【さよならシンボル〜ガンバ大阪、2021年シーズン総括ブログ】
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暫定監督ではなく、正式監督として最初の試合となった第19節湘南戦は低調な内容で0-0の引き分け発進となった松波正信体制。だがガンバに時間などない。6月16日に天皇杯2回戦の関西学院大学戦を戦ったガンバは、6月19日にはウズベキスタンに向かう飛行機に乗り込んでいた。言うまでもなくACLという大会への出場は名誉であり、そしてここ数年のガンバが渇望し、求め続けていた舞台である事に変わりはない。
だが、大会のレギュレーションを含めて…この年のガンバにとってタシュケント行きの飛行機は、色々な意味で片道切符と表現出来るようなものだった。ウズベキスタンで過酷な3週間を過ごし、帰国した後には真夏の15連戦が待ち受けている事を誰もが知っていたからである。
ウズベキスタン遠征には自身もプロとしてJリーグやACLでのプレー経験を持つ森安洋文氏が英語通訳として帯同したが、彼が帰国後に書いた記事を読むだけでもその過酷さの一端は伝わってくる。ガンバは日本勢として最も多くACL出場経験を持っているとは言ってもACL自体2017年以来だし、そもそも今回に限っては過去のACLでの経験値など参考にならないレギュレーションだった。ウズベキスタンの過酷な気候、練習場や試合会場の劣悪なピッチコンディション、不調な上に怪我人続出なチーム状況、加えてACLを主催するAFCのおざなりな運営……その上で中2日で、3週間で6試合を戦おうというのだから、それはもはや正気の沙汰ではない。
今思えば、ガンバにとって今年のACLはミッションインポッシブルに近いものがあったのかもしれない。松波監督の登板も続投も完全にスクランブル的な人事であったし、2012年の降格を松波監督の責任には出来ないが、監督として結果を出した人物という訳でもなく、そもそも現在ではフロントとして力を奮う人材という位置になっていたので、監督業からは半分フェードアウトしていたとも言えた。近年はヘッドコーチに戦術的ブレーンを置く体制も多いが、宮原裕司コーチも依田光正コーチも恐らく、少なくとも宮本恒靖前監督体制に於いてそういうポジションではなかったと思う。しかも怪我人が多いとは上にも書いたが、怪我をしていない選手のコンディションも上がってこない。このACLの時点である程度好調だったのは東口順昭、パトリック、矢島慎也くらいだった。
更に言えば、チェンライ・ユナイテッドに一度も勝てなかったのは完全にガンバの責であるが、1チームしかストレートで決勝トーナメントに進めない今回のレギュレーションの中で韓国王者の全北現代と同居してしまう不運もあった。結果としてガンバは日本勢として唯一のグループステージ敗退という屈辱を味わう事になるのだが、ユースチームを派遣してきた中国勢の事情も含めれば他の3チームと比べて圧倒的に苦しい組に入ってしまったのは否めない。……そして、もちろんACLを最後まで勝ち進んで欲しいと思って応援していた気持ちに疑いの余地は無いが、その一方で帰国後のスケジュールを見た時、もし勝ち進んでしまったらどうなってしまうのだろう───選手はそんな事は無いとは思うが、見ている側としては「勝ち上がってしまう事」への恐怖すら感じざるを得ない状態にガンバはいた。
7月10日、4年ぶりとなるACLは全北現代戦に1-2で敗れたその瞬間に幕を閉じ、7月12日には帰国。そしてバブルの隔離先のホテルに入った。だが、本当の地獄はここから始まる。
ACLに出場した4チームは帰国後もホテルで2週間の隔離生活を送りながら7月17日のリーグ戦を戦わねばならなかった。過酷すぎるACL終了直後にも関わらず、ホテルでのバブル生活ではトレーナーにケアやマッサージを受ける事さえも出来ず、ガンバのみならず川崎も名古屋もセレッソも7月17日の試合には相当苦しい状況の中でで挑んだ事だろう。だが、彼らにとってACLが6〜7月開催となった事は結果的にポジティブに働いたと思う。2021年のJリーグは東京五輪開催に伴う中断期間が設けられていた為、オリンピックに参加する選手以外は帰国後に1〜2試合頑張ればそのまま中断期間に突入出来た。
