G・BLUE〜ブログとは名ばかりのものではありますが...ブログ。〜

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笑えれば……〜2023 J1第14節 ガンバ大阪 vs 横浜F・マリノス スポーツ観戦日記〜

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『ガッツだぜ!!』『バンザイ〜好きでよかった〜』『ええねん』……「ウルフルズの代表曲は?」と聞かれれば、どれもポジティブなパワーを与えてくれるような楽曲が多く浮かんでくる。バンドのタイプや勝負するカテゴリーはそれぞれに色々あるが、ありきたりなフレーズだが「元気をくれるバンド」のジャンルに於いて、彼らはやはりこの国の代表格と呼ぶべきだろう。

そんな彼らの大型ライブが5月20日万博記念公園もみじ川広場で行われた。15:30開演のそのライブは、細かい情報はわからないが、ライブが終わったのは18:00〜19:00くらいだろう。彼らはその後、受け取った元気と多幸感をその表情に滲ませながら、太陽の塔を望むスロープを登って最寄りの万博記念公園駅へと歩いていく。

 

5月20日ウルフルズのコンサート会場の南東方面にあるパナソニックスタジアム吹田では19:00よりガンバ大阪vs横浜F・マリノスの試合が行われる。

キックオフの時間はちょうどウルフルズのライブに来た観客が帰り始めるか、或いはコンサートがクライマックスを迎える時間帯だっただろうか。万博記念公園駅、これからガンバの試合を観にいく"ファン"にも関わらず、どこか暗い面持ちと不穏な空気感を漂わせながら太陽の塔を望むスロープを降りていく。ウルフルズの楽曲のポジティブさを思い浮かべた時、2つの界隈が交差するその道はあまりにも皮肉だった。重すぎる週末の晴天を前に、この日の意味をどう咀嚼すればいいのかに苦慮しながらパナスタに向かっていた。

 

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一応、当ブログの建前としてはこれは5月20日パナソニックスタジアム吹田で行われたJ1第14節、ガンバ大阪vs横浜F・マリノスの試合のスポーツ観戦日記という事にはなるが、今日のブログが観戦日記然としたポップなものになりようがないのは察してもらえるとは思う。

 

※ボイコットについての個人的な見解は書いていますが、連合の是非やサポーターグループ及びゴール裏の是非みたいなところは触れるつもりはありません。スポーツとしての試合の振り返りはマッチレビューの方をご覧くださいませ↓

 

 

 

そのニュースを知ったのはちょうど電車に乗り込み、一息ついてTwitterを眺めた時だった。ざわざするタイムラインで輪郭を掴んだ後、誰かのRTでガンバ大阪サポーター連合のツイートが回ってきた形で事態を知る。

 

予兆はあった。

まず前々節名古屋戦で「試合前の応援ボイコット」が実施されていたという事。近年では試合前応援ボイコットとなったのは天皇杯関西学院大学に負けた2018年のルヴァン杯磐田戦以来だと思うが、この磐田戦と名古屋戦の大きな違いはやはり、磐田戦は勝って名古屋戦は負けたというところにある。試合後のサポーター連合の説明によれば、大阪ダービー後の最初のホームゲームとなる横浜FM戦を最初からボイコットの対象とした上で、名古屋戦前節浦和戦の結果等を踏まえて実施するか否かを最終的に決める予定だった…との事らしい。

もう一つは、試合後の挨拶時に於ける選手の"態度"に不満を持っていたサポーターが相当数いた、という事。これはSNSでも不満や批判の声が多く挙がっていた。個人的には成績面の不満に関してはわかるが、態度云々の是非については与したくない。よっぽどの態度でもない限り、そこを強く求める事は越権行為ですらあると思う。

 

 

ただ、人によって"よっぽど"の基準は異なる訳で、その部分に不満を抱き「"よっぽど“の態度を選手はしていた」と捉える人が一定割合に達していたのは察していた。前提として私は今回の件を肯定・支持するつもりはないが、賛同するかどうかを別として考えれば、大阪ダービーとアウェイでの2連戦の流れの中で最初のホームゲームだったという事で「何かを起こすタイミング」としてこの日は自然ではあったのだろう。

 

 

 

ガンバサイドのバックスタンドの座席に着いた時にはもうウォーミングアップ中だった。

スタジアムに着き、スタジアムの外にいる時点でチャントは聞こえていたから「あれ?」とも思ったが、色々と情報も集めるとこのボイコットはあくまでゴール裏の中核に当たる人達の計画と呼びかけであり、あくまで合意形成が取れていたのはいわゆる主要メンバーだけであった。応援を先導する人間ではなくても、なんなら基本的にバックスタンドで観ている私さえも、ある程度パナスタに通っていれば「どのタイミングでどのチャントを歌うか」はなんとなく理解できている。ファーストペンギンとはよく言ったもので、一人が歌い出せば周りも呼応する連鎖は機能していた。なとで一見、試合前の時点では意外にも予想したほどの違和感はなかった。ただ、主要メンバーの中には太鼓を叩く人のような楽器隊も含まれているので、それでも応援を決行する人は声と手拍子のみでのサポートとなる。それゆえに感覚としては、代表戦でよく見る「21時以降の応援形式」みたいな感覚に近かった。

