るんだ

 

「GIANT KILLING」#107(11巻)より

 

3-1になった瞬間のスタンドの一角に佇んでいたセレッソファンの姿は、あの時の自分にとって何よりも屈辱的で、そして何よりも眩しく輝いて見えた。

 

Twitterをかじるとわかるように、今のガンバファンは相当精神的にやられている。例えば2019年、ヤンマースタジアム長居同じ3-1で敗れた時は素直に「セレッソが強すぎた」という一言で物事を整理する事が出来た分、試合の後味を随分と割り切れていたと思う。だが2022年5月21日の大阪ダービーを、ガンバ側がそう簡単な言葉で割り切れないのは…あの試合を見れば、どの立場の人であっても察しはつくだろう。

私は今、感情がささくれ立っている。表に出すか否か、或いは程度の差はあっても、それはファン・サポーターを含めた全てのガンバ関係者が共通して陥った精神状態だろうし、あの日ピッチ上で起こった事はその延長線上にある象徴に過ぎないのかもしれない。一応、今回のブログは明治安田生命J1リーグ第14節のセレッソ大阪vsガンバ大阪戦の観戦日記として更新するが、そんな呑気な珍道中を書き連ねる気力は無いので、この試合をガンバ側の立場で現地で見て感じた事を書いていきたい。

 

 

オリジナルアルバム出してみました!聴いてみてくださいませ。

 

じゃあそれが何かの救いになるのか?と聞かれればなんにもならないのだが、実際問題として、敗北に対する"言い訳要素"みたいなものが、この試合のガンバにはいくつかあったのは否めない。

この試合について書いたマッチレビューにも重複するような事はいくつか書いたが↓

 

もちろん、新体制でのサッカーが発展途上である事以外にも、ガンバが向き合わなければならない問題は多岐に渡る。ただ今回に関して言えば、勝ったとはいえ……今思えば前節の柏戦の時点でチームがフィジカル的な限界点に達してしまっていた感は否めなかった。

コロナ以前に、現在のガンバは負傷者が続出している。クラブとしてリリースが出たのは宇佐美貴史東口順昭倉田秋の3名だが、神戸戦で負傷退場した福田湧矢など負傷離脱中の選手は4月半ば頃から激増していた。福田が負傷した神戸戦の後、新型コロナウィルスの感染者が複数人出たのは追い打ちというよりもトドメに近かったのかもしれない。ガンバは緊急でユース所属の南野遥海と桑原陸人をトップチームに帯同させたが、彼ら2人を帯同させても尚、試合に出場可能な選手がGK3人を含めた20人くらいしかいなかったと思われる。その状態で連戦を戦う事は、去年の15(21)連戦とはまた違った種類の過酷さに襲われる事は想像に難くない。

それがダービーで如実に表れていたのはボランチだった。少し調子を上げつつあったガンバにとって、中盤でのセカンドボール回収はまさしく生命線。裏返せば、それはボランチに相当な体力的負担を強いる事にもなる。そのハードなタスクをガンバはダワン、奥野耕平、齋藤未月の3人だけで回していた。齋藤がハイパフォーマンスの割にほとんどフル出場していないのは、おそらく片野坂監督もそこを考慮している部分があるのだろう。だが、柏戦からは齋藤が離脱し、既に疲労が蓄積されつつあったダワンと奥野は2人だけでこのタスクを背負わねばならなくなった。それがダービーでは清武弘嗣に中盤を制圧される事に繋がったと見る事も出来るし、ボランチのみならず、柏戦C大阪戦に出た選手は全員にそのような兆候があった。その上で柏戦は相手の強度の高い猛攻をずっと受け続ける形になってしまい、柏戦自体は体力以上のモノを出し切って勝利を掴めたが…あの試合で選手達は、体力的な一つの限界点に達してしまったのは否めない。その蓄積が大阪ダービーで、一つ一つが歪みとして表れてしまったように見えた。

 

 

 

