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【ガンバ考察】ポヤトスは宇佐美貴史をどう考えているのか①そもそもポヤトスがガンバでやろうとしている事とは?

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いやはや、ほんと、今年のガンバは何かと書き応えがあるというかなんというか……。多分、普段のマッチレビューも今年のガンバ戦は例年よりも文字数が多くなっている気がする。

結局は「勝てていない」「リーグ9戦1勝」という現状が全てと言えば全てなのだろうが、毎試合毎に議論が渦巻くテーマが現れている。その中でも先日の横浜FC戦、或いは前々節の京都戦、更に言えば開幕前の時点から懸念していた人がいたのが「果たしてポヤトスサッカーに宇佐美が合うのかどうか」というポイントである。そしてそれはいざシーズンが始まり、宇佐美が1ヶ月ほど離脱し、その間に石毛秀樹がハイパフォーマンスを見せたことでより議論が増えたように感じる。

「やっぱり宇佐美のクオリティの凄みを感じた」「ガンバがボールを持っていない時の守備の軽さは不安」…横浜FC戦はその両面が出た試合だったというか両極端な試合だったが、基本的にはトータル的な宇佐美への評価は高評価的だったように思う。ただし、ある意味ではその煌めきこそがかえって論争を加速させた部分はあるのかもしれない。今のサッカーで宇佐美の適性ポジションはどこなのか、そもそも宇佐美貴史はポヤトスのスタイルに合ってないんじゃないかと……。

 

 

 

ただ、宇佐美とポヤトスが合う・合わないの話を色々眺めると、そもそもそれ以前に「ポヤトスのサッカーとはなんぞや」という点も、実は"スペイン人監督のスペイン式サッカー"のイメージとは異なるものなのではないか…という気もしてきた。

今から書くことはあくまでいち個人の考察であり、推測であり、なんなら感想である(なので何かのソースにするのは危険)。ただ、もしその感覚が実情に近いものを書けていたのだとしたら、元々抱いていた期待以上に期待したい代物なのかもしれない。

 

という訳で、今日はそもそもポヤトスはガンバでどういうサッカーをしようとしているのか、ポヤトスに抱くイメージ…いわゆるイメージしやすいスペイン人監督のサッカーともまた少し違うというか、或いはその応用形とも言えるような形なのではないかみたいなところを考えつつ、そしてその上で宇佐美をどう考えているのか、について考察してみたい。

 

 

 

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徳島ヴォルティスで指揮を執った2人を指し「ポヤトスはリカルドより柔軟性がある」という言説があるが、リカルドがどうなのかはともかく、少なくともガンバでポヤトスが柔軟性を持って仕事をしている事は間違いない。それは沖縄キャンプ中の東口順昭の言葉がそれを如実に表していたように思う。

 

加地亮「徹底的にビルドアップからの攻撃やなあ。(練習や紅白戦を)見ててもな。」

東口「そうですね。でも、監督も『(ビルドアップは攻撃をするための) 手段でしかないから、一発で行けるんやったら行けよ』って。だからそんな固執はしてない。」

 

いわゆる「ペップ・バルサ」が世界を席巻しスペイン代表が隆盛を極めて以降、あらゆるクラブがバルサを目指すようになった。ただ、グアルディオラはおそらく誰よりも「戦術は一つの手段に過ぎない」事を理解していたのに対し、バルサ化が頓挫した多くのクラブはあまりにも追随がゴールのようになり、いわば戦術が目的化し始めたように思う。その後、バルサ的なサッカーに限らず、急速に戦術の多様化して学問性が増すと同時に、戦術が目的になってしまうような傾向は近年一層強くなった。言ってしまえばそれは片野坂ガンバが陥ったドツボであり、そしてカタールW杯の展開はその傾向に対するアンチテーゼだったように思う(下記ブログ参照)。

 

 

少し話が逸れたが、要はポヤトス監督は「戦術はあくまで手段」という部分を強く意識しているように思う。さしづめ、ビルドアップもポゼッションスタイルも「こだわり以上・固執未満」みたいなところだろうか。有用な手段とする為にビルドアップの構築には徹底的にこだわりつつ、一方でそれが全てになってはいけない。一見すれば当たり前のように見えるが、放っておけば戦術を構築する過程では頭でっかちのような状況に陥りかねない。だからこそ「戦術は手段でしかない」とハッキリと選手に示す事は監督のスタンスが窺える。

