大迫勇也が右脚を振り抜いてからの数分間を、あまりよく覚えていない。
目の前で神戸の選手が飛び出して歓喜の輪を作った光景から、御崎公園駅に向かう帰り道で「うわっ、カメムシ付いた」と言った友人に、厳密に言えば友人の肩に付いたカメムシに「きみ、FWとか出来る?」と言い放つまでの記憶が飛んでいるのだ。
クダを巻くように吐いた冗談でひと笑いを取れたのは良かったが、3厘くらいは本気だった自分が極めて怖い。大迫が決めてから試合終了までは1〜2分くらいはあったはずだが、その時間を自分がどう過ごしたのかを全く覚えていない。
うっすらと覚えているのは、スタジアムから逃げるように去ったコンコースの中で、彼らにとっての英雄が誇らしげな顔でインタビューを受ける姿と、人の行き交うコンコースで何人かが英雄の表情を足を停めて眺めていた姿だった。その光景を「何が起こってるの…?」と思いながら、遠いのか近いのかよくわからない出口へと歩を進めた。
今となっては、なんでここにカメラを向けたのかもわからない。記憶すら飛ぶほどの精神状態の中でもこれを写真として収めた辺り、この光景は無意識的に何か思うところがあったのだろうか。単にブログを書く時の写真は多くあった方が良いと思って適当に撮ったのだろうか。わからない。もうわからない……。
今日のスポーツ観戦日記は、2022年9月18日にノエビアスタジアム神戸で行われた明治安田生命J1リーグ第30節、ヴィッセル神戸vsガンバ大阪の観戦日記である。
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基本的に試合を観た後、私はこのブログ上でマッチレビューなるものを更新している。
ただ、マッチレビューの全てを試合後に書き上げている訳ではない。試合前の部分、いわゆるプレビュー的な部分は試合前の時点で基本的に書き切るようにしている。
その理由は上に貼ったNoteにも似たような事を書いたが、試合前のところで書くべき事は「その試合の意味や位置付けの説明」だと思っている。わかりやすく言えば、この試合で勝ったら優勝だとか、負けたら降格だとか、これがシックスポイントゲームである事だとか──。
なぜこの部分を試合前に書いているかと言えば、まずシンプルにその方が試合後の作業が楽になるという効率的な理由が半分。そしてもう半分は、おそらく試合の説明の部分を試合後に書いてしまうとどうしてもその部分を書く作業にも結果が脳裏に過ってしまうからだ。試合前の、いわゆる結果を知らない状態で書いておいた方が、この試合の位置付けをフラットな状態で表現出来る。
その上で、マッチレビューに記したこの試合を前に書いた"結果を知らない状態"での試合の説明の文が以下になる。
どちらにとっても、これが全くもって望んだ形では無かった事は確かです。ただそれでも、一つのクラブにとって、一人の選手、一人のファンにとって、クラブ史に残るであろう大一番は、その歴史の中で何度訪れるでしょうか。今日の試合は言うまでもなくそういう試合で、このステージでは戦いたくなかったという気持ちをお互いに抱えながらも、この試合でどっちが勝つか……それは単なる一喜一憂ではなく、近い将来に留まらないクラブの歴史を左右すると言っても決して大袈裟ではないでしょう。
その意味は両陣営とも強く認識していたはずだ。というよりは、順位表を見ればどれだけ鈍感でありたくてもこの試合の意味にぶつかる事を避けられない。そしてそれはノエスタに来ていた全員に近い人数が感じ取っていた。
この日、私は訳あって神戸側のスタンドで試合を観ていた。近場のアウェイとは言え、試合前のライトアップ演出を含めてここまで仕上げてきたガンバのゴール裏には誇らしさを感じた。
一方で、これに関しては神戸も凄かったと思う。観客数の減少が叫ばれる昨今、よっぽどキャパシティの少ないスタジアムでもない限り、スタンドは空席が目立つ。コレオグラフィーはゴール裏以外ではなかなか成立しないのだが、バックスタンドでコレオを成立させるぐらいに観客は埋まっていた。
試合前にライトアップ演出を行うクラブは最近増えているが、スタンドの四面全てであそこまで光るケースはそうそう目にしない。
仮にどちらかに肩入れする立場じゃなかったとしても、試合前の光景は圧巻に感じただろう。それだけに、この光景は両チームにとって賽は投げられた事を可視化するような光景だった。それがお互いにとっての"望まぬ歴史的決戦"の始まりだった。