それでも前半は、現在のガンバが置かれた状況を思えばそれぞれがタスクをこなせていたと思う。DFラインは度々裏をつかれるシーンはあったものの、3バックの間でのカバーリングの相互関係は昌子源を中心に上手くコントロール出来ていた。レアンドロペレイラと山見大登を中心としたロングカウンターは、あの体力状況のガンバであればアレしか方策は無かったと思うし、それで先制点も取れた訳だから、ゲームプランとしてはある程度当たっていたはずだった。それと同時に、ガンバにとって大阪ダービーの前半はブレイブメンロードの半分に到達したに過ぎなかったのだろう。繋がっていた首の皮一枚が遂に裂けたのは後半だった。

 

この試合のガンバは昌子を中心に三浦とクォン・ギョンウォンが3CB、2CBに臨機応変にスライドし続けていく事でなんとか耐えていた。しかし……猛攻に耐え続けたガンバが、ようやく掴んだ後半最初のチャンスからカウンターで失点してしまった時、この3人のCBは全員セットプレーのチャンスでゴール前に上がっていたのだ。一応、ガンバ陣内にも数名カバーには入っていた。それでも、3CBの強烈なパーソナリティでどうにか均衡を保っていたガンバにとって、松田陸清武弘嗣に通された2本のカウンターパスを防ぐ事など不可能に近かったのだろう。あの同点弾がその典型例ではあったのが、そもそも清武しかり松田しかりキム・ジンヒョンしかり奥埜しかり、相手の綻びを見逃さずに致命傷に変えてしまうだけのクオリティを持つ選手をセレッソは揃えている。あのゴールでこの試合…いや、柏戦から繋いできた一本の細い糸がプツンと切れてしまった。

「アシスト」と揶揄するような声もあるが、個人的にはこの失点に関して三浦を責める気持ちは毛頭ない。むしろ良く戻ったと思うし、奥埜を阻止しかけただけでも立派だったとすら思っている。責めるのであればあのプレーではなく、三浦を含めたあのプレーに至るまでの過程とリスク管理のところだろう。結果的に三浦がアシストするような形になってしまったのは事実だが、あの状況とあの体勢から外に掻き出す事は物理的にしんどかった。セレッソのカウンターそのものを讃えるか、あそこにアダム・タガートがいた事を不運と恨むしかない。だが、不運とは言い方を変えれば運が向こうに転がったという言い方も出来る。選手全員が限界ギリギリのところで戦っていた柏戦、そのほんの僅かな運の多くはガンバに転がった。前半をリードで終えた事は別にそこまで偶然の産物ではなかったと思うが、柏戦と同じで後半をリードしたまま耐え抜くには運に頼らなければならない立場だったのはガンバの方だったのは言うまでもない。

人間は節々のラッキーとアンラッキーを引きずってしまう生き物だ。無意識だとしても、それは自分が自覚しているよりも遥かに強く。猛攻に耐え続けて掴んだ唯一のチャンスからカウンターを喰らった事、三浦のブロックがあんなところに転がってしまった事、そもそもこの試合前の時点でガンバが置かれていた状況…その全てが重なった瞬間、ガンバにとってまるで全ての運に見放されたような感覚に陥っても無理はない。仕事にせよ勉強にせよ、追い込まれれば追い込まれるほど能率を失う経験はみんなが持っていると思う。あの日、ピッチ内で起こっていたのはそういう現象だった気がする。同点に追いつかれてからは同じ映像を繰り返すしかなかったし、奥埜の挙げた逆転ゴールもその一部に過ぎなかった。1-2になってからの時間、ビハインドは僅か1点である事を忘れてすらいた。

 

 

 

そしてあのシーンである。

私は現地で観ていたが、"その瞬間"はちょうど一瞬目を逸らした瞬間に訪れた。最初は単なる乱闘かと思ったが、よくよく見れば争いの輪の中にピンクのユニフォームがいない。その争いの輪の真ん中にいた人物は遠目でも分かったが、何がどうなってそうなったのか、スタンドで慌ててDAZNを開いて発端を確認した。

 