 

 

 

もっと言えば、それはスペイン人監督に求めがちなポゼッションやポジショナルプレーへのスタンスにも影響している。ポヤトス監督がガンバの監督に就任してから口酸っぱく語っているのは単にポゼッションを高める事ではなく「スペースを作る事」「スペースを見つける事」「スペースを使う事」の主に3点だ。ポヤトス監督は自身のサッカー哲学についてこう語っていた。

 

常に私は"ボールを持つこと"を第一に考えてきました。それによって、私のサッカーにおいてとても大事にしている"時間とスペース"を有効に活用でき、ゲームを支配できるからです。そうしてボールを持ちながらピッチのどこに優位性があるかを把握し、そこを使ってボールを動かし、常に自分たちからアクションを起こしてゴールに近づいていく。

クライフから大きな影響を受けたダニエル・ポヤトス監督が、ガンバ大阪を「本来いるべき場所」に導く-Web Sportiva(高村美砂)

 

ポヤトス監督は逆算的な思考の監督だと思っている。要は「ポゼッションを極める事でゴールを奪う」のではなく「ゴールを奪う為にはスペースを有効に活用する事が重要で、スペースを有効に活用する為にはボールを持つ事が最も大事」みたいな順序であり、その為にはビルドアップを丁寧にやっていかないとね、みたいなスタンスなのだろう。

スポーツは人が絡む以上、それぞれの個性が存在する。プログラミングのように決められたコードで表示できるものではない。これは昨季の片野坂知宏監督でも同じことが言えるが、本人達に「第2の徳島」「第2の大分」を作るつもりは無いだろうし、ガンバも求めていないというか、そもそも求めたところで無理のある話である。ポヤトス監督にしても徳島のニュアンスとエッセンスを用いたメソッドは持ち込みつつも、ガンバに徳島の延長線上を投影しようとしている訳ではない。

少なくともポヤトス監督はポゼッション率を高める為のサッカーをしようと考えている訳ではないはずだ。極端に言えば、最初からポゼッションスタイルのチームを作るつもりもないのかもしれない。あくまでポヤトス監督が求めているのは「如何にスペースを作り、見つけ、使うか」の作業であり、あくまでその作業をしやすくする為の最も確率の高い選択肢がポゼッションであり、ポジショニングの意識を強く持つ事だったに過ぎず、それが結果的にポゼッションスタイルのチームを構築するという事になるのだと思う。要は、スペースに対して出し手と受け手が共鳴さえ出来ていればロングボール一本をズドンでも構わない。それは上述の東口のコメントを読む限りそう捉える事も出来る。

その為、もちろん練習や選手選考に於いてはベースとしての戦術へのコミットが重要視されるが、試合になれば裁量は割と選手に委ねられるところはあるのだろう。ポヤトス監督のそういうスタンスはルヴァン杯大阪ダービー後の、徳島でもポヤトス監督と仕事をした福岡将太の言葉からも伝わってくる。

 

ポジショニングのことを繰り返し言われていると誤解しがちなんですけど、実はダニって、決してそれを絶対にやれと言っているわけではないんです。1つの方法を与えているだけで全部が全部、それをしなくちゃいけないと言っているわけでは決してない。もちろん、練習の段階では、公式戦のように相手がいない中でチームのベースを作っていることもあって、よりポジショニングを求められているような気になるのもわかるし、実際にそれをやらないと試合に出られないのは当然なんですよ。戦術重視の現代サッカーにおいて何でもかんでも自由にやっていいはずもないし、チームとしてのベースがあってこその『変化』でもあると思います。でも試合になれば決して練習と同じ状況、想定していた展開にならないのも当たり前のことで…。だからダニも『アイデアを与えている』という表現をするんだと思います。そういう意味では試合になったら、その時の状況で時に求められているポジションを壊すとか、他の選択をすることもあっていい。