だがガンバは違う。3月に中止となってしまった6試合は第11節名古屋戦を除いて東京五輪による中断期間に組み込まれる事になった。バブルが終われば中断期間に入るチームがいる中で、ガンバはようやくバブルが終わったかと思えばすぐに北海道に移動しなければならなかった。ほぼほぼバブル続行みたいなものである。真夏の15連戦という言葉はよく耳にしたが、DAZNのドキュメンタリーで宇佐美貴史が「僕らからすれば(ACLを含めて)21連戦ですよ」と言ったように、ここからのガンバはまさしく「壮絶」という言葉がしっくりくる状況に陥る。
ガンバの日程をざっと並べてみるとこのようになる。
6月16日 天皇杯2回戦 vs関西学院大◯3-0(H)@パナスタ
6月19日 ウズベキスタンへ移動
7月1日 ACL③ vsチェンライ・U△1-1@タシュケント
7月4日 ACL④ vsチェンライ・U△1-1@タシュケント
7月12日 日本に帰国、バブル生活開始
7月27日 バブル生活終了
7月30日 J1第4節 vs札幌◯2-0(A)@札幌厚別
8月3日 J1第5節 vs仙台◯1-0(A)@ユアスタ
8月9日 J1第23節 vs徳島●1-2(A)@鳴門大塚
8月13日 J1第24節 vs清水◯1-0(A)@アイスタ
8月21日 J1第25節 vsFC東京△0-0(H)@パナスタ
8月25日 J1第26節 vs横浜FC●1-3(A)@ニッパツ
8月28日 J1第27節 vsC大阪●0-1(H)@パナスタ
9月1日 ルヴァン杯B8① vsC大阪◯1-0(A)@ヨドコウ
9月5日 ルヴァン杯B8② vsC大阪●0-4(H)@パナスタ
15連戦最初の6試合は4勝2敗とまずまずの滑り出しを見せた。だが、ウズベキスタンから続く蓄積疲労を軽減できないまま突っ込まざるを得なかった連戦が与えるダメージは既にピッチ上にも表れていた。試合内容は勝敗を問わずすこぶる芳しくなかった。そこに疲労が追い打ちをかけ、不調と疲労が雪だるま式に膨れ上がっていく。その成れの果てがルヴァン杯のC大阪戦での大敗であり、15連戦終了後の第28節仙台戦、第29節鹿島戦での体たらくだったのだろう。
この時の松波監督の苦悩は想像を絶するものだったのは想像に難くない。ここまで来ると優秀だからどう、優秀じゃないからどうとかそういう次元でさえ無かったと思う。
内容改善を求める声や戦術性の無さを指摘される事、そしてその上で批判が集まる事は彼らがプロであり、それで食べている以上ある程度は仕方ないだろう。一方で、じゃあそれが現実的に可能だったか?と言えばそれはそうではない。この時期のガンバの1週間のスケジュールは大体こんな感じになってくる。
土曜日→公式戦
月曜日→オフ
火曜日→前日練習
水曜日→公式戦
金曜日→前日練習
土曜日→公式戦
これにアウェイゲームが入れば、当然ながら移動も絡んでくる。ガンバ公式YouTubeだったのもあって明るめの口調で語ってはいるが、昌子源の「帰ってきたらすぐ前日移動とかになってるんで、子供が『またおらんやん』ってなってるから…」というコメントはなかなかに重い。アウェイの札幌戦・仙台戦が2試合続けてだった事と、ルヴァン杯の相手がセレッソだったのはガンバにとって不幸中の幸いだった。ルヴァン杯の相手がセレッソになった時、私が少しホッとしたのはセレッソという相手がどうこうではなく、ただただアウェイ移動の負担が最も少ないチームを引き当てた事に他ならない。逆に言えば、日本国内での話なのに対戦相手ではなく移動距離を最優先で気にし始めるようになってしまった事実を痛感させられた。
話を戻すと、要するに試合内容を改善する為のトレーニング……戦術的な練習であったり、前の試合のフィードバックであったりという練習は全くもって出来なかった。例えば特別指定選手として一部チーム活動に帯同した山見大登はデビュー戦となった第24節清水戦でヒーローになったが、昌子曰く「この連戦が続いている状況下、僕らは日々、リカバリー、移動、試合、という毎日で練習はほとんどできないし、当然ながら山見とも一緒にゲーム形式の練習をやったことはありませんでした」というぶっつけ本番の状況だったという。試合が終わればすぐに試合がある。練習が試合の為にある以上、最優先でやらなければならないのは疲労を少しでも和らげる為のメニューになってくる。成績が成績だったから「もっと練習しろ」なんて一部ファンの声もあったりしたが、この状況で強度の高い練習なんてやろうものならその先にはもっと悲惨な結末しか待っていないだろう。そんな状況であるがゆえに、チームにチームとして向上出来る余地は殆ど無かった。言うなればこの時のガンバは、飛行機が片側のエンジンから火を噴いているのに飛び続けているような状態だった。修理しなければならないのは誰もがわかっている。だが修理する為にはどこかで着陸しなければならないし、そして着陸できる場所はどこにも無かった。着陸出来る場所を無理矢理飛行しながら探す以外に手立てが何も無かったのだ。