 

ウォーミングアップのシュート練習では、中央にあるゴールにシュートが放たれる度にゴール裏の両脇から歓声が上がる。歓声が上がるというよりは、ある種張り上げているような感覚だった。実は私自身……「応援がないもの」と想定してスタジアムに行っていたという部分もあったからだろうが、この段階まではそこまで大きな違和感を抱かずに済んでいたようにも感じていた。

ボイコットを計画・支持した人達はゴール裏全体でのボイコットを考えていただろうし、自然発生的に生じた応援には憤りも少なからずあったと思う。だが、あの光景は確かに美しかった。静かなゴール中心部を囲うように両脇で数本だけはためくフラッグの姿は当面、強烈な印象を脳裏に残し続けていく事だろう。

 

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ただやはり、試合前の声明のインパクトは強烈で、献身も志も、その美しい光景でも跳ね返さないほどの威力はあった。

万博記念公園駅からスタジアムに向かうまでの道中で聞こえる隣人の会話はガンバサポもマリノスサポも多くがこの話題を口にしていた。試合前の時点で、いわゆる拡散垢的なネットメディアのみであればともかく、スポーツ紙のWeb媒体が次々と報じ、それらがYahooニュースとしてボイコット自体が「前提情報」として世間に浸透していく。誰もがこの試合を通常とは異なる試合であると認識していた。

選手達のプレーはとにかく気迫を感じるものだった。出場機会に恵まれていなかった倉田秋や佐藤瑶大らの奮闘には目を見張るものがあったし、タッチラインを割ろうとするルーズボールをスライディングしてまで残そうとし、僅かに届かなかった倉田の悔しさが滲む雄叫びを目の前で見た時は心が震えた。楽器音のない手拍子と声援は絶えず続いた。バックスタンドにしても声を張り上げてチャントを歌う事はほぼなくても、手拍子や歓声にはいつもより力が入っていたように思う。ふとした静寂の瞬間に、バックスタンド寄りのゴール裏でガンバ大阪コールを張り上げていた少年グループを見た時、自分が彼らの保護者なら今日をどう説明すればいいんだろうなんて思ったりもして───。…少なくとも、それぞれがそれぞれの情念でもって、ものすごく陳腐な表現を用いれば…それぞれに気合いは間違いなくあった。特に選手達、そしてゴール裏のサイドに寄る人達はやれる事の全てはやってくれていた。

 

だがそれでも……正確に言えば「だからこそ」と言うべきなのだろうか。とにかく、スタジアム自体が異様な空気を内包していた。

その違和感はDAZNやBSの中継で見ていたファンも十分に感じていたと思うが、現地で感じる空気感は、もはやどう形容していいかわからないほど異様な雰囲気を常に纏っていた。この日の19:00キックオフのゲームはこの試合のみで、よりにもよってBSでの全国中継も行われる。パナスタの中はまるで、ゴール裏のみならずバックスタンドやメインスタンドまでもがどこか世間の奇異の目に晒されているような感覚と言うべきか……サッカー場に通うようになってからそれなりの期間が経ったけれど、あの形容し難い空気感は今までに味わった事がない。バックスタンドから眺める光景に沿えるべき言葉がこれを書いている今も掴めていない。

 

 

 

0-2で敗れた試合後の光景は多分、好意的ではない反応を含めて当分擦られ続けるのだろう。

選手とサポーターグループの対話は試合前の時点で決まっていた事らしい。それゆえにそれを出来レースや茶番として批判する声もあるが、個人的にそれ自体は理解はできる。ある程度の段取りをセッティングしていない状態であのシチュエーションを作ってしまうと……正直なところ、今のガンバの殺伐とした状況の中ではありとあらゆる可能性がリスクとして考えられてしまう。ましてや今や気軽なSNS投稿で何をどう切り取られるかがわからない世の中で、まあ誰かはSNSに確実に投稿するだろうし、その切り取り方は投稿者に委ねられてしまう。皮肉にも今回のガンバがそれを証明してしまったように、まるで血を流した人間をピラニアの泳ぐプールに落とした時のようにネットの海に食い荒らされる。それを考えると、多少出来レース的に段取りとシステムを整えて誤算が生じる可能性をゼロに近付ける必要があったのはわかる。

ましてやゴール裏の方が圧倒的に数的優位である以上、対話にならなくなるというか、そうなると進む話も進まない。なので直接対話するにあたって人数を絞る事、そしてその為には段取りを事前に詰めておく必要があった事は理解するし、むしろそこに関しては肯定的である。

 

 

ただ、バックスタンドからあの光景を見ていて、試合中からこの日声を張り上げ続けていた人達の事を思うと、確かに「ボイコットしていた人達だけが美味しいところを持っていった」という感覚はあった。そこが今も拭えない美談に見せた後味の悪さなのだろう。