<ガンバ大阪・定期便57>『沼』から抜け出した福岡将太が右サイドバックで示したかったこと。-高村美砂

 

加えて徳島時代と最も大きく違う点として、横浜FC戦後の宇佐美のコメントが「宇佐美はポヤトスのやり方を理解していない(やり方に合わない)」とする根拠のようにもされているが、ガンバでは一定の条件付きである程度のポジションチェンジは許容しているように思う。それは特に、上記の福岡の言葉ともリンクしてくる部分だ。ポジションチェンジよりはローテーションという表現の方が近いとは思うが、4-3-3の陣形を常に維持出来るならば一時的なポジションチェンジ…チェンジというよりはポジション交換的な動きは認めているはず。これは宇佐美のみならずファン・アラーノ辺りでもよく見る動き方だろう。これは宇佐美復帰以降の松田浩監督体制でも見られたパターンであり、あの時も宇佐美がサイドに流れればサイドの選手が中央に入って…みたいなポジション交換があり、宇佐美は自由に動くけど陣形は常に4-4-2をキープしていた。ベクトルや目的は違うが、感覚としてはそれに似ている。とは言えどもポジショニングを大事にしている事は言うまでもないので、両WGは比較的自分達の"持ち場"をベースにプレーするが、例えば石毛やダワンのようなインサイドハーフは自由とはやや異なるが、ポジションを守るのではなくスペースに対するポジショニングというところで、秒単位で変化するスペースの位置を踏まえた上で個々の裁量に委ねているように見える。

その点で言えば、現時点でのポヤトスガンバが目指すところに最も近いゴールは札幌戦での2得点だったように思う。おそらく多くの人が最初にポヤトス監督にイメージしていたようなスペイン式な攻撃にしてはダイナミック過ぎるようにも見えるが、個々の運動量やパスが何本も繋がったということ以上に「スペースを作る・見つける・使う」の連鎖が最も上手くハマったという点に於いて、やはりあのゴールが最も気持ちの良いゴールだったのだろう。同時に…これはある種定義の問題ではあるのだが、ポヤトス監督はオープンな展開を望んでいる訳ではないとは言えども、それはあくまで京都戦のような殴り殴られカウンターゲームのようなオープンな展開であって、札幌戦横浜FC戦の後半のような一方的にガンバが押し込んでいる上で時折カウンターの恐怖が襲うタイプのオープンな展開は別に嫌っていないようにも思えてきた。少なくともガンバでのやり方に於いては変に前線で詰まるような展開になるよりは、札幌戦後に「自分が見たかった、自分が求めているガンバ大阪のプレーというものを展開できたと思っています」とコメントしていたように、その方が使えるスペースが多い分良いとすら考えているかもしれない。その点で言えば、賛否が割れた宇佐美の「ポジションチェンジ」発言も教科書的なポジショナルプレーの文脈からは外れたコメントではあったとしても、ポヤトス監督がガンバでやろうとしているサッカーという観点では別に外れたコメントではないように思う。

 

 

 

そして何より重要なポイントとして…ここからがポヤトスガンバと宇佐美のマッチングの話になってするのだが、徳島時代のイメージからか肌感覚として、ポヤトス監督がフィールドの11人全員が戦術に徹底してコミットしたチームを作ろうとしている、或いはポヤトス監督にそういうチームを作ってほしいと求めている人が多いように思う。実際に徳島でやったサッカーはそういうスタンスに近かった印象があるし、確かにその視点で見れば現状の宇佐美がポヤトスサッカーに合っていないのではないか…という見解に至るのはわかる。

だが、ガンバでのポヤトス監督はそうは考えていないというか、むしろ戦術に11人全員が徹底的にコミットしたチームにはしたくないとすら思っているように思う。ポヤトスサッカーに見た想像以上の柔軟性と宇佐美の扱いを踏まえた時にそんな感想が浮かび上がった。

 

 

ポヤトス監督にとって、おそらく戦術にコミットして戦うのは9〜10人で良い。そして1つの枠はスペシャル枠として自由を与えた上でプレーさせたい。その対象が宇佐美…という事になる。

 

 

 

②に続く

 

②に続く(大事な事なので2回)