更に松波監督を悩ませたのがメンバー構成だである。ただでさえ複数の主力選手を怪我で欠く中で、松波監督は「使いたい選手」ではなく限られた「出場可能な選手」を使うしかなかったし、その辺りの調節を念頭に置いたメンバー構成をするしかなかった。長年ガンバを追い続けている記者・高村美砂氏は記事にてこう書いている。
これは今だから明かせる話だが、実は8月末から9月にかけたこの時期、チームは先の戦いを見据えて新型コロナウイルスのワクチン接種も行っている。もちろん、副反応が出ることも予測して、選手は時期をずらして接種するなどの工夫はしていたが、実際に発熱や倦怠感といった副反応に苦しんだ選手も多く、試合前日まで高熱を出して練習に参加できないとか、試合当日になって準備してきたメンバーでは臨めないといったアクシデントに見舞われたこともあった。
つまるところ、松波監督にすら明日の試合に出るメンバーに確証を持てないという状況になっていた。試合内容の低調ぶり、必然のように下降する成績…松波監督がピッチ内のパフォーマンス向上に繋がるような何かをする事はもはや不可能ですらあった。采配や指導ではなく、調整に全てのリソースを割く事でしか消化できなかったのがこの21連戦だったのだ。
選手個々のコンディションも然りである。前述のように怪我人が元々多かったという状況に加え、この連戦は疲労でコンディションを落とすのはもはや不可避であり、怪我のリスクも同様に高まっていく。更に前述の高村氏曰く、このような事情もあったそうだ。
新型コロナウイルスに感染した選手の数人が、後遺症に苦しめられていたのも事実だ。倦怠感、呼吸困難、脱毛、睡眠障害、記憶障害、集中力の欠如ーー。新型コロナウイルスに感染した一般の方と同じように、選手の数名は経験したことのない体の異変を感じ、不安を抱きながら試合を戦い続けたと聞く。もっとも新型コロナウイルスの後遺症の原因は未だ不明とされており、症状が数値などに表れることもないからだろう。プロアスリートとして「数値に出ない以上、言い訳をしていると思われたくない」という感情も働いて、休むこともなく戦い続けた。
この頃になると、改善の見えない試合内容と日に日に悪化する試合内容、特に大阪ダービーでの体たらくや第26節横浜FC戦、第28節仙台戦と下位相手に3失点を喫して敗れた事で、松波監督の解任や辞任を求める声は大きくなっていた。ただ、現実問題としてガンバは松波監督を解任できるような状況では無かったし、松波監督も辞任できるような立場では無かった。その事を誰よりも認識していたのはおそらく松波監督自身だったのだろう。2021シーズンに於いて、自分が「後任になり得る最後の人材」であると。
第2話でも触れたが宮本監督を解任したガンバは、後にパリ五輪を目指す日本代表監督に就任した大岩剛氏にオファーを出し、決裂。その結果として松波体制の継続を決断している。その際にガンバは「①現時点において、条件面含めガンバ大阪が求める監督がマッチしなかったこと」「②今シーズン過密日程の中、外部からの監督招聘による新体制でのチームづくりに時間的余裕がないこと」「③松波監督体制におけるチームの団結力が日々向上していること」「④松波監督体制において、チャレンジングな試合内容へと変化しつつあること」の4点を継続の理由として挙げたが、この発表がクラブから出た時、特に③と④の部分に多くの批判が集まっていた。当時のチームの状況としては下位相手に2連勝を決めただけであり、それを成績向上の評価と判断するのはあまりに安易すぎるのではないかと。クラブのこの人事を好意的に捉えた人はほぼいなかったと記憶しているし、それは私も同じだった。