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サッカーはFWもDFも専門職だ。お互いのやりたい事とお互いに求めている事は、どれだけ戦術が統率されたチームでも相違は必ず生じる。古くは中田英寿福西崇史の口論に代表されるように、それを強い口調で吐き出して擦り合わせる事はよくある話で、去年のガンバの公式DVDで昌子と矢島慎也の口論のシーンが取り上げられていたように、昌子とペレイラの口論はそれだけを切り抜けば珍しい話じゃない。だが、それは本来ロッカールームで、或いは練習場でやるべき事。あの場面であそこまで感情をストレートに出してしまった昌子もそれに食ってかかったペレイラも、二人とも完全に理性を超えてしまった。その時点で"どっちか"ではなく"どっちも"悪い。いつも世間は「どっち派」のフィルターで物事を捉えようとするけれど、あの場面に対する答えとしてはそれ以外にない。

 

ただ、どちらの状況…状況というか、あのシーンに至るまでの背景は理解は出来るし、想像はつく。

同点に追いつかれてた時、その現実に最もショックを受けた一人が昌子だったと思う。前半の昌子の働きは素晴らしかった。だがその一方で、或いはそれゆえに、じわじわと追い込まれていく自分達の状況も強く自覚していた部分があったのだろう。にも関わらず同点ゴールを奪われ、あの時点で繋ぎ止めていたチームの糸が切れた。昌子自身の体力的な疲労も限界だったはずだ。体力的に追い込まれれば短気にもなる事は我々自身も少なからず経験があると思う。1点ビハインドの終了間際、あのスローインの時、明らかに攻守の切り替えが遅れた瞬間に昌子の中での何かが爆発したというか、壊れた。1点ビハインドという中での消極的な動きに、元来気持ちが強いと知られる彼ゆえに。1点ビハインドを追う気持ちがあるなら尚更やってはいけない行動だったとは思うが、あのシーンに繋がるまでの過程を踏まえれば、何らかの形で爆発してしまうのは自然な流れだったのかもしれない。昌子の理性に注ぐ最後のトドメがスローインの時の味方のリアクションだったんだと推察する。

 

一方でペレイラの場合、彼は彼で難しい立場だった。彼が受け取る高額年俸やペレイラの前に9番を背負ったアデミウソンの存在もあって、一部のガンバファンからヒール的な目ですら見られる事もある彼だが、最近の彼は持てる力の片鱗は出しつつあると思っている。もちろん、彼のプレースタイル的には広島時代のように得点を獲らなきゃ意味がない部分はあるので批判されるのは仕方ないが、可能性を示している試合は今季はかなり増えているように感じていた(あの年俸だぞ、可能性を示すだけじゃ割に合わないだろ的な批判はもっともだとは思うが)

だがその矢先にパトリックが離脱した。柏戦とセレッソ戦のペレイラに課されたタスクは相当しんどかったと思う。「長身のセンターフォワード」という一点で近い括りに見られる事も少なくないが、パトリックとペレイラは長所も短所も全く違う2人で、昨季のペレイラが上手くいかなかったのはガンバが彼にパトリック的な役割を求め過ぎた部分はある。逆に今季はパトリックと併用される機会が増えた事や、チームとしてポゼッション主体に戻した事から、去年よりは彼のスタイルに近いところでプレー出来るようになっていた。だがパトリックが離脱した柏戦とセレッソ戦では、ペレイラのスタイル的な動きに加えてパトリックのタスクまで要求されていたように思う。それが指示としてあったのかどうかはわからないが、無意識にでもそれを求められていたようには見えた。そして前半のペレイラは、その難解なタスクを彼なりに何とかこなせていたようにも見えた。

しかし後半、あのような展開になる。元々体力的に強みを持たない彼にとって、2試合連続で猛攻を受けながらタイプの違う選手のタスクまで背負って90分戦う事は我々が想像するより遥かに過酷な事だろう。ペレイラペレイラで限界寸前だった。そして昌子のアクションに対して、彼も何かがはち切れてしまった。2人のあのシーンに至るまでの背景に関してはなんとなく想像はつく。

 