ハイタッチを見て少し募り、そして渦巻いたモヤモヤ感が表面化したのはガンバの選手達がピッチから去って姿を消した後だった。遠巻きに眺めたゴール裏での押し問答はもはや地獄絵図でも見ているような気分で…そこで何を言っているのかは現地ではよく聞こえなかったが、この光景をどう咀嚼すれば良いのかは自分にはもうわからなかった。

 

上で「肯定」と書いたのはあくまで、選手との対話が前提になった時のプロセスとして出来レース的なやり方になる事はわかるという意味であって、そもそも私としてはボイコットを支持するつもりはないし、肯定的に捉える気はない。それと同時に、意思表示の手段の一つとして全否定はしない。彼らの言う「苦渋の決断」を穿った目で捉えるつもりもなければ、そもそもイエスマンである必要もない。あくまでそういう意思表示の手段の一つとして全否定するつもりはない。

だが、例えばこれを「クラブの為を思ってボイコットした」という文脈になるのであれば、その文脈に対しては与したくない。仮にこの後の試合でガンバが復調してここから盛り返したとしても、それを「この出来事があったから」「この出来事のおかげで」という文脈では捉えられない。この日起こったことの全ては絆が深まる美談でもなければ、選手との対話を実現させた成功体験でもなく、この日のボイコットがどういう形になっていようが、この後のガンバがどういう軌跡を辿ろうが、この日起こった出来事はどう足掻いても美談ではなれないし、黒歴史としてしか刻まれないのだ。ガンバの未来もゴール裏の行く末もわからないがそれだけは確かであり、そして美談に昇華させようとする事もあってはならない事だとあの日のスタジアムの空気に触れた者としてはここに書いておきたい。

 

 

 

この日のスターティングメンバーの紹介は、図らずもどこか皮肉に映った。

 

 

この動画はホーム開幕戦となった第2節鳥栖戦のメンバー紹介の様子、いわば通常のメンバー紹介の様子となる。

同様のコール&レスポンスを採用するクラブは多いが、ガンバの場合、仙石幸一MCが下の名前を叫び、サポーターが名字を叫ぶシステムになっている。MC「りーく!!」サポ「はんだー!!」と言った具合に。

 

 

ただ、この日のメンバー紹介が行われる時点では既にボイコット周知されていて、クラブ側にはもっと先に情報が届いていたのだろう。MCは「りーく!はんーーだ!」と選手の名前をフルネームで呼んでいた。そしてMCのテンポと少しズレたタイミングでボイコットに反旗を翻して応援を決意したサポーターのレスポンスは、MCのコールと微妙にズレたタイミングでスタジアムに響く。それはお互いにとっての"適切な対応"だった。MCの(というかクラブの指示と思われる)対応も正しい、一部サポーターが声を振り絞ったレスポンスも当然正しい。だが、目の前の光景に響く2つの同じ名前のタイミングは確実にズレていた。

 

時として、「納得のできない答え」が「自分達が求めていた答えとは異なるもの」と混同し、そして「求める答えが正しいものではないかもしれない」事を見落としていく。クラブも、会社も、サポーターも…それぞれの正義の下で、それぞれの納得し得る答えをいつも探している。それぞれが正しいと思っているからこそ、それはいつしかお互いの関係性にとってのズレとなり、溝になっていく。

程度の差はあれども、そういうズレはガンバに限った話ではない。それは結局、人間の集団が交差する以上当然のことでもある。例えば対戦相手で、ここ数年は順風満帆に見えるマリノスだってそう。首位の神戸だってそうだ。全てのチームが、そしてサッカークラブに限らず全ての団体が少なからずその溝を抱えている。その溝をくっつけてくれる接着剤のような存在が成果と多幸感であり、それがサッカーで言うところの勝利という事になってくる。三者の溝はいつも結果が埋め合わせている。だから結果が出なくなった時に再びズレた歪な関係性として錯覚出来るようになってしまう。誰が間違った訳でもないコール&レスポンスを見た時に、そのズレは図らずもそういう三者の関係性のズレを表しているような皮肉に見えた。

 

 

 

繰り返しになるが、この日起こった出来事の全てはこの後ガンバが盛り返そうとも美談として捉えてはいけない。決してポジティブなターニングポイントでもなければ成功体験でもなく、黒歴史にしかならない。溝に降り注ぐ雨が固める地面は無い。残ったものは後味の悪い記憶と、世間に散布した有象無象のネガティブキャンペーンだった。だがサポーター側も、この状況に心身共に疲弊し、追い込まれた上での行動という側面も確かにある。

だからこそガンバは勝たなければならない。溝は強引な行動で埋めるものではなく、結局は勝利という成果でしか埋まらない。そういう意味では、最終的には「この成績を叩き出したガンバ大阪」に責があるとしか言えないのだ。

 

「勝ってさえいれば、こんなことにはなっていない。サポーターの思いをきっかけにしないといけない。何も感じなかった選手はいない」

 

今のガンバで唯一、アジアを制したチームの中にいた倉田秋の言葉が重く響いた。

 

 

人間はどう足掻いても都合の良い関係同士であるべきなんだと思う。

ではでは