だが「大岩氏に断られたから松波監督でいきます」と公式として言う訳にもいかない。今思えば、③と④に関しては後付けというか所詮お飾りの理由に過ぎず、結局は①と②が全てだったのだろう。ガンバ側が理想として考えていたのは、おそらく6月に入るまでに新監督を確定して6月2日の第19節湘南戦までを松波暫定監督で戦い、次の試合まで2週間空くこのタイミングで新体制を始動。6月16日の天皇杯を初陣にACLに突入する…という流れだったのだろう。宮本監督を解任した時点で後任候補を特にリストアップしていた訳では無かった以上、その流れが自然である。
だが、この状況でガンバの監督オファーを受ける決断を監督側が容易く下せるものだろうか。自分を大岩氏の立場と視点に置き換えて考えれば、自分がもしあの時のガンバからオファーを受けたとして考えればしっくりくる。
初陣まで2週間あるとはいえ、その後は3週間のウズベキスタンがあり、帰国後には15連戦が待ち受けている。前述したように、新監督がどれだけ戦術的な思考を持っていたとしてもそれを落とし込むトレーニングなんて出来る時間はない。だが試合で低調なパフォーマンスを見せようものなら烈火の如く批判を受けるだろうし、それはこの時点でかなりのハードルとなっていたACLでも同じ事である。例えばもし、ウズベキスタンでのACLの結果を度外視し、3週間の遠征をキャンプとして扱う事が許されるのなら監督も一考の余地があったのかもしれないが、今回は特に多方面の苦労が募っての大会になった以上、結果を最優先せずに考えることをクラブやリーグが許せる訳もない。松波体制継続の要因に挙げられた②は切実な問題なのだ。今年は東京五輪に伴う中断期間が設けられていて、その期間を使って短期キャンプを行うチームもいたが、ガンバには、そして新監督にはその中断期間さえも与えられない。
そして曲がりなりにもガンバ大阪は世間的には戦力も資金もあるチームと見なされており、何より前年2位になったチームなのだ。実情はどうあれ、ガンバが降格しようものなら「前年2位のチームを降格させた」という事実だけが履歴書に残る。それはこの時点でJFA所属となっていた大岩氏でなくとも、たとえフリーの監督であったとしても、そのリスクを考えれば簡単に請け負える話じゃない。外部でオファーを快諾してくれる人材など、良く言えば先入観がない(悪く言えば予備知識のない)外国人監督、或いは仕事を選べる立場にない監督くらいしかいないだろう。新シーズンからであればともかく、オファーが届いた立場からすればあの時点でのガンバからのオファーを受諾する事はそれだけのハードルとリスクでしかなかった。
宮本監督を解任した時点で、もう後任候補になり得るのは松波監督しかいなかった。J1での監督経験者で言えば和田昌裕取締役GMや森下仁志ユース監督もチーム内部にはいるが、前者は指導者としてはセミリタイア状態であり、後者はトップチーム監督としての実績とユース監督としての手腕を踏まえた時、トップチームに担ぎ上げるのは誰もが不幸になる結末と言えた。宮原コーチや依田コーチもS級ライセンスは有してはいるが──。そしてその事を誰よりも理解していたのは他でもない松波監督自身だったのだろう。「辞任しろ」という声も確かにあったし、進退の是非を問われても仕方ないだけの結果と内容だったのは否めない。だが監督が辞めるという事は新たな監督を据えなければならない。それを踏まえると松波監督は辞任さえも出来ない立場にいた。松波監督にとってのこの半年間は責任感だけで動いていたのだろう。
実際問題として、松波監督を監督として肯定する事は実績等を踏まえると難しい。仮に2022年シーズンも続投とか言い出していれば、それはさすがに話が違うし、支持もしていないと思う。だが2021年に関して言えば、松波監督の置かれた状況と課されたタスクはJリーグ史上でも相当な難易度であり、あの状況で最終的に残留まで持っていったのは口で言うほど簡単なタスクではなかった事は忘れてはいけない。2012年しかり、松波正信はやはりミスターガンバだった。それだけは確かである。
長かった21連戦がようやく終わる。終わったとは言っても、試合間隔が通常に戻っただけで時間が与えられた訳ではない。この21連戦のオーバーワークを突きつけられたのは連戦明けの第28節仙台戦や第29節鹿島戦だったとも言える。
4連敗、14位。視界は到底明るくなどなかった。だが9月末になり、ようやく微かな光が差す。ガンバ史上最悪の1年は終わりに近づき始めた。
つづく。