ピッチ内でやってはいけない醜態だったのは間違いない。当事者としての2人にはそれぞれの言い分があるだろうが、晒した醜態という点に於いては2人に弁解の余地はないはずだ。

とはいえ、比較的感情を表に出すタイプの2人が象徴になっただけで、ガンバが試合展開以上に精神的に相当追い込まれていたのは事実だろう。柏戦で体力の限界点に達してしまったガンバは、タガートに決められたあの同点ゴールで精神的な限界点も超えてしまった。それはピッチから滲み出ていた。だからこそ見ている側としても辛かった。とにかく辛かった。悔しいとか残念とかじゃなく、ただただ辛かった。清武が余裕を持ってボールを持ち、周りの選手がのびのび動くセレッソの姿を、ただただ眺めるしか出来なかった。

 

 

昌子、そして三浦の2人に関しては、違う意味での限界点にも到達していたと思う。

「リーダー不在」と言われることも少なくないガンバだが、個人的にはリーダー格と言うべき選手のタイプ的なバランスは悪くない、むしろ良いとすら思っている。今のガンバでリーダー格と言うべき選手は主将の倉田、副将の三浦と宇佐美、そこに東口と昌子を加えた5人だと思うが、比較的温厚なタイプである倉田と三浦がトップにいて、その2人をキャプテン職の少し後ろからサポートする形で東口と昌子という厳しいゲキを飛ばせる2人がいる。キャラクター的に宇佐美はこの2タイプの中間と言えるだろうか。そういう人間的なバランスはかなり良いと思うし、第3節川崎戦の後の観戦日記ではそういうニュアンスの事を書いた。

 

 

だが、開幕から東口が離脱し、川崎戦で負った怪我で宇佐美が長期離脱。倉田までもが負傷により欠場が長引いている。その上でチームとして煮詰まるような、ささくれ立つような逆境に陥り、三浦と昌子の2人を苛む葛藤も肥大化していった。

 

個人的には、倉田か宇佐美のどちらかでもいれば、少なくともチームに蔓延する絶望的な空気を少しはどうにか出来たんじゃないか、という気も少しする。「"名前"と"実績"は無意味」とはよく聞くフレーズだが、心理的な側面に於いては必ずしも無意味だとは思わない。もちろん名前と実績を盲信して選手選考に影響を与えることはあってはならないが、実績は時として拠り所にもなる。

単純に選手個人としての実績で言えばこのチームでは昌子が一番だろう。だが倉田と宇佐美には実績というより、いわゆる「ガンバの象徴」に近い意味でのパーソナリティを持っている。精神論的な事というか、スピリチュアル的な事を言い出したように聞こえるかもしれないが、そういう存在が一人いるかどうかは意外と馬鹿にできない。特に昌子は鹿島で小笠原満男の存在を感じながら生きていた分、その事を誰よりも身に沁みて理解していると思うし、それ故に倉田も宇佐美も失った中でチームをまとめる難しさを感じていたように見えた。それは三浦にも同じことが言える。だからこそ、ダービーが終わった後…憤るゴール裏に近いところまで行こうとした昌子の後に三浦だけが付いていった光景には、個人的に熱くなるものを感じた。

 

 

おそらく今の昌子の苦境を一番理解出来るのが三浦であり、逆もまた然りなのだろう。その後のサポーターの愚行については、ここではもう触れない。

 

 

 

ピッチの上では体力的な限界点も精神的な限界点もとっくに超えてしまった姿があった。それは試合を見るだけでも察してしまったし、それが明確に可視化されてしまうようなシーンも起こってしまった。相手がどこだろうと、自分の人生で現地で観た試合でトップクラスに辛い試合だったし、それが大阪ダービーだったらこそ、その辛さは最大化されてしまった感覚がある。

顔から正気を奪われたガンバサポの傍らにいた、あの数名のセレッソサポーターの眩いばかりの笑顔は脳裏に焼き付いていることだろう。少なくとも、次に大阪ダービーでの勝利を手にするその瞬間までは。その時には昌子とペレイラが、喜びの感情を爆発させてぶつけ合っている姿を願ってやまない。

 

 

ではでは。