前半は確かに神戸ペースではあったし、基本的には神戸のターンが続いていた。実際、ファウルで取り消されたとはいえ10分には武藤嘉紀に一度ネットを揺らされている。ガンバの攻撃機会がそう多くなかったのは事実であり、神戸にとって良い前半だったと言えるだろう。
とはいえ、じゃあそれがガンバにとってそこまで悪い前半だったかと言えばそうとも思わなかった。前節のFC東京戦が内容的にも良い試合を出来ていたところもあって確かに良い前半とは言わない。だがそもそも、今のガンバは試合の主導権を握る事を前提にした設計はしていない。それをすゆつもりなのであればそもそも片野坂前監督を切ってはいない。こういう展開は織り込み済みだと思えば、2トップと右サイドのブラジル人トリオでカウンターの糸口は作れていたし、神戸の攻撃は三浦弦太と昌子源のコンビを中心に決定的なシーンになる前に上手く弾き返せていた。
こればっかりは善し悪しの話ではなく、その功罪は時と場合によって変わるが、片野坂知宏監督のサッカーではCBに求められる"CB離れした技術"の割合が大きかったと思う。三浦弦太やクォン・ギョンウォンはCBという以上にフィールドプレーヤーとして器用なタイプだった。福岡将太もこの部類に入ってくるだろう。一方、昌子源はどちらかと言えばCBとしての守備に特化した専門家的な部分が強いように感じていた。これは佐藤瑶大にも同じ事が言えると思う。それゆえに本人のチャレンジ精神とは裏腹に、前体制では歪みとなってしまった部分は否めなかった。ただ、松田浩監督体制になってからは"CBらしいCBの仕事"が求められるようになった。やっぱり構える事を前提にした守備をやらせれば昌子源という選手はまだまだ一級品だと思う。そして何より、チームの低迷で見落とされがちな三浦の今季の"絶対感の増し方"は過小評価されてはならない。
前半は神戸ペースでこそあったが、今の望まぬスタンスを採らざるを得ないガンバだからこそ、改めて感じさせる価値は見出せた前半だったように思う。なんにせよ、前半の時点では勝機は十分にあると感じていたし、9月3日に現地で観戦した京都vs神戸から想像以上に神戸が立て直してきた事への驚きと不気味さはありながらも、そんな悲観するような内容としても見ていなかった。
後半、神戸は大迫勇也を投入し、システムを変えた。相手は大迫と武藤の2トップ、此方はそれを昌子と三浦のCBとGK東口順昭で迎え撃つ。ロシアW杯から4年、カタールW杯を目前にして、彼らがこのステージでの大一番を戦っている時に一抹の切なさもあったが、そんな感傷に浸れば浸るほど没落は迫る。
0-0で入る後半は………勝者にとっても敗者にとっても、もう戻れない旅に足を踏み入れてしまった事を歓喜と屈辱の裏に突きつけられるような展開だった。これは神戸側の視点に立ったとしても、アディショナルタイムに得点を取ったのがどっちだったとしても、お互いに共通して言える事だったように思う。
正直、勝ったと思った。
後半のガンバは素晴らしかった。神戸がシステムを変更し、ミラーゲーム的な構図になった事はガンバに有利に働いたのだろうか。パトリックのゴールがオフサイドで取り消された時も得点は時間の問題だと感じられたし、先制点の場面は黒川圭介がボールを持った時点で決まったと確信した。
確かにその後の神戸の猛攻には迫力があったし、なによりもガンバは今季類似するトラウマが実に多い。だが、その流れは名古屋戦である程度払拭出来ているはずでしょう…?ましてや、1点を守るシフトを敷きつつも、2点目の可能性を見せられていた。流れは間違いなくガンバだった。時に非科学的な力が加わってもおかしくない「入っていてもおかしくないシュートが入らない」現象はこの時、神戸の方に起こっていた。むしろ、神戸の猛攻には徐々に焦りの色さえ出始めていた。
順位は神戸の方が下だ。敗北時の意味の重さは当然、神戸の方が大きい。その状況で猛攻が空回りする恐ろしさはきっとその立場になって初めて知る。優勝争いは気が楽…なんて事は無いが、常にポジティブなエネルギーと共に戦う事が出来る。「自分達が勝ち続ければ結果はついてくる」と思えるし、その綺麗事のようなセリフはこれまでに積み重ねてきた勝点が根拠となって、綺麗事ではなく現実的な心の支えになる。だが残留争いはそうはいかない。担保に出来るような勝点がない。だから常にその時々の有利・不利に一喜一憂し、その時々の流れに過剰なほど敏感になってしまう。言うまでもなく、それは自分達の支柱となってくれるほどの勝点が無いからで、それについては神戸だって同じなのだ。要は残留争いは、自分達を信じて戦う事のできる優勝争いと異なり、常に危うい均衡で戦わなくてはならない。
先に言うが、もう散々大きな話題になっているので判定の云々についてここで書こうとは思わない。そしてVARというシステムそのものは必要なシステムだと思っているし、それを否定するものではない。だがVAR、そしてOFRとはつくづく恐ろしいシステムだと感じた。
VAR程度であればともかく、OFRは割としっかり"間"が空く。それで勝敗が決まる訳ではないが、空気感だけで言えばボクシングの判定勝ちを待っているような気分になるのだ。
要は何が起こるかと言うと、OFRが終わったその時、特にこの日のような満員のスタジアムでホーム側に判定が転ぶと、それはゴールが決まった時…いや、それ以上の盛り上がりが生まれてしまう。これはレッドカードでも得点判定でもなく、PKの判定でこそより顕著になる。実際、PKが判定されたあの瞬間からノエスタの空気はおかしくなった。何か異様な、過去に数度訪れたこのスタジアムで見た事のない雰囲気になってしまった。神戸の選手の何人からスタンドに向かってオーバーに煽っている。雰囲気で試合が決まるなんて非科学的ではあるが、これを非科学的と言えるのは上位のチームだけで、支柱を持たない揺さぶられやすい下位のチームにとってはこの異質な雰囲気が異常なまでにパフォーマンスに影響してくるのだ。ましてや神戸は判定な方があった事で利益を得た立場である。大富豪で言うところの革命でも発生したかのような気分である。ましてや自分はこの日、神戸側に座っていただけに突きつけられるようにそれが伝わってきた。
ガンバはもう、向かい風を受けるしか無くなってしまった。残留争いの移ろいやすい風向きはこの瞬間、全て決まってしまった。審判が原因とは言わない。もちろん、ガンバが積み重ねてきた難点に目を背けてはいけない。異質な盛り上がりになった空気と流れを活かした神戸も賞賛されるべきである。だから審判に全ての敗因を求める事が間違いなのはよくわかる。だが一方で、この試合、あのOFRの前と後を現地で見てしまうと……「審判は結果に対して何も関係ない」とは言えない。言えない………。
鈴木武蔵のパスミスも、相手を追い切れなかったダワンも、そして前半はパーフェクトだったにも関わらず小田裕太郎に振り切られてしまった昌子源も……最後の最後に訪れた天国と地獄は、そういう向かい風をチームとして浴び続けた末に訪れた限界と決壊のような瞬間だった。もし仮に神戸が残留したら、この夜は伝説として永遠に語り継がれていくのだろう。大迫は稼働率は良くないが、残留した暁にはこの試合だけで4億の価値があった…みたいに彼らは思うのだろう。この日、ノエスタにいた神戸のファンは誰もがこの試合を生涯の自慢にする。だが、歓喜の裏には悲劇がいる。ガッツポーズを誇らしげに行う選手の裏には膝をついて涙を流す者がいる。サッカーに限らず、それは世の常である。
あの瞬間からの記憶があまりない。時間はまだ1〜2分くらい残っていだだろう。でもあの後、その1〜2分を自分がどうやって過ごしていたのかよく覚えていない。ガンバに同点のチャンスがあったのか、3年目のピンチがあったのかも、ペレイラがロングシュートを打った事をうっすら覚えているだけで、ピッチの選手もスコアボードも、ましてや隣に座った友人の事でさえ全ての事象が遠巻きに、背景のように見えてきた。この前の前の光景は何?何が起こっているの…?ピッチに視線を飛ばす前に、頭の中は空虚な無数の疑問符だけが浮かび上がってきた。
どれだけポジティブに捉えようが、ネガティブに捉えようが、この試合の結果はもう何も変わらない。
ガンバに残されたのは僅か4試合だ。対戦相手への対策やフィードバックは別とすれば、今更チームとしての完成度を向上させる事は出来ないし、そこに試行錯誤している時間はない。この時期で、その作業を行えるチームは優勝にも残留にも絡んでいないチームと末路の決まったチームだけだろう。ここまでくれば、今あるものをどう整理して、どう組み合わせて戦うかでしか残り試合のビジョンを作れない。ただそれでも戦うしかない。残留争いはブレイブメンロードと同じだ。例え残留という向こう側のビルに辿り着き、来季の扉を開けた時の風圧が来ると分かっていたとしても、まずは向こうのビルにどうにかして辿り着かなければならない。右に触れれば死ぬし、左に触れても死ぬ。それでも柱から落ちる訳にはいかないし、雨が降ろうが雷が落ちようが歩き続けるしかないのだ。
非科学的でもいい。再現性なんてなくたっていい。「信じる者は救われる」とか言うなら誰でもいいから助けてくれ。岐路で躓いた者は、もう祈る事しか出来ない。